2話 朽木編2 始点と終点のディストラクション
一日目
目が覚めると、堅く冷たい床の感触がした。どこか懐かしさを感じるその無機質さに、僕は得も言われぬ嫌悪感を抱き、即座に体を起こした。
ぐるりとあたりを見回すと、見覚えのある景色が広がっていた。そこは僕らが通っている学校の体育館だった。
周りには同じように体を起こしている生徒や、床に寝そべっている生徒、立ち上がっている生徒がたくさんいる。だが教師の姿は見えなかった。
うちの学校はいわゆるマンモス校で、一学年の人数がかなり多く、同じ学校に通っていても顔さえ知らない人間がたくさんいる。おまけに僕には知り合いがほとんどいないため確証があるわけではなかったが、みんな同じ制服を着て同じ色の上履きを履いているから、この体育館にいる人間が同級生であることは間違いないだろう。
ふと左の手首に、見覚えのない黒いデジタル式の腕時計がついていることに気が付いた。フレームは四角で大きく、ベルトの部分は同じく黒い金属でできていて堅い。不思議なことに腕時計にはつなぎ目がなく、どこをどうやって外したらいいかわからなかった。
いったん時計を外すのを諦め、改めて周囲を観察することにした。
大きな体育館の中は明かりが点いていないため暗く、たくさんの腕時計が小さな光を灯していた。見たところ、誰の腕にも時計が付いている。自分だけではないのだと思い、少し安心した。
上部にある小さな窓にカーテンは引かれておらず、外が夜だとわかる。薄らと月明かりが差し込んでいた。
「何が起こったの?」
「修学旅行に行く途中で変な奴らに襲われて」
「俺たち、拉致られたのか?」
「怖い」
「先生は?」
「外に出れないの?」
そんな話し声がそこらじゅうから聞こえる。
今度は体育館の出口のほうへ目をやった。扉は閉まっていて、数人の生徒たちがその前に群がっている。どうやら開かないらしい。
――これから何が起こるんだろう。
僕は珍しく、ワクワクしていた。まるで物語の世界に迷い込んだみたいだと思った。
多くの生徒が意識を取り戻し、体育館に響くざわめきがうるさいほどになってきたころ、突然檀上の明かりが灯った。全員の視線が集まり、体育館が静けさを取り戻す。
スーツの男が一人、袖からゆっくりと現れた。男はポマードで塗り固めた短い髪がよく似合う濃い顔をしていたが、一つだけおかしなことに、鼻の下に二つに分かれた髭を生やしていた。やけに形の整ったその髭は、街中で見かけたら笑っていたかもしれないが、この状況や彼の真剣な面持ちには不思議とよく似合っている気がした。
男は真ん中に置いてあるマイクの前に立ち、スイッチを入れた。
「紳士淑女の諸君、ご機嫌よう」
男はそんな、いかにもなセリフで話を始めた。
「周りの人で起きていない人がいたら起こしてくれ。これから大切な話をするからね」
その言葉に従い、何人かが周りの人間の体を揺すった。男はそれを確認してから話を再開した。
「君たちは楽しい修学旅行に行くはずだったのにいきなり連れてこられて訳がわからないと思う。不安に思った人もいるだろう。すまなかった」
本当に申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べて、そこで一度言葉を切った。
「けれど安心してほしい。私たちは君たちに危害を加えるつもりは一切ないことをここに保証しよう。そしてこれから始まるゲームを一緒に楽しもうじゃないかっ」
男は最後のところに力を入れると、パチンと指を鳴らした。するとどうだろう。生徒たちが腕に付けている時計から一際強い光が漏れた。その光は長方形の画面を体育館のほこりっぽい空間に映し出した。小さなざわめきが起こる。
「これからゲームについて説明しよう。とても重要だ、しっかり聞いていてほしい。君たちがこれから参加するゲームは一言でいえば、国取り合戦だ。この学校のある○○市。この○○市のすべての大地を我が物とした人間がこのゲームの勝者だ。君たちにはまず、一人以上十人以下のグループをつくってもらう。そのグループで王様を一人決めてほしい。王様がグループのリーダーだ。つまりグループの構成メンバーはその王様の国民になるってことだね。で、たくさんのグループ、すなわち国ができるだろう? 国一つ一つに最初に領土が配られるからそれをお互いに奪い合うってわけだ。よし、じゃあ次は領土を奪う方法について説明しよう」
誰もが次々に明かされるゲームのルールに戸惑い、頭がついていっていないようだった。
腕時計から映し出された画面にはレジュメが映されていて、話の要点が分かりやすくまとめて書いてあったが、そういう問題ではない。だが男は聴衆のそんな様子を気にも留めず、身振り手振りを交えて、まるで演説でもするかのように話を続けた。
誰もが不安たっぷりという様子で彼の言葉に耳を傾ける最中、僕はというと、「グループをつくる」という単語が気がかりだった。「グループをつくる」。友達の少ない人間にとってこれほど恐ろしい単語はない。先生とペアになることはできるかと尋ねたくなった。
「領土を奪う方法は二つ。一つは王様を殺すこと。そしてもう一つは、王様を降伏させること。このどちらかしかない。まあ、どちらも主な手段は」
――殺し合いだ。
男はたっぷりと間をとってから、そう言った。とても嫌な言い方だった。
「自分の命をかけて、自分の今までの人生すべてで敵に挑む。それが戦いだ。そして、人が集まってできた国と、国とが、すべてをかけて戦う。それが戦争だ。同盟を結んだり、裏切ったり、スパイを送り込んだり、情報戦を繰り広げたり。国の力のすべてを出し切り、お互いのすべてをぶつけ合う。戦争にルールなんて余計なものはない。あるのは駆け引きだけだ。そこにあるのは力の差だけだ。君たちもまだ十七、八年しか生きていないんだろうが、もうわかっているはずだ? この世は強い者が奪い取り、弱い者が奪われる。それが必然だ。それが世界のルールだ。薄っぺらい情やモラルというのは、この世界にあとから付け足されたものに過ぎない。そんなものじゃ世界は変えられない。力こそが正義だ。力こそがすべてだ」
男は手や指を大きく使い、まくしたてるように熱く語ったあと、そこで一息入れ、感情を抑制したようにして続けた。
「君たちには力を与えよう。生き残るための力を。すべてを変える力を」
少しだけ間を空けて、みんなが言葉を飲み込むのを待った。そして静かに続けた。
「……一つ言い忘れていたが、君たちの身体は現在、完全に我々の支配下にある。君たちは脳をインターネットに繋げられた状態でね、有り体に言えば君たちは今、バーチャル世界にいるんだ。そして、待っていれば助けが来るなんて思っちゃいけないよ。君たちはバスの事故で全員死んだことになっている。ガードレールを突き破って次々と崖の下に落ちていき、ガソリンに引火して大爆発。死体もまったく原型をとどめていない。グチャグチャドロドロ、お葬式は遺体無し。棺桶は空っぽ、という設定さ。まさにバスガス爆発ってやつだね。つまり、君たちにはもう戸籍がない。みんなで仲良しごっこをしていても、誰も助けに来てはくれないわけだ。四十日というタイムリミットもあるしね」
そのおどけた言葉と裏腹に、彼の声は抑揚がなく冷たかった。
さらりと、何でもないように彼は言ったが、ここはバーチャル世界らしい。この肌が感じる感触が、鼓膜をくすぐる音が、色鮮やかな世界が、作りものだとは到底思えなかった。
理解できないと思っているのに、話は勝手に進んでいった。まるで、大事なことをはぐらかすように。情報処理が追いつかない人間を置いてけぼりにするように。
「すべてを失った君たちに残ったものは二つだけだ。一つ目は感情を武器にする力、クオリアシステムだ。諸君、自分の腕時計を見てくれたまえ」
次の瞬間、全員の腕時計から一際強い光が漏れた。丸い輪っかのような形をしたものが徐々に形を作り、腕時計の上に浮かび上がる。
「指輪を掴み、指に嵌めたまえ」
男の指示通り、僕は光の中に手を伸ばし、指輪を掴んだ。
触れた途端、ぼんやりとした光の輪ははっきりと像を結び、実体を得て、手の中へと収まる。いったい、どんな科学技術を使えばこんなことが可能なのだろうか。
正体を探るべく、じっと指輪を見つめる。指輪には、横を向いて立っている年配の男性が中央に据えられ、周りに細かい装飾が施されていた。少し派手だが、嫌味すぎるほどではなく、中二病っぽいものが好きな僕の好みだった。この年配の男性は王様なのだろうか。王冠とマント、そして長い髭が気品を漂わせている。そしてその王が持っている杖の先には、宝石が付いていた。小さいが、コバルトブルーの輝きを放つその石はとても美しい。
僕はそっとその指輪を左手の人差し指に嵌めた。
「その指輪が君たちの力を顕在化する媒介となってくれる。大切にしたまえ」
男はニヤリと笑うと、強い口調から一転してさっきまでのおどけた調子に戻った。
「ではそろそろ話を聞くのにも飽きてきたころだろうから、チーム決めといこうか。今から十五分あげよう。じっくりと悩んでくれたまえ。自分の命を預けるに足る相手かどうか、しっかりと見極めるんだ」
男がまたパチンと指を鳴らすと、腕時計から照射されていた画面が消え、体育館の丸い電球がオレンジ色の明かりを灯した。まだ明るいとは言えないが近くの人間の顔くらいはしっかり見える程度にはなった。
「君たちに残されたたもう一つのものは、今まで君たちが培ってきたものすべてだよ。人間関係もまず間違いなくその一つと言えるだろう。さあ、急ぎたまえ」
――戦いはもう、はじまっているのだから。
彼の言葉を皮切りに喧噪が体育館を埋め尽くした。暗闇から解き放たれた生徒たちは、蜘蛛の子を散らすように走り出した。
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ここまでお読みいいただき誠にありがとうございます。
1日1話は投稿しようと意気込んでいます。
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