5日目
5日目
パン、パン
銃声で目が覚めた。外から断続的に聞こえてくる。野卑な男の叫び声も聞こえてくる。
「なーに?タケル、変な声出さないで?」
「いや、違うから。外で何か揉めてるみたいだ」
「外?どうせまたゾンビかバカでしょ。しーらない」
ミミはタオルをかぶって二度寝を決め込む。タケルは気になって窓から外を覗いてみた。冷蔵庫にあったビニールシートで作った簡易カーテンの陰からそっと覗き込む。
「うわぁ。悲惨」
水泳部というより、シンクロナイズドスイミング部だろうか。ぴっちりとした水泳帽にゴーグルをつけて鼻にクリップをつけた引き締まった肉体の男子数名が、ゾンビと化して行進している。色鮮やかなブーメランパンツが目に痛い。ゾンビになっても動きが揃っているのは、練習の賜物なのだろう。行軍に捕まった生者が血飛沫を上げて命の灯火を消していく。他のゾンビのように内臓まで貪り喰わずに元の列へ戻っていくのは、生前の記憶が影響しているのだろうか。
「個性があるって事なのかね」
独りごちながら見ていると、シンクロ軍団の前に別の団体が現れた。爆音のバイクに乗って、揃いの革ジャンを着ている。ピンクの長髪やモヒカンにスキンヘッドにタトゥーと頭は様々だが、黒のライダースで背中に骨と薔薇の図柄とpelvisの文字。
「骨盤?マニアックすぎだろ」
仕事の関係でたまたまpelvisの意味を知っていたタケルは、首をかしげる。
そして骨盤バイクチームとシンクロゾンビ軍団の戦いが始まった。
「何あれ?エルビス?」
「プレスリーじゃねぇよ。頭にpが付いてるだろ」
いつの間にやら隣へ起きてきたミミに答える。
「あっちもゾンビ?」
「いや生きてる。多分」
「海パンの方は?」
「皆ゾンビ」
「ゾンビの方が団体行動してんじゃん」
「そうなんだよ。興味深いだろ?」
「うん、どうでもいい」
「……」
「お腹減った」
注文を聞いて牛丼を作る。幸い電気がまだ止まっていないので、材料には困らない。
満腹になったので再び窓から見てみると、シンクロゾンビ達は既に立ち去った後だった。代わりに骨盤ライダースゾンビがそこら中を徘徊している。全滅したようだ。
「ねえタケル、私ちょっとムラムラしてきたんだけど」
いつの間にか後ろにきていたミミが、そんなことを言う。血塗れのライダース男のどこが琴線に触れたのだろう。これは誘っているのだろうかとタケルが振り返ると、ミミは手に包丁を握ってタケルの方へと向けていた。妙に艶かしく唇が光っている。発情しているのは事実のようだ。
「ちょっとだけ刺してもいい?先っちょだけ」
「ダメだろ」
「なんで?」
「痛いから」
「私は痛くない。というか気持ちいい」
「俺は痛いよ。血も出るし」
「えいっ!」
目を輝かせてミミが包丁を突き出してくる。ギリギリで避けることができた。
「あぶなっ」
「おとなしく、しろ。おとなしくしてれば痛くするからさ」
「いや、ダメじゃん、それ。拒否一択だろ」
それからしばらく包丁を振り回すミミから逃げ回った。突きから急に薙ぎ払いに帰られた時は、少し二の腕が切れてカッターシャツに血が滲んだ。その血を見て更に興奮するミミに手を焼いたが、相手を人間じゃなくゾンビの仲間だと思い込むことにして本気で殴ったり蹴ったりしたら大人しくなった。さらには泣き出した。
「タケルがいじめた……うわーんわーん」
正直ドン引きしていたが、ミミのブラウスが鼻血で染まるのを見てちょっとだけ罪悪感が湧いた。しかし関わると更に面倒臭くなる気がしたので、そっと一階へ降りた。カウンターに腰掛けてため息をつくと、突然目の前にゾンビが現れた。黒いライダースを着ている。
「どこからっ」
とっさに机の上に立てられていた箸を握ってライダースゾンビの右目に突き刺した。箸はしっかり眼球に突き刺さり、ユラユラ揺れている。もう一本とって残った左目にも刺してみた。2本の橋が揺れている。目から短いビームが出ているように見えた。痛みを感じないからか元々視力を失っているのか、両目を失ってもゾンビの動きは変わらない。
「やっぱ頭だな」
そう結論付けて椅子をゾンビの頭へ振り下ろした。頭蓋骨が潰れる音がしてゾンビはカウンターのなかへと沈んだ。
「本当にどこから……」
言いかけたタケルの視線の先には、厨房から現れる第二のライダースゾンビがいた。ピンクのモヒカンである。シンクロ部員に齧られたのか鼻と唇がなくなっている。
「裏口か!?」
厨房の先には裏口の扉があり、開けると外へ出られる。ただ金属製の扉は壊せるようなものではなく、当然中から鍵は施錠してあった。誰かが鍵を開けるしかゾンビが入ってくる術はない。ミミの顔が一瞬脳裏に浮かんだが、すぐに振り払って目の前の敵に意識を向ける。ピンクモヒカンはタケルに気づいていないのか、厨房のシンクに向かって足踏みを繰り返している。必殺椅子殴りの準備をしていると
パンっ
乾いた銃声が響いてピンクモヒカンの頭が爆ぜた。ガチャっと裏口の鍵をかける音が聞こえると、右手に拳銃を持った警察官が姿を現した。キョロキョロ見回してタケルに気付くと、慌てて銃口を向けてくる。
「生きてます!ゾンビじゃないです」
両手を上げて叫ぶ。
「生存者がいるのか。男か」
そう言ったのは目の前の警察官ではなく、その後ろの裏口の方から追って現れた別の奴だった。長身で驚くぐらい男前だ。モデルか芸能人に違いない。
「男ね。モブよ」
誰がモブキャラじゃいと腹が立ったが、それよりも警察官が婦警さんだった事のほうが驚きだった。男女平等かパンツスタイルになっていて顔は逆光で見えにくかったとは言え、しっかりした肩幅に短髪、立ち居住いは男だとばかり思っていた。声を聞いて、女性だとわかった。2人の関係性はわからない。イケメンの方は開襟シャツに細身のパンツで、パーマらしき髪型からも警察官ではないだろう。
「他には?生存者いるの?」
婦警さんに聞かれるが、信用できるかわからないので答えないでおく。警官を殺して服を奪った可能性だってある、用心するに越したことはない。タケルが何も言わないでいると、察したのか婦警さんは拳銃を腰のホルスターにしまった。
「言いたくないってことは、いるのね。守りたいような誰か、家族か恋人か」
そのどちらでもないし何なら先程死闘を繰り広げていたくらいなのだが、ミミのことを敢えて伝える気はない。
「今の音なーに?タケルのオナラ?」
敢えて言わずにおいた本人が、のんきに階段から降りてきた。鼻血は拭いてきたようだ。階段を降り切ったところで、突然の訪問者達に気付いて固まる。
「女子高生ね。未成年者淫行かしら。あなた、脅されたり暴力をふるわれたりしてない?」
さっき殴って蹴ったところだ。先に包丁でさされそうになったからなのだが、警官がどちらの言い分を信じるか。冤罪の恐怖にタケルは戦慄を覚えた。
「そんなのされてないよー。健全な関係だし。好みでもないし、負けないし」
ブラウスには鼻血のあとがべったりついているので、思いっきり疑われているだろう。殴った頬も青あざできてるし。それでも追求されなかったのは、ミミが天真爛漫に食事を要求してタケルがいつものように用意を始めたからだろう。
そうして結局4人分の食事を用意することとなり、自己紹介を交えた夕食となった。女性警察官の名前は長村加奈。美男子はヒロトと名乗った。2人は元々知り合いらしい。詳しくは語られなかったが、恋人でもなく友人だとか。
とりあえず一階と二階にそれぞれのペアで分かれて寝て、5日目の夜がふけていった。