まともな人はまとも
崩れ落ちる侍女3人。
レティシアは青い顔をしながらも姿勢よく座る侍女長に向き直った。
「ねぇ、イリヤ侍女長?あなたの…監督不行届の始末、どうなさいます?」
目の前で見下ろしてくるレティシアに侍女長は椅子から降りて頭を下げた。
「申し訳ありません。」
震える声で述べる。
「頭を上げなさい。いいこと教えてさしあげる。」
チラリと見た愛人が視線を逸らす。
「あなたの娘さん、ロング男爵家が出資している工場のお針子さんなのですってね。」
ぽんと手を肩に置く。
彼女の目は大きく見開かれている。
「だ、男爵様の?」
侍女長の肩が大きく震え、掌は彼女のスカートにしわをつくった。彼女は愛人とレティシアを交互に見た。
「あなたが愚かだったのは、信じるべき相手を間違ったこと。」
彼女は愛人がまだ年若い頃にロング男爵家で侍女をしていた。
器量よく、働き者で、当時の男爵夫妻にも親子共々信頼されていた。
娘に甘い男爵夫妻も侍女長の言葉は信頼しており、男爵令嬢の浪費について苦言を呈することができた。その結果、逆恨みした男爵令嬢であるミランダは、侍女長の娘を自分の取り巻きの男に襲わせた。娘は、自分の下僕が捕らえていること、男爵家の者に助けを求めた時点で娘の命はないこと、また、心と体に傷を負わされた娘の醜聞を広められたくなければと脅し自分専属の侍女にした。
「愛人さんは、もぐりの魔術師に呪をかけてもらった。あなたと娘が逆らえない呪を。代償はあなたが受け取るべき給金。ほんと、自分のことばかりね。」
愛人が、何やらやらかしたと悟った現ロング男爵は、侍女長の娘を救いだし、解呪師に依頼し娘の呪いを解いた。いずれ時がくれば、侍女長も救おうと、とりあえず娘を自分の工場に針子として密かに雇い、妹から隠した。
男爵は何とか侍女長に娘の救出を伝えようとしたが、呪の縛りがありイリヤは男爵から徹底的な距離をとった。
男爵は、妹と縁を切れば侍女長も帰ってくると思っていたのだが、侍女長は愛人と共に子爵家へと入ってしまった。
「愛人が、とっくの昔に男爵家から縁を切られてること知らなかったのでしょう?便利な道具を手離したくなかった愛人に騙されたのね、可哀想に……私は、あなたが泣きながら抱き締めてくれたり、お母様のドレスの手直しを手伝ってくれたのを覚えているわ。男爵には話を通しているからお行きなさい。」
立ち上がる侍女長は、部屋を転がるように出ていった。
「私の側から離れたら、死ぬわよ!あなたは、私の!」
そんな言葉を吐く愛人。しかし、侍女長は出ていった。
静まる室内に愛人の笑い声が響く。
「レティシア、お前はイリヤを殺した!屋敷を出た途端に彼女は血を吐いて死ぬわ!」
レティシアは構わず扇を広げる。
「あの程度の呪……解除出来ないと思っているの?」
底冷えする声に小さな悲鳴が上がる。
「私はね、姫様からも誉められる程の呪いの使い手なの。掛ける方が得意だけど、解いて掛けた相手に返却するのも得意。だいたい、彼女や娘さんに掛けられた呪いへの代償が彼女の給金?少なすぎる。気付かなかったの?お父様の心が離れたのは、彼女に掛けた呪いの代償が少ないから、魔術師があなたの感じる幸せも代償に含んでいたのよ。」
愛人が高笑いを止めた。
「人を呪わば穴二つ。」
レティシアは、その言葉を愛人に向ける。意味も丁寧に説いた。
「今頃、もぐりの魔術師は死んでると思うわ。呪いの基本は等価交換。過ぎた呪いは身を滅ぼす。そんな覚悟もないくせに人を呪うんじゃないわよ。」
自分が子爵から相手にされなくなったのが侍女長と娘に掛けた呪いのせいだったと知った愛人は言葉を失う。
「で、あなた方には、今から呪いをかけます。」
ざわつく。
「大人しく、出ていって、私のことを他言しないでねって言うお願いの呪。そうねぇ、思い出すのはよしとしましょう、けれど私のことを話題にしようと考えた時点で魂を一口ずつ頂きます。魂が欠けていくと心と体が、まず心かな?が、おかしくなります。完全に魂がなくなると廃人となりますが、数日後には肉体も死にます。手首にあなた方にしか見えない印を打ちました。」
皆が、自身の手首を見て擦ろうとしたり悲鳴を上げたりしている。
「その薔薇の印は、あなた方に死が与えられるまで消えません。魂が欠ける度に花弁が散るの。綺麗でしょ?」
愛人が叫ぶ。
「あんたは、さっき人を呪わば穴二つとか言ってたじゃない!あんただって、呪われてるんだ!」
レティシアは優雅に嗤う。
「そうね、ただの人が人を呪ったのなら、私もろくなことにならないでしょうね。でもね、愛人。」
背筋を這うような寒気が室内にいる全ての者を襲った。
「私を誰だと思って言っている。」
レティシアの頭と額に赤い角が生えてきた。
驚愕の表情が人々に浮かぶ。
「今ここで、魂を奪い傀儡にすることもたやすいが、我が主は、そのような非道は許さぬ慈愛の方。恩には恩を、仇には仇をそれが主からの教え。レティシア・ミッターマイヤーと言う体を我に差し出した娘に報いるのが、我が願い。貴様等に掛ける呪いなど些末なこと。」
レティシアを名乗る鬼は愛人の顎を扇で上げる。
「我は、呪いそのもの……さあ、荷造りを。優しい私は、明日まで待たずにあなた達を解雇してさしあげます。」
そんなっ!と皆から非難の声が上がった。
「……顔を見たくないのよ。」
低い声、睨むレティシアに従い使用人達は出ていく。
「あなた方は、お父様が婚姻まで私に過ごせと用意して下さった郊外の家に行きなさい。期限はそうね……、一週間。」
青褪める2人が、何かを叫ぼうとした時、居間の扉が大きく開かれた。