51話 田井中編18 運命と偶然のパラドックス4
こちらに繰り出される攻撃を、機械的にさばき続けた。争いを拒否する体にどうにか言うことを聞かせるため、これは単なる作業に過ぎないと言い聞かせる。
突きが来たら、上か下にはじく。
斬りかかってこられたら、柄を引き寄せて受ける。
相手に隙ができたら、足を狙って、刃先をちょこんとぶつけにいく。
ただのパターンマッチングに過ぎなかった。
無味乾燥なやり取りを繰り返していると、脳は次第に余裕を持ち始め、体に良からぬことを伝えだす。
だからオレは、心を殺し、ただの作業に没頭した。
何度目かの敵の攻撃を柄で受けたころ、メシッと音を立てて、薙刀が折れた。細い木のささくれがいくつも飛び出し無惨な姿になったそれは、もう戦えないということを声高に主張する。先ほどまでこらえていた吐き気が一気に襲い掛かってくるようだった。
オレは折れた薙刀を捨て、急いで次の武器を創り出た。口の中に広がる苦酸っぱさを、奥歯で噛み殺し続け、無心で薙刀を振り回す。
劣勢は、誰の目にも明らかだった。
だがそんなことは考えないようにした。
ただ、無心で、目の前の情報を処理し、体を動かし続けた。
すぐ近くで、短い悲鳴がした。どのくらい時間が経っていただろう。遅かれ早かれそうなることはわかっていたのに、闇に沈み込んでいた心はいとも簡単にグラグラと揺れ動かされた。
素早く首を振って、あたりの状況を確認する。加藤が血を流して倒れているのが見えた。
左の、膝のあたりから下が無い。制服のスカートの中に折りたたまれているのではないかと一瞬思ったが、人形のパーツのように生気のない足がすぐそばに落ちていた。
ゾンビ映画でしか観たことがないような、むごたらしい肉の断面図。ペンキみたいにべっとりした赤色の液体。激痛に歪む加藤の表情が、オレの心を真っ黒に焦がした。
「やめろっ」
目の前の敵を薙刀の刃が付いていない方で突き飛ばし、加藤のほうへ走る。
加藤に向けて刀身の長い刀を振り上げた男子生徒に向けて、オレは薙刀を構えた。だが、すぐに目の奥で、青白い閃光が走り、直情的な自分の行動を押しとどめようとする。
加藤が傷つけられ、こんなにもオレの胸が痛むように、彼が死んだら悲しむ人が大勢いるのだと、そう思ってしまうのだ。
オレは武器を捨て、加藤と男子生徒の前に飛び出した。
「もう、たくさんだっ。傷つけあうのはっ」
手の平を天に向けて、両手をばっと広げ、敵を見た。
「殺すのも殺されるのも、もう散々だっ。やめてくれ、どうしてこんなことしなきゃいけないんだ。おかしいだろっ。オレたちは、人間だろっ」
心からの叫びだった。本音で話し合えば、きっと通じ合えるんじゃないかって。みんな同じような葛藤を抱えて生きているんじゃないかって、そう思った。
だが若白髪の目立つその男子生徒は無表情だった。まるで理解できない命令を受けたロボットのように、きょとんとしていた。
「ウケるんだけど。ここでそう言われて、はいわかりましたってなるわけねえだろ」
すっと刃が下りてくる。一瞬だった。
視界の上から下に、黒い線が入って、気づくと首から腰のあたりまで、ぱっくりと斬られていた。
痛みを感じる前に血が吹きこぼれ、視界が揺らぎ、床の上に崩れ落ちる。すぐ近くで加藤がオレの名前を呼んでいるのが聞こえる。
それからようやく、痛みが襲い掛かってきた。
「ほら、どうよ。浅めに斬ったから、まだ意識あるだろ? 簡単に終わっちゃつまんないからな」
うつ伏せになって転がるオレの後頭部に、ねっとりとした声が降りかかってくる。
「女は逃げらんないように足だけ斬るようにしてるんだけど、それじゃやっぱ物足りなくてさ。仕方ないから男をばっさばっさ斬るようにしてたら、加減の仕方も覚えたんだぜ。どのくらい深く斬り込んだら死ぬってな」
彼は雄弁に、愉快で堪らないとばかりに話していた。
人殺しが横行する、モラルの破綻した世界だ。こういうこともあることは薄々わかっていたが、今の今まで実感がなかった。
――そっか。このままじゃみんな、死ぬよりもひどい目にあわされるのか……。
ストンと何かが、胸の中に落ちてきた。
ゆっくりと、床をつかむように指を丸めた。
「ねえ負け犬クン、なんか言ってよ。つまんないなぁ。女助けようとしたくせにうざったい理屈を吹っ掛けてくるっていう、超絶イミフで中途半端なことした罰なんだからさ。まだ死んじゃダメだよ。もいっかいくらい派手に斬らせてよ」
腕を引き寄せ、地面に手をつく。視点がようやく合い始めると、血でべっとりと汚れた床が見えてきた。
「お、ガンバレガンバレ」
彼はぱちぱちと手を叩いた。あたりはどうなっているのだろう。やけにその拍手の音がクリアに聞こえた。
「動いちゃダメ、死んじゃうよ」
らしくない彼女の声が、背中をさすってくれる。腹筋が痛むのを堪えながら、どうにかオレは立ち上がった。
ニタニタと楽しそうに笑う、男子生徒の姿が目に映った。目が細くて、肌が乾燥していて、神経質そうな印象を与える彼が、大きく口を開けて表情を崩し笑っていた。
蛇のような笑顔だと、そう思った。
クオリア発動、とつぶやく。どうにか呼び出した薙刀を地面につけて体重を預け、杖のように使う。相変わらずぼろっちい薙刀だったがないよりはずっとマシだった。
「いまさらやる気になったのかよ、遅すぎだろ。ばっかじゃねえの」
「田井中っ。いいからっ。もういいからっ。逃げてっ」
加藤がズボンの端を引っ張った。それだけでオレはなぜか、幸せな気分になったが、いま転んだらもう二度と立ち上がれなさそうだから、いまだけはそういうことをするのはやめてほしいと思った。
「逃げる? なんで?」
「無理だよ、もう。田井中だけでも……」
「最初から、わかってたよ。無理なことは」
薙刀を地面から離し、端の方をもって振りかぶる。
ゆっくりと振り下ろした薙刀は、彼の長い刀の一振りですぐに壊された。
「よっえええええ」
笑い声がそこらじゅうから沸き起こり、ビルの内部に響く。見ると、仲間も敵も、戦闘を止めていた。どうやらオレの命運を見届けようとしているらしい。けらけらと笑う敵たちとは対照的に、仲間たちの顔はどれも、恐怖と絶望に染め上げられている。
今はもう、後悔しかなかった。こんなことなら、もっと力をつけておくべきだったと。こんなことなら、やっぱり早く死んでおくんだったと。この先に待つ未来に対して、謝罪と悔しさしか湧いてこなかった。
「もう終わりでいっか、そろそろ死ねよ」
彼はそう言い、太刀をすっと構えた。
ひどい最期だと思ったが、お似合いの最期だとも思った。
「いや、お前がな」
突如、誰かの声がした。直後、敵の背後にとびかかる、誰かの姿が見えた。
大きく刀を振りかぶり、鬼の形相をしたその人物は、坂下だった。
空間さえも断ち切るような鋭い一振りが浴びせられ、血が飛び散り服や顔にかかる。気分の悪さに思わずよろめき転びそうになると、別の誰かがオレの腕を掴んだ。
「大丈夫か?」
そう言うのは、山中だった。強い力で掴んで支えてくれている。オレはふっと力を抜いて、倒れこんでしまいたくなったが、安心するのは早かった。
坂下の不意打ちはきまったものの敵はまだ立っている。それに、他の敵もまだ大勢いるのだ。
「どうして?」
絶対に間に合わないと思っていた。加藤の救援要請からどのくらい時間が経ったか正確にはわからないが、どう考えても早すぎた。
「チャリで帰ってきた。俺たち二人だけ。感謝しろよ。肺が破れそうだぜ」
言われてみれば、二人ともぜえぜえと肩を上下させている。
「間に合ってよかった。走り込みの成果だな」
坂下は敵を射殺さんとばかりに睨みつけたまま、怖い顔でそう言った。
「そうだな、監督に感謝しろよ、田井中」
山中は軽口を叩いたが、目は笑っていなかった。みんなを安心させようとして、怒りを隠しているのだろう。
「全員、這ってでも奥に行け。あぶねーぞ」と坂下が言うと、
「無駄だよ、どうせ全員死ぬんだから」と背中を斬られた敵が下品に笑った。
傷は浅くはないはずなのに、彼はさっきよりも元気そうに笑っていた。
「お前らこそ、生きてここから帰れると思うなよ」
坂下はそう言うと、すぐさま敵に向かっていった。
二人が次々と敵を殺していくのを、オレは虚ろな目で見つめた。
坂下と山中のおかげで、戦況はひっくり返った。二人が時間を稼いでくれている間に前線の仲間たちが続々と戻ってきて、圧倒的戦力で群がる敵はすべて排除された。
戦いのあと、この国に仲間を見捨てるような奴はいないと、二人は笑った。オレはありがとうと繰り返しながらも、愛想笑いを浮かべることすらできなかった。
ターゲットの国は次の日の夜遅く無事倒すことができ、オレたちはノルマをクリアした。そしてこの大きな戦争はそのさらに翌日、終焉を迎えた。敵国の王たちはほとんど全員殺され、東雲は行方不明らしいが仲間はほとんど死に、もう何もできないだろうとのことだ。
たくさんの人が命を落としたはずなのにその亡骸はすべて光に包まれて、戦いの後の街には血の染みだけが残っていた。だがその黒い染みも、夜十二時のリセットで、綺麗に洗い流された。
十四日目の会談に端を発し、十八日目までの五日間続いたこの戦いは、「第一次大規模戦闘」という名前で腕時計のデータベースに戦闘の経緯が掲載されていた。東雲が王たちを呼び出し襲撃した事件は「十四日目の会談」という名前になっていた。
――仲間のおかげで、また命拾いした。加藤も片足を失ったが命は助かった。だから、何も問題ないじゃないか。
オレは何度も自分に言い聞かせた。よかったじゃないか、と。
だが第一次という誰が決めたのかもわからない呼び名がオレの心にどんよりと厚い雲をかけた。そして車椅子に座った加藤を見るたびに、その暗雲はより黒くなってざあざあと雨を降らせた。
答えがほしかった。誰かに聞いてほしかった。雲をかき消して、自分を照らしてくれる月の光がほしかった。
けれど、エレベーターのないこのビルの屋上に、加藤が昇ってくることはなかった。
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ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
ついに50話を超えました。
1話が短いとはいえ、よくここまで書けたなと自分でも思います。
また、こんな長いお話を読んでくださる方がいることに感謝の気持ちでいっぱいです。
最近、どうやったらよりたくさんの方にお読みいただけるのかなと思い、
色々ネットサーフィンをして、色々作戦を練っているのですが、
ふと考え込んでしまうことがあります。
一般論として、プロとアマチュアの差、というか
「仕事と趣味の差は何か?」と問われると、
お金を払うお客がいるかいないか、誰かのためか自分のためか、
というのが真っ先にあがるかと思います。
しかし小説の話となると、小説のプロの方々は、
いったいどのくらい読者のことを考えて小説を書いているんだろうと、
不思議な気持ちになります。
「ピカソは画商の好みにあわせて画風を変え、市場に受け入れられたけれど、
ゴッホは時代とあわず、死んでから評価された」
というような切り口の話がありますし、
自己表現と他者評価はまた別物と言ってしまえばそれだけなのかもしれませんが、
書きたいものを好きに書いて、
それをなるべくたくさんの人に読んでもらって、
ちょっとでも面白いと思ってもらえたらいいなと、
欲張りだとわかっていても、そう思わずにはいられない今日この頃です。
今後ともお読みいただけましたら、とても幸せです。
よろしくお願い致します。




