4話 夏休み
放課後サボり部はゆるゆると続いて、すぐに夏休みとなった。
水上がサボテリーヌ二世を持ち帰るか悩んでいたけど、夏季の水やりは一ヶ月に一回で良いという驚きの検索結果が出たので、小鉢いっぱいに水を与えてから、サボテリーヌを秘密基地の留守番に任命した。
まったく予定を入れていなかったわたしは、今日も家から出ずにゴロゴロと寝たり漫画を読んだり寝たりしている。
授業中は休日が待ち遠しかったのに、いざ休みになると、やる事が無さすぎて心身ともに衰弱していた。
それもそうだと思った。わたしは大きな目的があって生きているわけじゃない。家族のためにとか、最近まではそういう大義名分があって、なんとか前に進んでいた。それがもう無くなってしまった。今はただ、空っぽのわたしがいるだけ。
このまま時間を浪費して、空っぽなまま大人になってしまうのだろうか。
それなら、サボってしまいたい。宿題とか、進路とか、夏休みとか。勝手に進んでいく時間をどうにか止めることができるなら、水上とサボテリーヌの居る秘密基地に帰って、のんびりと過ごしていたい。
あの空気が良いのだ。あそこで本を読んでいれば何も気にならなくなるし、ふと我に返っても、寂しい気持ちになることもない。あの空間の中でしか、わたしは呼吸することもままならない。
わたしは家にいて、寂しかった。
守るべき妹もなんだか落ち着いてしまったし、お姉ちゃんとしての役割はもう無くなっている。大好きな家族たちを同じところに結びつける力も無い。家にいるわたしは誰にも求められず、求める目的も無くなっていた。
「はぁ……寝るか」
一人でいると、いつも暗い気持ちになってしまう。だから最後は眠るしかないのだ。夏休みとは、わたしから五感を奪って堕落させる泥沼のようなものだった。あと何回か眠れば私の頭まですっぽり底なし沼に沈み、そのまま目が覚めなくなってしまうだろう。
息苦しい最悪な幻想とともに、まどろみに埋もれていく。
天井をぼうっと見つめながら寝て起きて寝てを繰り返していると、四回目か五回目で妹が覗き込んでいることに気付いた。
遅れて目を開けると、やっぱり妹がいて驚いた顔をしていた。
「うわ、お姉ちゃん気付くの早い」
「ん……なんか、夢の中でもあんたに覗かれててね。ところで、これは夢?」
「いや現実だけど……だらしないなぁ」
起き上がると身体中がバキバキになっていた。ほぐそうと腰をまわすと、全身から乾いた音の悲鳴が上がる。「あいたたぁ……」わたしも悲鳴をあげる。
「……大丈夫?」
「うむうむ。あんたのおかげで今日のところは牛にならずに済みそうだ」
「明日は?」
「んもぉー」
ご飯だけはしっかり食べているので、体重が心配だ。まるでカロリーを消費しきれていない。「ところで何の用?」と聞くと、妹は何か考えるようにしながら「お母さんが心配してた」と言った。
「娘思いの母親をもって嬉しいね」
「お父さんも心配してた」
「おや。来てたの」
「…………もう帰ったけど」
両親の話をする時、妹はちょっとだけ昔に戻る。そこに『妹想いのお姉ちゃん』を見出すわたしは、やっぱり歪んでいるのだろうか。
「そっか。薄情だねぇ」
妹の頭に手を伸ばそうとすると、すいっと後ろに下がって避けられた。もう撫でることさえ許されないのか。悲しい。
「そういうアレじゃなくて!」
「んー?」
何か言いたそうだったので、待ってみる。
すると、妹は持っていたゴーグルを渡してきた。バーチャルなゲームのやつだ。
「これで一緒に遊ぶの?」
と言っても、ゴーグル一つでどうやって二人で遊ぶのかは検討もつかない。
「ううん。これはお姉ちゃんにあげる」
「えっ……あんた、自分のは? もしかしてゲーム卒業?」
妹はゲームオタクだ。と一言で片付けるのも名誉に関わるので付け加えると、一時期ひどい引きこもりになっていた時に、心のケアを目的として両親が買ったVRゲームがオタク化に起因する。VRゲームは世間的に大流行していたし、誰のせいでもない。強いて言うなら新型ウイルスのせいだ。
「お父さんが新しいのくれたから。今度はもっとヌルヌル動くやつ!」
「なるほど。良かったね」
お姉様に妹のお下がりをくれてやると。そういうことらしい。
「どうやって遊ぶんだっけ。これ」
前にちょこっとやらせてもらったけど、すっかり忘れてしまった。わたしがやるのはマリとかプヨとかテトとか、レトロなゲームばっかりだから。
「ちょい付けてみて」
「こう?」
ゴーグルはずっしりと重たい。後頭部側にも重さがあって、それでバランスを取っているみたいだった。色々な精密機械が中につまっているんだろうなというのが、よく伝わってくる。わたしの頭の中とどっちが密度が高いだろうか。ぶっちゃけ負けているかもしれない。
そうこうしているうちに、パチンパチンと頭に固定されていくゴーグル。妹が手伝ってくれていた。
「んー、なんだか処刑されるみたいだ」
「電気流そうか?」
「えっ! 流れるの!?」
「まあ、寝落ちしそうになると、びりっと」
ふひひ、と気持ちの悪い声で笑う妹。本気なのか冗談なのか判断が難しい。
わたしの目の前は真っ暗になっていた。ゴーグルの中には外からの光が届かないようだ。アイマスク代わりになるかもしれないなんて考えながら、また意識を飛ばしそうになっていると、頭を前後にぐわんぐわん揺らされた。おのれ妹。
「よしよし固定完了。じゃあスイッチいれるぜ」
「おうともさ」
目の前がぼんやり明るくなる。耳の奥からじょわ〜んと徐々に大きくなったり小さくなったりする波のような音が流れて心地良い。寝そう。でも電気流れるのは怖い。
「あ、寝てもいいよ。お姉ちゃん」
「ほえ…… いいの?」
「脳波を測るからね。眠ってた方が早く済むの」
よく分からないけど、ハイテクなのであった。寝そう。
「じゃあねお姉ちゃん。あとは邪魔になるから、あたしは城に帰るぜ」
「ほい〜」
まだ自分の部屋を城とか呼んでるのか中二女子。なんてツッコミが口から出る前に、寝た。
起きた。
波みたいな音楽が無くなって、代わりに鳥のさえずりとか木々の揺れる音とかそんな感じの環境音が流れていた。一言で表すなら、おはようの音だ。電気ショックじゃなくて本当によかった。
認証完了の文字が流れたあと、ゲームの選択画面が表示される。
気づけば、ナチュラルにゲームする流れになっている。このまま寝ていても腐るだけなので、まあ救いではあるのかもしれない。妹がそこまで考えて行動していたのだとしたら、それはすごく喜ばしいことでもある。反面、やっぱり寂しいことでもある。難儀なお姉ちゃんなのであった。
またネガティブになりそうだったのでぶんぶん頭を振ると、ゴーグルの重さは感じなかった。代わりに、ゲームの選択画面がスクロールされていく。
半覚醒の夢を見ているみたいだった。現実の手足とは別のところで、夢の中の手足を動かせるような、不思議な感じだ。
マリもプヨもテトも無かったので、一番上に表示されている剣と盾のデザインロゴのゲームを選んだ。雰囲気はドラに近い。
オープニングムービーが壮大で、映画館にいるみたいだった。まず、のんびり畑を耕している人のシーンから始まる。いい雰囲気。馬車を引いてきた優しそうなおじさんに、シャキシャキのキャベツを渡して金貨をもらう。うぃんーうぃんな関係。畑の人が幸せそうに金貨袋をしまったあと、指笛をひと吹きする。すると、どこからともなく「キョエエー」怪鳥が現れた。なんだこれ。シーンが切り替わり、キャベツを運んでいる商人が険しい山道を行く。さっきの怪鳥が現れて「キョエエー」商人を襲う。おい。ボロボロになった商人は不敵な笑みを浮かべながら指笛を吹いた。どこからともなく頬に十字傷がある幅広の剣をもった男が現れて、商人から金貨を受け取った。さらに場面は切り替わり、先ほどの畑へ。農家は怪鳥からシャキシャキのキャベツを受け取ってニヤリと笑ったあと、表情を一変させる。盗賊団に囲まれていたのだ。あわてて指笛を吹いて怪鳥に攻撃を促すが、怪鳥は命令に従わない。十字傷の盗賊団長が指笛を吹くと、なんと怪鳥が裏切って農家の人をボロボロにしてしまうのであった。団長は高笑いすると、シャキシャキキャベツと金貨袋を担いで、夕陽に向かって去っていくのであった。
なんだこのゲーム。
と思ったけど妹の趣味を考えたらすぐに答えが出た。大人数同時参加型ロールプレイングゲームだ。ずいぶん血なまぐさいけど、こういうのが絆を生むのだとか抜かしていた。その絆を生む前提に心を痛める事件があるのはどうなのだろうか。
熾烈なオープニングムービーを経て、わたしの意識はすっかり覚醒した。キャラクター作成は面倒だったので、妹が作ったと思しき男性キャラクターを選ぶ。あいつはいつも男キャラばかりを使うのだ。しかもイケメンというより、イケオジ。
そしてこれは、あれだ。俳優のキアヌリーヴスだ。もうお爺ちゃんと呼ばれてもおかしくない歳だけど、20年くらい前から歳を取っていないとか言われているレジェンドオブイケオジである。わたしはそんなに詳しくないけど妹が好きなのだ。
ともかく、イケオジの『YUTA0343』となって、わたしは未知のゲーム世界に飲み込まれていった。