第一話 『こうして』
まず少しだけ、この物語の主人公……彼の紹介をしておこう。
彼の名前は伊達定治。私立上野動物高校に通う三年生。柔道部の部長に選ばれただけあってかなり筋肉質で、高身長、おまけに黒髪短髪といったイケメンの条件をそろえた伊達男だ。
誕生日は10月17日の天秤座で、血液型はマイペースなB型。
座右の銘は「笑う門には福来る」である。
ちなみに、好きなタイプは『真面目で笑顔が素敵な人』だ。
日本という国の東京都台東区にある病院で誕生した、伊達家の長男。彼は年中イチャイチャとしている仲睦まじい夫婦のもとに、コウノトリが二番目に運んできた赤子だった。決して裕福な生活をしてきたとは言えないが、優しい父と口うるさい母、夏場にはアイスを買って来いと命令してくる恐ろしい姉といつも抱き着いてくる可愛い妹の五人家族は、いつも笑顔が絶えない幸せな家庭だった。
また、数少ないが心を許せる友人たちにも恵まれていて、伊達定治の人生は順風満帆そのものであった。ただ一つ、顔がゴリラに似すぎていることを除いては……
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
オレが上野動物高校を入学して、三度目の春が訪れた。
――そして、オレの春は終わった。
吹奏楽部の朝練を終えた若月レイナを見つけると、すぐに伝説の桜の木へと呼び出し、告白をした。その結果は、見事に撃沈。これで、オレはクラスの笑いものだ。だがそれ以上に……辛い。ただ辛い。オレは生まれて初めて本気の恋をしていた。そして、失恋したのだ。フラれた心の傷はちょっとやそっとじゃあ癒えることはなさそうだ。失恋ソングを熱唱したくらいじゃあ、きっと何も変わらないのだろう。それくらい、辛い。
「………腹が減ったな」
「いくら飯を食っても、失恋の傷は治んねぇぞ?」
昼休みになると同時に、池戸直人はそんな励ますとも揶揄うともつかない口調で声をかけてきた。
「なんだよ……お前も見てたのかよ、なら、今だけはほっといてくれ。オレは本気で失恋中なんだ」
「ああ、見てぜ。まさかあんなにきっぱりとフラれるなんてな。だから言ったじゃねえか? 若月はやめとけって。オマエにゃ、高根の花だったんだよ」
学生用の机に突っ伏していたオレは正面の椅子に座った直人の気配を感じて、ゆっくりと顔を上げる。彼は口ではそんなことを言っているが、にやにやとした笑みを浮かべている。
「わざわざオレを笑いに来たのかよ、本当に、いい性格しているな……」
「ああ、そうだ笑いに来たんだよ。笑いに来たんだ。いくらショックを受けたからって『……ウホ』はないだろ『……ウホ』だけわ。定治。お前がそこまでゴリラになっちまったら、俺もいよいよ本物のゴリラと見分けがつかなくなっちまうだろうが」
やっぱりそうだ。こいつは、ちょくちょくオレのゴリラ顔を弄ってくる。別にそれ自体は構わない。二年間の付き合いがある。オレたちの間では、いつもの軽口みたいなものだ。軽口みたいなものだったのだが……今だけは本気で勘弁して欲しかった。まさかオレの顔面が委員長にフラれた原因だなんて、思い出したくない。
「だがよ。お前は俺みたいなクズにも構ってくれる、いいやつだよ。暑苦しくて、すぐに考えなしに突っ走ってしまうが……そこも含めての人柄だからな。それに、若月はアイドルが好きだそうだ。単純にお前の顔がタイプじゃなかったってだけだよ。ほら、あいつもお前の性格は最後まで否定してなかっただろ? 自信を持てよ……」
彼は落ち込んで机に突っ伏すオレの情けない姿を見てしばらくの間、彼は腹を抱えて笑っていた。けれど、ひとしきり笑い終えると、ふっと表情を緩め、どこか落ち着いた声色でそんなことを言ってきた。珍しく、慰めてきた。そのことが、オレには心底意外だった。
池戸直人。彼は一部のクラスメイト……主にクラスの女子から陰で『クズ』と呼ばれている。まあ、それは仕方ない。なんせこいつは、まだ一年生の頃に、同じクラスの女子三人と同時に付き合っていたことが発覚した前科持ちだ。
そのうちに一人、バレー部の北村さんと夏休みにデートをしていたところを運悪く別の友人に目撃されてしまったみたいだ。「池戸、この前デートしてただろ、北村と付き合ってんのかよ。羨ましいな」とそんな無邪気な爆弾発言でクラスは一気に修羅場に化したらしい。この騒動は瞬く間にオレのクラスにも広がり、以来、女子に距離を取られるようになった。
「……今だけは、直人がうらやましいよ」
「はあ? 何言ってんだガラじゃないだろ、定治には」
そう言いながら彼はどこか心配そうな目でオレのことを見つめていた。確かにそうだ。ガラじゃない。彼のことを友人とは思っているが、彼のしたことを許しているわけじゃない。クラスメイトを、しかも女子を傷つけたのだ。だから、オレは彼のことを見張るという名目で、彼の傍にいるようになったのだ。でも――
「でも、モテるじゃん」
「それは、そうだ」
腹立たしいことにモテるのだ。この前も、下級生の女子に告白されていたのを見かけた。断っていたけど……正直、羨ましかった。
直人の性格や倫理観はお世辞にも褒められたものじゃない。だが、顔は雑誌に載っているアイドルのように爽やかでやたら女性に受けがいい。真っ白な笑顔で、真っ黒な女癖の悪さ。ほとんど景品表示法違反だ。しかも、彼は自分の顔がいいことを理解してそれを武器として使いこなしている。不公平だ。容姿が整っているだけで女性にモテるだなんて不公平だ。世の中の理不尽だ。確か、何かの論文でイケメンの方が得をするって書いてあった気がする。これが格差か。
思い返してみれば……中学の時から、ずっとそうだ。オレはいつも損ばかりしている。最初に、『恋愛において大切なのは外見ではなく性格だよ』なんて嘘を吐いた人間をオレは絶対に許すことができない。そんな甘い言葉を信じた自分が、今では滑稽に思える。結局、顔じゃないか。足きりラインに届かなければ、恋愛なんてできないじゃない。それが世界の、残酷なまでの真実だった。
――ゴリラ顔。
最初に誰かが言い出したか知らないが、妙にしっくりくる。鏡に映る自分の顔を見て、ため息が漏れる毎日だ。親から一番最初に貰ったものの一つだから、こんなことは言いたくないが……オレもゴリラ顔でなく、直人のような顔だったらよかったな。イケメンに生まれていたら、こんな悩みを抱えることもなかっただろう。この顔では、ゴリラにしかモテない。いや、ゴリラにしかモテないなら……もういっそ……
「もういっそ、ゴリラになった方がオレってモテるんじゃねえかな……」
机に突っ伏したまま、自嘲気味に呟いたその一言を聞いた直人が吹き出した。
「ぷ、ハハハッ! ゴリラになるって、女を口説きに動物園の檻の中にでも入るのかよ? 今日だけで俺を笑い殺す気か? ハハハッ、ハハハ……はぁ、もういいだろ。お前は十分カッコいいよ。性格がな。そこを見抜けなかった若月の見る目がなかったんだよ。さっさと切り替えちまえよ」
「……おい、若月さんの悪口はやめろッ!」
直人の言葉に思わずオレは声を荒げていた。若月さんのことを悪く言われることは、どうしても我慢できなかった。フラれてしまったが……今でも心の底からとても素敵な人だと思っている。彼女はオレにとって、今でも特別な存在なのだ。
「若月さんは、このクラスの委員長として真面目に頑張っている素敵な人だよ。この前なんか体育で怪我をした女子を心配して、保健室まで連れて行っていたし、掃除の時間はいつも一人であっても隅々まで綺麗にしているし、箸の持ち方も綺麗で、いつも―――」
「はあ、これはだいぶ重症だな……っておい、定治! なんかお前光ってんぞッ!!」
「そうだ。ようやく分かってくれたか! 若月さんは俺にとっての光なんだよ! 部活終わりのオレに向かっていつも『頑張って!』なんて優しく声をかけてくれるし、あの励ましのおかげでオレは先輩たちの地獄のしごきにも耐えてこれたんだ。他にもな――」
「まだ続くのかよ。スゴイな。……いや、そうじゃなくて! 光ってる、光ってるんだって!」
「はあ? さっきから何言ってんだ……え!」
直人の声が今度は本気で焦っていた。オレが若月さんへの愛の礼賛を止めた瞬間、自分の身体に異変が起きていることに気付いた。視線と落とすと、腕が、手が、足が、身体が、淡い緑色の光を放っていたのだ。まるで身体の内側から発光しているような不思議な輝きだった。何か得体の知れない力を感じさせる。
「なんだ、これ……どうなってんだ?」
動揺しながら椅子を蹴るようにして立ち上がると、足元に巨大な魔法陣が浮かび上がってきた。幾何学模様が淡く脈打ち、空気を怪しく震わせている。教室の温度が一瞬で冷たくなったように感じる。粒子状の光の粒が空気中に巻き上がり、まるで嵐のように渦巻いていた。教室の空間がまるで別の次元に変っていくような錯覚に襲われた。
「それは、こっちのセリフだぁ! どんなってんだよ、それ!」
「わかんねえよ! どうしよ、これ、どうなるんだよ、これェ!!」
直人の声が、クラスメイトのどよめきが次第に遠ざかっていく。オレの身体が、ゆっくりと宙に浮かび始めていたからだ。この世界から重力が消えたような感覚。足が床から離れて、教室の天井がだんだん近づいてくる。机や椅子、黒板やクラスメイトの顔、周囲の光景がぐにゃりと歪み、光の粒が視界を覆い始めた。オレにのみ起こっている異変。原理は分からない。これから何が起こるのかも、よく分からない。よく分からないのだが、今はとにかく――
「誰かぁ、助けてぇぇぇ!」
この叫びを最後に、オレの身体は強烈な光に包まれた。目を閉じてもなお視界を焼き尽くすほどの光だった。床に刻まれていた巨大な魔法陣がメリメリと音を立てて空間が剥がれ落ちていく。すべての異変が白紙に戻っていく。そして、この世界から跡形もなく消えた。オレこと、伊達貞治は、この地球上から魔法陣と共に音もなく、静かに、その存在を消したのだった。
――これが、オレが勇者として世界に平和をもたらす大冒険の始まりだった。




