隣の天才、手を出すべからず
ミモザ・レインディアは何の変哲もないただの女の子だった。
魔法使いの国の普通の魔法使いの両親のもとに生まれ、両親に兄二人という普通の家族構成で、特に満足でもなく不満でもない毎日を過ごし、特筆すべき得意なこともなく育ってきた。
そして皆と同じように高等部を卒業し、皆と同じように魔導の最高学府に入学した。
ミモザの成績が飛びぬけて良かったわけでは、勿論ない。
魔導の権威や名だたる魔法使いが籍を置く最高学府と言えど、その間口は広い。
高等部を卒業さえできれば、自動的に入学できるのだ。
ミモザは自らに割り振られた数字の羅列が書かれた親書を握り締め、巨大な学園の広大な庭の中にいた。
キラキラした水を噴き出す真っ白な噴水の隣にある学部割の掲示を見て、自らがどの学部に入れられたのか確認しているのだ。
高等部までは魔導の基礎を皆が等しく学ぶが、魔導の最高学府に入学すれば個人の意思とは関係なく個人の魔力の質に合わせて学部が決められるのが習わしだ。
「……ありました」
自分に割り当てられた数字を掲示板に見つけたミモザが配された学部は、防衛魔導学部だった。
国の最高戦闘機関である国防本部に入ることを目指し、そこで守備の要となるために徹底的に防御魔法に特化して学ぶ学部だ。
だが、ミモザは別に防御魔法が得意なわけではない。
防御魔法の他幾つもある科目で何もかもが平均だったミモザは、適当に防衛学部に入れられたのだろう。
防御魔法の適正者は少ない。
平凡なミモザは、ただの数合わせであることは明らかだ。
まあ、ミモザには特にやりたいこともないし、学部もどうでもいい。この配属に文句はない。
適当な成績を取って、適当に学校を卒業して、学んだことが生かせないかったとしても、適当に出来る仕事に就ければいいのだ。
自らの魔法で国を守って他種族と戦うなんて栄誉は、ミモザのような凡才ではなくエリートにしか与えられないのだから。
防衛学部の教室は思ったより大きくて、思ったよりたくさんの生徒がいた。
多分、大半がミモザと同じようにどの科目も平均か平均以下で、特に得意なものがなかったような生徒だろう。
自分に与えられた席に着き、左右を見回した。
右は何の変哲もない男性魔法使い。
そして左。
窓とミモザに挟まれた位置に座っている男性魔法使いは、見るからに普通ではなかった。
まず、人を寄せ付けないオーラが凄い。
目が鋭い。眼鏡越しの一瞥だけで人を殺しそうだ。
本を読んでいる。ものすごいスピードでページを捲りながら何やらブツブツ呟いている。
ミモザは直感した。
……この魔法使いと関わることはなさそうだ。
この魔法使いは凡人と一線を画している。
強い魔力を持つ者から感じられる圧力が彼から滲み出ている気がする。
きっと彼は数少ない防御魔法の適正者、いわゆるエリートというやつなのだろう。
しかし、関わることはないだろうというミモザの予想はすぐに外れることになる。
ぐう~
左隣から大きなおなかの音が聞こえたからだ。
入学式は学部発表の日の前に既に終わっていたので、講義は今日から猛スピードで始まっていた。
だからミモザは卒業できる分だけはノートを取ろうと必死に集中していたのだが、上手くいかない。
なぜなら、左隣のおなかがグウグウうるさいからだ。
おなかの音が邪魔をするので、厳しそうな教官の声がミモザにはよく聞こえない。
ええい、ご近所迷惑だ。
「私のお弁当……食べます?」
「いらない」
たまりかねてこっそり提案したら、いかにも天才肌と言った風貌のその眼鏡男はこちらも見ずに速攻で拒否してきた。
「……だがやっぱり、どうしてもと言うなら」
速攻で拒否されたと思ったら、やはり空腹には耐えられなかったらしい。
くるりと手のひらを返してきた。
「まあどうしてもとは言いませんけど、どうぞ」
眼鏡男が顔を上げたので、弁当のサンドイッチを差し出したミモザは彼と目が合った。
「!!」
彼は一瞬固まり、サンドイッチを受け取ろうと伸ばしていた手を一瞬でびゅんっと引っ込めた。
ボトン!
眼鏡男が手を引っ込めた所為で、ミモザのおサンドイッチが床に落ちてしまった。
サンドイッチはきつく封がしてあったので床にぶちまけられることはなかったが、何やら忙しない雰囲気に気が付いた教官がこちらをギラリと睨んでくる。
「す、すまない」
眼鏡男は恐る恐る落ちたサンドイッチを拾うと、小さな声で謝った。
そして恐る恐る包みを開いて、恐る恐る本の後ろに隠れて食べようとしていた。
しかしサンドイッチを見つめたまま、なかなか一口目を食べようとしないので、まだ彼のおなかがぐうぐううるさい。
「毒は入っていませんよ。心配なら私が毒見しましょうか。貸してください、一口食べて見せます」
「は、はぁ?お、お前が齧ったところなんて……食べられる訳が無いだろ!もういい、こちらを見るな、気が散る」
「……食べるのにそんなに集中力が要るのですか」
「うるさい、どこかへ行け」
授業中なのに無理難題を言ってくる。
彼の要望通りミモザが突然立ち上がってどこかへ行こうものなら、あっという間にあの厳しそうな教官のチョークによって串刺しにされてしまうだろう。
「まあ、貴方の方は見ませんので、どうぞゆっくり食べてください」
ミモザは頬杖をついて視界の左側を覆うようにしながら、講義に集中力を戻すことにした。