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第11話「ミサンナ=スメリア」

 イェーツ村に到着するころには、すっかり陽が落ちていた。

 村の入り口にはいくつかのカンテラがガーランドのように吊り下げられ、アーチのようになっている。

 道行く人を煌々と照らす仄かな灯火は、よく見るとただの炎ではない。

 夕陽のような暖色の光がカンテラのガラス面にぶつかってはゆっくり明滅しながらふんわりと跳ね返っている。

 カンテラの下をくぐったとき、カンテラを吊るしている縄を縛り直していた老婆が作業の手を止め、額の汗を拭いながら声をかけてきた。


「おや旅人さん、いらっしゃい。ファトゥースの灯火を見るのは初めてかい?」


「ええ……これは一体何なのでしょうか?」


「これは裏の森に咲く花のわたぼうしさ。夜になるとこうして光るんだよ」


 ゆっくりしてお行きなされ。そう気さくに声をかけられ、道中の疲れが少しだけ癒される。


「やれやれ、ここはいつ来てもこんな調子だ」


 フィオンの口ぶりに、彼が村の宿飯の話をしていたことを思い出す。


「そういえばフィオンは以前にもこの村を訪れたことがあるんだっけ?」


「……まあね。何度かは」


 しかし、それ以上掘り下げてはくれなかった。

 どこか含みのある様子は気になるけれど、あまりしつこく聞くのもな……。


「ひとまず僕は宿を取ってくる。君はこの村は初めてなんだろ?散策でもしてくれば」


「えっ、ちょっと!」


 フィオンはそう言い残すと、私の返事を待たずに後ろ手を振りながら去って行った。


「自分勝手だなあ……」


 彼としては安全だと知ったうえでのことだろうが、見知らぬ村で一人放り出されるのは困る。

 できればフィオンに例の薬師のことを尋ねたかったが、彼はすでに村の宿らしき施設のなかに入っていくところだ。

 仕方がない、自分で探しに行こう。

 ふと、入り口で作業をしていた老婆がこちらに向かってくるのを見つけた。

 その手には折りたたまれた脚立を抱えている。ちょうど作業を終えたところだろう。


「あの、すみません」


 老婆は私に気づくと「おお、さっきのお嬢さんかい」と朗らかな笑みを浮かべた。


「ミサンナ=スメリアという薬師をご存じでしょうか?」


 その名を告げた瞬間、穏やかな笑みは一変し、怪訝な表情に変わる。


「あんた、ミサンナのお客さんかい?」


「い、いえ。人のつてで、彼女を訪ねるようにと伺ったもので」


「悪いことは言わん。あの子の薬は絶対買いなさんな」


「……どうしてですか?」


 曰くありげな物言いに引っかかりを覚え理由を尋ねてみると、老婆は言いづらそうに目を伏せながら声を潜めた。


「……忌み花を調合した薬を売っとるともっぱらの噂じゃ」


 忠告はしたからね。

 老婆は最後にそう釘を刺すと、脚立を抱え直しながら立ち去った。

 その背が遠くなってゆくほどに胸の奥で不穏な念が増してゆく。


 スペクターは私にミサンナの薬を買えと言った。

 けど、この老婆の言はまるで真逆だ。

 スペクターの情報が真実であれば、この老婆は根拠のないことを言ったことになる。

 事実、彼女が私に話したことはあくまで"噂話"だ。


 けれど、もし老婆の話したことが事実なら?

 スペクターが私を欺くために嘘の情報を伝えてきたのだとしたら?


 けど、いくら考えたところで、どちらの情報が真実なのか私には判断のしようがない。

 何にせよ、薬師のミサンナ=スメリアからも一度話を聞いた方がいいだろう。


 そこで、はたと気づく。

 忠告に耳を貸してしまったせいで、つい居場所を聞きそびれてしまった。

 けど、あの老婆の様子から察するに、ほかの村人もミサンナの話題にはいい顔をしない可能性がある。

 こうなっては、しらみつぶしに探すしかない。


 どの建物からあたろうかと辺りを見回していたときだった。

 木にもたれながらこちらを伺っている女性と目が合った。

 見かけるのは年配ばかりのこの村のなかではかなり年若い。

 同じくらいの歳にも見えるが、豊満な胸とスリットの入った色香漂う装束が私よりも少し年上に思わせる。

 女性はもたれかかった木から身を起こすと、ゆったりとこちらに歩み寄ってきた。

 気の強そうな猫目。フィオンほどはないにせよそこそこ上背がある。

 腰に手を当てながら探るような目で見下ろされ、何を言われるかとハラハラする。

 しかし、私の想像に反し、彼女は関心に満ちた眼差しを向けてきた。

 その顔に浮かぶ笑みはどこか気さくそうにも見える。


「アンタ、アタシを探してるんだってね」


 呼びかけにはっと驚く。

 ミサンナはてっきり年配の女性だとばかり考えていたが、まさかこの若い女性が……?

 思えばフィオンと出会ったときもずいぶん驚いたものだ。

 てっきり強面の屈強そうな人物かと思いきや、あんな年若くて細身の青年だったのだから。

 せいぜいイメージ通りだったのは"強面"というところくらいか。


「"痛み止め"をご所望なんでしょ?ちょうど素材が手に入ったところよ。こっちにいらっしゃい」


 このままついて行って大丈夫だろうか。

 拒むべきか悩んだが、早く、と急かされてはそのままついて行くほかなく。

 側に寄ると、ミサンナは少し寂しそうに微笑んだ。


「その顔、村の住人からアタシのことで良くないことを聞かされたんでしょ」


 そうとは言えず苦笑に留めると、ミサンナはやっぱりね、と肩を竦めた。


「……ごめんなさい。感じが悪かったと思う」


「気にしないで。そういう反応には慣れてるから」


 気丈にそう言って退けたミサンナだが、これまでにも私が向けたような顔をされてきたのかと思うと、余計に申し訳ない気持ちが込み上げてくる。


「あの人たちの懸念の半分は本当。けどね、半分は誤解なんだ」


 カンテラの炎のように明るい髪。シニヨンに結わえたその髪は、下ろせばきっと豊かで長いだろう。

 それをしっかりと束ねる紫色のリボンが、彼女が歩くのに合わせて左右に揺らめく。

 彼女の顔は背に隠れて見えない。

 けれど、悲しい顔を浮かべているに違いないと思った。


 連れられたのは、村の外れの小さな小屋だった。

 小屋とは言ってもほかの民家に比べると小奇麗な外観だ。

 軒先には糸で丁寧に巻かれた野菜が干され、外壁に添うようにして植えこまれた低木は、彼女が身にまとうドレスと同じく鮮やかな紫の花をつけている。

 店先には"薬屋"とだけ書かれた立て看板が置かれているが、手入れの行き届いた店先でそれだけはなぜか極端に古ぼけて見えた。


 ミサンナは先導して店の扉を開けた。

 扉を押さえながら、招くように首を傾ける。


「さ、なかに入って」


 店内に客のいる様子はない。ここからは二人だけの空間になる。

 フィオンについて来てもらうべきだったと思うことになるかもしれない。

 けれど、まずは彼女の話をちゃんと聞きたい。


 意を決し、なかへと足を踏み入れる。

 ミサンナは店の戸扉を閉めず、代わりに出入り口の脇で括ってあるカーテンを垂らした。


「座って待ってて。すぐに用意するから」


 私のためにカウンターの椅子を少しだけ引くと、店の奥へと姿を消した。

 勧められるままに椅子に腰を落とす。

 店内は外観と同じく小奇麗だ。

 棚には薬瓶がぎっしりと並んでいるが、ラベルは最近張り替えられたのか新しく、きっちりと分類されているのがわかる。

 床やテーブルもしっかりと清められ、少なくともミサンナが几帳面な人柄であることは伺い知れた。


 何やらごとごとと小さな物音がしていたかと思えば、少ししてミサンナが両手ほどのサイズの瓶と巻かれた大きな布を抱えて戻ってきた。

 布をカウンターに広げると、そこに瓶のなかから取り出した一輪の花をそっと置いた。


「この植物は、ブーリアン。禁じられた洞の近くにしか咲かない希少な花なの。この村ではわざわいをもたらすとして忌み嫌われている」


 ブーリアンと呼ばれたそれは、白い花だ。

 可憐と呼ぶには大きく、星型の五枚の花弁が特徴的だ。

 これこそが、先ほどの老婆が"忌み花"と称していた花だろう。


「アタシは村の連中が口々に言うことを鵜呑みにするのは嫌。何にだって本質というものはあるもの。だから、この花について徹底的に調べあげた。この花の特性から、忌み嫌われるに至った要因に至るまで、何から何まで」


 ミサンナの人差し指が、花の花弁の一枚をつう、となでる。


「この花はね、裏の森の奥にある洞窟の側でのみ生息する希少種なの。本来は無毒な花なんだけど、あの洞窟から漏れ出る瘴気によって毒化されている」


「その洞窟には、何があるの?」


「わからない。洞窟へは、村の規則で入ってはいけない決まりだから。子どものころ一度だけ入ってみようとしたんだけど、奥から不気味な音が聞こえたような気がしてさ。それ以来一度も中に入ったことがないんだ」


 洞窟から漏れ出る瘴気の正体が何なのか気になったが、それを尋ねる前にミサンナは話題を変えた。


「うちの村、年寄りばっかりなのに、アタシみたいな若い女がいて驚いたでしょ?」


「まあね、ちょっと驚いた。同年代の子はいないの?」


「前はいたけど、みんな数年前に村を出ちゃった。とはいっても、友達と呼べるような子はいなかったし、あんまり寂しいとは思わないかな。両親が他界したときはさすがにつらかったけど、こうして一人で気ままに過ごすのも案外悪くはないしね」


 けど、と花から顔を上げたミサンナは、私と目が合うと顔を綻ばせた。


「アンタがアタシを訪ねて来てくれて、何だかすごく嬉しいんだ。同年代の子と話すのって、こんなに楽しいんだね」


 そんな風に言われると、私まで嬉しくなる。

 私もフェルナヴァーレンの町で暮らし始めて一年だが、思えばまだ友達と呼べるような子には出会えていない。

 魔具の研究で忙しくしていたせいもあるが、あまり人とかかわるような生活をしてこなかったのだと思う。


「そういえば、まだお互いにちゃんと名乗ってなかったよね。

アタシはミサンナ。アンタは?」


「私はアネリ。よろしく、ミサンナ」


「改めてよろしくね、アネリ」


 ミサンナはああ言ったものの、本当のところは人と関わりたいと心の隅では願っているんじゃないか。

 彼女の言葉の端々からそんな気がしてならない。



第11話「ミサンナ=スメリア」 終

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