第1話:人間と共に
父上と言い争いをしてから、どれくらい時が経っただろう。五時間? いや、おそらくもっと経っているだろう。せめて、私の近くに目覚まし時計があれば……。そう考えていたが、流石に私の近くに都合良く時計があるはずがなかった。なんだか、身体がかなり重く感じる。おそらく、先程の青年の仕業と思われる。だとすれば、私は今、父上からかなり離れた所にいることになる。そう思いながら、私は重い身体を、ゆっくりと起こす。
目を覚ましたのは良いが、ここは私が住んでいる城ではない。城の中であれば、執務室があって、玉座のような形をした椅子があるから。私の推測では、この空間はきっと、ジオを捕らえたメダルと同じ物の中だと思う。メダルが作り出した空間の中はとても暗く、とても冷たい。おまけに、紫色の壁には、桃色の字で大きく、≪プリンセス・リタ≫と書かれている。
私は何の迷いもなく、その文字に触れてみた。すると、機械のモニターを覗いているかのように、私がいる場所の周りが、くっきりと映像化された。
映像を覗き込むと、私が住んでいる砂漠とは違う何かが見えた。まず、そこは砂漠ですらない。私が今見ている風景は、赤い壁の建物があり、その周りには人間がたくさんいる。まるで、一つの種族であるかのように。ということは、私は今、リゲルとかいう奴が言っていた≪人間界≫にいることになる。
私を封印しているメダルは、人間と思われる者の手に握られている。目の前には、黒い短髪と切れ長の青い目が特徴的な男がいて、変な機械を手にして、私が入っているメダルをその中に入れた。やっと、私はこの窮屈な空間から抜け出せそうだ。
そう思った瞬間、上の方から白い煙が現れ、私を優しく包み込む。そして、ポン、という間抜けな音と共に、私は男の前に出ることができた。それは良いが、この男は一体、何者だろう? まさか、私と父上を攫った(厳密には、私が先に喧嘩を売ってしまった)、とんでもなく悪い奴の仲間なのか。でも、彼はなんだか優しそうな目をしている。私を見て、男は首を傾げた。
「君は……。もしかして、ガルドラの砂龍族?」
一発で私の正体がわかったところを見ると、なかなか私達の種族のことを勉強している男のようだ。私は感心して、彼に微笑む。
「そうさ。私は、砂龍族のリタ・アルディア・シャーロット。あなたは?」
きっと彼は私より年上だろうと思ったから、あなた呼びしてみた。彼は顔を赤くして、私に自己紹介をした。
「お、俺はグラナダ・スタンダード。人間族だ」
彼の口から≪人間族≫という言葉を聞いた時、私は彼から三センチ離れた。人間……。ということは、やっぱり彼も、ジオを砂属性メダルに封印した男の仲間なのか。私が身震いしているにも関わらず、グラナダという男は、へらへらと笑っている。自分が警戒されているというのに、なんとも呑気な男である。
呑気で思い出したが、父上は無事なのだろうか? なんだか、私は嫌な予感がする。考え過ぎであれば良いが……。
自分を警戒しているというのに、グラナダの方は嫌な顔一つせずに、私に近づいて来る。急に差し伸べられた彼の大きな手が、徐々に警戒心を解いていく。
「リタって言ったっけ? 俺が男だからって、気にすることはないぜ。魔族使いになった人間は、例えその魔族が異性であっても、仲良くする義務があるんだからな」
そう言って、グラナダは私に優しく微笑む。人間は、魔族を襲うだけの生き物じゃないのかもしれない。あるいは、私が人間達に対して、敏感になり過ぎているのかもしれない。何もかも物事を深刻に受け止め過ぎるのは、私の一番悪い癖だと、父上からかなり言われてきた。
人間は、絶対的に悪い種族ではない。むしろ、このグラナダという男は、橙色のぼろっちいメダルから、私を救ってくれた。この世界に来たからには、人間である彼を信じよう。いや、信じなくてはならない。彼には借りができたし、この世界に何が起きているのかも知りたいから。
私が考えていると、緑色の長い髪を持つ女性の人(おそらくこの施設の関係者と思われる)が、一つ咳払いをしてから、グラナダの方を向く。
「スタンダード、自分が召喚した魔族と話すのは一向に構わないけど、他の人の邪魔になるから、元立ってた場所に戻ってからにしてね」
「はい、プリム先生」
プリムという先生が、私達に対して穏やかに言った。これが、この先生の性格なのだろう。彼女の指示に従って、グラナダの隣に立とうとする。が、先程メダルの中にいた時と同じように、目眩がしてきた。疲れているのかな?
グラナダの次に、青色の短髪と丸い茶色の目が特徴的な男が、先生の前に立つ。彼は、グラナダの時と同じように変な機械を先生から貰い、次に青色のぼろっちいメダルを手渡される。グラナダの話によれば、あの変な機械は≪魔族召喚機≫といって、どんな属性の魔族でもメダルを使えば、それによって召喚された魔族と契約を結ぶことができるのだという。一度人間と契約を結んだ魔族は、例え召喚した魔族使いが異性であっても、共に行動し、主人を守らなくてはならないとのこと。――私は、早くもこの世界で上手くやっていけるのだろうかと、不安を覚えた。
いけない。私としたことが、また深刻に物を考えている。これを直せと、父上や乳母に何度も言われているのに、一向に直っていない。首を左右に揺する私を見て、グラナダは微笑む。
「君って、面白い魔族なんだね。俺、君と仲良くやっていけそうだよ」
何を言っているのか、自分でわかっているのか? 正直に言うと、やっぱり私は、この男を信用できない。出会ったばかりだからというのもあるが、先程のメダルにしても、どうしてもグラナダが、乳母を攫った男達とグルのような気がしてならない。
私がグラナダを白い目で見ていた時、蒼髪の男が持っていたメダルが、召喚機の中で光った。光に目が慣れている私には、影になっている人物が誰だかわかった。
――私とよく似た三角の耳、まっすぐに伸びた短めの角、魚のひれのようなもの。明らかに私より背が低そうに見える、その影の正体。――私の予想が正しければ、彼もこの世界に連れて来られたのだ。
「ふぅ……。やっと、メダルから出られたぜ。封印を解いてくれて、サンキューな。僕は、水龍族のヨゼフ・スポデューン。ところであんたに質問なんだが、この世界で桃色の髪の女の人と、桃色の髪の女の子を見なかったか? 僕と同族なんだが……」
彼の質問には、蒼髪の男は首を横に振った。彼は、酷くがっかりした。私の思った通り。あの影の正体は、私の親友、水龍族のヨゼフだった。どうして、彼がここに? 確か、彼は闇龍アルエスとの戦いの後、故郷の水の都で、水龍族の族長家と仲良くしながら過ごしていたはずだが……。彼も私と同じように、人間族に襲われたのかも。
「そこにいるのは、リタ? リタじゃないか。なんで、あんたがここにいるんだ? お父様やジオ様は、どうした?」
彼は、グラナダの隣にいる私に気づき、声をかけた。ここに来た経緯を説明したいところだが、多分あのプリムという女に、「邪魔になるからあっちに……」と言われるだろう。しばらくして、グラナダの言う≪授業≫という物が終わった。彼が言うには、今日は召喚機から魔族を呼び出す練習というテーマの授業だったらしい。残念ながら私とヨゼフには、グラナダの言葉が時々わかりにくい時がある。というのも、私達魔族には学校とやらがなく、言葉も魔法も、全て独学で覚えなければならない。代わりに、私達には≪演習≫という物があり、私が普段使っている銃器や、ヨゼフが使う長槍などの武器を使って戦う者、魔法だけを駆使して戦う者の二通りに分かれている。学校がない私達にとっては、人間がたくさんいるこの施設の中が、かなり珍しく感じる。
ヨゼフ達と一緒に施設内を見物しようとした時、私はふらっと来た。そして、遂に倒れてしまった。
「リタ!」
声は辛うじて聴こえるが、全身が痺れていて、全く動けない。私は、グラナダが普段寝ている≪寄宿舎≫という所のベッドまで運ばれた。




