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エイダの世界

*残酷な表現が沢山出てきます。


 エイダの住む村は貧しかった。電気もあまり通っておらず、停電なんてしょっちゅうだった。


 家族は両親と、両親のそのまた両親と、母の妹、私の上に姉が一人、弟が二人。

 近所は畑ばかりで、お隣さんは歩いて10分くらい離れてる。

 毎日畑仕事をして、たまにご近所さんの手伝いもして、日が暮れたら寝る。学校は遠いし、エイダのうちには通う余裕もない。周りも同じような状況だから、みんな行ってない。


 エイダは文字が書けないしあまり読めない。難しい言葉もわからない。

 わからない事が分からないから、他の世界なんて知らないし、知らないから知ろうともしなかった。


 転機が来たのは、見目の良いが叔母が、歩いて半日以上かかる都市部へ出稼ぎに行ったこと。

 そこで色々な知識を吸収し、よりよい生活を求めて上を目指していくのは叔母にとっては必然だった。


 自分自身が武器になると知った叔母は、メイドとして勤めていた家を辞め、酌婦やそれ以上をしながら稼ぎ、私たちに仕送りをしながら着実に外へと目を向けていっていた。


 ある日、そこで知り合った裕福な外国人の後妻に納まり、夫の故郷に移住すると決めた事を報告にきた。そして、私たちにも一緒に行かないか?と。

 叔母の夫は、小さいながらも会社を経営しているらしい。それなりに稼いでいるとかで、今までも叔母を通じて援助してくれているのは知っていた。

 ちょうどその頃、天災のせいで畑も壊滅し、明日の糧すらもどうしようかという状況だった。

 環境がまるで違う新天地での生活に想像もつかず、怯える祖父母らを他所に、両親や私たちは是非もなく賛成した。

 結局、祖父母らは親族が経営する牧場へ行くことになり、私たちは叔母たちに付帯する形で11年間住んできた国を離れる事となった。



 叔母の夫の故郷は日本という小さな島国だったが、エイダたちの暮らしていた国の都市部よりも遥かにすごかった。凄いという言葉しか出ないくらいに、今までに見た事の無いものに溢れていた。

 国を出るために、初めて飛行機というものにも乗った。空を飛ぶなんて、知識では知っていたけどお伽噺かと思っていたくらいには縁が遠かったから、身体がフワッと浮いた瞬間は思わず叫びそうになった。


 日本という国に着き、叔母の夫が手配してくれた家に辿り着くまでも、また吃驚の連続だった。

 車の数が多すぎる。こんなに多いのに整然と道路を走っている。

 電車というものにも初めて乗った。切符も、買うための機械も初めて見た。切符の買い方も初めて知った。

 家に着いてからもまたポカーンと口を開けっ放しにしてしまうくらい不思議な事だらけだった。電気は当たり前のように点く。水も、蛇口を捻れば綺麗なすぐに飲めるものがでる。一日に何回も止まる事がない。薪を拾って火を起こす必要もない。夜中の獣や虫に怯える事もない。隣との距離が近い。常になにかの音がして賑やかである。道端に転がってるのはゴミだけで、既に生を手放した者や動物は見当たらない。


 最初はここが天国かと思った。だけど、人間は環境に慣れる生き物だ。段々と日常を熟していくうちに息苦しくなってきた。住み続けて数年もすると、この当たり前の生活にもいろいろと思うところが出てくる。


 見た目が違う、言葉が違う、文化風習が違う、空気が違う、夜空が違う。

 慣れようとした。慣れなければここには住んではいけない気がした。


 この国は、みんなが裕福なのかと思っていた。

 人がいるとどうしても上下関係が出来上がる。これは村にいた時にもあったことだからよくある事。でもここのそれはどうも種類が違うように感じる。

 厳然たる差がある訳でもないのに、上下関係がしっかり存在する。

 常に周りの目を気にしており、また自らと比べている。その割には他人へは無関心を装う。突出したなにかをすれば、次は自分自身が差別される側に回されることを暗黙の了解としているかのように。

 


 エイダが日常生活をおくるにあたり、まず外国人であるという壁が高く立ちはだかった。

 買い物一つするにしても言葉が通じない。エイダはまず日本語が分からない。またエイダの使う英語は訛りもあり、先進国で義務教育に英語を組み込んでいるはずの日本人と片言ですら意思の疎通が難しかった。また、日本人の側も片言の英語すら使えない者が多かった。


「  ------Excuse Me?」

「あー英語はなせないのごめんねえ」


 返事をしてくれる人はまだいい。こちらを睨みつけ去って行く人、日本語を喋れと怒鳴る人、しっしっと手で追い払う人・・・

 それでも、毎日四方八方から日本語を浴び続け、また叔母からの教えを受け、少しづつは慣れてくる。スーパーへもなんども通ううちに何となく単語だけなら理解してくる。幸い野菜や果物は見知ったものが多いので、文字も形で覚えていく。

 スーパーで働いている人とも、少しづつ顏馴染みになってくると話しかけられる事が増え、日本語も覚えていくようになっていった。



 エイダたち家族は短期ビザで入り、そのまま住み続けている所謂不法在留人である。そのためエイダも日本では義務教育期間ではあるが学校には通えない。また正規の就労もできない。

 それでも同郷や似たような境遇の人たちの伝手で両親も働きだした。姉も叔母のような生活を目指し、夜の世界へと足を踏みいれた。


 エイダだけが取り残された。

 周りは知らない人ばかり。言葉が齟齬なく通じるのは家族だけ。その家族も徐々に日本に馴染んでいく。外の世界を知るには狭すぎる状況が続くと、さすがにこんなはずじゃなかったと思ってしまう。叔母は、エイダの事を気にかけてくれはするものの、夫との生活もある為かかりきりにもなれず、必然的に一人家の中に籠ることになる。


 幸い、叔母の夫はしばらくの間生活全般をみてくれるらしく、ライフラインが止まることはないようだ。

 両親も、家族のために、知らない土地で知らない言葉を離す者が多い環境で我武者羅に働いている。

 姉もまた、自分の夢のために必死に足掻いている。


 エイダだけが独りだった。

 家の中で過ごし、買い物のために一日数十分だけの外出。


 鬱屈した思いは、そのうち溜め込み切れなくなり溢れ出す。

 似たような、行き場のない者の溜まり場に吸い寄せられるのも時間の問題だった。その中でも同年代のグループにエイダは入り浸るようになった。


 そんなある日、いつも仲の良いフィーという東南アジア系の女の子が声をかけてきた。今日は彼氏は一緒じゃないらしい。


『Hi! エイダ! 今日はこっちに来てるの?』

『フィー! 貴女こそ珍しいじゃない。ワンミェはどうしたのよ? 離れるなんて明日は槍が降るわね!』

『ちょっとあっちの方がゴチャゴチャしてるから、今日はこっちに逃げてきたのよ。ワンミェは知らせに回ってる。』

『何が有ったの? 行かないにしても理由を教えてよ。』

『Hmm, なんだっけ? JapaneseYAKUZA? の抗争みたい? とばっちり食らわないようにって、エイダも知り合いに回しといてよ。』

『goddamn! 今日は買い物の日なのについてないわね。時間をズラして行くわ。Thx!』

『じゃあね!』


 意識してみれば遠くでパトカーの音が聞こえてくるような気もする。これは暫くの間いつものスーパーの方へは行かないに越したことはない。迂闊に警察に職務質問されても困ったことになるのは自分の方だ。

 念のため姉や親にもSNSを通じて連絡を入れておく。ついでにグループで知り合った連中にも警告を送っておく。


 エイダは買い物を後回しにしたため、空いた時間は駅前に行く事にした。人がたくさん集まる場所はいろいろと勉強になる。看板も、呼び込みの声も、人の服装や髪型も、通りすがりの人たちの会話も。

 じっと立ち止まっていると、変なオジサンや警察官に話しかけられるので、端から端まで適当に歩きながらになるが。

 エイダ自身も風景の一部に溶け込みながら歩いていく。


 日本に来た頃は、エイダはこの景色から自身が浮いて見えて寂しさを助長させたが、今は溶け込めるようになったくらいには慣れたんだなあ、とため息をつく。


 エイダはふと故郷を思い出す。こことは違う、のどかで何も無いところ。

 だが、今帰れと言われても、もう戻れる気がしなかった。それくらい日本の便利さに馴染んでしまった。故郷が嫌いかと聞かれると困るが、あの生活はもう嫌だ、とはっきり言えるこの恵まれた状況に怖さも感じる。

 もう、生死は身近に無い。その代わり、自然も遠くなった。それでもこの便利さに勝るものは無い。ここがエイダの世界だと思った。



 ふと大きな音が聞こえてきた。


  キュルルルル・・ 


 という、車の急ブレーキ音が聞こえてくる。そしてエイダからは少し離れたところで停車すると同時に、何人もの人が車から出てきて駅構内や繁華街へとわっと駆け出していく。

 そのあとを追いかけるようにまた車が複数台現われた。それらから出てきた人々は一様に、先に逃げた人たちを追いかけようとした。


  バタバタバタバタッ ダンッ  

     パンッ!  パシュッ!  バンバンッ! バンッ!


 距離が開いており、追いつけないと判断した一人が発砲しだすと、他の人間も懐から黒い塊を取り出していく。

 数秒間の沈黙ののち、誰かが 「ピストルだ!」 「逃げろ!!」 と大声をあげた。


  キャー!! という悲鳴はどこから聞こえたのだろうか。その場に居た者たちはみな、蜘蛛の子を散らすように四方八方へと駆け出していく。

 どちらへ逃げていいのか分からない状況では、周りのことまで見ている余裕もない。

 エイダも数多の人にぶつかりながら、どうにか繁華街の裏道へと逃げ出していく。


 建物の細い隙間に入り込み呼吸を整える。フィーの話とは場所が違う。そのことに苛立ちを感じながら皆にSNSで知らせていく。

 みなの無事な知らせに安堵し、そろそろ家に戻ろうと踵を返したとき、ふと近くで複数の声が聞こえてきた。


「こっちはどうだ?」 

「居ないようです。確かに逃げ込んでいたようなのですが。」 

「もっと奥まで探せ」

「わかりました。」


 エイダは恐怖で動けなくなった。今、動けば危ない。静かにやり過ごさなければ。誰かと間違われてしまったらどうなってしまうのだろうか。自分の呼吸する音だけでなく、鼓動の音ですらこの静かな空間に鳴り響いてしまってるかのように感じる。あんなにつまらなかった日常に、今すぐ戻りたいと思った。平和な毎日を続けていくうちに、あのぬるま湯に浸かったかのような代り映えしない日々に。

 言葉や見た目が違うくらいなんだ。今までの環境は、エイダがそこに存在することを否定していなかった。所詮、一期一会でその場を凌いだら無関係な存在。目に入らなければどうでもいいという無関心。それでも、排除しようとはしなかった事に今頃気が付いた。むしろ、エイダ自身が自ら周囲を排除し、壁を作り孤立していた。

 無事に帰る事が出来るかわからないが、家に帰って日常に戻ったら、姉や両親のように外を向いて生きていこう。勉強もしよう。ここでちゃんと生きていこう。そう、強く思った。

 そのためにも、なんとか今をやり過ごさなければ。なんとか隠れる場所はないだろうか、と周囲を見渡す。

 足音は徐々に近づいてくる。だが周りは薄暗い。エイダの今日の服装は暗めのトレーナーにGパンだったから、しゃがんでいればやり過ごせるかもしれない。そう判断したエイダはゆっくり音を立てないよう気を付けながらしゃがみこんで地面に座り込んでいく。

 たまたま、隣に小さな木箱があったので、その箱の横にぴったり沿うように座る。エイダの姿を隠してはくれないが、一見すればなにか横長の物に見えるかもしれない、という期待も持って。



   ・・ブーッブーッブーッ


 シンっとした空間の中に、バイブレーションの音が響いていく。エイダのスマホに何かの着信があった。慌てて画面を確認する前に電源を切る。この音はさっきの奴等に聞かれただろうか。耳を澄まし周りの様子を伺うが、足音どころか話し声も今は聞こえない。

 エイダは大きく安堵のため息をついた。もう大丈夫だろう。これで帰れる。早く帰って買い物へ行こう。その前にフィー達にも文句を言ってやろう。

 そう思いながら立ち上がる。


 目の前に黒い壁が急に現れた。咄嗟に走ろうとして首を掴まれる。息がしにくい。空気を取り入れようとして肩が上下する。カヒューカヒューと聞こえる自分の呼吸音の頼りなさに、絶望感と絶対的な死の予感がする。


「こっちに一人いた。若い女だ。」


 黒い壁のような男がどこかに向かって話す。


「――関係者か?」「おそらく違うかと。ただ、先ほどからの会話を聞いていたかも知れません。」「面倒だな。沈めるか?」


「おい、お前。いつからここに居た?何を聞いた?」

「カヒュッ ッア、ノ? ナニ・・? ワタ・・・シラナィ・・」

「どうも日本人じゃなさそうです。どうしますか?」

「ィヤッ! ハナしテ!! ナニモ知らナイッ!」


 エイダは必死に藻搔きながら何も知らないと主張する。だが、集まった男たちは既にエイダの処分を決めたようだ。日本人なら厄介だが、違うのなら居なくなっても大事(おおごと)にはならない。と判断されたらしい。


 (「お父さん、お母さん、お姉ちゃん、、助けて・・・」)


 そのままエイダの首を掴む手に力が入る。エイダの目の前が真っ暗になり、そのまま意識も黒く塗り潰された。








 次にエイダが目覚めた時は、先ほどの真っ暗な建物の隙間から、真っ白な何もない空間の中だった。

 漂うかのように微睡んでいた時に見ていた夢のようなものは、目が開くとすぐに忘れてしまった。


 ――ここはどこだろうか。私は一体何なのだろう。


 周りを見渡しても、白一色の空間には何もなく、自分自身ですら在るのか無いのかもわからない。

 暫くは何も考えられず、この気持ちのいい空間の大気に混ざるように揺蕩う。


 其のうちに、自分がエイダであり、恐らくあの黒い男たちによって生を絶たれたのだろうという、諦めのような気持ちが湧いてきた。

 何も悪いことなどしていないのに。どうして私が消えないといけないのか。確かに毎日に対して不満は有ったが、居なくなりたいなんて思ってもいなかった。


 だから”ここ”に来たのだ。と唐突に理解した。そして理(箱庭)を識る。

 エイダはエイダの新しい世界を創り、管理していく事こそが新しい生きる途だと。


 エイダは右手を見る。そこには白い珠が握られている。これが新しいエイダの命そのもの。今度こそは自分の行く末を自分で決められるようにと心に刻む。



 自分がエイダだと自覚出来たからか、自分の姿がちゃんとエイダの目に映る。以前ウインドショッピングした時にいいなと思っていた白いワンピース姿だった。


「生きてるうちに着たかったな・・・」


 ぽつりとつぶやく。自分の口から出たのが、もう帰りたくないと思っていた故郷の言葉である事に少し驚いたが、今更日本語がスラスラ出るわけもない。


 ここでのエイダの役割は新しい世界を創る事、だというのは理解出来た。細かいことは分からないが、モニターを出し、設定を書き込んでいく事で完成するらしい。

 設定を書き込む、とは脳内のマニュアルにあるが、母語も日本語も文字がわからないエイダは困ってしまった。他に方法が無いかと脳内のマニュアルを見直す。

 と、マニュアルの最後の方に注釈で【モニターに触れながら思考すると設定に落とし込むことも可能】との一文を見つける。


「モニター オープン」


   -ブゥン-


 白い珠の上あたりに、白い四角い画面が現れる。思うだけでもいいらしいが、何となく口に出してみる。

 

「ほんとに出た・・これにいろいろ思った事を書いて(?)いけばいいのよね。」


 いざ、創る段階に入るとなると気が引き締まる。エイダには一般常識とはなにかが分かっていない自覚がある。そのため、どんな世界にしたいかが朧げにはあるものの、形にするのを躊躇ってしまう。

 考えることをやめない限り、この白い世界に在り続けられるらしい。という事は理解している。つまりは時間制限がないという事だ。エイダは時間に追われない事にホッとした。


 


「一番は、やっぱりどんな姿かたちをしていても、誰も何も言わない世界がいい。」


 日本で一番最初に覚えた言葉は 「外人」 だった。

 日本人に比べると、日に焼けた肌色に彫りの深い目鼻立ちは一目でそうと判別できてしまう。従って、会話をする前から相手に構えられてしまっていた。


「あと、水に困らない事と・・日本みたいに便利な物がある世界!」


 一度知った便利な物の溢れる日常は、もう無い事を思い出せないくらいに有って当たり前になっていた。


「でも、便利な物が沢山あったら、それを取り合ったりするのかなあ。だったら、喧嘩が無い世界がいいなあ。」


 戦争が溢れている世界に住んでいながら、貧しくて何も起こりようのない母国と、平和ボケと揶揄されるくらい平和な日本に暮らし、また知識を取り入れる事をしてこなかったエイダにとって、身近な恐怖の対象は喧嘩だった。だから、自分の死んだ原因でもある裏社会同士の抗争も、ちょっと大きな喧嘩程度の認識であった。だから、無知ゆえにエイダは間違った。


「喧嘩なら、話し合ったらいいよね。普通は仲直り出来るよね。喧嘩したら何かペナルティが起こるようにしたら誰も喧嘩なんてしないよね!」




 かくして、エイダの世界は出来上がる。



 ― 日本のように便利で、生活インフラも整い、人は勤勉で働きアリのように忙しなく動き、

 でも喧嘩や諍いを許されず、周囲を気にしながらもそれを大っぴらに口に出すことが出来ない世界 ―



 エイダの世界は日本を基に創った。社会の仕組みは全くわからないまま、なんとなく自分の経験の中にある日本をそっくりそのまま模倣した。店では日本に住んでいた時と同じようなものが並んでいるが、それをどうやって作り出しているのかや、生活インフラについてもよく分かっていないのに、ちゃんと似せてある。そして、郊外はともかく都市部は狭いスペースに人が沢山集まっている。

 そして住人の気質も、エイダが見知った範囲のそれであった。








 見ているだけのエイダは、日々が滞りなく平和に過ぎていくのを喜んで眺めている。


 一方、世界の住人たちはどんどん心を病んでいく。感情の発露を禁止された世界で、心を殺しながら日々の生活をしていく事に、フラストレーションをどんどん溜め込んでいく。




   ― 膨らみ切った風船はいつか破裂する ―



 きっかけはもう本当に些細な事だった。

 よくあるご近所問題。それが火種となり、まるで粉塵爆破を起こしたように一気に住人たちの不満に火を点けた。

 当事者だけでなく、その周囲の人間にどんどん飛び火していく。

 飛び火した先で局地的な紛争さながらの暴力沙汰があちこちで起こり、さらにその周囲をどんどんと巻き込んでいく。



 エイダは困った。

 喧嘩をしたら、刑務所に入って暫くの間出てこれないように創ったはずだった。そして、刑務所に入る事は最上級に恥ずべき事だとも設定した。

 だが、あまりにも沢山の人が暴動を起こしている。最早統率が取れていない上に、高揚感に支配された住人たちは、ペナルティや禁止事項をものともしない。

 それを見た他の住人達も、皆がやっているから右へ倣えとばかりに横暴に振る舞う。

 


「待って! 待ってよ!! どうしてみんな喧嘩してるの? 喧嘩しちゃダメなのにっ!!」


 エイダはこの喧嘩を止めるためにはどうすればいいのかと考える。

 なにか別の大きなことが起これば、気が削がれて落ち着くのかもしれないと思いつく。火事程度では意味がない。もっともっと大きな事・・・


「最近のニュースではなんて言ってたっけ。天気の災害? 大雨とか続いたらいいのかな?」


 一番暴動が大きなところに雨雲を作り出し、大雨を降らし続けた。


 効果はある程度あった。少なくとも人が集まる事が減った。誰もが濡れ鼠になり続けながらなど辛い。

 一見すると、大きな喧嘩が起こる前の世界に戻ったように見えたのでエイダは一安心した。



 

 だが、それも一時的な、ほんの束の間の平穏だった。


 一度外れたタガは二度と元に戻らず、表面上は静かに見えながらも、徐々に刑務所へ収監される罪人が増えていく。外に出ない分、内に向かって発散されていたから、深く深く裏側へと隠れていったためだ。



 エイダは罰則を強めていった。

 個人の私物を自分自身で壊す程度なら、世界を創った当初は無罪だった。だが、そんなことですら刑務所へ入れる基準へと厳罰化してしまった。また、個人のプライベート部分を監視する目的で住人を管理し始めた。

 ここにきて、物を壊しても人を壊して害しても同じ罰則なら、もう何をやっても同じじゃないか! と考える住人が出てくると、その思想はあっという間にエイダの世界中に拡がっていった。そうして更に罰をうける住人が増えていった。




 大雨では懲りなかったことに気付いたエイダは、さらに強烈なインパクトのある災害を起こすことを思いつく。

 人間では何も太刀打ちできないような事、と考えたときに思い出したのはテレビでやっていた映画だった。竜巻と津波と隕石飛来とエイリアンと・・・どれからしようかと思い悩む。

 エイリアンは見た目が気持ち悪いからあまり乗り気になれなかった。

 竜巻が最初、次に津波で、それでもダメ隕石かな? と何も考えずに順番を決める。


 まずは大きな竜巻を発生させた。

 家屋に酷い被害が出る。幸い住人に被害はあまりでなかったようだ。さすがに皆助け合い、復興へを進んでいく。かなり限定的な範囲での発生だったためか、じきに以前の生活に戻る。そうすれば、やはりまた罪人が増えてくる。


 数回繰り返した。結局、元に戻ってしまう。

 これではダメかと溜息をついたエイダは、次はなんだったっけと思い出す。たしか津波だったはずだ。だが、単体では起こりようがない。地震がセットになる。

 日本に来てからは、地震は日常茶飯事と言っていいくらいに起こっていたが、津波もとなると経験はなかった。

 一方、母国に居た頃は数年単位で大規模な地震と津波に見舞われていた。数十年前の大地震の余震だと、日本に来てから知った。


 起こすにあたって、規模をどうするか悩んだ。小さいと津波は起こらない。大き過ぎたら世界が壊れてしまう。加減がわからない。

 日本に来て知った事の一つに、地震の起こった場所によって被害の大きさや津波の発生するしないが変わる、という知識を得た。

 詳しい事はわからないまでも、海の中で起こった規模の大きなものなら、津波が誘発されることがあったはずだ。

 これで、また皆が助け合う平和な世界になるはずだと心躍らせながら、海の中を震わせる。


 一度目は小さすぎた。何も起こらなかった。

 二度目は大きく震えたが、波は起こらなった。

 三度目の正直で、やっと波が起こり地表の一部を浚った。


 住人にも多数の被害が出た。それなりに人が集まる所が、そこそこの更地になった。

 みな恐れ戦き、互いを助け合い、復興という名の一時の安寧を享受する。



 そしてやはり、また罪を犯し重ねる者が増大する。

 被害に遭った者と免れた者の差。一時的に奪われた便利な日常。自由のない生活。

 災害が続いたことによるストレスも多大に有ったのだろう。




 エイダは決意する。


 悪いことをするのは大人ばかりだ。子供はそれを見て真似ているだけ。

 だから、大人が存在しない世界にしてみればいい。と。

 子供だけをノアの箱舟よろしく隔離し、別の国を造り、その他は一度全て無かった事にしよう。

 元からの順番通り、隕石を降らせて、この最初の国はもう沈めてしまい、そして新たな大陸に子供たちの国を創る。そこで真っ新な状態から成長していけば悪い大人にはならないだろう。と。



 この思い付きは素晴らしいと自画自賛する。まるで天啓のように閃いたそれを即実行する。


「ある程度社会生活を送れないとダメだから、大きな子供は必要よね? 15歳くらいまでなら大丈夫かな。」


 住人の中から、比較的大人しいと判断される15歳以下の男女を片端から攫い、隕石に耐えうるシェルターを作りそこへ隔離する。

 そして、大きな石を見繕い、宙から降らせる。

 最初に創ったエイダの国を、其処に有ったことがわからないくらい完膚なきまでに叩き潰した。


 新たに大陸を造り、日本の田舎の風景を模した国を興し、シェルターの子供たちを送り込む。


 今度こそ、争いの無い、平穏な毎日を過ごせる事を期待して。



 子どもは小さくても一人の人間である事をエイダはすっかり忘れていた。

 子どもであっても、自分がよりよく生きていくためには嘘もつくし暴力的な手段を選ぶという事を。


 ストッパーである大人が居ない事によって、力ある者が支配する無秩序な世界を展開するのを目の当たりにしたエイダは絶望した。



「結局、人間が存在してる事が悪いんだ・・・それならもう全部、なにも要らないよぅ・・・。」


 そう呟いたエイダは白い珠ごと世界を熱量に戻す。


 そしてエイダも、熱量の中に消えていった。





  ― 1年にも満たなかったエイダの世界は、ある意味テキストとして相応しいと見做され、それ以降のマニュアルに載る事になった ―




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