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第7話「シャムシール」


 男は、一人薄暗い回廊を急いでいた。

 その歩みはせわしなく、どこか焦燥感をまとっている。

 次なる使命を課せられることを予期してか、それともほかに懸念すべきことがあるからか。

 いずれにせよ、この回廊の先へと向かう際には、決まって憂鬱な心持ちであることには変わりない。

 かつてはこのように感じることさえなかったはずなのに、いつしかこう感じるようになってきたのは、きっと"あの子"に出会ってしまったせいだろう。


 黒く重々しい鉄扉が立ちはだかる。

 この先に待つ主の前でこんな顔を浮かべるわけにはゆかない。

 黒い面の下で深く息を吸い込み、我を捨てる。

 この息苦しさが、決して吐く息が面から跳ね返るせいではないことくらい、嫌でも理解していた。


「シャムシールです。入ってもよろしいでしょうか」


「構わぬ。入れ」


 大勢の老若男女の声が混ざり合ったような彼らが同時に言葉を発したような、異様な声。

 この声には幾年かしづこうとも慣れることはない。

 主を差し置いてこのような声の者に出会ったことがないからか、それともこの主がまとう邪悪な気が声色にまで滲みだしているからか。

 しかし、男はあくまでも平静を保ち、扉に手をかざした。

 それにより、扉にかけられた錠が重々しく開錠され、重厚な音を立てて扉が開かれる。


 長く敷かれた赤い敷物。階段の上まで続くその赤を辿った先の玉座に、主はゆったりと腰かけていた。

 その御前は黒いフードに覆われ見ることは叶わない。

 男は主の姿を認め跪こうとするが、主は玉座のひじ掛けに置いた手をゆったりと挙げそれを制した。

 それに一礼し、段の手前まで進み出ると、胸に手を当てて首を垂れる。


「……お呼びでしょうか」


 少しの間のあと、主はひじ掛けをなでながら悠々と述べた。


「メッサーが裏切った」


 男は顔を引きつらせた。


「い、今、何と」


「聞こえなかったか?メッサーが裏切った、と言ったのだ。……否、元より我々の同胞ではなかった、というべきか」


 俄かには信じがたいことだった。

 この君主を裏切るということが何を意味するかは、ツチラトの一員であれば誰しも重々理解しているはずだからだ。

 だが、主は元より我々の仲間ではなかったと言わなかったか?


 これについて思うところは多々あるものの、ひとまずはこのあと告げられるであろうことを先取ることとする。


「……始末しますか?」


「そう急く必要はないぞ、シャムシール。すでに手は打ってある」


「と、おっしゃいますと」


 男、もといシャムシールの声が微かに震える。

 なぜ自分がここへ呼ばれたのかを理解したからだ。

 表情こそ判別できないものの、主が笑みを浮かべていることはその愉快げな声色から容易にわかった。


「マシェットを送り込んだ」


 シャムシールは思わず顔を上げそうになり、胸に当てた手に力を込めて耐えた。


「……マシェットをですか」


「何か不満か、シャムシール?」


 単に確認のために聞き返しただけのつもりだったが、胸中を気取ったかのような言い草に、シャムシールは胸がざわついた。

 込み上げそうになる感情を押し殺し、一言、言葉を絞り出す。


「……いえ」


 主がくつくつと笑う声が、不協和音となりあたりにこだまする。

 この広間には自分とこの主しか存在しないはずなのに、周囲を大勢の人々に囲まれているような気配。

 ぞくり。嫌な悪寒がシャムシールの首筋に走った。


 主はシャムシール、と空々しい声が憐れむように男の名を紡ぐ。


「マシェットの貴様への恨みは骨髄にまで染み込んでいる。貴様が如何なる情を抱いていようとも報われはしないのだ」


 シャムシールは胸に当てた手を固く握りしめた。

 すでに理解していることだが、それでもその言葉は深く彼の胸を抉る。


「それでも愛すのが親というものでございます、我が君」


「であれば。もしもマシェットがしくじった場合には、お前が手を下すのだ」


「それは、メッサーのことでしょうか。それとも……」


 マシェットも含まれているのか。そう口にすることははばかられた。


「我が忠実なる下僕しもべよ、その判断は貴様に任せよう」


 初めから、自分に選択肢などないのだろう。

 男は今にも歪みそうな顔をこわばらせることで、何とか正気を保とうとした。

 この主を前にしてそれ以外の言葉を口することさえ叶わない自分に絶望しながらも、重々しくそう口にするのだった。


「……御意のままに」



第7話「シャムシール」 終

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