196.詩の夢2
「詩の愛を許さなくてごめん。
私の愛を返さなくてごめん」
ふと、蓮香の言葉に地下牢へ向かう時のトビとの会話を思い出す。
『君は詩に少し似てる。
だけど詩に許さなかった事を君に許す事はないんだ』
『秘密。
でももし次に会う事があっ、たら····ふぁ』
睡魔に負けそうになりながら話す蓮香のあの言葉の続きは····。
「あ、愛してる。
愛してるんだ。
気が狂うほど····」
「うん、わかってる。
もういいんだ、詩。
死んでまで張るほどの意地じゃない。
詩が私を愛してるってちゃんとわかってる」
どこか諦めたような口調だった。
そっと胸を押してまた体を離すと蓮香が再び軽く口づけ····。
待ってくれ、俺は何回こんな場面を見るんだ?!
さすがにこっちが狂いそうだ!
そもそもお前を殺した男の1人なんだぞ、蓮香!
思わず見えない壁を殴るが、びくともしない。
ファルはそこまでの行動はしないまでも殺気は駄々漏れだし、舌打ちが何度か聞こえてくる。
「無駄だよぉ。
その壁は壊れないってぇ~」
ああ、知ってるさ!
神うるせえ!
今はその口調が癪に障る!
そんな俺達のやり取りなど全く関係ない空間で人属達のやり取りはマイペースに進む。
「だから詩が死ぬまで私を忘れるな。
私以外の誰かと添い遂げるなんて許さない。
詩の詩香以外への愛は私で最後にして。
もう手離してやらない。
死ぬまで私に、蓮香に縛られなよ。
それでもいい?」
「····ああ····ああ、もちろん····」
赦された男ははらはらと涙を溢して首を振る。
「なら、私の寿ぎを受け取って。
全部はやれないけど、詩が詩として死ぬまでずっと持ってて。
ずっと私を感じながら、私に狂って生きられるだけ生きて、後悔なく笑って死んで。
それが私を殺した詩に望む事だ」
私の愛は重い、か。
確かにこんな事を平然と、当然のように要求して、死ぬ時まで縛りつけようとするんだ。
重いに決まっている。
だが····。
『怒りの矛先をどこにも向けられなくて、死ぬ瞬間まで無念さと虚無感は拭えずに一生を終えたんだ。
因果っていうのはそういう強い負の感情を解消しないままに死んだ時、来世に持ち越される課題みたいなもの。
もちろん人によって様々だけど、詩の因果はそれだった』
ゼノリア神は蓮香の目的が愛する人達の抱えた因果を解消する事だと言っていた。
結局自分を殺した1人でもあるその男の為じゃないか。
あの男はきっと自分の蓮香への愛を認められて、受け入れ、縛られる事こそを望んでる。
何故と言いたい。
言いたいが、蓮香とその男との間で共有した時間は蓮香を死ぬまで支えたのも事実なんだと、レンと蓮香の話を聞いて判断してしまった。
もしこれがレンならきっと気を狂わす。
間違いなくファルも。
蓮香だからまだ堪えられるとつくづく感じる。
「死ぬまで····蓮香を殺した俺でも····いい?」
「詩だけが拠り所で、詩がいるから私は狂気を詩香に向けずに死ねた。
天馬じゃこうはなれなかった。
これだけは詩のおかげ。
詩香も生き延びて····結婚するんだろ?」
「うん。
知ってたんだね。
3つ年上で年相応にしっかりしてて、優しくていい子だったよ」
男の輪郭がぼやけ、白髪混じりの壮年の姿へと変わる。
「ふふ、ちゃんと詩香の父親してたんだな。
実年齢通りの顔と、頭に苦労が見える」
蓮香の話で現在姿はこちらだと気づく。
蓮香はそんな壮年の男の髪を愛おしそうにそっと撫でてから、片手を男の胸に優しく押し当てる。
「ここでの見た目がどうなってるのか自分ではわからないけど、現実の俺はきっと今の蓮香が娘に見えるくらい年を取ったよ。
詩香の父親でいる間も苦しかった。
あの子から母親を奪ったのに、俺は何も罰せられなかった。
俺達に繋がる証拠も何もかも消えて、天馬が何かしたにしても不自然なくらいに全ての事が俺達は犯人じゃないと証明していた。
君が何か不思議な力を使ったのかな?
それでも君を刺した記憶だけはしっかりあって、しかもあの子は年々君に似ていったから····気が狂うかと思った。
それでも君にそっくりな顔に俺の目をしたあの子を愛さずにいられなかった」
穏やかに微笑む顔は先ほどまでと違って落ち着いたものになった。
外見につられて内面の年齢が上がったようだ。
「そっか。
証拠の隠滅や辻褄合わせは私がやった。
真っ白いゆるキャラとちょっした取り引きしたから捕まる事はない。
それから、私を殺して苦しみ続ける時点で罰は私が与えてると思えばいい。
死んだのは私なのに、他の誰かが君達を裁くなんで絶対許さない。
これからもずっと私に縛られて生きればいい。
詩香はもう元気だよね?」
「やっぱり君だったんだね。
白いゆるキャラ?
蓮香は昔から実は動物とか肌触りのいいぬいぐるみとか好きだよね。
動物にあからさまに嫌われる残念体質だけど。
君の与える罰なら喜んで受けるよ。
俺はもう君に狂ってる。
死ぬまで縛られ続ける。
詩香はあの治験からは再発もせず、元気にやってる」
「白いゆるキャラはそういうのとは違う。
全然可愛いやつじゃない。
動物は····呪力のせいで本能的に忌避されるだけで····」
白いゆるキャラは多分····。
隣にいる白くてゆるい感じの神をちらりと見てしまう。
「ゆるキャラぁ?」
うん、喋りはゆるい。
蓮香がゼノリア神と取り引きしたのは、最期に望んだのは····自分を殺した男達の自分を殺した事実を隠蔽する事だったんだな。
最期に望む事がそんな事だったのかよ。
レンや蓮香が俺達の獣体に触れたがるのはこっちで動物に嫌われてたからか?
今度獅子のぬいぐるみを作ってレンに贈ろう。
「あの子をもっと····」
言いかけて止めた。
男の胸に手を当てたまま、その肩に額を軽く押しつける。
華奢な背中が更に小さく見えた。
壮年となった男は自分にそんな蓮香の置か手と頭にそっと自らの手を添わせた。
「蓮香を想いながら、俺が死ぬまで俺達の娘を見守り続けるよ」
蓮香が続けただろうその先の言葉を男が紡ぎ、小さな頭はこくりと頷く。
「うん。
私の分もちゃんと····守って」
やがて胸に置いていた蓮香の手が白く輝き始め、添わせた男の手に名残惜しそうに力がこもる。
「愛してる。
狂っても私を死ぬまで愛し続けてよね、詩」
「もちろん。
ずっと、死ぬ瞬間まで愛してる、蓮香」
輝きは目を開けていられないほどの眩い光となり、男の胸に一瞬で吸い込まれたと思った途端、消えた。
周りの景色も、男も。
ただ白いだけの空間の中に蓮香だけがぽつんと立っていた。
心許ない後ろ姿のように感じて、抱きしめたいと、そう思った。




