紅葉の根回し
愛人の顔色は悪い。
「レティシア嬢は、来月に成人を迎えますから、その時をもって正式な当主となります。それまでは実家の叔父上が代行してくださるでしょう。あぁ、そうだ。寄り親変更の申請書も受理されましたよ、」
その一言にボンゴ伯爵が驚く、
「あれは受理されていないはずだ!」
思わず立ち上がる。
寄り親の変更は、下位の家からの申請を吟味し、寄り親になってもいいと言う家を役所が探し仲介することで成立する。
役所が間に入ることで、下位の貴族は安心できるし、上位の貴族は下位の貴族からの評価が悪いと国からの援助金が減らされる。国からの補助金とは、領地の収益が減った時に使う資金で寄り子の数が多いほど金額も多くなる。
「子爵のサインと印が押されている正式な申請書でしたから、今日の午前に受理させてもらいました。」
ボンゴ伯爵は呆然としている。
「寄り親変更に関しては、あなたの御親戚が何やら妨害工作をしておられたようですね、」
ボンゴ伯爵は顔色を変えた。
「今朝、泣きながら悪いことをしたと宰相閣下に懇願してきましてね、これ以上邪魔をすると悪魔に呪われると言う夢を見たそうですよ、彼にも罪悪感っていうのがあるのだと知りました。今頃、病院でしょう。彼は、申請書を10年近く隠していたんです。寄り親変更は、それなりに時間はかかりますが、10年放置なんて有り得ないことで、宰相閣下は謝っておられました。申請から10年を遡り、ミッターマイヤー子爵家に出た不利益も調査することになりました。」
ボンゴ伯爵は震える声で言った。
「子爵家の新しい、よ、寄り親は誰だ……。」
役人は、パラパラと書類を捲る。
「ロイエンタール辺境伯爵です。何でも、草食の動物達の餌の開発に前子爵と弟君が尽力してくれたからと。上位貴族の方が個人の後見人になることはあっても、寄り親になることは珍しいですからね、これを機に寄り親制度も見直されるでしょう。」
ボンゴ伯爵よりも数段格上の貴族が名乗り出ては逆らうことなど出来ない。
「後、レティシア嬢とゲイツ伯爵のところの婚約解消の書類と、新たにアイシャ嬢でしたか?との婚約は受理されました。」
書類と石板に浮き出た文字を見せる役人。
(あの子達、出来るわね。)
帰ってきたら褒めなくてはと思っているとボンゴ伯爵が喚いた。
「今朝から探していた書類だ!捏造だ!」
その言葉に役人はまた淡々と述べた。
「あなたの所の執事がちゃんと持ってきたそうですよ。急ぎの案件だと言付けて。で、あなたの親戚が涙の懇願でしょう?ベヒモス、カオスドラゴンの来襲後の処理にクソ忙しいのに宰相閣下自ら受理してくださりました。」
ボンゴ伯爵は、ならばその中に愛人の地位確保の書類も入っていたはずだと言ったが答えは否だった。
「いやぁ、それにしても姉君の婚約者とですか、」
突然自分のことを言われ狼狽していたアイシャは持ち直した。この役人、見た目がいいのだ。
「は、はい、レオパード様は、御姉様に虐げられている私をいつも庇って下さって、」
いつもの直ぐ出せる涙を流しながら言うアイシャを役人はスルーした。
「真実の愛と言う、巷で流行りの大恋愛ですね!」
異母妹のコロコロ変わる表情に誰も自分のことで精一杯で見ていない中、レティシアだけは、ほくそ笑んでいた。
「お2人とも平民になってでも貫きたい愛ですもんね!」
この役人、分かって言ってるだろうとレティシアは思った。
「えっ?」
アイシャは首を傾げた。
「ゲイツ伯爵のレオパード氏は、嫡子ではないので爵位がない。もちろん、あなたもだ。それは、最初から分かっていたことでしょう?ゲイツ伯爵のとこのは、我々のような官吏になる能力はないですし、騎士になるほどの腕前もない。あぁ、地方の警備騎士くらいなら大丈夫かな?とにかく彼は、何処かの貴族令嬢の元に婿入りし、貴族として過ごすしかなかったにも関わらず、あなたを選んだ。」
少しだけ力を用い、この役人の心情を探る。どうやらゲイツ伯爵家に恨みがあるらしい。ゲイツ伯爵家と言うかその息子達に対する恨み?を察知した。
(まぁ、どうでもいいけど。)
ワナワナと震えているアイシャ。
「申し訳ないけれど、2人の婚姻届を本日中に受理していただけないかしら?」
婚約破棄、変更の届けとともに、レオパードどアイシャは婚姻届にもサインをし、ボンゴ伯爵に預けていたはずだ。
レティシアの言葉に視線が集まる。
「ゲイツ伯爵家のとこの……あぁ、レオパード様との間にややがいるかもしれませんもの。」
良いことを言ったとばかりに笑顔を見せるレティシア。
皆の目線がアイシャに移る。
「ち、違っ、わ、わた、私は……。」
「いいのよ、あんな浮気者、端から好いてませんでしたから。あなたの荷物、ゲイツ伯爵子息の所へ送ってさしあげますね、ミッターマイヤー子爵家次期当主として、あなたも愛人さんも不要なの。」
「お、お姉さま……。」
「あら、お姉さまなんて呼ばないで、あなたの方が先に言ったのよ?私みたいなのが姉で恥ずかしいって。」
とても優雅な笑顔だった。
「あ、すみません、いい忘れてました。宰相閣下からの言伝てです。ボンゴ伯爵の寄り親権利の剥奪を命じる…だそうです。」
「なっ!」
寄り親の7割は領地を持たないが、王都への商売の橋渡しをしたり、良い縁談の世話をしたり、または、寄り子の領地が飢饉などで疲弊した場合国からの補助金を使って助けることで色々なものを回している。
「あなた、ミッターマイヤー子爵家のみならず、他の寄り子からの収益を自分に都合良く改竄していたでしょう。あなたも貴族なら、法の裁きをうけなさい。」
役人は立ち上がる。
「では、明日王城にて。」
レティシアも立ち上がり、役人に見事なカーテシーを行い役人を見送った。
「ボンゴ伯爵家と我がミッターマイヤー子爵家の縁は切れました。ご機嫌よう、」
カクカクとした不自然な歩行で歩く伯爵は、それ以後、姿を見せなくなった。