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1話 朽木編1 零日目、あるいはプロローグ


   零日目


 いつまでも変わらない窓の外の景色を、頬杖をつきながら、ぼんやりと眺めていた。

 バスはかなりのスピードで移動しているはずなのに、さきほどから目に映るのは同じような森ばかりだ。昼でも薄暗い山の道は、いくら登ろうが下ろうが目的地に着く気配がない。視界は中々開けず、時折見晴らしがよくなってもまた別の山が見えるだけだった。

 修学旅行へ向かうバスの中は最初の興奮が少し落ち着き、生徒たちの話し声がまばらに聞こえるだけになっている。はしゃぎ疲れ、寝ている生徒が多いのだろう。

 僕の隣に座る春芽愛(はるめ まな)も静かに寝息を立てていた。

 長いまつげ。ほんのりと赤い頬。小さく薄桃色の唇。

 少し茶色がかった柔らかいふわふわの綿のような髪は、後ろの方で二つ縛っておさげにしてあって、あどけない彼女の表情によく似合っていた。

 天使を思わせるその安らかな寝顔を、僕はずっと見ていたいとも思ったが、すぐ近くには他の生徒がいる。仕方なく外を見ることにした。もし人目がなければ小一時間はその可愛らしい横顔を見つめていただろう。

 僕にとって春芽は、気になるクラスメイトであると同時に、理解不能の存在でもあった。

 僕は、客観的に見て、世の中の最底辺にいた。どこの世界にでもある。順位づけでいうところの、一番下の部類に属していた。はやい話がクラスカーストで下の方ということだ。

 いつもクラスの中心で大きな声で笑っていてスポーツができて勉強もできるような人たちとは最も離れたところにいて、そういう人たちからいじめられないようにびくびくしながら毎日学校に通っている種類の人間。クラスの端っこでなるべく目立たないようにしている類の人間。この世にごまんといるその種の人間の一人。それが朽木周(くちき しゅう)という人間だった。

 普通そういうタイプの人間に、春芽のような気立てが良く容姿も整った、男子からも女子からも人気のある人間は話しかけない。

 同じクラスに所属しているとはいえ、本来ならば僕と春芽は生きている世界が違うのだ。

 けれど、春芽は僕に毎日のように話しかけてきた。

 もちろんその理由を、席が隣だったから、という一言ですませてしまうのは簡単だった。

 席変えをして春芽が隣の席になったその日、正直ツイてないと思った。

 ヒエラルキーのトップに君臨し、男子みんなが隣の席になりたがる春芽が、自分の隣なんて都合が悪いに決まっている。いらない嫉妬を買う可能性は大いにあり、少しでも春芽の気に障るようなことをしてしまったら、その失敗を誇張して言いふらされ、あっという間にクラスの大半を敵にまわすことになってしまうかもしれない。僕は根っからの心配性とネガティブな思考回路をフルに活用し、ありうる限りの不幸を想定していた。

 しかし、そんな心配は杞憂に終わった。

 それどころか、僕は人生ではじめて学校に来るのが楽しいと思えるようになっていた。

 僕のような人間には簡単には認めがたいことだが、僕はどうも恋に落ちてしまったらしい。僕は春芽愛という一人のクラスメイトを、好きになってしまったようなのだ。

 朝、学校に来てからホームルームが始まるまでの時間や、授業が始まる直前。授業が終わった直後など、ちょっとした時間に春芽はことあるごとに僕に話しかけてきた。

 内容は別にたいしたことではない。小テストの結果がどうだったとか、今日の朝コンビニに行ったらお気に入りのジュースが売り切れていたとか。そういうありきたりな、普通の会話だった。けれど僕にとって、その何気ない会話は、毎日を輝かせるに足る、宝石のようなひとときだった。

 もちろん春芽が隣の席の自分に気を遣って、無理をして話しかけてくれているということもわかっていた。自分のようなつまらない人間に毎日話しかけてくれる理由なんてそれ以外に考えられない。僕はそれで一向に構わなかったし、何より、春芽の柔らかい笑顔は打算のない本当の優しさのようにも見えていた。

 たとえ自分が騙されているだけだとしても、彼女の化けの皮がいつか剥がれるとしても、それまでの短い夢を見ていたいと願っていたのだ。

 そして修学旅行当日。今日がやってきた。

 バスの座席は特に決まっておらず、好きなところに座っていいことになっていた。

 僕は隣に座れるような仲のいい友達はいなかったのでなるべく遅くにバスに乗り込み、テキトーに空いている席に座ろうと思っていた。他の生徒ならまず嫌がるであろう教師の隣であっても、喜んで座るつもりだった。そして予定通り僕は、前から三列目の窓側の席に着いた。隣の席は空いている。

 もう少しで出発をしようかという時分、担任が人数を数え始めた時、トイレに行っていたのか忘れ物をしたか知らないが、春芽がずいぶん遅くにバスへ乗り込んだ。

 僕はもちろん真っ先に、誰よりも早くそのことに気づいたが、気がついていないふりをすべく、即座に目線を窓の外にやった。

 当然、春芽は友達の隣へ行くものだと思っていたし、先に乗り込んだ友人たちが彼女のぶんの席を取っていた。だから彼女が隣に座ることなどまったく期待していなかったし、身の程を弁えない期待をしているということをたったの一ミリでも春芽に悟られるわけにはいかなかった。

「こっちだよ、はるっち」なんて声が後ろから聞こえてくる。視界の隅のほうで担任に急かされながら春芽が何か友人にジェスチャーを送っているのがわかる。

 さすが人気者は違うなと心の上っ面ですかしながら、早く春芽が自分の横を通り過ぎて行ってほしいと切に願っていた。

 だが、どうしたことだろう。春芽は「朽木君、ここいい?」と言いながら、何事もなかったかのように僕の隣の席へその小さな体を預けたのだ。僕のひねくれた思考回路に歓喜の感情が逆流し、頭がパンクしそうになった事は言うまでもない。

 すでに折り畳み式の補助席を出して座っている生徒がいたからとか、先生が「早く席に着け。人数確認するぞ」と怒鳴っていたからとか、こじつけようと思えば無限に理由を探すことは可能だったが、天にも昇る心地だったことは言うまでもない。このたった一言で、憂鬱の権化とも呼ぶべき修学旅行が、十分に価値のあるものになっていたということは、言うまでもない。

 しかし僕の気持ちを知ってか知らずか、春芽は十五分ほどいつものように他愛のない話をしたあと、少し黙ったかと思ったら、スヤスヤと眠りについてしまったのである。こうなってしまっては、「眠たかったから友達の隣ではなく自分の隣に座ったのか」「寝顔が見れてそれはそれでよかったかな」などといつものように悶々と悩んで、春芽の寝顔と外を交互に眺めるしかない。果てしなく続くかに思える窓の外の森のように、僕の心の独り相撲も終わりが見えそうになかった。

 代わり映えのしない景色を抜け出し、ようやく少し開けた場所にバスがさしかかったときだった。

 身体全体に急に力がかかるのを感じる。どうやらバスが急停止したらしい。

 背中と腰がフッと座席を離れ、前の座席の背もたれに向かって体が放り出された。

 とっさに頬杖をついていた右手で前の座席の背についている手すりを掴み、左手を春芽の前に出した。直後、手の平に春芽の小さな額が収まる。

 さらさらの髪の感触がしたと思った次の瞬間、左手の甲が備え付けのテーブルにぶつかり、にぶい痛みが走った。

 シートベルトをしていて助かった。左を見ると春芽もシートベルトをしていた。後ろの方では鈍い音とともに悲鳴が上がっていたが、みんなシートベルトをしていなかったのだろう。真面目というのは大切なことだと僕は少し気分が良かった。

「な、なに? 着いたの?」

 春芽は目が覚めたらしい。僕ははっと我に返って急いで春芽のおでこに当てていた手を引っ込めた。ごめんと小さく言ったが、春芽はきょとんとした顔をしている。

 まあ気づかれていないならそれでいい。ともかくバスが急停止した理由を突き止めようと前の座席の間からバスの前方を見た。

 バスの前面の窓の向こうに、大きなシルバーの車が横に止まって道を塞いでいるのが見える。スイミングスクールか何かの送迎バスのようで、たくさんの人が乗れそうだ。と思っていたら、たくさんの人がその車の中から降りてくるのが見えた。

 降りてきた人たちはガスマスクをつけていて、黒いライフジャケットのようなものを身に着けている。そして、肩からかけるタイプの銃を持っていた。

 その光景は、あまりにリアルとかけ離れていて、僕の想像力に乏しい脳みそでは理解が追いつかなかった。

 ……ドラマとかで見るガスマスクとそっくりだな。あれは防弾チョッキというやつで、あれは機関銃というやつなのだろうか。はじめて生で見たな。いやそもそもあれは本物なのかな。

 なんて呑気に考えているうちに、そいつらはバスのドアをどうにかしてこじ開け中へ乗り込んできた。

 最初に入ってきた奴は乗車口の階段を昇りながら、躊躇なく運転手を撃ち殺した。ズガガガガという大きな銃声が、狭いバスの中に轟いた。後に続いてもう一人、入ってくる。どこからか筒状のものを取り出した。

「え、なに?」

 そんな言葉が頭の中で聞こえた。だが誰かがそれを口に出したのか、それとも自分がそう思ったのか、もうわからなかった。

 筒状のものがバスの奥へ向けて一つ、運転席の近くに一つの計二つ、投げこまれた。カチャリという音とシューという音がして、その筒から白い煙が噴き出す。

 ――ああ、これは吸っちゃまずいやつだ。

 そう思った瞬間に、僕の意識は闇に飲み込まれた。

 誰一人として悲鳴を上げたりしなかった。それだけ彼らの手際が良かったということなのかもしれない。誰一人として、恐怖を感じる暇さえ与えてもらえなかったのだ。

 ただ、後から思えば、一つの悲鳴も上がらないというのは、平穏な毎日の終わりにしてはいささか寂しすぎる気もした。




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