一度貸しを作るとあとは膨れるばかり
間に合わなかった……
いや、正確にはそれより何倍も早く、そして恐ろしい精密さで展開された対魔法防御魔法が先にミモザを守ったのだ。
その高精度の魔法壁を前に、酔っ払いゴリラ男の雑な攻撃魔法は胡散霧消した。
「こんな大通りで酔い散らかすな、クズゴリラ」
この低い声の主、そして魔法を展開してゴリラ男の攻撃を受けたのはユリウスだった。
眼鏡の奥の瞳が、触れたら切れる真剣のように鋭い。
そしてその身から放たれるのは、圧死してしまうのではないかと思うほどの圧だった。
彼は事あるごとにミモザに怒って見せるが、そんなもの比じゃなかった。
怒っている天才様というやつは、その一瞥だけで人を殺せそうだ。
「……ッ」
「やば……」
威勢の良かった酔っ払い男たちは、鋭い剣先を喉元に付きつけられているかの如く息を詰まらせて固まった。
流石にユリウスのビリビリ痺れるほどの圧力を受けて尚、向かってくる勇気はなさそうだった。
「っていうかマーカス、何してんの?こんなとこで喧嘩は駄目でしょお!」
「いや、ミモザちゃんがさ……」
ぺちゃくちゃ喋っていたはずの女の子魔法使いたちの中から出て来たアイリーンが声を上げた。
彼女は今ようやく喧嘩の勃発に気が付いたらしい。
ユリウスにクズゴリラと呼ばれた男性はマーカス君というらしく、彼はアイリーンにぺしぺしと腕を叩かれていた。
「ミモザちゃんがいたからさ……呼ぼうと思って……だって俺、ミモザちゃんに会えるの楽しみにしてたじゃん、今日……」
このマーカス君はアイリーンには弱いのか、少し小さくなった。
いやいやそんなことより、火の球で攻撃して初対面の女の子を呼ぼうとするなんて何事か。
酔っ払いとはなんと恐ろしい。
「え?ミモザちゃん?ほんとだ、ミモザちゃんとユリウスじゃん!あの二人はただの友達だから大丈夫だって。ミモザちゃんなら次ちゃんと紹介してあげるから。ね!」
マーカス君に言われてようやくミモザたちに気が付いたらしいアイリーンは、ふよふよと手を振った。
場違いに暢気な様子の彼女もどうやら酔っているようだった。
ゴリラ男に一言文句を言ってやりたいと思わなかったこともなかったが、酔っぱらってヘラヘラしているアイリーンに毒気を抜かれたミモザとユリウスはさっさとその場を離れることにした。
先ほどとはうって変わって静かになった帰り道。
夜空には、魔法使いが大好きな綺麗な三日月が。
ミモザは片手にミルクジェラートを持ち、ユリウスはその隣をテクテク歩いている。
「酷い目に遭いました」
「まったくだ。なんだあのクズゴリラ理性ゼロ男は」
「何だったんでしょうね。そして私は貴方に助けられて、また借りができてしまいました」
白パンの借りをサンドイッチで一生懸命返しているところで咄嗟の機転に助けられ、次に奢られて、挙句の果てに酔っ払いに絡まれているのを助けられてしまった。
ユリウスのような貰ったものをしっかり返す律儀タイプには殊更しっかり借りを返さねばと思うのに、なかなかうまくいかない。
「ふん。いつか百倍くらいにして返せよ」
「そう言いますけどね、ユリウスさんは食べ物では返えさせてくれないし、どう返せっていうのですか。体で返せばいいんですか」
「は………………はあ!?な、な、な、ななんだお前はいきなりそんなこと!お前も理性ゼロアホ女になったのか!」
「ユリウスさんが逆十字同盟の雑務を押し付けられた時は手伝いますよ」
「あ、ああ………………なんだ労働の意味か……」
飛び上がらんばかりに驚いていたが、最終的にホッとしたような少し残念なような、複雑に変な顔をしていたユリウスだった。
こうしてみると表情豊かで忙しいな。
ちなみに逆十字同盟とは。
ユリウスは将来有望な防衛学部のエースであり、卒業後ほぼ間違いなく国の守護部隊に入るだろうということで、エリートによるエリートのための伝統と格式ある私設倶楽部、通称逆十字同盟というものに加入させられている。
国の中枢機関に入るエリート街道が約束されている生徒のみが推薦で加入でき、学生の内から互いに交流を深めて質の良い人脈を広げておこうという趣旨の俱楽部である。
そしてこの俱楽部、奉仕活動も積極的に行っているらしく、ユリウスも毎回何かしらの任務を与えられてる。
彼は集会に行くのでさえ嫌がっているが、相手は高学年の実力者。
毎回集会に連れて行かれ、彼は奉仕活動を強制されている。
その奉仕活動の内容は、書類をまとめておけとか倉庫を修理しておけとかそういった些細な雑務から、国の中枢機関の式典に学校を代表して出席して来いというような恐ろしく責任の重い仕事まで様々だ。
まあ式典の出席は無理だが、書類整理や倉庫修繕くらいなら天才である必要もないので、ミモザはそれらを手伝おうと申し出た次第である。
「じゃあ今度、梟小屋の掃除を手伝え」
「梟小屋ですね、了解しました。私、梟の扱いには慣れてます。お茶の子さいさいです」
ミモザは片手に持ったミルクジェラートをぺろりと舐めた。
思い返してみれば。
小さなハプニングはあったが、まあ悪くない金曜日だった気がする。