7話 東雲編1 希望と幻想のディストピア
二日目
――フフ、簡単なものね。あいつら、これが殺し合いだって、てんでわかってなかった。
私は口の端から笑みがこぼれ落ちるのを堪えることができなかった。
赤縁の細い眼鏡をくいっと持ち上げてかけなおし、朝焼けに染まる街を眺める。
たまらなく愉快な心地になって、また右手をスカートのポケットに突っ込んでしまう。中のものを指先で触っていると、カチャリカチャリという無機質な音が早朝の静かな空気を伝って私の耳に届いた。
ポケットには五個の輝く指輪が入っていた。ついさきほど、たった一人で敵国に攻め入り国王を殺してきた。五個の指輪は、その戦利品だった。
今から一時間ほど前、明け方四時ごろのこと。私はガスマスクを着け、ターゲットの国が領土としているマンションの、裏手にいた。東の空は少し白くなり始めていたが、まだあたりは暗い。狙い通りならば、ちょうど見張りの奴らも気が緩んでくる頃合いのはずだった。
私が仲間を一人も呼ばず、たった一人でこの国を襲おうと思ったのには二つ、理由がある。一つは、一人の方が隠密行動がしやすいと思ったからだ。
領土内に敵が一歩でも踏み入れば、「敵対勢力侵入情報」が腕時計に届く。警告音はそれほど大きくはならしく、眠っている人間を起こすほどの効果はないかもしれないが、起きている人間には百パーセント侵入が知られてしまう。だからこそ、最初にこの通知が来てから、敵に姿を発見されるまでの迅速さが鍵となる。大勢での行動は逆効果だと考えたのだ。
そしてもう一つの理由は、私一人でもこの国を落とすには十分だと思ったからだ。
どの国がどこを領土にしているかと、国民の人数、それに国王の名前と顔は、腕時計で簡単に調べることができる。どうやらこれは基本情報として全員に公開されている。私はそれを見て、どの国が最も攻めやすいか、昼のうちに作戦を練っていた。
ここの国王の三組の真中という奴は、美術部の部長で、あまり気が強い奴ではないことを仲間から聞いていた。そしてその情報から、こんな推測を立てた。
部長とはいえ、美術部。おまけに気が弱い。そんなやつが国王をやっているのなら、おそらくこの国は美術部か、それに近い文科系の部活の奴が多く、運動音痴の人間が多い。つまり全員、戦闘が苦手なはずだ、と。
私はすぐに行動を起こした。私には野望があり、一刻も早く指輪を集め、敵国を一つでも多く滅ぼす必要があったのだ。
マンションのまわりを覆うフェンスを、指輪から創り出した剣で壊した。脱出しやすいように少し大きめに穴をあけ、そこから庭へ入り込む。こんなにも侵入しやすい場所だというのに見張りは一人もいなかった。人を殺そうとしている奴がわざわざ玄関から入って来てくれるとでも思ってるのかと、私は敵の愚かさに感謝を通り越して憤りを感じた。
剣をぶんぶん振り回しながら、ずかずかとマンション内部を進む。
クオリアシステムによって生み出された剣は片手で振るうこともできなくはないが、両手で使うとちょうどいいくらいのサイズで、装飾も細かく、なかなか気に入っていた。
説明書きによると、これはフランベルジェというフランスの剣らしい。ギザギザとのこぎりのような刃を両側に持つこの剣は、ゴシック調の流れを受けたデザインで、その名前の由来は炎にある。実用的な部分では、波打つ刃は敵の傷口を広げるためにあるそうで、私はこの一風変わった武器に少し愛着を持ち始めていた。
廊下を少し歩くと、見張りと鉢合わせた。その男子生徒は見張りのくせに本当に敵が来るとは夢にも思っていなかったらしく、えらく動揺していた。なんだか口をパクパクさせている。
魚みたいなやつだと思いながら、喉を剣で貫いた。両手で力いっぱい剣を突き出したが、思ったよりも手ごたえはなく、少しつんのめって返り血がかかった。
「きったな」
思わず行儀の悪い言葉が口をつく。妙に暖かい液体が顔にかかり、袖でそれを拭った。
服や顔に飛び散った血にムカついたので、剣でグチャグチャと首をえぐり、頭と胴体をお別れさせることにした。あたりに広がる生臭い匂いがさらに私を不愉快にさせたが、月明かりに照らされ血の滴る剣が輝くさまはなかなかに美しく、満足だった。
こうして私は初めての人殺しを楽しんだあと、死体から指輪を奪い取った。
次にエレベーターで最上階まで上がり、国王の部屋を探してうろうろしているとまた見張りに見つかった。今度は女子生徒だった。彼女は先ほど殺した男子生徒の首を持って歩く私の姿を見るやいなや、その場で崩れ落ち泣き叫んだ。いい威嚇になるかと思って頭部を持ってきていたのだが想像以上の効果だった。泣き崩れる女生徒に情けをかけてやる気は毛頭無く、ともかく敵を起こすとまずいと、さっさと首を刎ねることにした。
指輪を頂戴し、やっぱり邪魔だと思ったので頭は二つともその場においていくことにした。とりあえずしらみつぶしに探していると、最上階の隅の部屋に、王の苗字の「真中」と表札が出ている部屋があった。
扉を破壊するのには多少苦労したが、剣でガシガシ削り、なんとかこじ開けることができた。
そのあとは、ベッドで呑気に寝ている王様の首を刎ねて、それで終了だった。
楽でいいが、いくら何でもつまらなすぎると部屋を漁っていると、不思議なことに王の死体が光に包まれて消えて行った。外に出てみると、その辺に置いておいた女生徒の胴体と二つの首もいつの間にかなくなっている。どうやらそういう設定、というかゲームルールならしい。バーチャルだから効率的なのは当然だが、死体の処理をせずに済むのは楽でいいと思った。
誰もいない街を、私は鼻歌混じりに帰る。車道の真ん中を歩くというのは、中々ない経験だ。どこか遠くで誰かの悲鳴が聞こえてきたが、それさえも愉快に感じられた。
――安全のために目的を果たすとさっさと自分の国の領土に戻ってきたが、これなら国民全員殺して指輪をすべて奪えたかもしれない。
そんなことを考えながら、私は机の上のガスマスクと六つの指輪を眺めていた。
指輪の内訳は、最初に配布された一つと、見張り役の二人と国王から奪ったもの。それに、国王を殺した報酬として腕時計から出てきた二つの計六つだった。
ガスマスクは敵に顔を知られると後々やっかいになるかもしれないと思って購入し、付けていたものだった。
腕時計にはネット通販のようなシステムがインプットされており、電子マネーでカタログから好きなものを買えるらしい。あらかじめ入っていた電子マネーを使い注文すると、最初に指輪が配られたときと同様に、腕時計から光が照射され、ガスマスクが出てきた。
この腕時計は本当に便利なアイテムで、リフレッシュボタンを押せば服や体の汚れをすべて無かったことにできたりと良いことづくめだったが、なんだか逆に、この至れり尽くせりな状況が私はすこし気に入らなかった。
腕時計もそうだが、クオリアシステムとやらも、現在の技術では到底、実現不可能なもののように思われる。たしかクオリアとは自分自身が感じたものとか、主観的体験が伴う質感とか、そういう意味だったはずだが、自分が感じたものを逆に世界に顕在化させるとでもいうのだろうか。
何にせよ、こんな大掛かりな舞台を用意して、殺し合いをしろという主催者の意図が見えない。もっと面白くて、金になる活用法がいくらでもあるはずだった。
「こんなくだらないことに、こんな神業じみた技術を使うなんて」
思わず吐き気が込み上げてきて、それを独り言に変える。私は殺し合いをしなければならないという状況そのものよりも、誰かに踊らされていることのほうが不愉快で仕方なかった。
けれど、今はどうしようもないことなので、早々に考えることをやめた。それよりも、他に考えなければならないことがあった。
腕時計の商品カタログには使えそうなものが色々ある。仮面やマスクなどの、顔を隠す道具は流行るだろう。皆、同級生を殺すのにはためらいがあるはずだ。
「まあ、私にはそんなものはないけどね」
自然と、笑いが零れ落ちる。こんな気持ちになったのはいつ以来だろう。私はなんだか笑ってしまうのがもったいないような気がして、指輪を仕舞い服を着替え、さっさと布団に潜り込んだ。頭から被った布団の中で、私は勝利の余韻に浸りながら、幸福な眠りについた。