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第16話「村はずれの森」

 明朝。

 宿をあとにした私とフィオンは、ミサンナの店を訪ねた。

 すでに荷物をまとめ終えて外で私たちを待っていた彼女は、店頭のベンチに腰掛け、植え込みの花をめでていた。


「おはよう」


 私たちに気づくと、ミサンナは手をひらひらとさせながらベンチから立ち上がった。


「ミサンナ、本当にいいの?」


「いいのよ、もう長いこと悩んでいたことだから。むしろ、村を出るいい機会だと思ってる」


 ミサンナはバッグを肩からかけると、手にしたステッキを軽く振り、店の扉に鍵をかけた。

 それを腰のベルトに差し込みながら私を振り向いたその顔がどこか寂しげで、胸が苦しくなる。


「感傷に浸るような思い出なんて、この村にはないと思ってたんだけどね。家族と過ごした場所だからかな……ちょっとだけ、名残惜しいかも」


「家族、ね……」


 感慨深げにつぶやいたミサンナの言葉に、フィオンは何かに思いを巡らせるように目を伏せた。

 何か感じ入るものがあるのだろうか、と思い彼の顔を覗き込んでみたが、変化のない表情からは何の感情も読み取ることができなかった。


 ミサンナの案内で、エリービルに向けひとまず村はずれの森を抜けることになった。

 草を踏みしめる軽やかな音と、鳥のさえずりだけが時折聞こえるだけの静かな森のなかを歩きながら、ミサンナが持参した地図を広げる。


「ところで、次はどこに向かうかもう決めてるの?ここからエリービルまでとなると、このペースじゃまだ何日もかかるわよ」


「だとさ。どうする、アネリ?」


 両手を掲げながら投げやりに判断を委ねてくるフィオンに苦笑いが浮かぶ。


「ごめん、何も考えてない……というか、地理に疎いんだよね」


「うそでしょ。アンタたちまさか無計画で旅してるの?」


「もっと言ってやってよ。当初の予定じゃ地図はおろか武器の一つも持たずに一人で旅立とうとしてたんだぜ、この子」


「アンタ旅慣れしてそうなクセして女の子相手に人任せなんて、ホントにやる気あんの?」


 出発早々揉め始めた二人を「まあまあ」となだめるも、私の声は届いていないようだ。

 私自身フィオンともミサンナともすぐに打ち解けられたからかきっと三人でも上手くやれるだろうと楽観視していたが、まさかこんなに相性が悪いとは思わなかった。

 今からこんな調子で大丈夫だろうか。


 ヒートアップしそうな二人にヒヤヒヤしながらあとについて行っていたときだった。


 それまで柔らかなそよ風が吹いていた森に、突如ざわりと大きな風が立った。

 私の髪を巻きさらわんとするほどの突風に、思わず固く目を閉じる。

 幾分か風が和らいでそっと目を開けたとき、今まで目の前にあったはずの二人の姿がないことに気づく。


「ミサンナ、フィオン!どこにいるの?」


 あたりを見回すが、どこにも見当たらない。

 それどころか、二人の声さえ聞こえない。


「何なの、これ……」


 異様な状況に、はっとする。


 今の今まで忘れていた。

 暗闇のなか、私の聴覚を襲ったあの声。

 昨晩夢で見た光景を思い出し、胸が早鐘を打ち始める。


 冷や汗が浮きはじめた額を拭うと、ミサンナが巻いてくれた包帯に血が滲んでいるらしく、腕に微かに血がついた。

 それを目にした途端、ずくんと額が疼き始める。


「どうして……っ」


 鎮静剤は効いているはずだ。

 なのに、なぜか痛みはどんどん増していく。


 だが、いつまでもうずくまってはいられない。

 早く、二人を探さないと。


 少しでも気を抜けばふらつきそうになるのを懸命に堪えながら、とにかく足を進めることに集中する。

 だが、意思に反して身体が思うように動かない。


 そのとき。

 強い力で腕を掴まれる感触があった。


「い、いやっ」


 恐怖心が込み上げ、思いきり腕を引く。

 すると、腕を掴んでいた力はすぐに離れていった。


 はっとして目を瞬くと、いつからそこにいたのか、目を見開くスペクターと目が合った。


「スペクター……!」


 驚きと安堵が入り交じった感情で名を口にすると、スペクターは視線をさ迷わせながら手をそっと下げた。


「すまない。つい力が入り過ぎた」


 彼の落ち着いた声に、ようやく冷静さを取り戻す。


「どうしてあなたがここに?」


「君がその洞窟に入って行こうとするのが見えたからだ」


 ……洞窟?

 スペクターの視線を辿り背後を振り返った私は、大きく口を開いた闇にぞっとした。

 洞の奥から、ぼう……と不気味な音が響いて、漏れ出る生ぬるい風が頬を掠める。

 おもむろに私のかたわらに立ったスペクターを見上げると、長い前髪の隙間から覗く深緑の目が細められる。

 洞窟のなかに目を見張り眉根を寄せる彼の眼差しは憎悪に満ち、固く握り込められたこぶしは必死に感情を押し殺しているようにも見えた。


「スペクター、あの……」


 思い切って声をかけると、スペクターは幾分か和らげた表情で私を一瞥した。

 とは言っても、相変わらず無表情には変わりないが。


「……この洞窟は危険だ。今の君にとっては特にな」


 "今"の私にとって?どういう意味だろう。

 そう忠告するなり、スペクターは踵を返して洞窟と反対に向かって歩き始めた。

 足早に歩いていく彼のとなりに並び、疑問を投げかける。


「あの洞窟の奥には、一体何があるの?」


「聖堂地下で君が見たものを覚えているか?あれと同じものだ」


 正魔法使い認定試験の際地下の壁に現れた、あの黒い扉を思い出す。


「……"黒門ダークゲート"」


「そうだ」


「あの門は一体何?もしかして、私にこの呪いをかけた人と何か関係があるの?」


 次々に浮かぶ疑問を思いのまま口にしていく。

 今のうちにできる限り確かめておかないといけない気がした。

 でないと、彼はまた早々に立ち去って行ってしまうに違いないからだ。

 きっと曖昧な返事を返されてしまうだろうと踏んでいた。

 しかし、私の予想に反しスペクターはなかなか口を開こうとしない。


「ねえ、聞いてるの?」


 咄嗟に袖口を掴むと、スペクターは喉に引っかかるような声を漏らして急に足を止めた。

 驚いたような目で見下ろされた私はまさかそんな顔をされるとは思っておらず、何だか気恥ずかしくなってつい手を引っ込める。


「ご、ごめんなさい」


 気を悪くしたかと思い謝罪を口にする。だが、私の思惑通り効果はあったようだ。

 スペクターはため息をつきながらも「いや……」と歯切れの悪い返事をした。

 何か言い悩むように私に視線を合わせては逸らし、を繰り返していたが、少しの間のあと、彼は言い聞かせるようにこう言った。


「あれは、君の手に負えない。忘れることだ」


 ようやく口を開いたかと思えば。

 ふたたびこちらに背を向けて歩き出した彼に唖然とするが、めげずに食って掛かる。

 何だかイライラしてきた。


「またそうやってはぐらかすのね。どうして何も教えてくれないの?あなたは何か知ってるんじゃないの?」


「俺にも確かなことがまだわかっていないからだ!」


 振り返りざまに大きな声で返され、驚いて立ち止まる。


「わかっている情報だけを提供するにしても、今は詳細に説明している時間が惜しい。なぜなら、俺があまり悠長にしていられない立場にあるからだ」


 彼の言葉の真意を確かめる術はない。

 けれど、切羽詰まった様子に嘘をついているようにはとても見えなかった。


「……どういうことなの?」


「今は、それしか言えない。頼む、わかってくれ」


 もやもやとした気持ちが渦巻いていく。

 彼を信じるべきなのだろうか。……信じてもいいのだろうか。


 言葉を返せずにいると、革手袋をはめた大きな手に肩をぐっと掴まれた。

 見上げると、悲痛な顔をして私を見つめる深緑の双眼と視線が絡んだ。


 じっと私を見下ろすその目に、心拍が上がってゆく。

 この人のことを何にも知らないのに、この目に見つめられるとどうしてか目が離せない。


「アネリ、俺は君の味方だ。……信じてほしい」


 どう答えようか迷っていたとき。

 道の先から声が聞こえた。

 ミサンナとフィオンの声だ。どうやら私を探しているようだ。


「君の仲間が呼んでいる。早く戻ってやるといい」


 とん、と背中を押し出される。

 振り返ると、スペクターは一つ頷いた。挨拶のつもりだろうか。


「そう心配するな。君の疑問については、いずれ必ず説明すると約束する」


 「わかった」と不承不承ながらに答えると、スペクターは「感謝する」と微かに目尻を下げた。

 思いがけない微笑みに、また鼓動が跳ねる。

 今彼のマスクを剥いだなら、その下の口は弧を描いているんだろうか。


 彼の表情に期待してしまったからか、妙な親近感を覚えてしまったせいだろうか。


「また、すぐに会える?」


 気づけば、そう口にしていた。

 そう聞かれることは想定外だったのか、スペクターは目を見開くと、ふっと軽く噴き出した。


「ああ。……遠からずな」


 そう言い残し、彼は黒い霧に溶けるように消え去った。

 遠くから駆けてくる音とともに、「あっ、いたいた!」と私を呼ぶミサンナの声。

 彼女に文句を垂れながらも、ともに駆けつけてくるフィオン。


「二人とも、ごめん!今行くから」



第16話「村はずれの森」 終

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