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アソビガの少女たち  作者: 鈴本恭一
第1章:でいだらの巫女と戦艦使い
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第8話:苛立ちと復活


「………」


 学校の廊下を歩く(きよ)

 ただ歩く。

 その歩き方に乱暴なところはない。

 だというのに、その汐を見た生徒らはびくっとして避け、廊下を空ける。

 男子も女子も。普段なら声をかけてくるクラスメイトも。

 そんな彼らを一顧だにせず、汐は階段を上がり屋上へ出る。


「……」


 見上げると、視界に入るのは空を泳ぐあの奇妙な生き物たち。

 彼らは汐を見ていない。気ままに風と戯れている。

 汐はそれらへ手を伸ばそうとする。


「……あの日も」



  こんな青い空だった。



「―――……」


 瞼の裏に焼き付いた場景。




 屋上

 ウミシダの塊

 輝く赤い実


 美しい黒髪の





         『あなたを私のものにする』   






「お前でも機嫌が悪くなるときがあるんだな」


 背後から声が掛かる。衛士(えいじ)だ。

 汐は振り向かない。空を見上げたまま、


「私の怒りは特別製だよ」

「じゃあ特別なことがあったんだな」

「別に」

「みんな戦々恐々してるぞ。どれがお前の逆鱗に触れたのか」

「こっちに来てから大したことなんて、でいだらに選ばれたこと以外何もないよ」


 異形の生物群が遠くへ去って行く。

 手を下ろす汐。

 その手で自分の喉を撫でた。


「一年後に頭がおかしくなることも、私にはどうでもいいよ。海の見えないこの町に、怒りの矛先を向けるものなんか何もないんだから」

 いつもより平板な声で言い放つ汐に、衛士はため息をつく。

「海が、嫌いなのか?」

「海じゃない」


 汐は振り返る。

 衛士が顔を強張らせた。


 汐の双眸が、僅かに青く灯っている。


「でいだらは願いを叶えてくれる」


 幻怪な輝きを閃かせる眼差しに、周囲の空気がざわつく。

 衛士の皮膚がひりつき、霊感の無い感覚が緊張する。

 喉を触る手の爪を立て、汐は言った。


「私の怒りに似合うだけの力を、でいだらはくれる」


 圧迫感。

 青い輝きが強く増す。光と熱が声にも宿った。


「だから、私はでいだらと契約した」

「……自分から、でいだらと?」

「言ったでしょ? 大したことじゃないって」


 汐は微笑む。

 その動作ひとつにすら、油めいて粘つく情意と力が充ち満ちていた。


「でいだらは勝つよ、一年後でも、いつでも。誰が相手でも」


 燃える声で、汐は言う。




「―――――"さんがむりや"が相手でも」




********



 ひっくり返った巨大な機械虫の腹を、汐は力一杯踏み付ける。

 肉厚で幅広の足底が木製の装甲をぶち抜き、内部を暴力で破壊した。


「これで、5000遊銀」


 ホタルの幼虫に似た15メートルの木造昆虫を完全に制圧し、汐は呟く。

 放課後の闘技街。久しぶりの討伐戦。

 今回の討伐対象は以前のヘビトンボめいたそれと比べ、だいぶ弱かった。

 だというのに、1920年代のニューヨークに似た闘技街の破壊範囲はクラゲもどきに乱入されたときよりずっと広い。闘技街の大部分が瓦礫になり、汐以外の参加者は遠くへ避難している。

 被害の大部分が、汐の攻撃によるものだった。

 燐香がアソビガに来なくなって一週間が経っていた。


「遊銀100万枚まで、あと75万」


 討伐対象の巨大機械虫は全ての脚を破砕され、装甲という装甲をもぎ取られていた。砲弾を放つ頭部もめちゃくちゃに殴り潰され、原形をとどめていない。

 討伐対象を一方的に蹂躙した汐は、巨人体の極太の右腕を振り上げた。

 右腕がガジャリガジャリと変形する。細長い形状に。

 その先端から伸びるのは、三叉の矛。


「100万あれば手に入る。"けらうのす"が。そうすれば」


 矛の先端が目映く帯電する。

 激しい空気の緊張。

 震動する大地。


「ミッカを倒せる」


 刺突。

 圧倒的な閃光が膨張する。

 高エネルギーの爆裂で幼虫ホタルの機械細工は一瞬で融解。球体状の核部分がすんでの所で脱出し、闘技街の外へ高速で退避する。

 "とりあいな"に触れた空気は危険極まる爆風となって周囲一帯を薙ぎ払い、爆発の衝撃による強烈な地震が建物という建物を崩壊させる。

 それまでかろうじて無事な部分もあった闘技街は、完全に瓦礫の海と化した。


「ミッカ……」


 そんな大破壊の爆心地で、汐は呟く。

 短距離を全力で駆けた後のように荒々しく息を切らせ、消耗しながら。震える声で。弱々しく。三叉矛は霧散。


「まだ、こっちにいる、よね…?」


 縋るような声音を巨人体の内部でこぼす。

 そこに。


 ――――――轟音。


「!?」


 汐は我に返り、瓦礫ばかりになった闘技街を見やる。

 汐からそう遠くない場所で、新たな爆発が起きていた。吹き出す瓦礫の砕片が煙状に立ち上り、その下から何かがそそり立つ。


「……うそ」


 それは一本の触腕。

 タコ状の腕とクラゲの傘を持つ『侵入者』だった。



********



「燐香ー、ミッカちゃん正門に来てるよー」

「先輩達めっちゃ絡んでるから、早く行った方が良いんじゃない?」

「え、ミッカ?」


 女子校の教室で同級生に言われ、燐香は帰り支度を急いで済ませ、正門まで走った。

 確かに正門にはミッカがいた。黒いブラウスと黒いチュニックという、いつもの黒ずくめ。他の女子生徒に囲まれている。


「ミッカ!」


 大きく手を振る燐香の呼びかけで、その場の全員が振り向いた。ミッカを囲んでいた先輩らが、


「燐香ちゃんやっと来たぁ」

「ミッカちゃんずっと待ってたんだよ?」

「ミッカちゃんなら顔パスだから学校の中入っていいって言ってるのに」

「すいません、ミッカ携帯持ってないんですよ」


 燐香は先輩らをかき分けてミッカへ近付き、微笑む。


「ごめんねミッカ。待っちゃった?」


 ミッカは無表情のまま、黒曜石のような黒い瞳を燐香へ向けた。


「あなたが教室にいたのは知ってた」

「え? なら呼んでくれればいいのに」

「あなたは私を呼んでいない」

「そんなことないよ。私はいつでもミッカのこと考えてるよ」

「思考の無駄」

「そんなことないって。じゃあ先輩方、失礼しますね」


 燐香は言ってミッカの手を引いて歩き出す。

 女子校の先輩達は黄色い悲鳴を上げて見送る。携帯電話で撮影する生徒もいた。お馴染みのことなので燐香は苦笑する。


「先輩たちと何話してたの?」

「髪のことと肌のこと、あとは遊びの誘い」

「あーいつも通りだねえ」

「私の体の管理は私の同居人がしている。あの人達の参考にはならない」

「ミッカはきれいだもの。覚えてる? 私が中学のとき一緒にあちこち遊びに行った頃」


 ミッカに助けられ、生まれ変わったように健康を取り戻した後、燐香は受験勉強に精を出した。

 そして今通っている女子校に合格し、お祝いと称してミッカといろいろな場所へ出掛けた。

 刹那的に自暴自棄で遊んでいた頃とは比べ物にならないほど、燐香はミッカといるのが楽しかった。


「どこに行っても、だいたいいつも誰かが声かけてきたでしょ。ミッカはきれいで目立つから」

「ほとんどはあなた目当て」

「そうかなぁ。先輩達だって、学校に来たイノシシ追い出したとき以来、ミッカにめろめろでしょ?」

「イノシシから同級生を助けたのはあなた」

「私を助けてくれたのはミッカでしょ?」

「たまたま近くにいただけ」

「でもあれ以来ミッカは人気者になっちゃった」


 燐香は微笑む。

 ミッカは無表情を崩さない。


「あの人達は私を知らない」

「そうだねえ」

「あの人達の場所には入れない」

「イノシシのときは入ってきたのに?」

「許可があった」

「誰の?」

「あの場所の。普段は許可されない」


 ふうん、と返す燐香。彼女には分からないことをミッカはよく言う。ミッカが言うのだからそうなのだ、と燐香は承知していた。

 そのミッカが言う。


「あの人達の好きなものに、私は興味がない。私の好きなものに、あの人達は興味がない」

「私とは遊んでくれるのに?」

「確かに」

「ミッカは理由がなくても遊んでくれるよ」

「確かに。深い理由もなくあの人達と遊ぶかもしれない」

「……それは、やだなぁ」


 燐香はミッカの腕をぎゅっと強く抱き寄せる。燐香より4cm低い160cmのミッカへ、全霊の真心を込めて告げた。


「私はミッカのものだよ」


 夕暮れの町並み。海に近い坂道で、2人は赤信号に捕まる。

 足を止める燐香とミッカ。


「あなたを助けたことに、大した理由はない」


 ミッカは燐香を見ずに言う。


「うん」

「大したことをしていない。だから大した考えをしないでいい」

「……最近似たようなこと言う子と会ったよ」


 さらに強く、燐香がミッカの細い腕を抱きしめる。


「その子にね、助けられたの。ミッカ以外に私を助けてくれる子なんて、初めてだった」


 燐香は小さく笑む。僅かに俯き、目を伏せ、


「嬉しかった」


 信号が青になる。

 2人は動かない。


「なのに」


 燐香は目線を落とす。視界にはアスファルトの地面と、燐香の影。自分の影へ、燐香は言う。


「なのにその子から逃げちゃった」


 燐香はミッカの腕をさらに強く抱く。震えながら。苦い寒さが胸の奥を襲う。目頭が熱い。


「あの子は、私を助けてくれたのに……」


 影を、音もなく雫が濡らす。

 涙をこぼす燐香。

 その頭を、ミッカがそっと撫でた。


「私は恐怖を知らない」


 白い手が燐香をさする。平板で情感の薄い声とは裏腹の、ひどく優しい手つき。


「だからあなたが怖がっていても、私には何も出来ない」


 ミッカはくい、と燐香の顎をつまみ、顔を上げさせる。

 黒い瞳が燐香の茶色の瞳を見詰めた。近い。息さえかかる距離。

 夜の輝きを結晶にしたような双眸に、燐香は鼓動を強くする。


「何が必要?」

「え?」

「あなたが何を必要としてても、私があなたに与えられるものはひとつしかない」


 銀の鈴のような声で、ミッカは言う。


「だからそれ以外をあなたが必要とするなら、私には何も出来ない。けれどあなたが私からのものを欲するなら、私はあなたにいくらでも注ぎ込める」


 回りくどいミッカの言葉。

 それに燐香は微笑んで返す。


「……励ましてくれてるの?」

「あなたに対して、私は大したことは出来ない」

「私がして欲しいことを、燐香はしてくれてる」

「今、何をして欲しい?」

「許して欲しい」


 燐香はミッカの腕を放し、躊躇うこと無くその場に跪く。数人の通行人が彼女らを好奇の目で見るが、燐香は構わなかった。笑みを消した真剣な眼差しで、ミッカへこいねがう。


「私を待っててくれたミッカを置いて、あの子のところに行くことを、許して欲しいの」

「やっぱり大したことじゃない」


 変わらず抑揚の薄い声で、ミッカは応えた。


「私はしたいようにした。あなたもしたいようにすればいい」


 そしてそっと、ミッカは燐香の頬を撫でる。


「あなたに分け与えた同居人は私のものほど強くない。そのことを忘れないように」

「ありがとう、ミッカ」


 燐香は立ち上がり、ミッカの華奢な体を抱きしめる。強く強く。

 柔らかく、それでいて折れそうに細い体へどれだけ力を込めても、ミッカは平然と受け止める。イノシシの突進ですら彼女にはそよ風以下だった。だから燐香は思いの全てを力にすることが出来た。

 抱きつく燐香の耳元へ、ミッカは言う。


「燐香」

「なに?」

「鍵があれば、どこからでも行ける」

「え?」


 唐突な言葉に燐香は体を若干離し、ミッカを見つめる。

 ミッカは道路脇にある、シャッターの降りた廃屋を指さした。


「あなたの部屋に戻る必要はない。あなたは鍵を持っている」

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