12話 朽木編8 茶番と落日のシンクロニシティ
三日目
目を覚ましリビングに向かうと、何やら険悪な感じの話し声が聞こえてきた。
昨晩は、疲れているだろうからと僕は見張りを免除してもらっていた。何かあったのだろうか。
朝っぱらから面倒だなと思いながらも、静かにドアを開ける。
五人全員、お行儀よくテーブルについていた。なんとなく気持ち悪く感じたのは、二日連続お風呂に入っていないから、というわけではないだろう。
彼らは僕に気付くと、急にみんなは話を止めた。時間は朝十時。朝ごはんは食べ終えたのだろうか。
僕が椅子を引いたところで、中川が待ちくたびれたとばかりに口を開いた。
「朽木、俺、国王やめるから」
「そう、誰が引き継ぐの?」
僕の返事に場の空気が妙に揺らいだ。驚いて戸惑ったり、引き止めたりするべきだっただろうか。僕は昔からこうだ。その場その場での、普通の反応がわからない。今は椅子に座るタイミングさえも見失ってしまった。
「オレは、田口が適任だと思う」
僕が何か愛想の良い返事を今からでも付け足そうかと逡巡していると、中川がそう言った。
「いや、俺じゃダメだよ」
そう言って少し照れている田口の姿は役不足の感がどうしたって否めず、どこか滑稽だ。
「話を逸らさないでよ。なんであんたが見張りをしなかったのかって聞いてるの」
さっきからずっと、何か言いたそうに中川と僕と田口を代わるがわる睨んでいた高坂がついに口を開いた。
「だから、朽木と同じだっつの。オレは大怪我してんだぞ。仕方ないだろ」
「だからそれは昨日の夜言ったでしょ。明日か明後日に伸ばすかって。そしたらあんた、今日はいっぱい寝たから今日やるって言ったじゃない」
「うるせーな。はいはい。オレが悪かったよ。だから国王やめるっつってんだろ」
「だから、なんでそういうことになるわけ? バカなんじゃないの。そういうの、無責任って言うのよ」
さっきから、この二人のこんな言い争いが続いていたのだろう。
僕はどうでもよくなって、さっさと席に着いた。
今のやり取りだけでよくわかる。小学生のような理屈で自分のわがままだけを押し通そうとする中川。学級委員のように一つ一つそれの相手をする高坂。田口は声の大きい中川に従い、場の流れに沿うだけ。平和主義者の春芽は議論の行方を見守りながら、なんとか仲裁をしようと試みるがうまくいかない。じっと自分の手を見つめ、誰かが大きな声を出すたびにぴくりと肩を震わす無口な彼女は、いてもいなくても変わらない。
これではさすがに議論の仕様がなかった。
「ねえ、いったん落ち着こう。中川君も高坂さんも。修学旅行に行くはずだったのに、いきなりこんなことになって、びっくりしちゃってるのはみんな同じなんだからさ」
春芽が赤ん坊にでも言い聞かせるように、優しく言った。
「うっせえよ、すっこんでろ」
中川は途端に怒鳴った。彼女鈴の音のような、その柔らかい声に僕はうっとりと癒されたが、中川にはその美しさがわからなかったらしい。我慢ならなくなって、僕は椅子を掴みっぱなしだった手を放し、彼に歩み寄った。
「うるさいのはお前だろ? 大した怪我でもないくせにぎゃーぎゃーとみっともない」
なんだと、と中川は座ったまま、怪我をしていないほうの手でシャツの第三ボタンのあたりを掴んできた。
暴力に訴えてくるのであれば、それはそれで好都合だった。
「クオリア発動」と静かに告げる。切れ味の良さそうな刀がすっと右手に握られた。
すると途端に、騒がしかったリビングに静寂が戻ってきた。
中川の顔がみるみるひきつっていくのが愉快で堪らない。
昼前の高く昇った日の光を受けて輝く刀の魅力に、僕は飲み込まれてしまいそうだった。後は、彼の目玉をくり抜いてやるだけでよかった。
けれど、春芽が「やめて」と繰り返しながら二人の間に入ってきた。彼女の必死な顔を見ると、僕の歪んだ笑みは消えざるを得ない。
小さく息を吐いてから武器を消した。
「春芽さん、ごめん。でも、態度を改めないなら、中川にはこの国から出て行ってほしい」
「こっちのセリフだ。お前が出てけ、この国はオレと田口で作った国だ」
武器がなくなった途端、中川に威勢の良さが戻ってきた。
すぐさま首を撥ねてやろうかと思ったが、春芽がちらりと中川を睨んでくれたのでそれはやめておくことにした。
「じゃあ二人っきりの国で王様気取ってなよ」
僕は鼻で笑って、廊下のドアに手を掛けた。
「まあいいよ。僕が出てくから」
それだけ言って、リビングを出た。そのまま廊下を抜け、玄関を出る。足の赴くままに、とりあえずまっすぐに道を進んだ。
一つ目の行き止まりは、案外すぐにやってきて僕はそこを右に曲がることにした。
この世界に来てから三日目。はじめて外に出たが、街は人がまったくいないというところ以外、昨日まで暮らしてきた街と何ら変わらなかった。
この世界は本当に、元いた世界にそっくりで、都心に近いどこかのベットタウンを持ってきて、そこに住む人をすべて排除して、最後に高校生を入れただけの大きなジオラマとなんら変わりない。
どうせ変な場所に送り込まれるなら中世のヨーロッパとかがよかった。そのへんにいくつもある電柱やら信号やらコンビニやらは、高校生同士が殺し合いをする舞台としては今一歩、雰囲気が足りない。
けれど、そう思うと同時に、誰もいない街は僕の心を穏やかにさせた。
それから数分後、僕は歩くことにも飽きて、ガードレールに腰かけた。
思ったよりも早く、後悔はやってきた。
あのまま引き下がったらそれこそ、ダサい奴になってしまうと思ったのだ。春芽の前で、そんな姿は見せたくなかった。
だが、春芽と離れ離れになってしまうというのは誤算でしかない。
我ながらアホだと思っていると、
「朽木くんっ」
と、今一番聞きたかった声が聞こえた気がして、僕はすぐさま振り返った。
春芽がこちらにトントンとリズムよく駆けてくるところだった。
「あぁ、よかった。見つかった」
僕と目が合うと、ぱっと花が咲いたかのように、彼女の笑顔が現れた。
春芽はすぐ近くまで、それこそ吐いた息がかかるんじゃないかというほど近くまで来ると、ガードレールを握る僕の手を上からぎゅっと掴んだ。
「ねえ、いったん戻ろう。今一人になったらダメだよ。朽木君は間違ってないよ、だから一緒に帰ろう」
――朽木君は、間違ってない。
その言葉だけで、春芽が追いかけてきてくれただけで、僕には十分だった。
春芽と二人並んで歩く時間は、たとえ偽物の世界でも愛おしかった。
家に戻ると、みんなはさっきと同じようにテーブルについていた。まるで時間が止まっていたようだ。
中川は何も言わなかったが、高坂も田口も「戻ってきてくれてよかった」と言ってくれたので、僕はそれでいいことにした。
その後、いてもいなくも変わらないヤツ2号の僕を加えた不毛な話し合いがしばらく行われた。退屈なその時間を僕はただ、先ほどの春芽とのやりとりを、彼女の言葉を、彼女の匂いを、ただただ頭の中で再現し続け、幸福に浸っていた。
話し合いの結果、次の国王は田口ということになった。高坂を王にすべきだという意見も一瞬は出たが、中川が頑としてそれを認めず、なし崩し的な話し合いの終着駅がそこだったというだけのことだ。
王を変える手続きは簡単で、腕時計で登録するだけでよかった。
「えー、じゃあ、改めて、国王になりました、田口です。至らぬ点も多々あると思いますが、よろしくお願いします」
そんな、ずれた挨拶をしてから彼は続けた。
「ちょっと考えたんだけど、他の国を攻めたほうがいいと思うんだ。昨日みたいに攻め込まれないためにも、少しは威嚇っていうか、牽制の意味もこめて」
自信なさげにへらへらという彼の意見はもしかしたら生産的で妥当なものなのかもしれないが、僕にはまったくもってタチの悪い冗談にしか聞こえなかった。
中川といえば、怪我をしているからといって戦いには参加しないつもりらしい。田口もそれを許可してしまったから言いたい放題、やりたい放題だ。
「オレはこの国に攻めた方がいいと思う。あいつらがたぶん昨日俺たちを襲ってきた奴らだ。あいつらは夜に行動してるから昼間は逆に寝てるに決まってる。そこを狙うんだよ」
そんなツッコミどころ満載の、作戦とも言えない作戦をさも得意げに中川は話した。田口はいつのまにか相槌を打つだけの人形と化している。特に何もしなかった中川が国王をやめた途端、前国王として調子に乗っていることは少しうざったかったが、これも春芽と一緒にいるためだと思えば、すべてが取るに足らないことのように思われた。
中川主導の無意味な話し合いの末、すぐ近くにある「弱そうな」国を攻めることになった。どの国がどこを領土にしているかと、国民の人数、国王の名前と顔は、腕時計で調べることができるので、おおよその戦力の目星はつく。この腕時計が支援アイテムというのはもうわかりきっていることだが、いささか便利過ぎやしないだろうか。
奇襲攻撃は明日の朝早く、六時に出発し、臨機応変という名の行き当たりばったりで行われることになった。
もう今日は、見張りの中川一人だけを残し、それぞれ解散することとなった。昨日、見張りをすっぽかしたことと、明日戦わないことを踏まえ、そこだけは譲らないと高坂が声を張り上げたのだ。中川はひどく不満そうだったが、「嫌なら明日、戦場のどさくさに紛れてあんたを殺してしまうかもしれない」とまで言われ、渋々見張りを引き受けた。
こうして僕らは明日、初めての戦争をすることになった。




