レティシアの事情
執事は、子爵の死が発覚した時、一番に部屋に来た見窄らしい娘が誰であったのかわからなかった。レティシアの顔を思い出せなかったからだ。とりあえず次に部屋に駆けつけた愛人にこれからのことを尋ねても若い侍女と共に果てた子爵に呪詛を吐くばかりで、子爵家の寄り親であるボンゴ伯爵に連絡をとることにした。彼は、ボンゴ伯爵に乞われてミッターマイヤー子爵家の執事となったが、レティシアが言うほどに伯爵の評価など気にしてなかった。ただ執事として働ければよかったのである。このミッターマイヤー子爵家の複雑な人間関係は理解していたが、家族に関わることは極力避けていた。夫人が生きていた頃からいるのは庭師の老人くらいで、屋敷にいる使用人は皆、ボンゴ伯爵が手配した者達だった。
寄り親からは、腹上死であることは子爵の名誉に影響があるため伏せること、相手の侍女の遺体は速やかに処理すること、それらが終わったら昼前の時間を待って子爵の突然死を届けること、此方は子爵家の後継変更の申請書を役所が開く時間を待って提出、子爵の死亡前に提出されたなら申請は通る。此方としても受理を急ぐよう掛け合うからと指示を受けた。
共に亡くなった侍女の遺体の始末など出来ないと執事を含めた何人かが集まって話し合っている間に愛人は自分の命に従う使用人を使い下町の路地に遺体を捨ててくるように命じた。消えた遺体に執事は恐ろしくなり、何も聞くことが出来なかった。色々今後のことを考えると頭の痛い執事であったが、午後に役人がくる手筈をとったので、昼食のことなど細々したことは、侍女長に任せることにした。
愛人は、ボンゴ伯爵からの言葉に口角を上げた。そこで執事はボンゴ伯爵の思惑に気付いた。子爵の死亡届けが受理される前に愛人が子爵夫人となり、アイシャを後継に指名するのだと。
執事である彼は、父親の死の現場を目撃したレティシアのことなど忘れてしまっていた。役人が来て、後継者であるレティシアの在席を求めた時に初めて思い出したのだ。
せめて、寄り親のボンゴ伯爵が到着するまで待ってほしいと愛人と、アイシャが役人に申し出た。
役人は、ミッターマイヤー子爵家を実質運営しているレティシアの叔父へ連絡はしたのかと尋ねてきた。執事はしていない事実に気付いた。宰相府に勤めるレティシアの伯父は2日前から隣国へ視察に行っており来ることは出来ないと役人は言った。お前は子爵家の執事として何をやっていたと役人の目が物語っていた。
役人が到着して直ぐにボンゴ伯爵が来た。苛立ちを含んだ表情が何を示しているのか執事には分からなかった。
執事である彼は足が石になっていくような感覚がしていた。
(さて、どうなるかしら、楽しみね~。)
部屋に入ると城から来たと言う役人が2人おり、レティシアを出迎えるために立ち上がった。座っているのは、寄り親のボンゴ伯爵と愛人、そして、愛人に寄り添う異母妹アイシャ。表面上はとても悲しんでいるように見えた。
寄り親の表情は焦りを含んでおり、レティシアを見て視線を逸らした。
「レティシア・ミッターマイヤー子爵令嬢ですね。この度は、お父上のご不幸、お悔やみ申し上げます。」
上座に座る伯爵の横の1人掛けの席を勧められ座るレティシアはニッコリと笑った。
「腹上死でしたの。」
座るなり発言したレティシア。
事故死としか聞いていなかったのだろう役人2人はぎょっとした。
「若い侍女に手を出して、はしゃぎ過ぎたのでしょうね、凄いうめき声に驚いて、そう夜明け前でした。お父様の部屋にいってみたら……。」
「現場を見たのですか?それに、夜明け前?昼前ではなく?」
「えぇ、若い侍女もお父様の下敷きになって、亡くなっていたの、そうよね?ゴードン。」
執事に目をやると彼はレティシアが自分の名を知っていることに顔を歪めながらも頷いた。
「そこの愛人さんが、お父様の心を繋ぎ止めてなかったのでしょうねぇ、」
レティシアの言葉に愛人であるミネルバが怒りの形相で声を出そうとしたがレティシアの無言の笑顔に息を飲んだ。
「そもそも、この場になぜあなたがいるのかしら?お父様の寵愛を無くした時点で出ていかないのは恥知らずではなくて?」
ミネルバもアイシャも何故か言葉が発せられなかった。
それは、鬼姫であるレティシアが力で抑えているからだが、部屋の隅に控えていた執事も、侍女そして、面識のある寄り親も目を見開くほど変化したレティシアの様子に驚いていた。
「お父様とあの侍女が関係を持ったのは一ヶ月前、それから今日まで、あなたが子爵家のお金で買ったドレス、宝石はどれくらいかしら?経理のフィヨルドが計算していると思うの、ゴードン帳簿を持ってきてちょうだい。彼女には代金を払って貰わないと。」
執事は再び名前を呼ばれて我に返った。屋敷の経理担当者の名前までレティシアは知っていた。
「わ、私は愛人ではないわ!妻よ!」
金切り声が上がる。
「あら、お父様は、そもそも子爵家の入り婿でしたのよ、お母様が亡くなった後、お父様と結婚する場合、子爵家の親戚3名と寄り親様の承諾のサインの入った申請書が必要なはず。ボンゴ伯爵様?役所に提出はされましたの?」
皆の視線が集まる。親戚を脅す形で署名させ、週明けの今日に提出予定だった申請書。
伯爵や愛人からしてみれば、子爵の死は予想外だったはずだ。子爵からの愛情が若い侍女に移っていたことも愛人は理解していたはずで、申請書の提出は何としても早くに済ませていたかった。
「……い、いや、……まだ提出はしていない。」
伯爵の言葉にミネルバは目を見開く。子爵の死亡届けより前なら申請書は受理されると言っていたではないかと。
「嘘でしょ!提出は朝一番にすると仰ってらしたわ!どういうことですか!」
叫ぶ愛人。
「提出されていないのなら、子爵が亡くなられた以上無意味なものとなりますね、」
淡々と役人は語った。