9話 ぐるぐる
サボテン観察に興がのってしまい、教室に戻る時間がギリギリになってしまった。扉を開けると、ほとんどの生徒が教室に集まっている。
なんとなく小出の居る席を確認すると、しっかり居た。まあ、出席してて当たり前なんだけど、妙に安心するというか。
「お、水上だ。おはよ」
「お……お……おはっ」
口の中で舌がもつれて、ほとんど吐息みたいな挨拶になってしまう。
……なぜ?
確かにリアルの私はあんまり人と話さないけど、発声に関してはプロだ。台本にないアドリブだって、いくらでも出来る。今のは全然難しい言葉じゃなかった。『おはよう』って、たった4文字じゃないか。
「水上。 なんか、顔赤いかも?」
「へっ!?」
うつむいていると、小出が移動して下から覗き込んできた。意図せずに視線が合ってしまう。近い。
「あ……今日は暑かった……から」
「たしかにねー。わたしは夏休みの間はまっっったく家から出なかったので、登校するだけで死にそうになっちゃったよ」
「うん…………うん?」
立ったままうつむいている私と、中腰で下から覗き込んでくる小出。この状態で世間話が始まるのはさすがにおかしくないだろうか。
「水上は何してたの?」
「私も同じようなものだけど……えっと……」
うつむいている私の周りは自分の髪の毛がだらんとぶら下がっているばかりで、小出から視線を逃す先がない。身体ごと背くのも失礼な気がする。……いや、失礼といえば、下から覗き込んでニヤニヤと笑っている小出の方が失礼じゃないか?
……何か言ってやりたい。のに、言葉が出てこない。
「ふふふ」
小出が目の前で人差し指をくるくると回し始めた。何かあるのかと思って私もそれを追いかける。
すると「水上、ぐるぐるモードだね」小出のニヤニヤが本格的なものになった。
ああ、これは間違いなく悪質なイタズラだ。増長する前に止めなければ。
「も、もう……何なの」
「いや、水上は可愛いなぁって」
「っ!?」
考えるより先に身体が動いた。バックステップ。ターン。アンド・ダッシュ。
ゲームでやるような動きを流れるように決めて、自分の机に足をぶつけた。
これ以上情けない姿を見られたくなくて『いたっ』と口から出そうになるのを唇を噛んでこらえた。急いで着席し机に頭を預け、両腕をクロスさせた状態で机に置いて亀になった。今の顔を誰にも見られたくない。自分でも分かるくらい、熱をもっているのだ。
後ろから「ごめん水上、大丈夫?」とか聞こえてきても、片手をあげるだけが精一杯だった。
ひんやりと冷たい机のおかげで、ホームルームが終わる頃にはいつも通りの私に戻っていた。
……少なくとも、外見はいつも通りだ。
授業が始まっても、おかしくなった自分のことばかりを考えていた。
小出と抱き合う夢を見たり、小出の冗談で心を乱されたり、本当にどうしてしまったのだろう。
例えばこれが異性同士なら、まあ……そういうことなのだろうと納得できなくも、ないけど。
小出は女、私も女。同性なのだ。
恋愛の経験はまだ無いけど、私はそういうのは普通のはずだ。小説も漫画も、恋愛モノを読む時は男女の話だし。
だけど、この妙に浮ついた気持ちは何なのだろう。幸せではないのに幸せというか。
目の前に、にんじんをぶら下げられて走っている馬みたいな感じだろうか。にんじんは幻想で、絶対に食べられないと分かっているのに身体が反応してまっている、みたいな。うまく言い表せないけど、頭の中と心の中で、何かがズレ始めている。
……にんじんの正体は、本当に小出なのだろうか?
最近ゲームで出会った人に、異性がいる。小出とは別の、夢を見る原因となった人だ。
──オジサンキャラのユタ。最初こそ怪しい人だと思ったけど、全然そんなことはなかった。いつまで経ってもレベル1だから、何しにログインしているんだろうとは思うけど。
思えばユタは小出との共通点が多い。やわらかい話し方をするし、よく笑う。そして、ふとした拍子に寂しい顔をするのだ。
もしかしたら、私はユタが好きなのかもしれない。言動が小出とよく似てるから、面影を重ねているとか。頭の中でそういう勘違いが起きてしまっているのかもしれない。
まだすぐに答えは出せないけど、今晩もきっと彼に会えるから、よく観察してみよう。
あっという間に昼休みになっていた。
身体をほぐしたり騒いだりしながら、クラスメイトが教室から出ていく。それで教室はいったん静かになるのだけど、購買部で買ったものを教室で食べる生徒もいるので、また騒がしくなるのも時間の問題だ。
静かなうちに集中したいので、さっさと台本を開くことにした。今夜の配信の流れを頭に叩き込んでおかなければ。
台本はあくまでも台本でしかない。生配信にトラブルはつきもので、そういった偶然こそが観衆の望むものだ。だから、台本の先をイメージする。とっさのことに弱い私は、そうやって下準備をしないと上手く立ち回れない。
まずはゲームの戦闘エリアをイメージする。場所はランダム生成されるフィールドなので、どんな場所かはまだ分からないけど、とりあえず観客はいない。彼らは配信用カメラの向こう側だ。
今回挑戦するゲームルールは、広大な戦闘エリアからの脱出である。凶悪なモンスターやガチ勢のプレイヤーが徘徊する戦闘エリアから、忍術を使って生還するという、なんとも過激な内容だ。
実のところ台本に書かれているセリフはほとんど無い。始めの挨拶と、成功・失敗したときのセリフくらいだった。99%がハプニングで構成されていると言ってもいい配信内容になる。
想像しよう。最初の挨拶はできるだけ短く小さめの声で終えて、まず身を隠す忍術でも使おうか。
木があるなら『木遁の術』でいこう。その間に攻撃されたら、どうするか。例えば、一部始終こちらの隙を窺っている人が居たとして……
「水上やっほ──」
「わっ!?」
後ろからポンと肩を叩かれた。突然の出来事に身体が反応する。スタンドアップ。アンド・ターン。まだ現実と脳内の切り替えができてない内に、大げさな体さばきを決めてしまう。
振り向いた先で、小出がお腹を押さえるようにして丸くなっていた。
「ぐえぇ……」
「小出……?」
またいたずらを仕掛けにきたらしい。しかも、押し出された椅子に腹をぶつけるという、以前と同じ結果になっている。
これをやられると、私はどうしたらいいか分からない。『なに?』と言えばいいのか『大丈夫?』と言えばいいのか。
「み、水上。お昼いこうぜぇ……」
困っていると、以前と同じ流れで秘密基地へ行くことになった。