13話 東雲編3 喧騒と狂乱のワンダーランド
四日目
「まて、そこで止まれ。それ以上近づくな」
「頼む、二人を返してくれっ」
「まず指輪を渡せ。話はそれからだ」
電気を点けておらず、外から入る夕陽の光でかろうじてあたりが見える程度の、薄暗い室内。陰ったオレンジ色に満たされる図書館の二階なんていう、どこかメランコリックな舞台を前に、男子高校生たちは雰囲気に流されているのだろう。
――だってそうじゃなきゃ、そんなクサいを通り越してキモいセリフを大真面目に口にできるわけがない。
松森は私に言われた通り、手足をビニール紐で縛った男女に刀を突き付けて、敵の国王、管原を指定した場所に誘導した。そこまでは良かったが、彼は非常ドアの向こうに隠れる私のほうにちらちらと視線を送っていた。
――そんなにあからさまな態度を取ったら、ここに誰かが潜んでいることがバレてしまうだろうが。
ストッパーで少しだけ開けておいたドアの奥で、私は松森への殺気を滲ませた。
松森はうちの国の自称ナンバーツーを気取っている男子生徒だ。
自称と言うのは、国王である私も他の国民も含め、誰も彼がその役割を担うことを認めたわけではなく松森が勝手にそう自負しているだけ、ということだ。
今回も、私と一緒に人質の交換を行う、という役を誰か一人に任せたいと伝えたところ、エサに飛びつくネコ科の獣のように素早く彼は手を挙げた。扱いやすくて従順という点では素晴らしいかもしれないが、いかんせん器が小さすぎて良くない。
もちろん今回の作戦も、肝は私だ。松森ではない。他人に作戦の成否を大きく委ねざるを得ない作戦を、私は考えたりしない。
幸い、管原はそれほど察しが良い方ではないらしく、迂闊な松森の仕草に意味を求めたりはしなかったらしい。
まああとは、人質どもが国王の姿を見るや否や、しくしく泣き声をあげ、そちらに意識が奪われていたからだろうか。
昨日、たっぷり拷問をしておいた彼らは見えるところに傷は作らないようにしておいたが、その暗澹たる表情を見ればどんな目に合ったかはある程度わかっているだろう。
管原は彼らの姿を見て、心が決まったらしい。
「約束通り持ってきた。Sランクの指輪と、Aランクの指輪だ。ほら」
「リングサーチ開始……。たしかに、間違いないようだな」
「ああ」
「一歩だけ前に進め。指輪を、そこの机の上に置くんだ」
「わかった」
ドアの隙間から微かに管原の姿が見える。うなじが少し汗ばんでいるようだった。
コトリと小さな音がして、部屋の真ん中に置かれた長テーブルの上に、指輪が二つ見える。
「よし、それをこっちに転がせ」
「先に二人の拘束を解いてくれ」
「それはできない」
「ふざけるな。指輪を渡す前に、まず拘束を外すんだっ」
管原は怒鳴った。緊張状態が続いて苛立っているのだろう。
そんな小者の王様、恐れることは何もない。だが残念ながら、松森は管原以上に小者だった。
助けを求めるように視線をあちこちに彷徨わせたあと、もちろん私のいる非常ドアのほうにも目を向けたあと、「わかった」と、手足のビニールテープを持っている小太刀で斬ってしまった。
もっと他に、交渉の余地があっただろう。足だけ先に切るとか、そんなこと言うなら二人いるんだから先に一人殺すぞ、と脅すとか。私は歯ぎしりを堪えるので大変だった。
「よし、指輪を転がすのと同時に、二人は出口に向かって走る。それでいいな?」
管原はゆっくりと三人を見た。
「ああ。それで、いい」
今、彼は完全に私の作戦を忘れ、敵国の王の言いなりになっている。松森がただ首肯するだけの役立たずということは前々からわかっていたが、まさか指揮系統まで乗っ取られるほどの愚図とは知らなかった。
「合図は、スリーカウントだ。三と言うのと同時に。いいな?」
「ああ、わかった」
松森をこの場で消す手段がないかと考えながら、私はフランベルジェを握り直した。すぐに良い案は思いつかない。まずは管原の始末だけ確実にやらねばと、入念にこの後の動きをイメージする。
「……一、二、三っ」
合図とともに私も非常ドアを体で押し開け、室内へ転がり込む。
鉄製のドアは想像以上に重かったが、それ以外は問題ない。
松森と、人質ら三人の視線が私の方へ集まる。管原の手が右のポケットに差し込まれているのが見えた。
――松森は指輪の確保を最優先にしろよ、とんま。
――やはり、管原は予備の指輪を持ってたか。急げっ。
頭ではそんなことを思いながらも、体はイメージ通りに動き続ける。
人質二人が私の存在を管原に伝える前に、管原がこちらを振り向く前に、私は管原の背中にざっくりと剣を突き立てた。
思い描いていた通りに、剣に全体重を乗せ、心臓のあたりを一思いに……。
ぐねぐねと曲がったフランベルジェは彼の肉を愛おしみ、血をまき散らしながらも着実に奥へ奥へと進んでいった。
管原は特に抵抗もないまま、人質らの前に倒れこんだ。どしん、と大きな音がして、時間の流れが急に早くなる気がする。心臓が急にバクバクし始めて、私は自分が多少緊張していたことに気が付いた。だが、血の気の失せた彼らの顔を、私は王様の死体越しに見て、作戦の第一段階が成功したことを確信する。
勝利の余韻に浸る間もなく、私はすぐに次の行動に出る。深々と突き刺さった剣を体から引き抜き、今度は人質らを殺した。
「やったねっ、東雲さんっ」
私はぶんなぐってやりたくなるのをぐっとこらえ、笑った。
「まだ。言ったでしょ、きっと近くに仲間が潜んでるはずだから、これから残党狩りしないと。みんなに指示出して、指輪を一つでも多く取ってきて。このAランクのほう、持って行っていいから、一人でも多く殺してきて」
机に置いてある指輪を、人差し指で指し示す。
「わ、わかったよ」
笑ったつもりだったが、声に怒りが滲んでしまっていたらしい。彼は指輪をひったくるように掴むと、走って階段へ向かった。
一人残った私は机にぐっと腰かけた。あっちでこんなことをやったら、行儀が悪いと両親に怒鳴り散らされていただろう。
私がつくった三体の死体を眺めながら、足をぶらぶらと揺らす。
血の匂いが狭い室内にたちこめてひどく気分が悪いのに、それがどこかクセになって、私は彼らが光になって消えていくまで、ずっとずっと彼らの死体を眺めていた。




