21話 田井中編6 欺瞞と傲慢のメメントス4
戦争に勝利したものの、その日は祝杯というわけにはいかなかった。誰もが失ったものの大きさを噛み締めていた。
今回の戦いで死んだ仲間は十五人にも上るという。朝には三十七人いたのに、夜には二十二人になったというのだ。
――おかしな話だ。ずいぶんと、おかしな話だ。
――どうしてたった一日でこんなにもたくさんの仲間を失わなければならないのだろう。
そうやってオレはこの世界の不条理を責めると同時に、自分がその判断を下した張本人だということに嫌でも気づかされた。
今日もまったく寝付けそうになかったオレは、また屋上で月を見上げていた。
月は昨日よりもほんの少しだけ欠けているような気がしたが、気のせいかもしれない。
狭く薄暗い部屋に閉じこもっていたら、体にこもった感情で気が狂いそうになって飛び出してきたが、ここはここで、見ないようにしていたものが浮かび上がってくるようだった。
さっきから、ふと気がつくと自分の手が濡れているような錯覚に陥っていた。
しっかりと洗って落としたはずの牧野の血が、今もなお、べっとりとこびりついているように思えるのだ。
戦いは終わったはずなのに、何もかもをあの場に置いてきてしまった気がした。
手にはまだ牧野の冷たい手の感触が残っていた。
鼓膜にはまだ牧野の言葉が響いていた。
瞼を閉じれば、牧野の姿がすぐに浮かんだ。坊主頭のいたずら小僧みたいなわんぱくな笑顔が、まだ手を伸ばせばそこにあった。
――苦しい。悲しい。つらい。苦しい。
言葉にすれば、そういうことだった。だが言葉にすると、今の自分の気持ちとは少し違う気もした。
心は確かに軋み悲鳴を上げていたが、心の中でとぐろをまく、この重く黒い蛇のような感情をどう吐き出せばいいかわからなかった。
いっそ泣いてしまえば楽になるのかもしれなかったが、それすらもまだ難しかった。
今はむしろ、自分がのうのうと生き残り、今日もベッドで眠りにつこうとしていることに対する気持ちの悪さが勝っていた。
ふと、錆びついたドアがギィと音を立てた。
「眠れないの? 王様」
優しい問いかけに、やめてくれ、と振り向かずに小さく答える。
「なに? 聞こえないよ。今日はもう、疲れたでしょ。早く寝ないと、風邪ひくよ」
「……風邪なんか、ひかないだろ」
的外れな彼女の言葉に、咄嗟に返した言葉は、もっと的外れなただの八つ当たりだった。
「わかんないよ、バーチャルでも。ケガするんだから、カゼもひくかもしれないでしょ」
声の主はすぐ隣に立った。瞳を宙に向け、どうにかその人物の姿を視界に入れないようにする。オレを励まそうとするおどけた声で、すぐに誰だかわかったくせに、我ながら無駄な抵抗だ。
「それに疲れた時は、ちゃんと休まなきゃ。どっちにしたって、明日は来るんだからさ」
夜の風が彼女の匂いを運んできて、オレはもう降参することにした。
「な、加藤……。命ってさ、ほんとにあっという間にさ、終わるんだな」
なあ、と切り出すつもりが、喉の奥から何かが零れ落ちそうになって、「な」で途切れてしまった。あふれ出しそうになるその何かをぐっとこらえ、もう一度言葉を繋ぐ。
「いつもみたいにバカ話してさ。明日なにしようとか、このあと何食べようとか、そんなこと考えてるあいだに、ほんとに死んじまうんだな」
もう、これ以上は何も言えなかった。
「悲しいね」
加藤はぽつりとそう言った。
「どうして、こんなことになっちゃたんだろうね」
また、ぽつりと言った。
「わたし、死にたくないよ」
――やめてくれ。
今度ははっきりとそう言おうとした。だが、言葉の代わりに嗚咽が漏れた。堰を切ったように涙があふれてくる。
――止まれ。止まれ。
そう思えば思うほど、涙は溢れてきた。
加藤は何も言わず、オレの手を握った。温かい、大きな手だった。
月が滲んで、ずいぶんと近くに見えた。




