202.レン1
「蓮香!!!!」
思わず叫んで駆け寄ろうとするが、見えない壁に阻まれる。
そうしている間にも、ゴボリと血を吐いて膝を着いた華奢な体が左右に揺れて横向きに倒れこんだ。
壁を間に挟んで初めて向き合う。
「くそ!!」
何度も魔法を発動させようとしているが、この夢見の空間ではやはり使えない。
かつてないほどに力を込めて壁を殴りつけたり蹴りつけたりするが、びくともしない!
少しずつ小さな体から血溜まりができる。
ファルも珍しく慌てた様子で壁に手をつき、恐らく何かに干渉しようとしているが何も変化は現れず、舌打ちしている。
「無駄だよぉ。
レンが呼ばないとぉ、その壁は無くならないんだぁ」
ゼノリア神はそんな俺達の後ろでのんきにふざけた事をほざいている。
横向きに倒れた事で見えるようになった顔は血の気を失い、白くなっていく。
ふ、と小さく息を吐く。
色を失くした顔はとても穏やかだ。
若くして死にゆく者のそれには感じられないほどに。
やがて半眼だった黒い目はゆっくりと閉じ、蓮香の体が淡く輝き始める。
輝きはすぐに消え、愛しい姿へと変化した。
「「レン!!!!」」
俺達は同時に叫ぶ。
「んぅ····こほっ」
血溜まりに横たわる愛しい番は血にむせ、目を開く事もないまま何かに耐えるように丸まる。
「····ぅ····ぃ、た····」
浅い呼吸の合間に小さく呻き、血を流し続ける傷口のあたりをぎゅっと握り、痛みを誰にともなく訴える。
目は固く閉じ、苦悶の表情だ。
その様子に、これまでも痛みがあったのではないかと思わせる。
「レン!
呼べ!
頼む!
目を開けるんだ!」
壁を殴りながら叫ぶ。
くそ!
びくともしない!
そうこうしているこの時にも、番はこほこほとむせて口からも血を流す。
もうまともに吐き出す事すらできない様に、死が迫っていると悟る。
「レン!
耳を塞ぐな!
本当は聞こえているだろう!
聞け!」
初めてファルが壁を殴りつけた。
聞こえている?
ビシッ、ビシッ。
不意に何かに亀裂が走るような音がレンの方向から聞こえる。
視線をそちらに向けるが、ただ白い壁に囲まれた空間があるだけだ。
「う〜ん、塩時ぃ?」
「ちっ。
どうにかしろ」
すぐ後ろにいたゼノリア神の不穏な言葉に思わずふり返る。
俺の隣にいたファルも視線はそのままに憎々しげに反応した。
何かが起きている。
同じ番を持つファルの言葉に焦燥感が深まる。
ファルを見れば目線は同じ番へと····いや、その後ろ。
やはり少しずつ大きくなっているあの音は、レンの向こうから?
俺もそちらを見やり、絶句する。
いつの間にか濃く、暗いヒビが白い壁に縦横無尽に走っていた。
何だよこれ?!
「レン!
聞こえているのか?!
早く目を開けてくれ!
頼む!」
再び叫ぶが、レンは丸まって目をぎゅっと閉じているだけ····いや、いつからかわからないが、体を震わせながらぽろぽろと閉じた眼尻からは涙が溢れている。
「····っ、····っ」
力なく、小さな嗚咽が浅い呼吸の合間に漏れる。
その様子に、ふと番の本心を垣間見た気がした。
レン····まさか····。
「レン、聞け。
俺達にはお前しかいない。
番だからじゃない。
お前だけが必要なんだ」
ガラガラと白い壁が崩れ始める中、ファルが静かに話しかける。
悔しいが、レンと感情が繋がっている分、ファルは俺よりもその心情がわかるのだろう。
「だがお前が本当にこのまま消えたいなら、そうすればいい」
「ファル?!」
「俺もそれに倣う」
番の死を受け入れる言葉に思わず非難の声をあげるが、ファルの言葉に絶句する。
だが····。
「レン····本当にこのまま死にたいか?」
少しずつ焦燥感が霧散していくのを感じながら、小さく嗚咽している番に静かに問いかける。
「そうだよな。
痛くてつらい事だらけの記憶ばかりだもんな。
生きる希望なんて失くなってても当然だ」
あちら側の壁はガラガラと崩れて暗闇が顔をのぞかせ始める。
それでももう、心は落ち着きを取り戻している。
レンと少しでも顔が近づくように、胡座をかいてその場に座る。
「ごめんな、レン。
本当にすまない」
心からの謝罪と共に。
「番だって言っといて、レンだから愛してるなんて言っといてさ。
ずっとレンの痛みにも、孤独にも気づいてやれなかった。
助けてやれなくて、ごめん。
責める事すらできなくさせて、ごめん」
その言葉に反応するかのように、ゆっくりと泣きぬれた双眸が現れる。
けれどもう上手く焦点を合わせられないのか、何度も目を瞬かせる。
(····つき)
やがて合わせるのを諦めたのか、再び目を閉じた後、何かが小さく頭に響いた。
「レン?」
今更何も驚かない。
恐らくレンが何かを訴えているのを理解して名を呼ぶ。
浅い息が漏れる口元を弱々しくきゅっと引き結ぶと今度ははっきりと声が響いた。
(うそつき!)
その声は、裏切りを非難するかのような響きだった。




