23話 東雲編7 因果と応報のファンタズム2
この世界に来てから、七日目の昼下がり。
私は彼女を自室に招いた。
わざわざ腕時計で買っておいた紅茶とお菓子を出し、狭い部屋でも彼女をもてなそうという意志を見せる。
「ねえ、弱い奴を切り捨てるやつと手を組みたくないって言うけどさ。岡島の国と戦ったら、それこそ弱い人が死んじゃうでしょ」
「うん」
彼女はチョコレートをもぐもぐ食べながら、小さく頷いた。
「だからさ、ここはいったん向こうの要求を飲まない? 毒を食らわば皿までって言うかさ。大義の為には、多少のことには目をつむらないといけないって思うんだ」
「うーん、東雲さんの言いたいことはわかるんだけど、まだ早くない?」
「え?」
彼女はまっすぐに、私を見つめ、静かに言った。
「もう少し、理想を追っかけられると思うんだよ。まだあきらめるには早いって言うかさ」
彼女はわざとか無意識にかわからないが、私の語尾を真似て言った。
――自分から私の国との合併を求めてきておいて、よくもそんなことが言えるな。
すぐそこまで出かかった罵声を押しとどめるのに、そのときの私は精いっぱいだった。
「大丈夫だよ、東雲さんなら。ぜったい大丈夫。それに、私がついているからね」
彼女はぽんと私の肩を叩いて、私の部屋から出ていった。
残された私はしばらくそこから動けなかった。
テーブルをひっくり返すとか、甘いものをやけ食いするとか、そういう無駄なことはしない。ただ、心の奥底でじっくりと怒りを煮詰めた。
トップ同士の会議の場所として選んだのは、私の部屋だった。あえてパーソナルスペースの中へ招くことで彼女の信頼を勝ち得ることができるとともに、心理的優位を保てると思っていたのだ。だがそのせいで、私の心は必要以上に弛緩し、自分の想い通りにことを運ぶこと以外特に何も考えていない我儘モンスターと戦う緊張感が足りていなかった。
私は彼女の本性を見誤っていたようだ。彼女は話し合いの通じない、本物の阿保だった。
様々な損得を考えた結果、岡島の提案に対し私は国王として、丁重にお断りをするという決断をした。せっかくのお申し出ですが今回は受け入れられません。お互いの人数がまた減ったりしたら、相談させてください。でも、同盟という形で仲良くできませんか? と。
折衷案をとったり、河合たちに気を遣ったりしたわけではない。落としどころを探るふりをしながらも一度そこに球を放ってしまえば、状況が動いてしまえば、あとはこっちで好きに舵取りができるだろうと思ったのだ。
だがそこで、彼らが面白い返事を返してきた。
「できれば、そちらの国を滅ぼしたくはない。十五人全員迎え入れるから、合併しろ」と。
これには仏頂面が張りついている私も、少々笑ってしまった。
「言うことを聞かないなら殺す」と言うのならまだしも、「口減らしをするからなんとか仲間になってほしい」とは。どうしても仲間にしたい人間がいたりするのだろうか。まあたとえそうだとしても、この行き当たりばったりの態度は交渉において最悪だ。
二倍以上の人数を誇る敵との正面衝突はまだ避けたいところだったが、事ここに至っては、国民みんなの意見もとい河合の意見と、私の損得勘定は一致した。
――あんな頭の悪い国とは、一緒にやれない。いっそこっちからぶっ飛ばしに行って、丸のみにしてやろう。
先手必勝ということで、私たちは作戦を練った。
岡島たちはスーパーマーケットの真向かいにあり、裏には小さな川の流れる、七階建てのマンションを根城にしている。領土とするその建物のサイズによって、家賃を払わなければならないというルールがあるのにもかかわらず、ずいぶん羽振りのいいことだ。
私たちは人数が増えてから、仕方なく住宅街の中にある二階建ての小さなアパート二つを領土としていたが、それでも財政状況はなかなか厳しかった。彼らはいかに金を蓄えているのだろう。
ともあれ、人数も財力もあるそんな集団に、正面切って戦っても勝ち目はない。
こちらの持つ強みと、与えられたフィールド。それに、敵の弱点。すべてを勘案し、作戦を立てた。
まず肝になるのは、いかに頭数の差を埋めるか、ということだ。単純計算では、こちらの国は一人あたり三人を相手にしなくてはならない。そこで、スーパーマーケットを使い、敵をこちらの土俵に引きずり込むことにする。
敵の領土の向かいにあるスーパーマーケットは、二階にはドラッグストアとクリーニングが入ったいたって普通のつくりだった。マップで確認したところ出入口は表に二つで、裏手には従業員用の搬入口やゴミ捨て場がある。今回の作戦は、この裏口から主力部隊が秘密裏にスーパー内に侵入し、中で罠を張ったり、物陰に隠れるなどしておくところから始める予定だ。
敵を迎え撃つ準備が整い次第、囮役の数人が、大通りから敵地へ向かい、「東雲の国から亡命してきた。自分を仲間にしてほしい」と伝え、敵を外に呼び出す。
恐らく、数人が様子を見ようとのこのこ出てくるはずなので、そいつらをだまし討ちにして一気に仕留め、開戦の狼煙を上げる。
囮役は敵の応援がマンションからぞろぞろ出て来る前の、ほどほどのタイミングを見計らってスーパーに逃げ込む。敵がスーパーの中に誘い込まれたところを、こちらの全勢力で一気に返り討ちにすればミッションコンプリートだ。
最後が少し不安が残るところだが、スーパーの出入り口は狭く、敵は一度にたくさんは入ってこられないだろうし、向こうはこちらが囮役の数人だけかと思って、軽い兎狩りの気持ちで追いかけてくるはずだ。実は自分たちがライオンの檻の中に誘い込まれた兎だったという状況なので、これなら確実に不意を突けるだろう。
ここからは仲間には伝えていないが、たとえこちらが大敗を喫したとしても、それはそれでよかった。囮役にする予定の河合や松森たちを敵の手で排除してもらえれば、あとはもう私の思い通りだ。改めて向こうの合併話を受け入れるということも考えればいい。我ながらどう転んでも隙の無い作戦だ。
しかし、またあいつだった。
河合は練りに練った私の作戦に横槍を入れた。
――囮役が危険すぎる。敵が罠だと気付いて、すぐに大人数で襲い掛かってくるかもしれないし、スーパーに逃げ込む前に殺される可能性も十分ある。
そう主張したのだ。
おまけに、彼女はこんなことまで言い出した。
「ウチと、東雲さんが囮役をやろう」と。
「女二人だったら向こうも油断するだろうしさ」。
彼女は喋りながら、考えをまとめていたらしい。目がぐっと動きを止め、焦点が合っていなかったのをよく覚えている。
「国王の東雲さんが直々に出向いて、仲間たちは、あなたたちの仲間にならないって言うから見捨ててきた。私たちだけ、仲間に入れてほしい、とかさ。うちの国の良い指輪はぜんぶ盗んできた、とか言ったら説得力があるじゃん」。
確かに、彼女の自信満々の口ぶりと流暢な話し方には、説得力があった。だが、なぜ私がそんな危険な役を買って出なければならないのかについて納得のいく説明は一切されなかった。
「ウチが絶対東雲さんのこと守りきるし、東雲さんならうまくスーパーの中に誘導できると思うんだよね、頭めっちゃいいし」。
最後にきちんと相手を立てる。相手の考えをより洗練させているように見せかけて、自分の意見を押し通す。これを素でやっているのだとしたら、危険すぎる相手だった。
即座に、誰もが彼女の意見に賛同した。
そして、私の細部まで綿密に計画を立てたがる思考回路は、彼女が滔々と語る思いつきに追いつくことができなかった。自分が作戦を立案した手前、私も無下に否定することはできない。彼女が指摘したのはあくまで作戦の延長線上の、誰がそれをやるかという部分だけなのだから、私の策を否定したわけではないのだ。
話は決まりだった。話は、決まってしまった。
私の緻密な計算を、ノリと勢いだけで完膚なきまでに破壊する存在。
この時点で、私は彼女への対応を早急に考えるべきだった。彼女との適切な距離を考えるべきだった。
しかし、後悔をしても今更だ。
私が、確実に彼女を殺さなければならないと決意したのは、今日の戦闘でのことだった。




