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白羽の国

白羽のしらはねのくに

 その男の髪は乱れ、口からは涎を垂れ流し、目は焦点が合わす充血して赤い。姿勢は猫背で足元はフラつき、すれ違う人々に度々ぶつかりひんしゅくを買っている。何かブツブツと言っているようだがこの町の喧騒でかき消されて聞こえなかった。

 一人の男と肩が強くぶつかり、通り過ぎようとした時に、相手の男の手が伸びて肩を掴まれた。大声で文句を言っているが全く振り向こうとしないのに腹を立てて、無理矢理振り向かせと右の拳で力一杯殴りつける。殴られた男は首をグルンと横を向きながら頭から地面に仰向けに倒れた。少しすっきりしたのか殴った男は一言何か言うと、そのまま歩いて行ってしまった。そして殴られた男は急に体をビクンとさせると、体を痙攣させながら嘔吐を始める。周りの者達はその様子を汚い者を見るような顔で遠巻きに見ている。時間にして五分ほど痙攣させた後、男の目がグルンと白目に変わるとそのまま動かなくなってしまった。

 一人の少女が、周りの者達の囲みをすり抜けて倒れている男の側に寄った。すると、男の手首に触れて何か確認をしている。やがて男の額を左手で押さえると、逆の手の指先で男の顎を上にあげた。そして自分の口と男の口を重ねると勢いよく息を吹いた。その後すぐに男の胸の辺りを、重ねた両手で強く押したり引いたりを繰り返し始めた。見ている周りの者達はザワザワと騒ぎ出して囲むように見ている。

 二人の男が中に割って入ると少女の側に来てしゃがみ込んだ。

「急に走り出したと思ったら何やってるんだ雅?」

「話は後です。刀良様、わたくしがやっていることを変わってもらえますか? 私の力では長く続けられません」

「お、おう」

 刀良がオドオドしながら雅と変わると同じように胸のあたりを押し始めた。

「武彦殿、私が合図を出したら、この方の口に息を吹き込んで下さい」

「わ、分かった」

 刀良が男の胸を三十回ほど上下させると、雅は武彦に合図を出して息を吹き込んでいる。同じようなことを十分ほど繰り返した時だった。

 男が激しく咳き込むと息を吹き返した、すぐに雅は持っていた水を飲ませた。男は嘔吐を繰り返していたが、次第にぜえぜえと苦しそうに呼吸するだけになり落ち着いてきた。それを見た周りの者達から歓声が上がり、雅達に拍手が送られている。

「刀良様、早くこの方を医療所へ運んで下さい。適切な手当をすれば助かります」

「分かった、武彦、場所は分かるか?」

「ああ、こっちだ!」

 刀良が倒れていた男を背中で担ぐと、武彦を先頭にして医療所へ向かった。本城である隼城の城下町は、月芽最大の町で、約三万人が住んでいる。城を中心にして放射線状に町が作られており、東西南北の四つに区画されていて、東は市場や細かな店舗が建ち並ぶ商業区、西は役場や役人の居住区、そして国王である当麻家の旗本の居住区がある。南側は一般の民が暮らす居住区で、北側は金や銀、そして月芽共通の銭である月芽銭つきめせんを備蓄、貸し出しなどが行なわれている経済区になっていて、経済区だけは、国の許可が無ければ立ち入り出来ない様になっていて厳重管理されている。

 商業地区の大通りを本城に向かって二百メートルほど進むと医療所があり、刀良達は中に入って許可を貰い男を寝台に寝かせた。

 雅は施設の職員と話をすると、棚から薬草を数種類取り出して薬を作成し、それを寝台に寝かせた男に飲ませた。そして、男の着物をはだけさせると手で胃のあたりを触っている。

「雅殿は薬を作成できるのか、さっきの蘇生術と言い、驚いたな」

 武彦は感心した様子で雅を見ている。

「以外だろ? 雅は僅か十四にして、彩の国で薬師と医師、両方の資格を持つ天才なんだぞ。彩の国は薬の一大生産地で有名だが、その研究の一番上にいるのがあいつなんだ。医療の知識も他の大陸から色々な医師を呼び寄せて貪欲に学び、研究をしているようだ」

「ほう、それは凄いな。……ただのわがままな姫ではなかったのだな」

「失礼だぞ。……まあ、人は見かけによらんと言う事だな」

 武彦と刀良は目を合わせると、雅に見えないように低く笑った。

寝台に寝かされている男はしばらくすると薬の効果がでてきて、真っ青だった顔色も赤みを帯び落ち着いてきた。

「しばらく安静が必要ですが、もう大丈夫ですよ」

 雅が男のはだけていた着物をもとに戻している。

「危険なところを助けて頂いてありがとうございます。私は井加留と言いまして、国の仕事をしている者です」

「何か飲まされたようですね、嘔吐したことで吐き出され、大事には至りませんでしたが一体何故そのような目に合われたのですか?」

 雅が井加留に質問したが、それには答えられないのか、目線をそらして黙ってしまった。すると雅は井加留の耳元に何か囁いた。井加留は驚いた顔を見せたが、やがて真剣な表情に変わり雅を見た。

「それでしたら、お話します。私は国の命を受けて、武上の国へ潜入していた間者です。重要な情報を手に入れたため、戻って上の者に報告をした帰りにあの様な状態になりました」

「上役の方と会っていた時に、何か飲み物を口に入れましたか?」

「はい、帰り際に薬だと言われて猪口の中に入っていた透明の液体を飲みました。すると、気分が高揚して気持ちが良くなりました。しかし、しばらくすると気分が悪くなりあの様な状態になったのです」

 それを聞いて雅は難しい顔をして考えている。

「どういう事か分かるか? 雅」

「恐らくですが、乱の花からできた薬を飲まされたのだと思います」

「乱の花?」

「はい。乱の花からできた種に傷を付けて、中から出て来た液体を精製するとできるのですが、それを使うと恍惚な気分になり、とても高揚します。わたくしの国では痛み止めとして医療用だけに限定して使わうように決められています。何故ならば多用すると依存性が増して心身共に異常をきたし最後には死に至る危険な薬なのです。しかし、乱の花は簡単に手に入る者ではありません。どうやって手に入れたのでしょうか?」

 雅は首をかしげて不思議がっている。

「それを知らせるために、私はこの国に帰ってきたのです。実は……」

 井加留は何か言いかけたが、周囲の様子が気になり話すのを止めてしまった。刀良はそれを見て何か言おうとしたが、武彦に口を手で抑えられて止められた。そして雅が口元に人差し指をあてて、話さないように合図をしながらこちらに集まるように促した。

「この部屋には私達以外誰もいません。しかし、何処で誰が聞いてるか分かりませんから井加留さんは話さなくて結構ですわ」

 雅は小声で皆に話した後、井加留の手をそっと握ると、そのまま、しばらくの間じっとしていた。井加留は不思議がってはいたが、そのままじっとしていた。しばらくして雅は真剣な表情に変わり井加留から手を離した。そして、再び井加留の耳元で何か囁くと、井加留は体をビクンとさせて驚きの表情を見せて雅を見た。

「何故私が言おうとしたことが分かったのですか?」

「わたくし達はこれから国王の当麻男垂見たいま おたるみ様とお会いする約束があります。今、あなたに話したことを、わたくし達が国王様にお話しましょうか?」

「国王様に謁見されるのですか! あなた達は一体何者なのですか? しかも、私が考えていたことも……」

 井加留は少し恐怖を覚えて刀良達を見た。

「詳しくはお話しできませんが、国王に謁見できるそれなりの人物だと言っておきますわ。気味が悪いのは分かります、申し訳ありません」

 雅は悲しそうな表情に変わり下を向いて黙ってしまった。

「なあ、井加留さん。こいつは、あんたを助けたいと思って言ってるんだ。だから信用してやってくれないか。まだ幼い女子が危険を承知で引き受けようと言っているんだぜ、それでも信用できないと言うのか? それから、あんたは簡単に人に話せない内容を誰に話そうと言うんだ、また命を狙われる危険があるんだぞ」

 刀良にそう諭された井加留はしばらく黙ってしまったが、やがて決意したように顔を上げると雅の手をそっと握った。

「雅さん、あなたは私の命を救ってくれた恩人です。ですから私はあなたを信用します。この内容は大変危険な話です、それを引き受けて頂けるのならよろしくお願いします。そして、ありがとうございました」

 井加留は雅に頭を下げて礼をした。それを見た雅の表情はパッと明るくなると嬉しそうな表情で頭を縦に振った。

「この話を直接話されても、国王様は信用されないかもしれません。私が今から自分の所属先と共に内容を書き記そうと思います、それを直接お渡し願いますか」

「そうだな、その方が良いだろう。では、よろしく頼む井加留さん」

 刀良は医療所の人間を呼んで墨と紙を借りた。井加留が詳しい内容を紙に書き記して刀良に渡した。

「井加留さん、あんたはこれから身を隠した方が良いだろう。気分が回復次第どこかに身を寄せたほうがいい、できるか?」

「分かりました。身を隠すのは私の得意分野ですので、大丈夫です。もし、何かあって情報が欲しい場合は、ここに来て私の名を言って下さい、ここの者が連絡を取ってくれます」

 井加留がもう一枚の紙に書き記すと刀良に手渡した。

「よし、では俺達は行くとしよう。井加留さん、達者でな」

 刀良はそう言って片手を上げて部屋を出ていく、武彦もそれに続いて部屋を後にした。最後に雅がぺこりと頭を下げて井加留に別れを告げると、井加留も礼を口にして頭を下げた。雅はニコリと笑うと部屋を後にした。

 三人は診療所を出ると、本城に行くために大通りを西に向かって歩き出した。

「雅、井加留さんが持っていた情報て言うのはどのよう内容なんだ?」

 刀良は井加留から受け取った書状を懐に入れながら雅に聞いた。

「簡単にお話しいたしますね。現在、武上の国で大量の乱の花が栽培され、それを趣向品として月芽だけで無く他の大陸の国々にも売りつけようと計画されているそうです。先ほど話したとおり、この花の種から作られた物を使用すると恍惚な気分になります。その効果は絶大で数回使用すると依存性の高さからそれが無いと生きていけなくなるぐらい激しいものとなります。更に使用し続けると体と精神が犯されて最後には死に至る恐ろしい薬物なのです」

 雅は表情をこわばらせながら、知ってしまった恐ろしい情報に押しつぶされまいと前を歩く刀良の手を握り耐えていた。

「と言うことは、それが世界にばらまかれたら多くの人々が苦しむことになるな」

 武彦は雅を守るように背後に回ってそれとなく警戒しながら歩いた。

「それだけじゃねえ。依存性が高いってことは、次から次へとその薬物を欲しがる人間が増えて、売りつけている武上の国がかなりの収入を得ることになる。人の弱みにつけ込んだ汚いやり口だぜ、絶対に止めないとな」

「井加留さんの持っていた情報では、実験として、まずこの国に薬物をばらまいて様子を見ようと計画されているそうです。一刻も早くこのことを当麻男垂見様にお話しないと大変なことになりますわ」

 三人は歩く速度を速めて、行き交う人びとの中を縫うように進んだ。目線を上げると町の中心にある隼城が小高い山の上に建てられているのが目に入る。

 城に入るには長い坂道を進むことになる。坂道の前に建てられている大きな門の前に、数人の門番兵が立っている。刀良達は彼らに話を通すと道をあけられて中に入ることを許可された。そして、城の入り口でしばらくの間待たされたが、案内人の男が一人現れて三人を中へ通した。

 謁見の間へ通されると、周りには国王の家臣達がずらりと並んで刀良達を値踏みするような目で見つめていた。

 やがて、国王の当麻男垂見が登場すると、三人を含む全ての者が頭を下げて跪いた。男垂水は玉座に座ると、大きく溜息をついて足を組み、肘掛けに左肘をのせると顎を左拳の上にのせた。その表情は曇り、とても他国の王子を迎える雰囲気ではなかった。

「良く来た、北平の国の王子よ。そして彩の国の姫君」

 男垂水は不機嫌な声で刀良達の来訪を歓迎した。

「お初にお目にかかります、男垂水様。私が阿縣刀良と申します。隣にいますのが―」

「挨拶はよい、早う今回来た要件を申せ」

 刀良が挨拶の言葉を口にしている途中で、男垂水が被せてそれを止めた。刀良は一瞬鋭い目で男垂水を見たがすぐによそ行きの表情に戻した。それを見た周りの臣下達から冷笑が聞こえてきた。

「はい。では、まず両家の親書をお読み下さいますようお願いしたします」

 臣下の一人が刀良に近づいて親書を受け取ると、男垂水の前で一礼してそれを渡した。男垂水はぞんざいな態度で受け取り親書を開き読み始めた。その間刀良達三人は無言でその様子を見ている。周りの臣下達は刀良達を見ながらヒソヒソと話していた。

「話にならんな」

 男垂水は両家の親書を読み終えると、無造作にそれを床に投げ捨てた。それを見た刀良が目を剥いて睨み付け、男垂水に近づこうと立ち上がろうとしたが、雅がそれを手で制した。

「両家の親書を投げ捨てるとは、些か無礼ではありませんか男垂水様」

 雅は冷静を装いながら男垂水に微笑む。

「無礼なのはそっちであろう。確かに我が国は、現在武上の国の攻撃を受けておる。だが、他国の応援が必要なほど落ちぶれてはおらぬ。どうせ、こちらに兵を派遣して一緒に戦う振りを見せておきながら、こちらの領土を少しでもかすめ取ろうとするつもりであろう。見え透いておるわ!」

 男垂水は立ち上がり、大きな声で怒鳴りつけると刀良達を睨み付けた。

「恐れながら申し上げます、男垂水様。それは飛躍しすぎだと思います。両家はこの国のためにと思い、こちらに参上したのです。どうか話をお聞き下さいませ」

 刀良達の後ろに控えていた武彦が、我慢できずに進言した。

「ん? お前は村国武樋ではないか。そんなところに控えていたので気がつかなかったわ」

 男垂水は刀良達に関心を無くし、武彦の方を見た。

「お久しぶりでございます、男垂水様」

 武彦は一礼して男垂水を見た。

「滅ぼされた一族の生き残りが何をしに来たのだ? 何故お前がこの二人と共に行動しているかは面倒なので聞かん。それよりも、今や王家でも無い、一般の民であるお前が儂の前に出てくるとは何事だ、即刻出て行け!」

 その言葉を聞いた刀良は怒りのあまり体が震えだしてきた。それを見た武彦はそっと近づくと刀良の肩に手を置くと軽く握って、怒りを抑えろと合図した。

「これはご無礼いたしました。男垂水様の仰る通りでございますれば、我々はここで失礼させていただきます」

「まったくだ、早く出て行いくがよい。この部屋からのことではないぞ、この国から出て行けと言っておるのだ」

 武彦が冷静な目で男垂水を見ると黙礼し、怒りを何とか抑えている刀良を立たせて謁見の間から退出した。刀良は怒りをあらわにしながらも、何とか自分を抑えて城から出た。そして大きく息を吸って勢いよく吐き出すと近くにあった建物の壁を手のひらで叩きつけた。

「まったく、何だよあの態度は! おい、武彦。お前が俺に言った男垂水の人物像を、もう一度言ってみてくれ」

 叩きつけた壁をにらみながら刀良は武彦に聞いた。

「温厚な性格で、頭も良く。民のことを一番に考える名君だ」

「その名君が、他国の使者を、それも王族の人間に対してあの態度か? 親書を投げつけやがって、その場で殴りつけてやろうかと思ったぜ」

「隣にいてわたくしもハラハラしましたわ。刀良様が怒りのあまり震えていましたものね」

「しかも、武彦のことを、滅ぼされた一族の生き残りとぬかしやがって、絶対に許せん」

「あの様な態度をとるお方ではなかったのだが、何事かあったのだろうか」

「武上の国にちょっかい出されてイライラしているんだろう。もうここには用はねえ、とっとと彩の国へ戻って岩由様に報告しよう」

 刀良はブツブツと文句を言いながら大通りを歩き出した。それを見て雅と武彦が後を追った。

「刀良様、私お腹が空きました。どこかの店に入りませんか?」

 雅が刀良の袖を引っ張っりながら歩いている。それに気づいた刀良がピタリと歩みを止めた。

「うん? そうだな、取り敢えず何か腹に入れるとするか。腹を満たせばこの怒りも収まるだろう。武彦、どこか知っているか?」

「軽い麺類から、肉を出すところまで色々あるがな」

 武彦が、この町にある知っている料理店を説明し始めた。ところが、雅は好き嫌いが多いようで、行く店がなかなか決まらず、あそこがいい、そこは駄目だと言い合って、刀良と少し揉めている。そのやりとりを見ていた老人が、腰を曲げながら近づいてきた。

「話し中に申し訳ない、あんたら旅の人かい?」

 突然現れた老人の登場で、刀良と雅は思わず話すのを止めて老人を見た。

「あ? ああ、そうだが爺さん何か用か?」

「いや、飯屋の話をしていたみたいだからの、良かったら儂の店に来ないかの?」

「爺さんの店? ま、構わないけど、がっつり肉料理が食べたいのだがあるかい?」

「私、肉料理は苦手ですの。野菜中心の料理なんかはあります?」

「うむ、両方出せるぞ。この大陸の料理だったら何でも出せるので安心じゃぞ」

「それだったら安心だな。雅、爺さんの店で良いだろう?」

「そうですね、それならば安心です。それでは案内して頂けますか?」

「分かった。では、付いてきてくれ」

 老人はニコリと笑うと大通りを西に向かって歩き始めた。刀良達もその後に続いている。

「ご老人の店の名は何と仰るのですか?」

 武彦が老人の隣に行き、並んで歩いている。

「麻見亭と言うのじゃよ」

「ふーん、有名な店なのか武彦?」

「……麻見亭ですか、私はこの町には頻繁に来ていますが、聞いたことがないですね」

「それはそうじゃろ、何せ一人だけのためにある店じゃからのう」

 老人はカラカラと笑った。

「一人だけ? 何だそりゃ、そんな店聞いたことねえぞ」

「刀良様、わたくし激しく嫌な予感がするのですが、大丈夫なのでしょうか」

 刀良と雅は、警戒するような顔をして老人との距離を少しとった。

「心配せんでも大丈夫じゃよ、味は保証するでな。それに、儂の店の料理を食えるなど幸運なことなのじゃぞ。黙ってついてくれば良い」

 そう言って老人は前を向きながら歩いて行く。途中脇道を左に入り細い路地に入った。そこは人通りが少なく、大通りと比べるとかなり寂しい雰囲気だった。老人はしばらく北の方向に向かって歩いたが、やがてぴたりと足を止めた。

「ここじゃよ、入ってくれ」

 そこは奥に細い作りになっている二階屋だった。両端の建物は割と立派な作りになっていて、その間に申し訳なさそうに老人の店が建っていた。

 老人に促されて中に入ると、少し驚かされる様子がそこにあった。

 中は色彩豊かな水彩画が壁にいくつも掛けられ、見たこともない物で作られている真っ白な皿や水差しのような物が棚に並ばれている。さらに、金や銀で作られた細かな細工の物も飾られていてまばゆいほどだった。

「すげえな、見たことも無い物ばかり飾ってあるぞ。爺さん、あんた何者だ?」

「ホホホホ。これらは儂の物ではないぞ、ここの主の物でな、大陸以外の国から持って来たんだと言っていたわ」

 刀良達は少し圧倒されながらも老人の後に付いて行く。階段を上ると、奥に繋がる通路があり、左右の壁には綺麗な色彩の絵が並んで飾られていた。

 老人は奥まで歩き扉を開けた。部屋の中は二十畳ほどの広さになっていて、真ん中に円卓が置かれ、そこに一人の男が椅子に腰掛けていた。どこかで見覚えのある風体であったが、すぐには分からず、刀良達と男の間に少しの間があいた。

「……男垂水様」

 武彦が男の正体に気がついて口に出した。

「へ?」

 刀良と雅が同時に同じ言葉を発してキョトンとしている。先ほどいた城内での豪華な装いでは無く、極めて質素な服装であるが、武彦の言った通り間違い無く当麻男垂水であった。

 男垂水は椅子から立ち上がると刀良と雅の前に来て、膝を床に着けると二人の前で頭を下げた。

「刀良殿、雅殿、先ほどは大変ご無礼いたしました、この通りお詫びいたします」

「え? 何であなたがここに? さっきまで城にいたのに」

 刀良は訳が分からないという顔をして男垂水を見下ろしている。

「男垂水様、頭を上げて下さい」

 武彦がすぐに男垂水の側にしゃがみ込んで男垂水の体を起こそうとしている。      「そうはいかない、私はお二人に大変無礼なことをしたのだ、謝罪をさせてほしい」

 男垂水は武彦の手を押しやって再び頭を下げた。

「ちょっと待って下さい。わ、分かりましたから頭を上げて下さい男垂水様」

「そ、そうですわ。少しはあれですけど、わたくし達全く気にしてませんから」

 刀良と雅も膝を床に着けて、男垂水の体を無理矢理起こした。

「何か訳がおありなのですね? 以前の男垂水様とは違ったご様子でしたので、変だとは思っていましたが」

 三人は、男垂水を先ほど座っていた椅子に座らせて、興奮していた男垂水を落ち着かせた。

「実は本城では本音で話せない事情があるのだ、武樋。……いや、今は千脇武彦だったか。村国一族が全て抹殺されたということだけは、何とか耳に入ってきたので心配していたのだ」

「私一人だけ、運良く逃げることが出来たのです」

「そうだったのか、生きていてくれて良かった。武上の国の事変を聞いて、あの子が心配をしていてね」

 そう言うと男垂水は再び立ち上がると、刀良達が入って来た扉とは反対側にある扉を開き、誰かに入ってくるように声をかけた。すると一人の女性が部屋に入ってきた。

「……伊妤殿」

 武彦が驚いた様子で女性の名を呼んだ。

「武樋様、ご無事でいらいたのですね。……良かった」

 伊妤は武彦の側に来て、手で顔を覆いながら涙を流している。

「えっと、武彦さん。この女性はどなたなの? それと、男垂水様も何故ここにおられるのか分からないのだが」

 刀良はこの部屋に起こっている状況が読み込めず、どうしていいか分からない様子だった。「今からお話しますので、どうぞここにお座りください。料理の方も出させますので、食事をしながら聞いて下さい」

 男垂水が円卓の椅子を勧めて刀良達を座らせた。そして、人を呼ぶと料理と飲み物が運び込まれて卓の上に並べた、魚料理から肉、野菜など様々な料理が並べられている。男垂水が食事を取るように勧めたので、各自箸を動かしている。

「まずはこの子をご紹介をせねばなりませんね、娘の伊妤と申します。この子と武彦は同い年で小さき頃からの馴染みでしてね。将来は二人を結ばせようと村国氏長殿と話あっていたのですよ」

「と言うことは、私と刀良様と同じような許嫁のご関係ですのね」

 雅が箸を止めて、複雑な表情で武彦と伊妤を見つめた。以前、武彦の心の中をのぞいた時に見た、武彦の絶望を雅は思い出した。

「二人がこの年になって良い仲になってくれていたのは前々から知っていました。なので嫁ぐのを楽しみにしていた時に村国一族が全て抹殺されたと聞きましてね、愕然としました。詳しい情報を集めようと人を送ったのですが、一人も帰って来ないので全く分からなかったのです」

男垂水は一旦話を止めて自ら自分の椀に茶を注いで一口飲んだ。

「それについては私がお話しいたします。当時、私は麾下の副官と数名の兵士に本城の様子を探らせたところ。宰相である大生部福留が将軍の高倉真事を使い謀反を起こしたと。そして、高倉が実行部隊となって我々村国一族を皆殺しにしたと聞きました」

「そんな。まさか、あの二人が。二人共氏長様の忠臣であったではないか」

 男垂水は椀を持ったまま驚いた様子で武彦を見た。以前武上の国に訪れ、二人に会ったことがある男垂水には にわかには信じられない様子であった。

「どういった事情で謀反を起こしたのかはわかりません。しかし、実際に私は高倉真事に追いやられ、何とか逃げ切ってあの国を出ることができました」

「……そうなのか。では、今は大生部が国の実権をを握っているということか、何と大それたことを」

 それを聞いた男垂水は、大きな溜息を一つすると頭を下げてうなだれた。

「何と言うことだ。そんな恐ろしいことが武上の国に起きていたとは。どうりで武上の国が突然我が国の領土を侵し始めたわけだ」

「向こうは何と言って攻めてきたのですか?」

 刀良が少し厳しい目つきで男垂水を見た。それは、武彦や男垂水の境遇が、以前自分が体験したことと重なったからだった。自分が信じ、心を許した者から裏切られた気持ちというのは計りがたいほどの心の痛みを感じるからである。

「簡単に言えば、今までの国王が死んで別の者が立つから我が国との交易でできた借金を無効にしろと言ってきました。当然そんな無茶な要求は突き返しましたが、要求を飲めないのなら攻め込むと言って少しずつですが国境を侵し始めて来たのですよ。しかし、そんな折りに刀良殿と雅殿が来て下さった。私は親書を読まして貰って大喜びしたかった。……しかし、既に我が国の中にも敵がいたのです」

「家臣の中に間者となって、男垂水様や白羽の国の状況を報告する者がいるのですね?」

「その通りなのだよ武彦。まさかとは思って調べさせたが重鎮である者を含めてかなりの者達がいるようなのだ。なのでそんな重大な話を決定してしまえば、すぐにでも向こうは攻め込んでくるだろう、そう思って先ほどは失礼なことをしたのです」

「……では、先ほど我々が出した提案は」

 刀良は思わず身を乗り出して立ち上がり、男垂水を見た。

「是非ともお願いしたい。彩の国が味方になってもらえれば、こんな心強いことはない。後で返事を書かせていただきますので、両国の国王にお渡し願いたい」

 男垂水は迷うこと無く返事をした。

「ふえ~、良かった。このまま帰ったとあっては親父と岩由様に合わす顔がなかったぜ~」

 刀良がへたり込んで椅子に座ると大きく息を吐いて天井を仰いだ。

「でも、よろしいのですか? そうなると我々北平の国は、石門、蒼月、更に武上の国を制した後、この月芽を統一することになりますが」

 武彦が念を押すように男垂水に質問した。

「真桑殿の親書を読ませてもらったが、私も同盟に参加しよう。長年、各国が争ったり結んだりを繰り返してきたが、この月芽は一つの国としてまとまるべきだ。統一した後、国の平和と民の幸せのために政をしてくれるのなら喜んで参加させてもらおう」

「分かりました。では、早速彩の国へ戻り、岩由様に兵の派遣をお願いに上がります」

「いつ頃こちらに派遣されるのだろうか?」

「すぐにでも動かせるようにしておくと言われておりましたので、二十日前後には到着できるかと思います」

「そうか、ならば一安心だ。これで一方的にこちらが蹂躙されることはないな」

 男垂水は安堵の表情を浮かべて、隣にいる伊妤に話しかけた。

「ところが、もう一つ危惧する案件があるのです、男垂水様」

「何だ武彦、もう一つとは。まだ何かあるのか?」

「刀良、井加留さんから受け取った書状をくれないか」

「ああ、分かった。男垂水様、これは武上の国へ間者として向かい戻って来た井加留と言う人からの書状です。彼は上司に武上の国の内容を報告すると、その上司に薬を盛られ瀕死のところをこの雅が救いました。そして、彼から事情を聞き、直接男垂水様に報告しようと思い、一筆書いてもらい預かっていました。雅、男垂水様に薬のことを話してくれないか」

 刀良は懐から、井加留の書いた書状を取り出して男垂水に手渡した。内容を知らない男垂水は首をかしげながらも書状を開き読んでいたが、乱の花から精製される恐ろしい薬物の内容を雅から聞くと、ことの重大さに気がついて顔色ががらりと変わった。

「我が国の民を実験の道具に使おうと考えるとは、何と恐ろしいことを考えるのだ。何としてでも奴らの計画を防がねば、この白羽の国だけでなく月芽全体の危機となるだろう」

 男垂水は内容の恐ろしさに少し震えていた。

「先ほどにもお話した通り、これは非常に依存性が高いのです。それがなければ生きていけなくなるほどの欲求に駆られ、最後には死に至るおそろしい薬物ですわ」

「この薬物を頻繁に摂取した人を治す方法はあるのですか?」

「摂取するのを止めれば、時間とともに体内から抜けていきますわ。しかし、それにはかなりの時間を有し、再び摂取したいという感情から戦わないとなりません。それは気が狂うほどの激情なので、寝台に縛り付けなければならないほど激しいものなのです」

「そんな状態の民が、数千、いや数万もいたら収集がつかずに、国としての機能が麻痺してしまう。……一体どうしたら良いのだ」

 男垂水は絶望で打ちひしがれ言葉を失ってしまった。それを聞いた武彦と雅も押し黙り、部屋には沈黙が支配した。

「ならば、それを我ら北平の国が解決いたしましょう」

 刀良が沈黙を破り力強く語ると皆一斉に顔を上げて刀良を見た。武彦はその言葉の意味を理解して刀良を見ると二人で同時に頷く。

「何と、解決する方法があるのですか刀良殿」

「はい、男垂水様。解決法は一つ、乱の花を栽培している地帯に潜入し、一つ残らず燃やしてしまうほかありません。必ず成功させてまいりますのでご安心ください」

「……おお、何と心強い。刀良殿、我が国で、できることがあれば何でも言って下さい、是非とも協力させていただきたい」

「では、後ほど詳しい内容を説明いたします。一旦我らは外に出ますので、今から五時間後に再びここで合流いたしましょう、その時にお願いすることがあるかもしれませんのでお願いします」

 そう言って刀良達は屋敷を出た。刀良は懐から藍色の手拭いを取り出して左手首に巻き、東の出口に向かって歩き出した。途中、円になっている広場に来るとそこで歩みを止めた。

 そこは、円の外側にぐるりと色々な食べ物の屋台が並んでいて、中央に屋台で買ってきた物を食べるための長椅子とそれと同じ長さの卓が並んでいた。

 刀良はそこに腕を組んで腰掛けた。武彦と雅もそれに倣って反対側に座った。すると、隣の卓に一人の老人が屋台から買ってきた物を持って腰掛けたそして、紙で包んでいた物を開けると食事を始めた。

「何かご用ですか武彦様」

 刀良達を一切見ないで、老人はしゃがれた声で話しかけた。

「え? おじいさん、刀良様とお知り合いなの?」

 雅がびっくりして老人を見た。すると隣に座っていた武彦が人差し指を自分の口に当てて、話をしないように促した。それを見た雅は状況を理解して、「しまった」と言う顔をして両手の手のひらを口に当てて黙った。

「三日後の夜までに、どれ位の梟の者達を集められる?」

刀良がわずかに口を動かし、周りの者に気がつかれないように声を出した。

「そうですね、五百は集められると思いますよ。何か急を要することでもできましたか?」

「ああ、ちょっと頼みたいことができた。先ほどまで俺達がいた屋敷に五時間後に来い、そこで説明する」

「分かりました、では五時間後」

 老人はなんとなく立ち上がると、そのまま食べながら離れていった。

「ねえ、刀良様。今のおじいさん誰なの?」

「梟と言ってな、うちの隠密だよ。雅も会ったことあるはずだぞ。さて、井加留さんと会って場所を聞かないとな、行くか!」

 刀良と武彦は立ち上がると、井加留がいる場所に向かって歩き出した。

「え~! わたくし、あのおじいさんとは会ったことありませんわ~」

 雅は首をかしげ、口をとがらせながら刀良達を追って歩き出した。

 刀良達三人は、井加留のもとを訪ねて、武上の国にある、乱の花の栽培場がどこにあるのか詳しい場所を聞き出した。井加留本人の体調はかなり回復しており、顔色も良かった。三日後の夜に敵地に潜入することを聞いた井加留は、自分も是非行きたいを話していたが、戦闘があり、危険な状況になることが予想されるので、刀良は止めるように説得した。

 深夜になり、三人は再び男垂水と昼間会った麻見亭に入った。二階に上がって扉を開けると、既に男垂水と娘の伊妤が到着していて、円卓にある椅子に座っていた。そして男が一人、男垂水の後ろで控えるように立っていた。ひょろりとしていて線が細く、目つきは細く、不敵な印象だった。

「おお、刀良殿、ご到着されたようですな。乱の花の栽培場がどこにあるのか分かったのですか?」

 男垂水が立ち上がって。右手を出して、座るように勧めた。

「はい、男垂水様。これから三日後の話し合いをしたいと思いますが、そちらの方は?」

 刀良は、男垂水の後ろにいる男のことを聞いた。

黒伏真くろ ふくしんと言いまして、軍の統括をしています」

 紹介された黒は、刀良を見て深々と頭を下げた。

「軍の統括ですか。失礼ですが、見たところ文官の方とお見受けしますが」

「その通りです、刀良殿。我が国では軍の頭は軍人ではなく、文官が頭になり命令を出します。軍人に全ての権限を与えてしまうと、その力を自分のものとして、国に対して危険を脅かす存在になりかねません。それを防ぐために文官を頭にしておるのですよ」

「なるほど、非常に考えられた組織形態ですね。作戦の立案などはされるのですか?」

 刀良が関心を示して黒を見た。

「作戦の立案は、直接の指揮官と私で話し合ってから国王様に上奏し判断を仰ぎます。ですので、軍事に関しては一応の知識は必要となりますね」

 黒が刀良に説明をしている途中で、先ほど刀良達が入って来たドアが開くと、さっき広場で話していた、梟の人間である老人が入って来た。

「おう、来たか。こっちに来てくれ」

 刀良は自分の後ろに来るように手招きした。老人は頭を下げて刀良のもとまで歩いた。

「うちの隠密部隊の指揮を執っている者です。三日後には、こいつの部下を五百ほど集めて、我らと共に乱の花の栽培場まで行く予定です」

「貴国の隠密と言いますと、『梟』ですね。聞いたことがあります、大変戦闘力が高く諜報任務もこの大陸の国々の中でずば抜けて優秀だと聞いています」

 黒が興味深そうな顔をして老人に自分の身分を明かした。そして、雅も食い入るように見ている、先ほど、刀良に会ったことがあると言われたので必死に思い出そうとしているのだ。

「だとさ、評判が高いじゃねえか」

「男垂水様、お初にお目にかかります。隠密ゆえ、名は申せませんが、ご容赦ください」

 老人が二人を見て頭を下げた。そして、雅はいまだ睨むように老人を見ていた。

「お久しぶりですね雅様、また背が伸びたようですね」

 老人はしゃがれた声で雅に声をかけた。すると雅はスッと右手を出して老人の手に触れた。

「ああ、清原梶尚だ! 何でおじいちゃんに変装してるのです? 分からなかったですわ」

 老人の正体がようやく分かって、嬉しそうに雅がネタばらしをしている。

「ちょっと、雅様! 今、名は申せませんって言ったじゃないですか、駄目ですよばらしてわ」

 梶尚が元々の自分の声に戻すとあきれるように雅を見た。その声を聞いた男垂水達は驚いた様子で見ている。

「いつ来たのよ、梶尚」

「刀良様と武彦殿が北平の国から出発した時からずっとですよ」

「来なくていいって言ったのに付いてきたんだぜ、こいつ」

 刀良は少し意地悪な顔をして雅に声をかけた。

「私は、刀良様の従者なんですから当然じゃないですか。大体、王族の人間が供を一人だけしかつけないで旅に出るとかおかしいでしょ?」

「梶尚、いるならわたくしに挨拶をするのが筋じゃありませんの? 知らない仲ではないのですから、それを黙って付いてくるとは許せませんわ」

 いつもの刀良と梶尚の言い合いと、雅の文句が始まりそうだったので、武彦が素早く三人を止めると男垂水に謝罪した。男垂水と伊妤の三人のやりとりを唖然として見ていたが、やがて楽しそうに笑うと武彦の謝罪を了解した。

「さて、これから作戦をご説明します」

 武彦は一つ咳払いをして、これ以上騒がないように刀良達を目で牽制した。三人は申し訳無さそうにおとなしく座っている。そして、黒から国の地図を借りて卓に広げた。

「現在、武上の国の軍勢は、この国の南東付近の国境地帯を侵しています。しかし、完全には攻め込まずにこちらの反応を覗っている様子が見て取れます。これは男垂水様がおっしゃっていた敵国からの要求を飲ませようと脅かしているだけでしょう。しかし、この軍勢を無視していただきたい。そして、兵一万程を、本城から南側にある雀城に集結させから南進して国境を渡り、敵の大室城を攻め込む構えを見せて下さい。敵は大室城を取られれば、南側には本城である加利山城がすぐ近くにありますので取られるわけにいきません。なので急いでこれに対処するべく軍を派遣するでしょう」

「武彦殿は攻め込む構えを見せると言ったが、本気で攻め込む訳では無いのですね?」

 黒が腕を組んで地図をにらみながら武彦に質問した。

「そうです、黒殿。あくまでも敵の注意を引いてもらうことが目的です。その隙に我々が敵地に侵入して乱の花の栽培場を焼き尽くします」

「それは、さっきお前から聞いたが、どうやって侵入するつもりなんだ? 敵の国境地帯では物見隊がうろついているはずだから見つかる可能性が大きいぞ、武彦」

 刀良が地図にある、大室城のところを指で指して武彦を見た。

「ここ白羽の国と武上の国の西側には深い山々が南北に連なっている。我々はこの山から侵入して栽培場へ向かう。乱の花の栽培場は敵の本城である加利山城から、西へ八十キロのところにある。ここは西の山の麓にあるため、山を下りれば、すぐ近くにあるので作戦を速やかに実行に移せる」

「確かに栽培場は山の麓にあります。しかし、この山々はかなり山深く、道になどありません。進軍するには困難を極めますし、時間も多くかかりますぞ」

 黒が武彦が作った作戦の不備を指摘した。

「問題ありません黒殿」

「問題無いって、ありすぎだろう武彦。いくら動きの速い梟と言ったって、山での体力は相当に消費する、現地に到着してからの戦闘は充分に考えられるから、満足に戦えるとは思えんぞ」

「その通りだ、刀良。だが、この山々には、古来よりここで生活を営んでいる者達が居るのを知っているか?」

 武彦はそう言って、他の者にも知っているか目で問うたが、誰も答えられなかった。

「土田一族と言われる者達がここにいる。彼らは狩猟や山で採れる植物を採取して生活をしていて滅多に山を下りることはないのだ。縄張り意識が非常に高く、入って来た侵入者がいたら武力で追い出すほど好戦的だ。だが、私は武上の国にいた頃、彼らとは交流を持っていたので問題無い。金の袋を一袋ほど渡せば近道を案内してもらえるはずだ」

「そのような一族がいるとは初めて聞きました。しかし、必ず現れる確証はあるのですか?」「先ほども申しましたが、彼らは縄張り意識が非常に高いのですよ黒殿。一人や二人なら放っておくでしょうが、五百程の人間がまとまって山の中をうろつけば、間違いなく彼らは我らを追い出しにやってきます」

 武彦は確信を持った顔で皆に断言した。

「確かに、敵の目から逃れて侵入するには、お前が言った策しか方法はないな。いかかでしょうか男垂水様、我々の兵は三日ほどで集まる予定です。実行日は、その次の日から始めようと考えていますが」

 刀良が男垂水に作戦の決定を仰いだ。

「それでお願いします刀良殿。我らは今すぐ兵の準備を整えますので、そちらの準備が出来次第動くことに致しましょう」

 男垂水は立ち上がると、黒に兵の招集を命じた。そして、刀良達は男垂水に挨拶をして、準備のために館を後にした。

 そして三日後の昼に、梶尚の要請で集まった五百名の梟の者達は、隼城の城下町に集結していた。そして、刀良と武彦、梶尚の三名が城下から離れて西へと歩き出すと、それを合図に一人、また一人とバラバラに西の山へと歩き出した。

 白羽の国の一万の軍勢は、その一日前に雀城に集結すると、ゆっくりと武上の国の大室城へ向かって進軍を開始していた。

 刀良達は深夜になっても歩きを止めず西へと歩き続けている。周りを見るとバラバラに散って歩いていた梟の者が徐々に集まりだすと、やがて刀良達を中心にして一つのかたまりとなって進んでいた。歩いている速度はかなり速く、普通の人ならば小走りをしている速度で皆歩いている。

 一人の男が梶尚に近づくと何か報告をして下がっていった。

「刀良様、後方で敵の間者らしき人影は見当たらないそうです。我々はうまく城下町から抜け出せたようですね」

「表向き、俺達は男垂水様から相手にされなかったことになっているから、敵の間者がいたとしても注目されていなかったのだろうな。それに白羽の国の一万の軍勢が動いているから、そちらに目は奪われいるしな」

「それにしても、よく雅様が付いてこなかったですね。あの姫様のことだからてっきり来るのかと思いましたが、さすがに戦闘が予想されるので遠慮したのかな」

 梶尚は歩きながら刀良に話しかけたのだが、それを聞いた刀良は小さいため息を一つした。「遠慮なんかする娘かよ、説得するのに大変だったんだぞ。乱の花は私が一番詳しいのだから連れて行けとか、刀良様と離れるのだったら死んでやるとか、無茶苦茶だったぜ」

「……やはり、そうでしたか。それで何と言って説得したのですか?」 

「最終的には、武彦が上手く言ってくれたよ。この国は珍しい薬草が国外から流れてくるから見ておいた方が良いってな。そうしたら目を輝かせて是非みたいって言ってくれてな。それに追い打ちで、美味い果実も豊富だぞって言ったら。そっちの話に夢中になってさ、伊妤殿に頼んで預かってもらったよ」

「……なるほど、それは、それは」

 梶尚はそれ以上何も言えず、無言のまま刀良の後を歩いていた。

 やがて、東の空が明るくなると、刀良達の前方には大きな山々がそびえ立っているのがはっきりと見えてきた。武彦は迷うこと無く、先頭で山の中に入って行った。

 青々と生い茂り、非常に高い木々がびっしりと並んでいるこの山地は、千五百メートルから二千メートル級の山々が連なっている。多種多様なキノコや野生のイノシシ、熊や鹿などが生息していて、狩猟をするには最適の場所ではあるのだが、この山に好んで入る人間はほどんどいない、山の奥深く入ると、谷や川が複雑に入り組み、見る景色も変わらないために一度迷うと山から抜け出すのが非常に困難であるからだ。

 武彦は普通の人には分からない有るか無きかの道を南へ向かって歩き出した。

「なあ武彦。不思議とお前が通るこの場所は、急斜面の山の割には比較的歩きやすいな」

 刀良は山の中を目で探るように武彦に話した。

「分からないだろうが、今俺達が歩いているところは連中が使っている道になっているのだ」

「連中と言うとこの前言っていた土田一族か」

「ああ、俺が武上の国にいた時に、連中と知り合って教わったんだ。多少上り下りするだろうが、それでも何も知らないで歩くよりは楽だと思う」

「なるほどな。じゃあ、この山に入ったときから感じるこの視線みたいなもんは連中からなのか、武彦」

「刀良様も感じますか。これ、かなりの人数がいるようですね、殺気を消そうともしてないや」

 梶尚が少し緊張した様子であたりを見回している。

「この人数で、しかも武装して山に入っているから当然だな。間違いなく見張られているようだな」

 武彦がそう言った刹那、前方の木々の上の方から鋭い風斬り音がして歩みを止めると、足元に数本の矢が音を立てて突き刺さった。

「これ以上の通行は看過できぬ、ここは我々の土地だ。今すぐこの山から下りろ、さもないとお前達を皆殺しにするぞ!」

 どこからともなく男の声が聞こえ、あたりを響かせている。辺りから感じる殺気はかなり多く、刀良達と同じかそれ以上だった。

「土田清麻呂に会いたい、いるのなら出て来てもらえないか!」

 聞こえてきた声に答えるように武彦は大声をあげた。しばらく山の中はシーンと静まりかえって何も聞こえなくなったが、やがて刀良達の右側の山の上の方から、音を立てて人が三名こちらに向かって降りてきた。

「何故俺の名を知っている。お前は一体何者だ?」

 獣の毛皮を着て、顎から口の周りまで髭を生やした一人の男が話しながらこちらに近づいてきた。

「久しぶりだな清麻呂。私だ」

 武彦もその男に近づいて声をかけた。男は訝しげに武彦を見つめていたが、やがて思い出した様子で明るい表情に変わった。

「おお、村国武樋ではないか! 死んだと聞かされていたのだが、お主生きていたのか」

「お前にも話は通っていたか。何とかあの国から逃げおおせてな、無事でいるよ」

「去年の秋頃、いつものように山で取れた獣の毛皮や肉を、加利山城下町に売りに行ったら、町の中に入れてもらえなくなってな。お主の名を出したのだが、その男は死んだと門番の役人が言いおってな、町を出入りしている人間を捕まえて聞いてみたら国王が替わったと言うでは無いか、何があったのだ? それにこの連中は何なのだ、見たところかなり腕の立つ者達のようだが」

 清麻呂の問いに武彦は今までの経緯を語り、今回の白羽の国の作戦を話した。

「なるほどな、そんなことが会ったとはな。名も変えたとは、お主、随分と苦労したのだな、それでこの大きな男がお前の大将と言う訳か」

 清麻呂が頭を上げて刀良を見上げた。

「阿縣刀良と言う。話は武彦が言った通りだ、山を通ることを許してもらえないか清麻呂殿」

「そう言うことなら問題無い。俺とこの男とは友だ、ならばお主も俺の友ということだ。友の頼みなら喜んで応じよう」

「すまんな清麻呂、これは気持ちだ受け取ってくれ」

 武彦が金の入った袋を清麻呂に差し出した。

「友の頼みにそのようなものはいらん。だが一つだけ聞いて貰いたいことがあるのだが、お主も知っている通り、我らはこの山々で生活している。だが、生活に必要な物はお主達がいる城下町に豊富にあってな、武上の国に出入りできなくなり、手に入れられなくなって難儀しているんだ。できれば白羽の国で、山々で取れた物を売り、その銭で必要な物を手に入れたいのだが口をきいてもらえないか」

「今回の作戦は、白羽の国と関係している。作戦が終わった後に、清麻呂の話は国王である男垂水様通しておくから安心してくれ」

「そうか、それはありがたい。ならば武上の国への近道を案内しよう、そこを使えば通常三日掛かるところを二日で行ける、付いてきてくれ」

 そう言って清麻呂は付いてこいと腕を振って歩き出す、刀良達は清麻呂の後を歩き出した。すると、木々の間や上から山に住む者達が次々と姿を現して刀良達を取り囲むように歩いている。皆、清麻呂と同じように獣の毛皮を着込んでいて、背中には弓を背負い、腰には刀を差しているが、刀良達が使っている刀より短いようだ。

 山に住む者達の歩く速度はかなり速い、刀良達でさえ何とかついて行けるぐらいであった。だが、そのおかげで夜には武上の国の国境地帯を越える地点まで進むことができた。

 刀良が一旦そこで野営することを提案し、夜を過ごすことになった。清麻呂が部下に命じて事前に捕まえていた猪を数頭解体すると、鍋に入れられてそれが今夜の夜食となり全員に配られた。山の民族がよく使う調味料で味付けしてある鍋は非常に美味で刀良達を喜ばせた。

 刀良が周りを見ると、鍋を熱するための焚き火の灯がいくつも見られるのを確認した。

「こんなに人数がいたのか。このような足元が定まらん場所で戦ったら、俺達でもただでは済まないな。戦闘の調練などもやっているのか、清麻呂殿」

 刀良が同じ鍋で食事をしている清麻呂の武装を見て話しかけた。

「清麻呂でいいぞ刀良。この山々には俺達土田一族以外にも暮らしている部族がいくつかあってな、共闘して戦うことになっているのだ。十五になった男は三年間強制的に戦闘の調練を受けることになっていて、調練の期間が明ければそれぞれの部族に帰り、生活をすることを許されているんだ」

「どれ位の人間が暮らしているのだ?」

「全て合わせると五万ぐらいかな。その内、戦闘要員は二万と言うところだろう」

「見たところかなりやりそうな連中だな、動きに無駄が無い」

「まあな、自分達の土地は自分達で守らないとな。昔、武上の国が五万の軍勢で山に攻め込んだことがあったらしくてな、それを僅か一万五千ほどで撃退したことがあるらしい」

 清麻呂は刀良達を見るとニヤリと笑った。

「僅か一万五千だと、本当かよ、武彦」

「本当だ。彼らの戦い方は山を味方に戦う。平地から来た人間では見分けられない罠があちこちに設置してあり、はまれば絶対に逃げられないようになっている。それに背負っている弓矢も特殊でな、毒を仕込んであって掠っただけでもあの世行きだ」

「そんな連中とどうやって打ち解けたんだ、武彦。お前達は敵同士の関係じゃないか」

 刀良が二人に話すと、清麻呂と武彦がお互いに目を合わせると口を横に広げた。

「五年ほど前に、子供が数人で山には行ってきて狩りを始めたんだ。武上側の山だったので大人がまだ子供だった俺に追っ払えと命じてな、相手と同じ人数で撃退に行ったのだが、一人かなり強い奴がいて逆にやられてしまったんだ。二刀流を使いこなす凄腕でな、びっくりしたぜ。そうしたら、そいつが俺達を強いと褒めてくれてな、良い調練なるから次からは命のやり取りはなしで戦おうと言いだしてな、笑ってしまったぜ」

 清麻呂は、話しながら左手の親指を出して武彦に向けて笑っている。

「その話を父の氏長に話したら興味を持ってな、後日に数人だけ引き連れて山に入り、彼らの長と会って話をしたのだ。二人共意気投合してな、それから交流が始まったのだ」

「そうだったのか。しかし、俺の親父も言っていたが、氏長殿と言う人は随分と人に好かれる人物だったのだな、敵同士の関係でもすぐに打ち解けられている」

「その通りだよ、刀良。毎年夏になると、涼みに山に入って来て、長の家に何泊かしていたもんだった。その時に色々な土産物を持って来て貰って皆喜んでいたよ。一国の王だというのに偉ぶるところが無くて皆に好かれていたが、亡くなったと聞いたときは非常に残念だった。葬儀の日、我ら山に住む者達のほとんどが平地に降りてきて見送りに行ったよ」

 清麻呂は持っていた枝を二つに折ると、二本とも火の中に放り込んだ。パチッと言う音とともに火の勢いが強まった。

「そんな名君が治めていた国を家臣が裏切り、我が物顔で牛耳るなど外道のすることだ。明日は必ず成功させよう」

 刀良は武彦と清麻呂を見た。武彦は頷いて返事をした後に、自分の顔の傷を左手で触れた。

 翌日、日の出とともに刀良達は出発すると、夕刻の時刻になって、乱の花の栽培場近くの山に到着した。栽培場は山の麓にあるが、そこは五メートルほどの崖になっていて、縄を使って降りなければならなかった。刀良は栽培場の様子を探るために、梶尚に部下を連れて様子を見に行かせていたが、三十分後戻って来た。

「随分と大きい栽培場ですね。白羽の国の城下町がすっぽり入ってしまうほどの大きさです。畑の中は、作業員がほとんどで、武器を携帯している警備の人間は少ないと感じました。それと、北側の栽培場の入り口に一棟、中央に北から南に大きな平屋の建物が三棟並んで建っています。恐らく警備と管理している者が泊まりで在駐している場所だと思います」

 梶尚が地面に敷地の様子を書き込んで説明した。

「どう思う、武彦」

 刀良が武彦を見た。武彦は腕を組んで梶尚が書いた地面をにらんでいた。

「警備の人間が少ないな」

「今、白羽の国の軍が攻め込む形を見せているから、こっちの警備の人間をそっちに送っているんじゃないのか?」

「それはあり得ますね。それに、作業員に怪しい動きは無く、淡々と作業をしていました。皆白の作務衣を着ているので一目で分かると思います」

「そうか、ならば非戦闘員には攻撃しないようにしてほしい。恐らく彼らは雇われている一般人だろうからな」

「分かった、それは全員に徹底させよう。目的は敵を殲滅させることじゃない、乱の花を燃やすことだ。達成したら速やかに撤退しよう。まず、梶尚は二百ほど連れて入り口の建物を燃やしてくれ、騒ぎを見て警備の人間がそっちに行くのを見計らって、俺と武彦が残りを連れて畑を燃やす作業を行なう。梶尚は無理して戦うなよ、危険と判断したらすぐにこっちに合流するんだ」

「分かりました。それでは今から人を選別して山を降りていきます」

 梶尚は部下を招集して選別を始めた。

「こういうのは何かわくわくするな。俺達はどうすれば良いんだ、刀良」

「清麻呂達は、俺達に何か起きた時のために山の中で待機して貰えるか? 撤退する時に敵に後ろから攻撃を受ける可能性が高い、その時に援護が欲しいんだ」

「分かった、敵が来たら矢をぶち込んでやるよ。敵がたっぷり来ても任せろ」

 清麻呂はニヤリと笑って仲間の方に歩いて行く。刀良は清麻呂のやる気の高さに苦笑すると、歩いて行く後ろ姿を目で追った。その時、側にいる武彦の表情が浮かない様子なのを見つけた。

「どうした武彦、何か心配なことがあるのか?」

「……いや。戦わないといけないのは分かっているのだがな」

 この武上の国は武彦の生まれ育った国である。いくら事情があって国を去ったとは言え、武器を携帯している警備の者は兵であり、直接では無いが部下であった者達だ。切り込むことに抵抗がないと言えば嘘になる。

「何だったら、お前も山で待機していても良いんだぞ。無理をするな」

 刀良は気持ちをくみ取り、武彦の肩に手をポンと置いた。

「大丈夫だ。北平の国の人間となり、戦場に出ることになったからには覚悟はしていたのだ。この作戦によって多くの人達の命を救えるのだ、行くとしよう刀良」

 武彦は立ち上がると右手を刀良に差し出した。刀良は武彦の右手を掴むと勢いよく立ち上がった。


 眼下には広大な栽培場が広がっていた、一面淡い薄紫色の乱の花がびっしりと咲き誇っている。少し風が吹いているのか南側から北側に向かって揺れ動いている。中にいる人間もここからはっきりと分かる。梶尚が言っていた通り、ほとんどが作業員で花を収穫し、荷台に載せて運ぶ者や新たに種を蒔くために土地を広げている姿が見て取れた。

 刀良達は栽培場の西側にある、山の中に潜んでいた。梶尚が出て行って三十分後、栽培場の北側辺りから黒い煙が立ちこめているのが見えた。

「上手く施設を燃やしたようだな、では俺達も降りるとしよう。いいか、畑が燃え広がってきたら各々の判断でここに戻って来い、ゆっくりしていたら火に巻き込まれるから注意しろ」

 刀良はそう言って梟の者達を送り出した。一斉に数十本の縄が下ろされる、梟の者達はなれた様子で次々と素早く下に降りていく、最後に刀良と武彦が下に降りていった。

 刀良が下に降りて素早く周りを見回すと、行けと腕を出して合図を出した。畑を燃やすこちらの人数は三百である。三人ひと組にして、それを十組編成すると、皆、事前に打ち合わせた場所に走り散らばっていった。

 武彦は刀良の前を走り、自分達が受け持つ栽培場の東側に向かって駆けている。栽培場の異常を知らせる鐘の音が北側から聞こえてきて、武器を携帯している警備兵がそちらに向かっているのが見えた。

 突然の鐘の音に、作業をしている者達が驚いた様子で煙を見ていたが、梟の者達が駆けているのを確認すると、作業を中断して逃げるようにそれぞれが散りだした。

 武彦は逃げる作業員の男の背中を追うような形になって東側へ駆けていた。すると、前を走る男が駆けるのを止めてその場にしゃがみ込み、こちらを振り向いて武彦と目が合った。徐々に男との距離が近づく、無論武彦はその男を切るつもりは無いので、そのまま通り過ぎすれ違った。しかし、何か違和感を武彦は感じた。目が合った男に恐怖の表情が感じられなかったのだ。

「あぶねえ、武彦避けろ!」

 距離を取って後方を駆けている刀良の声が聞こえた。武彦は背中にゾクッと嫌な感じを受けて、思わずそのまま前方に身を投げて花の上を転げ回った。その瞬間ブンと何かを振り回す音が聞こえたのを武彦は耳にした。

 態勢を立て直して膝立ちになった武彦は、音が聞こえた後方を見た。そこには、先ほどすれ違った作業員の男が刀を持ち武彦に向かって振り下ろす姿だった。

 その姿はいやにゆっくりに見えた。男の顔は怒りに歪みこちらを見下ろしていた。武彦は何が起きたのか理解できずにいたが、体だけは反応して左の鞘から刀を抜くと男に向かって刃を滑らせてすれ違った。僅かなうめき声が聞こえて、男の腹から血が飛び散ると前のめりで花の上に倒れた。

「平気か武彦」

 刀良が倒れている男を見ながら武彦に近づいた。

「どういう事だ、この男はただの作業員ではなかったのか」

「どうやら、一杯食わされたようだ。見て見ろ」

 刀良が顎で見るように促すと、いつの間にか周りには武器を持った作業員達が周りを囲んでいた。武彦はゆっくりと動くと、刀良と背中合わせにして左手で右にある刀を引き抜いた。

「なるほど、ここにいる人間は全て兵だったというわけか。こんな下らん手に引っかかるとは情けない」

「仕方ねえよ。武器を畑の中に隠していたら遠目では分からねえ。それを梶尚に文句を言うのは酷ってもんだが、帰ったら雅のおもりをさせる刑にしてやる」

「それは大変だな、まだこの状況の方が楽だぞ」

 二人は低く笑い、お互いの背から離れると、向かって来る敵兵に攻撃を仕掛けた。


 栽培場の入り口にある建物から煙が上がり、徐々に燃え始めている。自分達が姿を現しても防いでくる警備兵の抵抗は僅かなものだった。作戦は成功したかに見え、畑にいる刀良と合流を果そうと梶尚が部下達に指示を出して走り出したが予想外のことが起きた。騒ぎを聞きつけて集まって来た、作業員達の中を突っ切ろうと近づいた時に、先頭を駆けている何名かが切りつけられて倒れたのだ。梶尚達は立ち止まり、突然襲ってきた作業員達とにらみ合う状態になった。

「参ったな、作業員も兵だったのか。これじゃ、人数的にかなり不利になったな」

 梶尚は少し困った顔をしながら背中に背負っていた鴛鴦鉞えんおうえつを取り出して、それぞれを両手で持つと、前方にいる敵兵に向かって走り出した。

 前方で攻撃している敵兵四名に、梶尚が近づいて素早くすれ違うと、その四名はがくりと崩れ落ちた。そして、すぐにまた敵兵の中へ入っていくと、一人また一人と次々と敵兵が倒れていく。動きの速い梶尚の攻撃に、敵兵は翻弄されていた。部下達もそれを見て攻撃を開始して激しい戦闘状態になっていった。

 梶尚が一旦停止して周りの様子を見ると、若干二百ほどのこちら側に流れが傾いたに見えたが、梶尚の後方で別の戦闘の気配が伝わってきた。

 一人の指揮官らしき刀を持った男が、先頭に立って梟の部下三名をあっという間に切り伏せていた。尋常で無い気配を梶尚はその男から感じた。隙が無く冷静な様子で兵達を指揮しているその男は、背が高くかなり痩せていて顔色も悪い。だが、その目の奥からは何か不気味な感じを梶尚は覚えた。

 だが、すぐに梶尚は動き出し、その男に向かって高く跳躍すると鴛鴦鉞を振り回して着地した。周りにいた兵三名を切り倒したが、男には傷を与えることは出来なかった。間髪を入れず右、左、そして、しゃがみ込んで足元を切り込んでみるが全て躱されてしまう。しかしそれでも梶尚は攻撃の手を緩めること無く鴛鴦鉞を振り回していると、一太刀、二太刀と深く胸のあたりに切りつけることに成功した。だが、男は痛みを感じて無いのか下がる様子が無かった。

 男が梶尚の一瞬の隙を見つけると右足で胸のあたりを蹴りつけた。梶尚は両手でそれを防ぐが、後方へ飛ばされてしまった。態勢が崩れた梶尚であったが、そのまま後方へクルリと一回転すると何事もなく着地する。

「ほう、珍しい武器を持っているな、周りの者達も動きが速い上に読みづらい、ただの兵では無いな。白羽の国でそんな者達を持っている話は聞いたことが無い、別の国から来たと言うことか。山から仕掛けて来たのは意外であったが、お前達の人数ではここを潰すことはできない、残念だったな」

 指揮官の男は周りの兵に命じてこちらに攻撃を仕掛けてきた。梶尚の後方では、いまだに戦闘が続いていて、前後から挟まれているかたちとなってしまった。それでも梶尚は武器を振るい敵兵を倒している。だが途中で指揮官の男が梶尚に向かって刀を振るってくると、それにかかりっきりになってしまい部下達の手助けができなくなってしまった。敵の指揮官は立て続けに剣を繰り出してくる、何とか梶尚は防いでいたが左腕に深い一太刀を受けてしまった。

 一旦下がり、部下達を自分のところに集まるように指示を出す。束の間お互いがにらみ合う格好となった。

 多勢に無勢である、周りをぐるりと敵が囲み、逃げる隙が無くなってしまった。このままではこちらが敵に押し包まれて全滅してしまう。

伊大知いたちさん。こっちへ」

 梶尚は、この隊の副官を呼び出した。

「あなたが先頭になって、燃えている建物とは反対側の方へ走り、囲みを突破して下さい」

「若はどうされるのです?」

「勿論、僕も後ろを守りつつ、後に続いて行きますよ」

「それでは危険です。しんがりの守りは私がやりますので若が先頭の方で先に抜けて下さい」

「隊長が部下達よりも先に逃げるなんて出来ませんよ。話は以上です、早く行って下さい」

 梶尚は有無を言わせない目をして副官に命令した。

「……分かりました、くれぐれもご無理をなさらないで下さい」

 そう言うと伊大知は建物とは反対側へ走って行った。そして合図の指笛が鳴らされると、全員で一斉に動き出して敵の一点を攻撃し始める。そして、梶尚とその周りにいる部下は、しんがりで敵の攻撃を待つために振り向いた。

 先頭の方は上手く突破出来たようで、栽培場の南側に穴が開いたのだが、隊の後方は乱戦模様になっている。後ろに下がりながら敵の攻撃をいなしてはいるが、敵の数が多くそれも限界に達してきた。少しずつ味方が削られてきている、梶尚もいくつも浅傷を受けていて激しく息を切らしていた。

「さすがにこの状況は不味いな、無理かなこりゃ」

 そう梶尚が諦めかけた時だった。栽培場の東側から何かが勢いよく飛込んで来るの一団を梶尚は目の端でとらえた。そして、それはそのまま自分達を攻撃してくる敵に向かってぶつかっていく。二人ばかりが先頭で切り込んで敵に攻撃を仕掛けている。一人は二刀持ちで素早い動きで敵を切り刻み、もう一人は一振りで三人ほどを真っ二つに切り飛ばして敵を圧倒している。 そんな滅茶苦茶な攻撃が出来る男達を梶尚は知っている、刀良と武彦である。二人の圧倒的な攻撃力で敵の勢いが止まり、後方へ下がって行った。梶尚は後方にある乱の花の畑の方を見た。盛大な煙が方々で上がっている。

「無事だったか、梶尚」

 刀良が梶尚の側に来てニヤリと笑った。

「あまり無事では無いですけどね、助かりましたよ刀良様」

「減らず口が叩けるようなら平気だな」

「うまく畑は燃やしたようですね。しかし、状況はあまり良くは無いですね、敵の数はこちらを圧倒していますので逃げ切るには難しいかと」

 梶尚が息を切らしながら、自分達を囲んでいる敵を見た。

「確かにな、だがこのまま潰されるわけにはいかねえ、さっきお前達がやったように南側へ一気に突破してずらかろう。まだ動けるんだろう、梶尚」

 刀良が自分の手拭いを梶尚に渡した。

「勿論です、刀良様と武彦殿がいてくれれば、突破は可能です」

 梶尚は受け取った手拭いをを左腕の傷口に巻いて、口で縛った。

「よし。武彦、三人で突っ込むぞ」

 刀良は武彦に声を掛けたが、武彦はジッとして動かず、一人の男を見つめている。先ほど梶尚と戦っていた指揮官だった。

「どうした武彦」

「……高倉だ。随分と痩せてはいるが、間違い無く高倉真事だ」

「あいつが高倉真事か。それじゃ、この兵の偽装も奴が考えたのか」

「恐らくな。こういうことを考えるのは奴らしいと言えるがな」

 武彦が高倉を睨んでいると、向こうも武彦に気がついてこちらを見ている。笑っていた。思わず、かっとなった武彦が勢いよく高倉に向かって駆け出そうとした時、刀良が武彦の右肩を掴んでそれを止めた。

「落ち着け、武彦。いま突っ込んでいったところで勝ち目は無い」

 武彦は振り返り、一瞬刀良を睨んだがすぐに自分を取り戻したようで駆けるのを止めた。

「時が来れば、嫌でも奴と戦うことになる。こっちの準備がきっちり整ってから乗り込んでやろうや」

 刀良は掴んでいた手を緩めると、そのままポンと武彦の肩を叩いた。

「お前の言う通りだ、今はここを抜けることが先決だな」

 武彦はこちらを向いて南側に歩き出した。

「よし、みんな聞け。一気に突破するから俺達に付いてこい」

 刀良が周りの者達に声を掛けると、皆頷いて返事をした。そして、刀良、武彦、梶尚の三人が横並びになり、それぞれが武器を構えると一気に走り出した。

 刀良を真ん中にして、先頭で南側の敵に戟を振るってぶつかっていく。攻撃を受けた敵兵五人ほどが吹き飛ばされると、刀良の両翼にいた武彦と梶尚は素早い動きで次々と敵を切り倒していき、後方の味方を前へ走らせた。そして、最後方にいた兵と共に抜けていくと一気に山の方角へ駆けた。

 敵の包囲を突破してしまえば、前に塞がってくる敵は微々たるもので、味方の梟の者達が蹴散らしていく。だが、最後尾にいる梶尚が肩を回し後ろを見ると、敵の先頭が三メートル近くまで来ている。

 今度動きを止められたら、逃げ切れずに全滅してしまう。そう考えて駆けているのだが、先ほどの戦闘で皆体力を使ってしまい、徐々に速度が落ちてきている。だが、山の入り口が見えてきてあと少しの距離まで来ている。梶尚の後ろから迫ってきている敵兵が手の届く距離まで近づいて来た時、前方で向きを変えた刀良がこちらに向かって駆けて来るとすれ違い、戟を振るった。

 刀良の攻撃で敵の前列が無理矢理止められて少し混乱している。

「何やってるんですか刀良様。早く山へ行って下さい」

 梶尚も立ち止まり敵の前列を攻撃し始めた。

「しょうがねえだろう、誰かが止めねえと逃げ切れないんだから」

「だからと言って大将のお前が残ってどうするのだ。ここは我らに任せて先に行け」

 武彦も側に来て両手の刀を振るっている。

「そうはいかねえ。友を置き去りにする位ならここで果てた方がマシだ」

「ああ、真桑様、後継ぎのご子息を守れず申し訳ありません」

「こら、梶尚! 不吉なことを言ってねえで手を動かせ」

 三人が武器を振るっているおかげで他の者達は逃げ切ることができたのだが、刀良達の前には敵兵が徐々に増えてきて押され始めてきた。三人は下がりながら剣を繰り出すのだが敵の数が多く、体の至る所が薄くだが切られている。

 やがて敵の攻撃を受けきれないところまで来た時だった。後方から無数の鋭い風斬り音が聞こえて来ると、前方の敵群へ無数の矢が降りかかり、一人、また一人と倒れていく。次々と矢が降りかかり敵が慌てて下がっていく。そのおかげで刀良達三人に向かって来ていた敵の数が減ってきて、遂に押し返すことに成功した。

 何事が起こったのか、梶尚は後ろを振り向いて確認すると、安心して大きく息を吐いた。清麻呂率いる山の民族が、全員で矢を放っていたのである。

「おい、深追いはするなよ。弓で蹴散らす程度でいいからな」

 清麻呂が部下に命じながらこちらに近づいてきた。

「助かったぜ清麻呂。さすがにもう駄目だと思ったぞ」

 刀良は戟を肩にのせて安堵している。

「上から見ていたらよ、もう少しで弓の範囲内に来ると思って待ってたら。大将のお前が向きを変えて、味方を逃がすために敵に突っ込んで行くじゃねえかよ。慌てて下に降りて来たんだぞ」

「ほら、やっぱり誰が見たってそう言いますよ。ああいうの、勘弁して下さい刀良様」

「まったくだ。一人で突っ込むなど、親子よく似ている。お前は人のこと言えないぞ」

「何だよ武彦まで一緒になって。説教は後でいいから早く山の中へ行くぞ、急げ」

 刀良は少し膨れた顔で一人で山の方へ歩き出した。清麻呂はそれを見て笑っている。

「走る必要はないぞ三人とも、山の中には同胞が昨日の倍は来ているんだ。戦いたくて、うずうずしているから安心しろ」

「そんなに来ているんですか? 驚いたな」

 梶尚も山の方へ歩きながら清麻呂を見た。

「だから言ったろ、敵がたっぷり来ても任せろって。援軍を頼んだら、戦闘が好きな奴ばかりだから喜んでみんな集まったよ」

 清麻呂は高笑いをして梶尚の横を歩いている。梶尚が武彦を探して後ろを振り向くと、武彦がじっと敵を見つめて立っていた。声を掛けようとしたが、何かを振り切る様子でくるりとこちらを向くと歩き出した。上を見ると、今だ無数の矢が敵の方へ飛んでいるのが見える。

 刀良達が山の中に入ると、清麻呂が部下に命じて矢を放つのを止めさせて全員山の中に入って来た。敵が追って来るかと思っていたが、山の民族を知っているのか入っては来なかった。 梶尚が栽培場を見渡すと、畑一面に炎と煙が上がっていている。作戦は成功した、後は帰るだけだと思った。

 二日後、刀良と武彦は白羽の国に到着した。梶尚とその部下数名は先に白羽の国へ行き、作戦が成功したことを報告に行っている。刀良達は麻見亭に入り、老人に男垂水を密かに呼んでもらおうとしたが、本城まで来て欲しいとの返事を受けて、隼城の門まで来た。門番に話を通すと、案内の男が足早にこちらに来きて平身低頭で二人を案内した。この間と同じで謁見の間まで通されて中に入ると歓声が湧いた。中にいる臣下達は笑顔で迎えている。

 以前、あれだけ辛辣な空気であったのが嘘のようであった。王の椅子から男垂水が立ち上がり、二人を出迎えた。その前には先に来ていた梶尚と雅が立っている。雅は刀良を見つけると小走りで近寄ってきて勢いよく抱きついてきた。

「お帰りなさいませ、刀良様。梶尚から作戦の成功を聞きましたわ、無事に帰ってこられて良かったです」

「何とか上手くいったよ。俺達が出ている間、良い子にしてたか?」

「勿論ですわ。それに、城の中で少し男垂水様のお手伝いもしていたのですよ」

「手伝い? 何をしたんだ?」

「ここではお話出来ませんので後でお話いたしますわ」

 雅は嬉しそうな顔をして片目を瞑ってみせた。

「阿縣刀良殿、今回の武上の国の件、誠にありがとうございます。あなた方がいなかったら我が国は未曾有の危機に陥っていたことでしょう」

 男垂水は刀良の手を取り頭を下げた。

「とんでもございません、男垂水様。貴国の力になれて良かったです。それに、今回は私達だけの力で成したわけではありません」

 刀良は武彦から通じて力になってくれた、山の民族の話を男垂水にした。

「そうですか、以前武彦から聞いていた山の民族が兵を出してくれたとは」

「彼らは、この国との交易を望んでいます。交易と言いましても、山で狩猟をした獣の皮や肉、それに山の幸などをこの国の町に持ち込み、得た銭でこの国の物産を買って帰りたいだけなのですけどね」

「そんなことでしたら今すぐにでも了承しますぞ。詳しい話を家臣に話していただけますかな」

「分かりました。武彦、よろしく頼む」

 武彦は頷くと家臣の一人と話し始めた。刀良は男垂水に武上の国の栽培場の詳しい話を始めると、周りにいた臣下達も真剣に耳を傾けている。そして、雅からも乱の花の恐ろしさを話してもらい、秘密裏に国内に持ち込まれないように警備を厳重にすべきと提案した。そして、今後の武上の国との対処を話し合った。

 話し合いは三時間後ほどで終わり解散となった。男垂水は酒宴の席を麻見亭に用意したので来て欲しいと告げて刀良達は了承した。

 夜になり、刀良達は再び麻見亭に赴いた。中には、前回と同じく、男垂水、伊妤、黒の三人が出迎えた。全員が円卓の席に座り、すでに用意されていた料理を口に入れ始めた。

「そう言えば、黒殿。陽動とは言え敵の大室城を攻めた話はどうなったのですか?」

 刀良が酒を口に放り込みながら黒を見た。

「あの城を抜かれれば本城である加利山城は目と鼻の先になりますからね、本城を我が軍が出た時点で慌てて引き返して大室城の前で陣を組んでいましたよ。戦闘になっても、我々は出ては引くを繰り返していたので、敵の指揮官は何かあると感じたようで無理に攻め込んでは来ませんでしたね。結果作戦としては充分に果たせたと思います」

「そうですか。では、軍が隼城を出た時点で動いたと言う事は、やはり城の中に間者がいると言うことになりますね。だとしたら、先ほど城内で話し合った今後の対応を話し合ったのは危険であったかも知れません」

「それについては、問題ありませんぞ刀良殿。あなた達が栽培場へ移動している間に、雅殿がご自分の能力をお話くださいましてな、我が家臣のうちの重鎮である者三十名程の者に体の診断と称して触れていただいたのですよ。おかげで二名の者が間者として敵の手に落ちていることが分かりましてな、現在直接証拠となる物を見つけるために泳がせております。ですから重要な話し合いの場にいた方が都合が良いのですよ」

 男垂水が酒の入った銀製の容器を手に持って刀良に注いだ。

「そんなことをしたのか。能力のことを話して平気なのか、雅」

「だって、刀良様が命をかけて戦われているのにわたくしだけのんびりできませんわ。何かお手伝い出来ればと思い、伊妤様にお話したのです。勿論他言無用で男垂水様にはお話してありますわ」

「体の診断と称してと父が申していましたが、本当に体の悪い家臣を見つけると、自ら薬をお作りになってお渡しになっていました。そのお年で医師と薬師をされているなんて驚きました」

 伊妤は感心した様子で、隣に座っている雅の皿に料理を盛った。

「そうですね、雅は昔から学問が好きで、色々な国から書物を取り寄せていたものな。良くやったじゃないか、えらいぞ」

 刀良は雅の頭にポンと置くと優しく撫でてやった。雅が嬉しそうに笑って刀良を見たが、やがて表情を変えて皆を見た。

「重臣の方達を調べていた時に、間者となった二人には恐ろしいことが分かりましたわ。まだ初期の段階ですが、乱の花に対しての依存が見られます」

「その二人に薬物を使って依存性を高め、言う事を聞かないと薬物を渡さないとぞ、と脅すようにさせていると言うことか」

「依存度が高くなり薬物の効果が切れると、人は発狂するほど薬物を欲するようになりますわ。だから使い方次第で本当に恐ろしい物なのです」

「確か医療目的で使う場合は、痛み止めの効果があると雅様はおっしゃっていましたよね。では、あの時もそうだったのかな」

「どうしたんだ、梶尚? 難しい顔をして」

「実はですね刀良様。あの高倉真事と戦っている時、奇妙な事があったんですよ。こっちが深く高倉の胸を切った時に平気な顔をして反撃してきたんです。普通なら痛みで一旦下がるじゃないですか」

「とても興味深いですわ。もしかしたら薬物を摂取して戦っていた可能性がありますわね」

「じゃあ、高倉真事は薬物を摂取させられ、依存度が高くなったので言う事を聞かされていると言うことか? ……もしそれが本当だったら」

 刀良も難しい顔になって腕を組んだ。

「それが本当であったとしても許される話ではない」

 武彦が強き口調で言った。

「あの日、何人もの親族や部下が犠牲になったのだ。おまけに私は自分を襲ってきた一般の村人までもこの手にかけている。薬物の依存だろうがなんだろうが、あまりに多くの血が流れてしまったのだ、到底許されることではない」

 武彦の話で皆何も話せず沈黙した。だが、顔を上げた刀良が武彦を見た。

「お前の言う通りだ、武彦。いくら薬物の依存だからといって、武人であり、将軍である男が国王や部下を殺して良いわけが無い。もし、後悔をしているのであれば、俺であったなら自ら腹を切る。責任を取らずに生きていると言うことは、やはり野心があったと考えるべきだ。武上の国は危険な国だ、いずれ戦う事になる。その時はきっちりと責任を取ってもらおうじゃないか」

「そうだな、刀良。そのためにはこれからの戦、負けるわけにはいかんな。俺も全力でお前と共に戦おう」

 二人は顔を合わせると同時に頷いた。

「武彦は良い主君を持ったのだな。いや、友と言うべきか。実は刀良殿にお願いしようとしたことがあったのです」

「何でしょうか男垂水様」

「武彦を私にもらえないかと思っていたのですよ。知っての通り娘と武彦は良い仲になっております。伊妤と婚儀を済ませ我が息子となった後、彩の国との同盟で軍を編成する際には一軍を率いてもらおうと考えていたのです」

「……父上」

 伊妤は男垂水の言葉に驚いて両手を口にあてた。

「しかし、その考えは捨てることにしました。今の話を聞いていると武彦は北平の国の兵として刀良殿と一緒に戦った方が良さそうだ」

「私を高く評価していただきありがとうございます男垂水様。仰る通り私は刀良のもとで戦い、いずれこの月芽を統一することを夢としています。そして、その後必ず私は男垂水様の元へ赴き伊妤殿を迎えに行きたいと思います。……伊妤殿、時間は掛かると思いますが、必ずあなたを迎えに行きます。待っていて頂けますか?」

「はい、何年、何十年経とうと、お待ち申し上げます。……どうか、ご無事で」

 伊妤は何度も頷くと両目から大粒の涙がこぼれた。雅はそっと伊妤の背中に手を置いている。 男垂水は武彦にニコリと笑うと二度頷いて了承した。それを見た刀良と梶尚も笑みを浮かべて二人を見ていた。

 酒宴はそのあとも続いた。互いの国のこと、他国との交易のことや個人の身の上など様々な話を語り合った。雅はすっかり伊妤に懐いたようでしきりに話しかけている。料理も大変美味で、刀良や梶尚が多く食しているのを見て伊妤が驚き、そして笑っていた。やがて、三時間ほど続いた酒宴は終了し、刀良達は男垂水らにお礼を言って麻見亭を後にし、宿に戻った。

 一夜明け、刀良達は再び男垂水の元へ赴き別れの挨拶をした。男垂水から彩の国と北平の国への親書を受け取ると隼城を後にした。

「いや~、それにしても上手く事が運んで良かった、これで、親父や岩由様に安心してもらえるな」

 刀良は馬上で嬉しそうに笑った。

「ちょっと刀良様! どうしてわたくしは梶尚の馬に乗っているのですか?」

 雅は頬を膨らませて梶尚の後ろで刀良をにらんだ。

「そうですよ、さっきからブツブツと文句を言いながら、雅様が私の背中を叩いていて痛いんですから変わって下さいよ」

「仕方ないだろう、元々馬は二頭で来ていたんだ。雅が白羽の国から買ってきた膨大な薬草と果実があって、俺と武彦の馬で運ぶしかないじゃないか。それに梶尚は歩いてここまで来ていたんだぞ。荷物が無ければ先に行かせるけど、雅がいるからわざわざ馬を借りてきたんだ。この馬は小さい体だから荷物を背負うのは無理だし我慢しろ」

「もう! 梶尚の背中は刀良様と違って細いからきらい。……あ、梶尚。今迷惑だな~っておもったでしょ!」

 雅が怒って梶尚の背中をバシバシと叩いている。

「ちょっと、雅様。私の心の中を読まないで下さいよ!」

 それを見た刀良と武彦は笑って見ていた。少し冷たい風が吹いて武彦の顔にあたった。ふと空を見上げると渡り鳥が群れを成して飛んでいた。越冬のために南へ飛んでいく。ここも冬が来ると武彦は思った。

最後まで、お読み頂きありがとうございました。

この物語、かなり中途半端な終わり方だと思われた方結構いらっしゃると思います。

……はい、その通りなのです。

実は、とある新人賞に試しに送るために作った物語でして、私が構想している話しを、どんなに縮めても規程の枚数に収まらず、この様な結果になってしまいました。

まあ、技量が足りないのですね!

もし、続きが気になるの!

という方が、一人でもいらっしゃるのならば、

喜んで作らせていだだきます!

感想にチコッと書いて頂ければエンジン掛けますのでよろしくお願いします。

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