中原瑞希
その女の子はずっと、ずっと、走ってきた。
幼稚園の時分から。
『瑞希ちゃんは、とっても足が速いね!
小学生の時分から。
『100メートルの新記録です!
中学生になっても。
『是非とも瑞希さんを我が校で世話させてください!
だから高校生になっても。
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ハッ、ハッ、ハッ
走る。走る。走る。
部活動の時間が終わっても、瑞希は寮に帰ることなく月明かりの下を走り続けていた。
当然のことながらコーチは瑞希が居残っていることを知らない。
むしろ知っていたのなら強く叱りつけていたことだろう。
オーバートレーニングだと。
体を休ませろと。
コーチは口を酸っぱくして言い聞かせていたのだ。
けれども瑞希は耳を貸さなかった。
どうして? こんなはずない!
ひどく焦っていたのだ。
高校生になると瑞希の成績は伸び悩んだ。
入学した時には格下だと侮っていた連中に追いつかれ、ライバルだと張り合っていた相手には慰められるようにすらなっていた。
こんなの、あたしじゃない!
それが瑞希の思いだった。
1番じゃない自分が許せなかったのだ。
だから走った。
走り過ぎてしまった。
バン! と音がした気がした。
ドン! とふくらはぎの辺りを強く叩かれた気がした。
瑞希は転んだ。
勢いのままに地面を転げた。
アキレス腱の断裂。
それが瑞希を襲った衝撃の正体だった。
しかし瑞希はそうと気が付かなかった。
違う。
目を逸らした。気づかない振りをしたのだ。
だって痛みがほとんどしなかったから。
気のせいだと思うことにしたのだ。
その日、瑞希は寮に帰った。
次の日から、瑞希は普通に部活動をしてしまった。
間の悪いことに選手の体調を観察すべきコーチが所用で1週間を留守にしてしまっていた。
だから気づいた時には。
手遅れだったのだ。
自宅のベッドに寝て、瑞希は日がな天井を眺めていた。
時間だけが、ただただ流れる。
手術は成功した。
けれど断裂を放置したことと運動したことが祟って、瑞希はもう元のようには走れないと医師に宣告されてしまっていた。
ギプスで固められた右足をジッと見る。
どうしたってコレが自分に起きたことだとは思えなかった。
寝て。
起きて。
夢だったんじゃないかと期待して、ギプスを見ては落胆して。
再び瑞希は現実を否定して眠るのだ。
薄い眠りから瑞希は目を覚ました。
窓の向こうからは子供たちのにぎやかな声がしている。
下校時間なのだろう。
ふっ、とサイドテーブルに目をやれば、昼食とスマホが置いてあった。
用意されている昼食はまだほのかに温かい。
パートで働きに出ているママがわざわざ帰宅して拵えてくれたに違いない。
けど。
その気遣いがどうしようもなく瑞希を苛ただせるのだ。
それにスマホも。
見たくもなかった。
きっと、みんなから心配の連絡が来ているに違いないのだ。
そんなの! 惨めだもの!
瑞希は再び眠ろうと目を閉じた。
眠ってしまえば。
夢の中なら。
思うように走れるから。
そんなときだ。
『なぁ、知ってるか? なんでも、ひとつだけ願いの叶う方法
窓の外から
『知ってる! 願いをかなえたい、て検索するとサイトがでてくるんだろ
あまりにもハッキリと
『それ嘘だよ。検索したけどそんなの出てこなかったもん
聞こえたのだ。
何気ない会話。
他愛無い都市伝説。
だけど瑞希は気づけばスマホに手を伸ばしていた。
電源を入れる。
何日。いいや、何週間も放置されていたスマホはあっけないほどに電源が入った。
ママが充電していたんだろう。
瑞希は検索した。
そうして…。
あった。ほんとに。
検索しただけなのだ。
なのに検索結果はでてこずに、そのままサイトへと飛ばされていた。
真っ暗な。真っ黒の。
画面だった。
そこに文章と入力項目だけがあった。
~~~~~~~~~~~~~
以下にあなたの大切なものを順に3つ入力してください
1)
2)
3)
1と引き換えにあなたの願いを叶えます。
または
2と3の両方と引き換えにあなたの願いを叶えます。
ただし
過ぎたる願いにはご注意を
~~~~~~~~~~~~~
瑞希はしばらく考えてから入力をした。
1)走ること
2)家族
3)友達
と。
そう入力したとたんにサイトは自動的に閉じた。
まるで『うけたまわった』とでも言うように。
真っ暗で。真っ黒な。
画面は閉じて、ただ検索結果だけが表示されていた。
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・
やがて夜中。
やってきた丑三つ時。
瑞希は目を開いた。
そこに居た。
たたずんでいた。
闇を凝らしたみたいに深い色をした何かが。
だが瑞希に恐れる気持ちはわかなかった。
太陽が昇れば朝になるように。
コップを落とせば割れるように。
自然と。
これは
自分が
呼んだのだ
と。理解できたのだ。
だから瑞希は願いを口にした。
「あたしの体を元に戻して! 怪我する前に戻して!」
だから瑞希は引き換えにする大切なものを口にしなければならなかった。
「その代わりに、あたしは」