9話 朽木編7 虚構と憂鬱のリアリティ
二日目
誰かに呼ばれたような気がして、僕は目を覚ました。
すぐ隣には僕の顔を覗き込む春芽がいた。
一瞬「これは夢なのか?」と思った。現実なら春芽が自分を起こしに来ることはないに決まっている。だがすぐに昨日起こったことを思い出し、見慣れない天井がそこにあるわけも、ようやく頭が理解した。
「朽木君、おはよ。今二時過ぎなんだけど、起きれる? みんなでお昼ご飯を食べようかって言ってるんだけど」
言われてみればカーテンの隙間から溢れんばかりに光が漏れている。ここに来て初めての陽の光だった。
「おはよう、ありがと。すぐに行くよ」と答えると、「待ってるね」と春芽は部屋を出て行った。なんだか少し気だるい身体を持ち上げ、布団から抜け出す。寝過ぎだろうか。
カーテンを開け、外の景色を眺める。何の変哲もない住宅街が広がっているのに、そのことにどうしようもなく違和感を覚えた。
ボタンを押せば綺麗になるのだからする必要もないが、いちおう顔を洗おうと洗面所に向かう。見ると玄関の戸が元通りになり、床に散らばった破片なども綺麗になくなっていた。いつの間に片づけたのだろう。いや、自動で修復されたのだろうか。疑問を抱きながらリビングへ向かうと、自分以外の五人はすでに席に着いていた。
「お風呂、入る? 私たち何人か入ったんだけど」
「ううん。リフレッシュ機能使ったし」
春芽が入った後のお風呂に入るなんて。というか、「お風呂、入る?」なんて。
……もう、死んでもいいのかもしれない。
もちろんそんなことを考えているとは微塵も思われないよう、僕はそっと目をそらした。
「そっか。なんとなく、クセで入ったんだけど、別にそうだよね。リフレッシュ機能で十分だよね」
春芽の声を聞きながら、空いている席につく。
テーブルには、ご飯とみそ汁と、チンジャオロースが並べられていた。話を聞くと、どうやら女性陣三人でつくったらしい。春芽の手作りの料理が食べられるなんて、やはりこれは夢だろう。というか、春芽と向かい合って同じものを食べられるなんて、夢でさえありえないだろう。
味のしっかりついた肉やピーマンが口の中に広がり、ご飯が進んだ。楽しく会話があるわけではなかったが、僕にとっては堪らなく幸福な食卓だった。
「まだ肩痛む? あんまりおいしくない?」
さきほどからあまり箸が進んでいなかった王様に、春芽が優しく声をかけた。少しだけ間をおいて彼は箸をテーブルにたたきつけるように置いた。バシンッ、という大きな音がして、僕らは皆一様に体を硬くした。
「なあ、なんでお前らはフツーにメシが食えるんだよ」
彼はぎろりと視線を持ち上げ、なめるように全員を見回した。
「危うく死ぬところだったんだぞ。これは殺し合いなんだぞ。わかってんのかよっ」
――急にどうした。寝ぼけてるのか、こいつは。
五人はあからさまにそういう顔をした。
僕は幸せな気分だったところに水を差され、思わず「死ねばよかったのに」と言いそうになった。
「そうだね、朽木君がいなけりゃ間違いなくあんたは死んでたよ。だから生きてることに感謝して、とりあえず今はご飯食べなよ」
高坂の眼には、言う事を聞かない子どもをなだめるような、優しさと憐れみが映っていた。
「なんだよ。偉そうに。お前だって何もできなかったんだろ」
「そうだよ、だからちゃんと反省して説明書読んで、クオリアシステムの練習をしてたんじゃないか」
高坂の啖呵は耳に心地よかった。もっとやれと思っていたら、続けて、
「だいたい、あんたは疲れたから寝るって言ってさっさと一人だけいなくなったじゃないか。それでのこのこ部屋から出てきて敵に殺されかけて、助けてもらっても礼の一つもなしに文句ばっかり言って。あんたいい加減にしなさいよ」
と年頃の少女らしく、声をあらげて怒った。
「そんなんなら、国王やめたほうがいいんじゃない?」
「ああ、やめてやる。国王なんか敵から狙われるばっかりでいいことなんか、なにもねえ」
そんなことはない、と僕は思った。国王にはたくさんの特権がある。けれど、それはもちろん説明書を読まねばわからないことだった。
「待ってよ。まだ始まったばっかりだよ。そんなに早く決めることもないよ」
ずっとおろおろしていただけのもう一人の男子生徒が口を開いた。
「いや、オレはもうやだ。国王なんかやめる」
僕の人生で一番幸せな食卓は、駄々をこねる高校生によってあっという間に台無しにされてしまった。いっそ刀で喉を斬り裂いてやろうかとも思ったが、そうもいかない。
さてどうしたものかと箸を持った手を見つめていると、春芽がおもむろに口を開いた。
「高坂さん、田口君の言う通りまだ決めるのは早いよ。誰だっていきなりこんなことになって殺されかけたら怖くなるよ。中川君も、みんなで助け合わないと本当に誰かが死んじゃうから、大変だろうけどみんなで頑張ろうよ」
春芽は優しく、言い聞かせるようにそう言った。
天使のような彼女の笑顔に、さすがの中川君も態度を改める気になったらしく、もう何も言わなかった。「ともかく、ご飯の時に、喧嘩はやめよ。ね」という春芽の言葉で、この話は若干のわだかまりを残しながらも、無事締めくくられた。
その後、僕と田口で食器を片づけて、もう一度リビングでこれからのことについて話し合おうということになった。
議題は、次に敵が攻めてきたときにどうするか、だった。
そこそこ具体的で優先順位の高いテーマではあったが、けっきょく、二時間経っても具体的な解決策は何も出ないまま、中川の「待っていれば警察が助けに来るんじゃないか」という明後日の方向に全力投球で問題を投げ捨てる意見をもって、話し合いはお開きとなった。
テーマ設定自体は悪くなかったのに、話が進まない理由というのは一概には言えないが、今回に限って言えば、つまるところ誰も具体的で建設的な解決策など持っておらず、たとえ少しでも思いついたことがあっても、この状況ではその発言にさえ責任を求められかねず、安易に意見を述べることはできなかったためだと言うことができるだろう。
僕は部屋に戻り、椅子に腰かけて机に向かった。部屋には勉強机のほかにペンと紙も一式用意されていた。僕はそれらを使い、一つ一つ今の状況の問題点を書き出してみることにした。
先ほどの話し合いの際、「みんなの指輪のランクを確認し合ったほうがいいんじゃないか」という田口の提案で、腕時計の機能の一つ、リングサーチ機能を使った。リングサーチ機能は、「リングサーチ開始」の掛け声で視界に入っている人間の指に嵌った指輪の、名前とランクがわかるというものだ。
指輪もそうだが腕時計も同様に、僕らの生きていた世界では考えられないほどの高い技術を備えているようだった。音声でほぼすべての機能を使うことができ、自分の指を動かす必要はほとんどない。それに、視覚的な情報が中心となって情報のアウトプットがされ、瞬時に知りたいことを知ることができる。これだけの技術を持っている黒幕はいったいどのような組織なのだろう。
多少考えてはみたが、僕のリアリスティックでネガティブな、想像力に乏しい頭では特に何も思いつかない。いったんその問題は忘れ、ともかく今はこの与えられた武器を上手く使う方法を考えることにした。
ランクは田口がC、中川がC。春芽がD、高坂がB。無口な女子生徒もBランクだった。
そして僕の指輪も、Bランクということになっている。昨日、敵からとっさに指輪を盗み、自分のSランクの指輪は外してポケットに入れて置いたのが幸いした。これでリングサーチ機能にひっかかることはない。だが、問題はその先だった。
はたして現状の戦力でどこまでやれるか、ということだ。
昨日の戦いでBランク以下の指輪では到底Sランクの指輪には到底かなわないことがわかっている。現状、僕らの国はAランク以上の指輪が無いことになっており、圧倒的に不利な状況だ。
おまけに武器だけではなく、それを使う兵士にだって問題がある。うちの国はただでさえ人数が少ないのに、半数は女子だ。
見た目以上に、高校生の男子と女子は筋力に差がある。女子は女子というだけでかなり戦力ダウンだ。こればっかりは生物学的差なのだから仕方ないが、男性陣もまともに戦えそうにないから困ったものだ。
中川はまだ右肩が痛むらしく、戦闘には参加できそうにないと先ほど、言い訳にもならない言い訳を大きな声で言っていた。半分は仮病かもしれないが、本人に戦う意志がない以上どちらでも同じことだ。田口も気が弱そうで、人と殺し合いができるようには見えない。とうの自分も、昨日は指輪の力で何とかなっただけで、万年帰宅部で運動能力は決して高い方ではない。せいぜい平均値程度だ。
他国との戦力差は一目瞭然。このままではどうしようもない。
今さらになって、司会のふざけた男が言っていたことを思い出した。
「君たちに残されたものは、クオリアシステムと、今まで培ってきた人間関係だけ」
「自分の命を預けるに値する相手かよく見極めろ」
僕は自分の持っているもの少なさを正確に見つめなおすべく、持ち前のペシミスティックな思考回路を全力で稼働させた。
――クオリアシステムの全容はまだわからないが、指輪はSランクという最強のものを手に入れることができた。しかし、友人はほぼゼロに近い。顔見知りは多少いるが、命がけの状況で手を貸してくれるほど仲の良い奴は一人もいない。そして、同じ国の仲間たちはあまり強くない。それどころか団結さえしていない。
ため息が出そうになった。
――この国のメンバーで生き残る希望は、僕の持っている指輪くらい。これはもう、春芽と一緒にどこか他の国に行ったほうがいいのかもしれない。
僕の思考回路はきっと今、ブラック企業に勤めて疲れ果て転職を考えるサラリーマンと近しいものになっているだろう。
このままこの国にいれば、遅かれ早かれ、命の危険が迫ってくる。誰も頼りにはできない。しかしそうなったとき、自分の命と引き換えにでも守りたいと思う人がこの国にはいる。
だからきっとこの指輪の存在を隠し通すことはできないだろう。
きっとこの指輪を使わなければならないときが来てしまう。そして、いつかは誰かに奪われる。それが自分が死ぬ前か、それとも後かはわからないが、このままでは必ず奪われる。
自分が与えられた指輪は群を抜いて優れたものだが、それは自分から切り離すことのできない才能のようなものではなく、他人に譲渡できるただの装飾品なのだ。僕自身が持っていなければならない理由はない。もっと優れた使い手に渡した方が、その力を発揮するのだ。「鬼に金棒」を実現すべく、ゆくゆくは強い指輪の奪い合いになることは目に見えている。
――さっさと他の、強そうな国に入れてもらおう。なるべく早い方がいい。尻尾を振って相手の要求を丸ごと受け入れる形でも、守ってもらうべきだ。
僕は自分の考えをそうまとめた。
命以上に大切だと思えないのなら、プライドなんて邪魔にしかならない。
それが大して長くもないが短くもない、十七年という人生の中で学んだ、賢い生き方というものだった。