梔子
「え?なになになに?どうしたの?」
いただきます。
そう言って両の手で持っていたかぼちゃのどら焼き一口分を口に含んだ娘さんは、三十回噛んで飲み込んで、目をかっぴらかせたかと思ったら、いきなり走り出した。
娘さんの後を追った俺が、もしかして口に合わなかったのかとへこみながら疑問をぶつけると、娘さんは言ったんだ。
味がしなかったって。
「味がしなかったって。味付けが薄かったって事?」
「たわけ。違う。かぼちゃの味がしなかった。という事だ」
「え?それって。もしかして」
「ああ。吸血鬼の仕業だ」
「え?え?けど、吸血鬼は居なかったよな?」
「ああ。姿が見えなかったどころか気配すら感じなかった。こちらに気づかれずにかぼちゃの味を抜き取るなど。力が強まっている証拠だ」
「え?え?そんな。娘さん。親父さんが居ないのに。あ。つーか」
冷蔵庫にあるじいちゃんの煮つけを取りに行かなければと思った俺が、この先にある台所に寄ろうとした時だった。
廊下に横たわる何かを目にした瞬間、俺は娘さんを追い越して駆け寄り間近で見つめて、その正体を知って、絶句した。
人間だった。
じいちゃんだった。
骨と肉が抜き取られて、皮膚と毛だけが残ったような、じいちゃん。
「………これは。かぼちゃの味だけを抜き取るはずの吸血鬼が、まさか。こんな。人間にここまでの害をなすなど。おい、くそがき。私から離れるな。」
「え?え?なん。何だよ?これ。じいちゃ。じいちゃんがこれ。え?」
頭の中が、全身が、ぐしゃぐしゃになった。
立っていられない。
形を保っていられない。
だって、だってこんな。
「しっかりしろ、くそがき!大丈夫だ!吸血鬼を追い祓えばおまえの祖父は元に戻る!」
両頬に微かな痛みを感じて。
ああ、娘さんが両頬を思いっきり叩いたんだって認識して。
娘さんの言葉を、ゆっくりと、理解して。
娘さんの細く開かれた目に、とてつもない力強さを感じて。
俺は、俺にできる事をしなければと、混乱する頭を必死に動かした。
「お、俺。あ。冷蔵庫。冷蔵庫にじいちゃんのかぼちゃの煮つけが。娘さんに食べてもらって。戦う栄養源」
「いや。それでは足りない」
「え?」
「おまえを喰わせろ」
「え?」
え?
(2023.10.12)