8.酷い貧血
「レンの事は、誰にも洩らすな。
レンの番であろうが、レンが望まなかろうが、レンの害になると判断した瞬間に殺す。
まぁ、どうせすぐ、この森を出るのだろう?」
「ああ。
だが、そう時間を空けずに戻ってくる」
「そうか。
番である以上、森に入る事は許可してやる。
レンを外に連れ出す事は、許さんがな。
だから何を聞くにしても、今はレンの体調がかなり悪い。
この森に再び戻った時、改めて聞け」
「わかった」
挙動不審とも取れる俺の行動など、気にも留めない黒竜は、幾つか釘を刺す。
しかし黒竜のテリトリーである、この森への出入りを許してくれたのは、意外だ。
獣人なら、番と出会ったにも拘らず、引き離される事で、下手をすれば精神を病み、番もろとも心中しようと凶行に走る事を本能的に理解して、番を共有する事に肯定的だ。
しかし黒竜は、魔獣だというのに……。
白竜の伴侶であり、黒竜にとっては義父となる、兎の獣人の影響か?
そのあたりも、いつかレンに聞いてみよう。
そう考えながら、まずは薪を用意する為に、ウォンの案内で森の奥へ進む。
それにしても、レンは黒竜に薪を頼まなかったのか?
いや、レンは人手があっても、嫌がられると言っていた。
魔獣である黒竜なら、薪作りという人間臭い作業を嫌がっても仕方ないのかもしれない。
薪になりそうな木は、すぐに見つかった。
風魔法で裁断し、レンが手にしやすいサイズで薪を作る。
次に乾燥と防水処理をして、紐で纏めると、ウォンが咥えてどこかへ運ぶ。
恐らく、レンのいる小屋のどこかに運んでくれた……と、思う。
薪は、もしもの時を考え、当面の量より、少し多めに作っていく。
その間も、何度か視線を感じた。
魔獣が多いのが、この森の特徴だ。
黒竜が抑えてくれているのだろうが、俺を餌にしたい魔獣が、どこからか見ていても不思議ではない。
「よし、薪は十分、確保できたな!
ウォン、それを運べば終わりだ」
「ウォン!」
ウォンが返事をするように、一声鳴く。
すると突然、体躯が二倍に大きくなった。
「へ?
デカくなれるのか!?
黒持ちだからか?
普通、魔獣は体を伸縮できないんだぞ?」
「ウォン!」
驚いていると、また鳴いて、俺の前に伏せをする。
どうやら乗れと言っているらしい。
「ありがとう、ウォン。
森の端まで、送ってくれ!
そこから俺は獣体になって、近くの町に移動する。
レンの布団と、防寒用の服を購入してくるから、数時間したら、同じ場所で待っててくれるか?」
「ウォン!」
こうして俺は、レンへの貢ぎ物を買い込んだ。
小屋に戻った時には、日が傾いていた。
ウォンのお陰で、日が落ちきる前に戻れた。
「レン、入るぞ」
俺を送ったウォンは、既にどこかへ走り去ってしまった。
俺はレンの小屋に入る前に、小さく声をかけてみる。
しかしレンの返事がない。
中に入ると、ベッドに腰かける黒竜がいた。
だがキョロの姿はなかった。
恐ろしい魔獣が闊歩する、魔の森の主とは思えない程、黒竜は優しい目で、眠るレンを見つめ、頭を撫でていた。
「それは?」
目線を向ける事もなく、黒竜は眠る番に気を使ってか、小さく俺に問う。
「レンの布団と服。
それから食料もある」
布団以外をテーブルに置くと、黒竜が中をのぞきにくる。
俺はレンに歩み寄り、手にしていた新しい布団を、そっと掛ける。
除虫の為に、小屋の前で火魔法を使って乾燥させた。
まだ温かいはずだ。
それにしても……レンの寝顔はあどけなくて、かなり庇護欲をそそるな。
「ん……」
はぁ……俺の視線に気づいたわけじゃないだろうが、小さく唸って、タイミング良く俺の方に寝返りを打つとか、たまらない。
顔にかかった黒髪を、レンが起きないよう注意しながら、そっと耳にかけてやる。
ついつい、小さくて形の良い唇に、目が行ってしま……。
「襲うなよ。
殺すぞ」
くそ、黒竜め。
見てやがったか。
「いくら番でも、子供を襲う趣味はない。
良く寝ているが、いつから寝ている?」
「二時間程、前からだ。
そろそろ起きる」
「短いな」
「最近では、まだ寝ていられた方だ」
「そんなに寝れなかったのか?」
「元々、眠りが浅い。
その上、デカイ獣がベッドを占領していたからな。
何より貧血が、相当に酷かったんだ。
寝ると酸欠状態になり、呼吸が苦しくなって起きるのを繰り返していた。
もちろん元凶は、お前だ」
「そこまで酷かったのか……すまない事をした」
レンへの申し訳なさで、胸が痛む。
「横になれるだけ、昔よりはマシだがな。
ここに来た頃は、致死レベルの貧血症状で、横になるのも難しかった。
義父がずっと縦に抱いて、寝かせていた程だ。
母直伝という、くそ不味い薬草を飲ませるようになって、ようやく落ち着いた」
「貧血が酷いと、そこまでになるのか。
しかし何故そこまで酷い貧血に?」
「長年の不摂生が過ぎたらしい」
「……長年?
レンは今、十歳いくか、いかないかくらいだろ?
この森に来る前のレンは、どんな生活をしてたんだ?
まさか奴隷のように、酷い扱いを受けてたんじゃないだろうな」
一瞬、最悪の状況が頭をよぎる。
騎士という職業柄だけでなく、俺自身の身分もあって、他国の中でも、人族の扱いが特に酷い国の現状を、直接目にした事がある。
その国では、人族を性奴隷として売買していた。
そうでなくとも、人族はか弱く、加虐心を獣人に抱かせやすい。
奴隷ともなれば、日常的な暴力だって受ける。
「レンの近くで、そんな顔をして殺気を出すな。
起きてしまう」
黒竜が不快そうに、金の目を細める。
「……すまない。
それで、どうなんだ?」
「そんな扱いは受けてない。
性が俺達とは違うのと、あり得ないほどの不摂生をしていたからだ。
まぁ、次にここへ戻る事があるなら、その時に詳しい話をレンから聞け」
性が違うとは、どういう意味だ?
αとΩ性の事か?
どちらにしろ、番がこの森にいるんだ。
戻るに決まっている。
そう思っていると、ベッドが僅かに揺れた。
「……グラン、さん?」
寝ぼけたような甘い声と共に、レンが体を起こそうとする。
小さな体が、頼りなげにふらつくので、レンの頭があった方に座り直し背後から支えてやる。
黒竜が魔石灯に魔力を流して、部屋を明るくした。