紅葉の選別
「さて、ゴードン、フィヨルドの帳簿をここへ。」
役人が帰り、居間には再び沈黙が降りていた。役人を見送り戻ってきた執事の手には手帳が。愛人は、ハッとして執事の持った帳簿を取ろうとしたが、カエルが潰れたような声を出して床に伏せていた。
「あらあら、どうなさったのかしら?」
レティシアは、先程まで伯爵が座っていた椅子へ腰かけた。
「さて、屋敷の者を全て連れてきて頂戴。そんなに人数はいないから入れるでしょ。」
ミッターマイヤー子爵家で働く使用人の人数は同等の規模の他家と比べてやや多く半数以上が愛人とアイシャ専属だった。
冷や汗を掻きながら執事が動いた。動きたくなどなかったのに体が勝手に動いた。
「さぁ、話をしましょう。」
一番広い居間に通された者達の殆どが戸惑っていた。
「まず、最初に言うことは、この屋敷の使用人達の給金についてです。」
広い居間のふかふかの絨毯に簡易の丸椅子を並べて順次座ってもらうとレティシアは皆の方へ視線を送り言った。
「調べたところ、同じ侍女でもかなりの差があると言うことと、一番給金の低い方の金額が、他の子爵家の相場より低いことが判明しました。」
ざわつく室内。
「今から名前を上げます。アイザック、ケイタ、キョウジュ、アサヒ、ブランド、フィヨルド、そして、おまけで、ゴードン……。」
並んだ使用人の一人一人を見てレティシアは名前を挙げた。呼ばれた者は立ち上がり怯えた表情を見せていた。職種は様々で下女、下男に至ってはレティシアの顔を見るのも初めてで、名前を呼ばれるとは思っていなかった。
「あなた達は、今後の働きによって、昇給を考えます。今まで働いた給金と子爵家における給金の差額を支払うことを約束するので、これからも子爵家のために働いて下さい。困難な状況にある私を影から助けて下さっていた方の名前も顔も覚えていてよ。ありがとう、あなた方には、よい職場環境ではないのによく耐えて下さいました。ゴードン、あなたには、もう一度機会を与えます。本当の執事の仕事とは何か、それをよくよく考えて職務につきなさい。あなた方へのお話は以上よ、部屋を出ていいわ。」
ニッコリ微笑むレティシアに促され、執事であるゴードンも出された。
共に部屋を出た使用人達は一同安堵の表情や中には涙を浮かべる者すらいた。その中でゴードンだけは、部屋に残された者達の行く末を案じた。
レティシアは立ち上がった。部屋に残された面々は一様にビクッとした。
先程までの優しい空間の空気が重くなった。
彼らが抱くレティシアのイメージは、根暗で、笑い顔も見たことない、引きこもりだ。子爵令嬢とは思えない華やかさもない、いずれ子爵家から追い出されると決まっているのに無駄な努力をしている愚かな少女。
なのに、今、目にしているレティシアはどうだ。凛とした立ち姿を持ち、服はソファに座るアイシャや愛人とは比べるまでもない地味なものではあったが、ハッキリ言ってこれ程の美少女だとは思ってなかった。
「扉と壁、この居間の空間に遮断の術を……掛けました。」
立ち上がり右手を軽く振ったレティシアの言葉にざわつく。
「外にいる者達に居間の中の声は聞こえません。……あら、驚いた?私、ちょっと凄い力を有してますの。」
散々無視し、軽んじてきたレティシアに魔術の才があったことに誰も気付かなかった。
「そして、これはあなた方が逃げないようにするための枷。」
レティシアの右手がくるんと輪を空に振った。
瞬間、上がる悲鳴。
使用人達の足首に床から生えた棘の蔦が巻き付いたのである。
「動くと怪我をしてよ?」
混乱する使用人達は、レティシアの言葉で椅子に座り直す。目の前にいるのは誰だと思うほどに畏怖した。
「そう、大人しくしてくださいな。」
全ての人に魔力は大なり小なり備わっているものだが、魔術として力を発動するには才能がいる。
今、レティシアは魔術陣も詠唱もなしで力を使った。
その事実に気付いている者は何人いるか。
レティシアは、愛人に顔を向ける。
「あなた、名前は何だったかしら……あぁ、答えなくていいわ、」
愛人は、下唇を噛む。
「あなたの生家であるロング男爵家は、あなたと縁を切っていたみたいね。」
また、ざわめきが起こる。
「知らせたの、お父様が死んだから、いずれあなたを子爵家から放逐しますよって、そうしたら、既に縁は切ってあるので、当家とは無関係の人間です……って、返事がきたわ。」
愛人は、見開いたままの目をレティシアに向け固まっていた。
最近、愛人の生家は絹糸の開発に成功し収益をあげていた。王都では有名な話で愛人は実家の自慢をしていた。
「当代のロング男爵は、あなたのお兄様ね。若い頃から好き勝手暮らしていたあなたに、お兄様、とても苦労していたのですってね、あなたのご両親があなたに甘いから。でも、そのご両親も亡くなられて、お兄様が男爵を継がれた時、躊躇なく、あなたと縁を切ったこと、あなた知っていたのでしょ?いずれ自分は子爵夫人となって、ロング男爵家が肩代わりしたお金を一括で返してやろうと思ったのに、縁を切ったことを後悔させてやる!って怒鳴り込んで啖呵をきったとか。」
レティシアが密かに調べたことだった。
(ほんと、この子は、自分が生き残るために必死だったのね。)
「ここを出た後は、ご自身の貯蓄で家を見つけ暮らしてくださいませ。」
彼女に貯蓄などあるわけがない。明日からの生活のことなど考えてもいないことは明らかだった。