表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

蒼月の国

              蒼月の(あおつきのくに

 陽だまりとなっているこの部屋は年中温かかった。この部屋で茶を飲みながら、書物を読んだり、かなり年の離れた自分と語り合うのがこの部屋の主にとって一番の楽しみだと言ってくれた。

 前王である父王が三十という若さでこの世を去り、この部屋の主である大伴義景は、わずか6歳でこの国の王となった。そして、まだ若く、皇后である母親が摂政となると、途端にこの国に暗雲が立ち込める事となる。

 始めに行なったのが、国民に対して税の増負担だった。搾取した税から自分の宮殿を作ると、各地から自分好みの少年から成人の男性を数百名呼び込んで、宮殿に置いた。毎夜、代わる代わる寝室に呼び込んでは肉欲に溺れた生活を送っていた。

 次に、各地から翠玉や紅玉などの珍しい玉を取り寄せて、宝飾品を作らせては自分の体や衣服に身につけていた。これは他の大陸からも取り寄せていたために莫大な予算を費やされていた。政治に関しては無関心で、大臣達に一任し自分は毎日享楽の日々を過ごす。そのために、皇后に対して意見をする者も出始めるが、自分に従わない者達には、目の前で残虐な拷問を行い、それを見て笑い転げ楽しんだ。そんな狂人に、臣下達は恐怖を覚えて、まともな臣下は去って行くこととなる。

 残っている臣下にまともな者はおらず、彼女の言う事を聞く者や、おべっかいを使うものだけが司政を行なっていた。次第に内部から腐って行くこととなる。役人の賄賂が横行し、私服を肥やし始め、民だけが重税で苦しむ生活が何年も続くこととなる。

 人は、自分の一存で全てが決められる特別な権限を持つと、自分に危害が及ばない限り、周りがどうなろうと無関心である。

 隣国の武上の国が徐々に国を脅かし始めて、国土が犯され始めても皇后は気にも止めず臣下に任せっきりだった。建国以来、最大の危機が起こっていた。

 義景は赤子の頃から、母親と一緒に生活を送る事は一切無く、侍従が全て身の回りの世話を行なっていたらしい。

 母親に似て、わがままの限りを尽くすのかと思いきや、おとなしい性格で周りの者の意見を素直に聞く少年時代であった。これには、皇后は義景に対して無関心で、教育係の者がまともで常識のある人間であったことが起因したと周りの者から聞いていた。

 十五歳になると、学問に興味を持ち、色々な書物を読んでは、国の学者を招いて講義をさせていた。その事で徐々に若王に人が集まり、期待の目を向け始める。

 義景が十八になった年の冬に事件は起こる。皇后が突如としてこの世を去ったのだ。夕食後に突然吐血し倒れた。絶命する最後まで苦しみ続けたその表情は凄惨なものだった。

 事件後、詳しい調査などは行なわれず、翌日には葬儀が行なわれて荼毘に付された。あまりにも早い展開に、周りでは皇后は暗殺されたとの噂が立つが、表だって口にする者はいなかった。

 突然の母の死に特別の感情を持たなかった義景は、淡々と葬儀に参列していた。涙の一粒も流さなかったという。母の愛など微塵も与えられなかった息子ならば当然の行動だろうと彼女は思った。

 葬儀の翌日から、義景は実権を与えられることになる。

 皇后の悪逆な行動が始まってから、密かに反皇后の派閥が出来上がっていた。

 皇后の死後、軍をも味方にしていた反皇后派は武力で現政権の主立った者達を武力で排除、または処刑を行い、末端の役人までそれは及ぶ事となる。

 こうして、義景の国王としての政治が始まった。

 まず、反皇后派の者達を中心に国を取り仕切ることになるが、その周りには、義景が選んだその道の専門家を置いて、相談役として機能させた。そして、賄賂など役人の犯罪行為を徹底的に洗い出して処分させ、汚れきった内部機能を正常化させた。

 それらの改革のおかげで、ようやく国が安定化し、民の笑顔が戻って行った。犯されていた国土も、数年掛けて敵を追い返すことに成功して、現在の領地を維持している。

 義景三十歳の頃、異性に対して何の感情を覚えなかった事に臣下の者達が心配をして、世継ぎを作ることを積極的に提案をする。

 了承した義景は妾を何人か囲っていたが、一向に子が出来る気配はなかった。医師に義景の体を検査をさせた結果、義景には子を作る能力が無い事が分かったのだった。

 自分に子を作る能力が無いことを知ると 途端に女に対する興味を失ったようで、結局子供は一人も授かることは無かったと言う。今ではそれも良かったと夫は言っていた。

 ある日、自分が書いた書物が役人の目にとまり、国の行政機関で評判となった。それが上納されると、城に呼ばれ、王の目の前で書物の講義を行なったのが初めての出会いだった。

 彼女の見た目の美しさは、周りの者から羨望の目で見られた。しかし、義景は彼女の類い稀なる頭脳の高さに興味を覚え、度々自分を城に呼び入れられた。

 そして、この部屋に通されて二人は様々な事を語った。特に興味を持っていたのは文化面だった。詩や絵画などは好んで作り、出来上がると嬉しそうな顔をして自分に見せた。

 そんな日々が続いて一年後に求婚された。親子ほど年が離れていたが、不思議とそれは気にならず、むしろこの部屋で語り合うのが楽しみになっていた自分に気がつき、喜んで了承したのだった。周りからは色々と影口を叩かれているようだが、元来そのようなことを気にする性格では無いので無視していたのだが、これからはそうも行かなくなってしまった。

 最初はただの鼻血だと思っていたのだが、出血が止まりにくくなり、疲労感が激しくなっていった。そして、ただの発熱だと思っていたが、やがて高熱に変わると症状が一気に深刻な状態になっていった。食欲もなくなり、ただでさえ痩せていた体が、さらに痩せ細ってしまい、見るのもつらくなったいった。

 自分の死期を悟ったのか、国の主要な人物達を呼び寄せて、最後の王命を伝えた。

『余の亡き後は、妻の由里を次期国王に任ずる故、皆全力で支えよ』

 確かに妻である自分は、王位継承の資格はあったが、正直国王になって、国を動かすことに興味は無かった。皆が部屋から退出した後に、何故自分なのかと問うと、こう言ったのだった。

『君は非常に優秀な人だ。私が政で考え事をしていると、そっと、的確な助言をしてくれたことが何度かあった。それは一度たりとも間違った事は無かった。君には重荷だろうが、どうか私のわがままを聞いて欲しい。この国に君は是非とも必要な人なのだよ』

 いつもの優しい笑顔で自分を見つめた夫である大伴義景の言葉を、拒否することは出来なかった。了承すると安心したのか、眠ってしまい。それから三日間、目が覚めていない。 

 開けていた窓から涼しい空気が流れてきて、ふと、外を見ると、雲が風に流されて、太陽を隠してしまった。そして手に温かいぬくもりを感じて顔を下げると、夫の手が置かれていた。

「私はどれ位の間、眠っていたのだ?」

「三日ほどですわ。ご気分はいかがですか陛下」

「今はとても気分が良い。なので、今のうちに君に伝えたい事を話しておこう」

 痩せ細った手に少しばかり力が入ったのを由里は感じた。

「私が世を去った後、臣下達は君を支持する者と反対をする者と分かれるだろう。将軍の村定岩雄と右大臣の波田文屋の二人は、君の力になるように話をしてあるから頼るといい。そして、この国の東に小田村と言う集落がある、そこの村長の田祁麻呂と言う男に会いなさい、必ず君の助けになるだろう」

 一気に話したことで呼吸が乱れ始めて、息苦しそうだった。

「あまりご無理をされてはなりません陛下。お話なら後ほど聞かせていただきますので、どうかお休みになって下さい」

 由里は夫の手を握り返した。その手には赤い斑点がいくつか見られた。

「いや、今でなければならないのだ。言わせて欲しい」

 義景は息を切らせながらも真剣なまなざしで由里を見ている。そんな夫の様子を見て、ただ頷くことしか出来ず、病の苦しみに対して何もしてあげられない自分を由里は呪った。

「もし、他国が攻め込んで来たなら、君のことだから敵を撃退することも可能だろう。だが、無理をすることはない、条件の良いところで降伏し、君の安全の保障を確保しなさい」

「分かりました。陛下の仰る通りにいたしますわ、ですからご安心なさって下さい」 

 再び秋らしい乾いた風が部屋の中に入ってきて、雲に隠れていた太陽が顔を出した。

「……私は幸せな人生を送ったと思う。若いときには色々とあったが、最後の最後で君という素晴らしい女性と出会うことが出来た。本当にありがとう」

 義景は話し終わると息を切らしながらもいつもの穏やかな表情を作った。その時、由里は夫との最後の会話になるだろうと感じ、流れ出そうな涙をこらえて笑顔を返した。

「私もあなたと出会えて、幸せでした。旅先では少し時間がかかるかもしれませんが、必ずあなたを探しに行きます。お待ち頂けますか?」

「そうか、向こうでも一緒になってくれるか。それは楽しみだね。書物でも読んで待ってることにしよう、ゆっくりおいで」

 それが義景の最後の言葉だった。

 この国を回復させた義景は、全ての国民から愛されていた。国王の死去が全国に知らされると全国民は悲しみに暮れた。

 葬儀が本城の御殿で行なわれると、城下町では入りきれないほどの民が集まり義景の死を悲しみ、そして別れを惜しんだ。

 葬儀が終わり、国内の混乱が収まった頃を見計らって、前王の遺言通り、皇后である由里が国王となった。だが、この事に喜ぶ者と不安を持つ者とに分かれることになる。

 それは、前国王の母が悪逆な行為を行なったために、国が傾いた事に起因する。女性が国の権力を握るとろくなことが起きないと思われていたのだ。

 まだ若く、見た目の美しい皇后に前王はたぶらかされたとの噂が広まっていたのも原因の一つだった。そんな臣下の中で、由里を排除しようとする者達が現れ始めた。

 逆に由里を歓迎する者達もいる。学者や、その道の専門家の者達だ。由里と学問や政治の話をしたことのある者ならば、彼女の能力の高さに感嘆し、尊敬の念を抱いている。

 こうして、新国王の体制派と反体制派の二つの派閥が影で争うことになる。 

 国王としての執務が終了した後、由里は村定岩雄と波田文屋を自室に呼び出した。

「まずは、新国王のご即位おめでとうございます」

 波田が拝礼すると、隣にいた村定もそれにならった。

「挨拶は結構です、それよりも今後の事を話しましょう。私がこれから行なうであろう国政に反対する者は、上層部で誰がおりますか?」

 自室の椅子に座り、腕を組みながら文屋を見た。

「今の所は表だって行動に出ている者はおりません。しかし、由里様が皇后であられた時に良い噂と悪い噂が方々から聞こえておりました」

 波田文屋がばつの悪そうな顔をして下を向いた。

「悪い噂は何処からですか? はっきり言って頂いて結構です文屋」

「はっ。八省からは中務と式部そして民部から聞こえてきております。これらは元々自分達の置かれている立場に不満を持っている者達と推測されますが」

「ほとんどの者達が私の動向を見守っていると言う事でしょうか?」

「恐らくそうでしょう。危惧するのは、宮殿の護衛である衛慰の動向です。探ってはいるのですが、いまいち掴めません。私の息の掛かった者をおそばに仕えさせるように致しますがお気をつけて下さいませ」

「分かりました。身辺に気を遣いましょう。今の所、反対派の頭が誰なのか分からないと言うことですね」

「仰る通りでございます。今だ派手な動きは見せておりませぬゆえ、見当が付きません」

「軍事面ではどれ位の兵をこちらに付けられますか、村定」

 由里は側に置かれている茶には口をつけず、自分で煎れた茶を口に含んだ。

「総兵数約四万の内、一万五千はこちらの手の内となります。他一万は阿部吉代野、残り一万五千はもう一人の将軍の荒田赤麻呂になります」

「この二将軍の動き次第で簡単に事が終わりそうですね」

「はい。しかしながら、二人共根っからの武人です。荒田などは、三十五と若い将軍ですが、己の保身で動く男ではないので、どちらにも与しないと考えます」

「そう言う人間ばかりであれば苦労はしないのですが。分かりました、両将軍には触らないでおきましょう。ただし、暗殺をしてその代わり反対派の者を置く可能性があります、さりげなく二人の近辺を警戒して下さい」

「承知致しました」

 その後、深夜遅くまで三人の話し合いが続いた。

 翌日から由里は国王としての実務をこなしていった。内容は、義景の頃から踏襲しており、特別変革を要する事も無かった。ただ、国内の各都市や村の状況を自分の目で確かめおきたかったのだが、国王の巡行となると、多くの 予算と人が動くために、仕方なく臣下に命じて報告を受けるのみとなっている。だが、ある日の晩、由里は秘密裏に本城である、千乃葉城を抜け出した。馬に乗り込み、供回り五名を引き連れて川沿いを西に進んだ。

 秋も終わり、これから冬に入ろうかというこの時期は、一年で最も大きく月が見えるのである。そのおかげで雲に隠れない限りはかなり明るく、かなり遠くまで見渡せるのだった。

 三十キロほど進むと一軒の廃屋があった。由里は馬を止めて降りると、供をその場で待機させて、戸を引いて一人で中に入って行った。

 入ってすぐのところは畳二十畳くらいの土間になっている。その先には、五十センチほど高い位置に板敷きの部屋があり、真ん中には囲炉裏に火が付いていた。囲炉裏の側に一人の老人の姿があった。老人は由里の姿を見ると、こちら側に座り直して平伏した。

 由里は板敷きの部屋の前にある石段に履物を脱ぐと、囲炉裏の側で正座をして護身用なのか持っていた鞘に収められている短刀を側に置いた。囲炉裏の火からはパチパチと音を立てている。

「あなたが田祁麻呂殿ですね、遠路ご苦労でした」

「とんでもございません、国王様。こんな汚い所で申し訳ありません」

 田祁麻呂は平伏したまま由里に返事をした。

「顔を上げて下さい、田祁麻呂殿。こちらで目立たぬ場所を指定したのです。あなたが詫びることではありません」

 由里の言葉で顔を上げた田祁麻呂は、姿勢を正して囲炉裏で沸かしたり湯で茶を煎れると、椀に注いで由里の前に出した。その所作には無駄が無く普通の老人ではないことを由里は悟った。

「夫の遺言で何か困った事があれば、あなたを訪ねろと言われていたのですが、あなたは一体何者なのですか?」

 由里は出された椀を手に取って一口飲んだ。

「私は若い頃に、義景様に命じられて国内と他国へ様々な情報収集を行なって参りました。別名『青陰』と呼ばれておりました。現在青陰と言う名は一つの集団に変わり、百名程の人間がおります。倅が私の後を継いで頭をしております」

「青陰とは、この国に属している集団なのですか?」

「いえ、蒼月の国には属してはおりません。報酬次第で仕事を引き受けておりまして、元々は義景様が個人で私をお雇いになったのが始まりで、それから徐々に人数を増やして参りました」

「情報収集の他に暗殺などの武力はされるのですか?」

「時と場合によりますが、やらないわけではございません。しかし、北平の国の梟という隠密集団がおりましてね、彼らは昔から王族に仕えている集団なのですが、それと比べるとかなり見劣りいたしますな」

「梟という集団のことは聞いたことがあります。手練れが多くいると言う話ですね」

「あれは別格ですな、一人一人の能力がずば抜けてます。手下には、もしぶつかるようなことがあれば逃げろと言ってあります」

 田祁麻呂は低く笑って茶を口に入れた。

「夫はどのような内容の依頼が多かったのですか?」

「国内の内情を知りたがっておられました。経済、そして物流などに興味を示されていました。特に物流に関しては、他国が麦や米などを買い占めていないか注意されておいででした」

「なるほど、あの人らしい気の掛け方ですね、お話は分かりました。では私個人の依頼と言うことでお願いできますか?」

「かしこまりました。では早速村に戻り、人をよこすといたします。どういったご依頼を考えておいでですか?」

「影で私の身辺警護と内外の国の情報収集を考えています。簡単に出入り出来るように取り計らいましょうか、田祁麻呂殿」

「城に潜入するのは造作も無いことでございまして。しかし、それでは国王様に失礼ですな。昼間だけでも個人で雇っている商人と言うことに致しましょうか」

「それでは、反物を扱っている商人にしましょう」

 田祁麻呂の言葉に苦笑して由里は答えた。

「かしこまりました、その様に手下の者に話しておきます」

 話が終わり、由里は立ち上がった。側にいた田祁麻呂は再び平伏して由里を見送った。由里は廃屋を出ると馬にまたがり城に戻っていった。田祁麻呂は姿勢を戻すと、忘れてしまったのだろうか、先ほど由里が座っていた側に短刀が置かれているのに気がついた。

 翌日の深夜に事件は起きた。西にある武上の国から軍勢が攻め込んできたのだった。直ちに右大臣と左大臣、そして三人の将軍を呼び出して御殿にて会議が開かれた。十人掛けのテーブルに腰を掛けて五人は座っている。

「敵の兵数はいかほどですかな、村定殿」

 阿部広野がテーブルに置かれている飲み物に口を含ませて氏長を見た。

「報告では敵の総兵数一万と聞いております。敵は西南から川を越えて、今浪城を攻撃している模様です」

「こちらの守備兵は?」

「三千の守兵がおります、阿部殿」

「その数では落とされるのも時間の問題ですね、急いで後詰めを送りましょう。吉代野の一万にその任に与えようと思いますが」

 由里が全員の顔を伺った。

「お待ち下さい陛下、吉代野には、北の動きに備えて丸山城に行かせようと思います。私もそれに同行し、そのまま石門の国の大臣と面会して、こちらに攻め入らぬように働きかけたいと思っております」

「ならば、誰を行かせるおつもりか広野殿」

 波田文屋が訝しげに広野を見た。

「兵一万五千を持つ村定殿が適任であろう」

「それについて異存はないが、吉代野殿の兵を五千ほど村定殿の軍に合流させて敵に当たらせれば有利にはたらくと思うのだが」

「それには反対ですな、波田殿。私が石門の国へ訪問したとて、必ず話がまとまるとは限りません。武上の国と結託して、こちらを挟み撃ちにするとも考えられます。それを考えたら北の警備は手薄にできませんぞ」

 左大臣である阿部の実弟である将軍の吉代野が、波田の言葉に待ったを掛けた。

「ならば、荒田殿の戦力を村定殿の所と合流させるしかありませんな」

 尚も波田は村定の軍を有利にさせるために奮闘している。

「お待ち下さい、右大臣。仮に石門の国が攻め込んで吉代野殿と戦闘が始まった場合、一カ所から攻め込んでくるとは限りますまい。敵が二方面で攻め込んできた時に、この国の中央に位置する本城に戦力がいなくてはすぐに対応ができませぬ。したがって、私の戦力を裂くことは危険ですぞ」

 荒田の意見は的確であった。今、石門の国に攻められてはかなり危険な状況におかれてしまう。だが、由里を残して村定が本城を後にするのは些か心配だった。波田文屋は黙り込み腕を組んで考え込んでしまった。

「もっともな意見ですね。では、吉代野の兵は丸山城へ村定の兵は西に攻め込んできている武上の国への対応、荒田は本城で待機これで決定しましょう」

 国王である由里の決定で会議が終了となった。両将軍が直ちに兵を招集して移動を開始した。 由里はこれから逐一報告される情報を的確に判断し命令を行なうために城の中に入った。戦略を練るために大きな地図や、様々な意見交換をする人を配置するために、城の中で一番大きな謁見の間を会議室に選んだ。中には波田とその他の各尚書、そして、用兵の専門家を数人招いて敵の動きに対応できるようにした。

 数時間後。村定の軍が、今浪城を攻撃している武上の国の軍とぶつかったことが報告された。敵はこちらから兵を送ることを予想していたのか、待っていたかの様に何の混乱も無く村定の軍に対応しているようだ。

 日が昇り始め、部屋の中が徐々に明るくなってきた。今の所、北の石門の国からは特に動きは見られず、西の村定軍の方も膠着状態で戦闘が続けられていた。

 部屋の中にいる者達に朝食が出された。由里も食事を取ろうと飲み物に手を出した時だった。 入り口の扉が勢いよく開けられて、皆一斉にそちらを見た。数十人の武装した兵が部屋の中に入り込んできた。

「何事だ、国王様の御前であるぞ!」

 波田文屋が怒鳴り声を上げて兵隊に近づいた。

「火急の用件にて、失礼いたしますぞ右大臣殿」

 開けられた扉の方から声が聞こえると、兵達が真ん中から二つに分かれた。そして、声の主がそこを通って波田に近づいた。荒田赤麻呂だった。

「荒田将軍、火急の用件とは何事だ。それに何だこの兵士達は、無礼であろう!」

 波田が顔を赤くして荒田に怒りをぶつけた後、荒田がいきなり鞘から刀を抜いて波田を上段から切りつけた。左肩から斜めに切られた波田は信じられないと言う顔をして前にいる荒田の着物を掴みながらズルズルと倒れ込んだ。周りにいた者達が一斉に部屋の隅へ下がった。

「でかい声を出さずとも聞こえるわ、うるさい男だ」

 荒田は少し不機嫌な顔をして倒れている波田を一瞥すると、上段の位置にいる由里のもとにゆっくりと近づいてきた。由里は椅子から立ち上がると荒田に冷たい視線を送った。

「既に阿倍の手に落ちていましたか」

「このような状況におかれても冷静さを失っていないとはさすがです。それではご同行願いましょうか」

「その前に波田の傷を何とかさせなさい。右大臣を失ってはこの国にとって大事です」

 歩いて下に降りると波田のもとに座り、傷の具合を確かめた。波田は血を多く失っており危険な状態であった。由里は羽織を脱ぐと波田の傷口に当てて止血を始めた。

「……由里様、私の事は結構でございます。どうかお逃げ下さい」

 波田は息も絶え絶えの状態で由里を見た。

「私の事はどうとでもなります、あなたは死んではなりませんよ文屋」

 周りの者に波田を任せて、由里は立ち上がると荒田を見た。

「連れて行くなら早くしなさい荒田」

「では、ご同行願いましょうか」

 部下の兵に命じ、三人で由里を囲むと出口へ歩き出した。荒田はその前を歩いている。

「あなたが大伴家を裏切るとは意外でした。忠臣と聞いていたのですが」

 歩きながら由里は前を歩く荒田の背中に声をぶつけた。

「今でも忠臣でございますぞ、私は大伴家を裏切ってなどおりません。あなたよりふさわしいお方がおられるからこうしているだけです」

 荒田は前を向いたまま由里の問いに答えた。

「何を言っている、どういう事ですか荒田」

「そのうち分かるでしょう」

 それ以上荒田は何も言わずに歩いた。城の外に出ると馬車が用意されていて由里は三名の兵と共に中に入った。すると馬車が動き始め振動が伝わってきた。乗っている馬車には幌が被せられているために外の様子は分からなかった。

 由里は諦めたように目を瞑り、馬車が目的地に着くの待った。乗り始めた時は肌寒かった中が少し温かくなってきた。太陽が昇り始めたのだろうと由里は思った。

 数時間が経ち、馬車がようやく止まった。幌が開けられると太陽の陽射しが浴びせられてきて、由里は片手を上げて日の光を遮った。

 目の前に大きな館があった。二階建てになっていて、周りは広い庭があり、美しい景観になっていた。敷地は高い漆喰の壁に囲まれていて、その外は多くの木々に覆われている。森の中にこの館はあるようだった。

 そのまま館の中に通されて、ある一室に通されると椅子に座らされた。部屋の中は薄暗く、窓を見ると、外の様子を見れないように板で覆われている。

「では、あなたにはこの館で生活をしていただきます」

 荒田が部屋の中に入ってきて由里を見るとつまらなさそうな顔をした。

「何か不満そうですね荒田」

「そうですな。あなたを殺した方が手っ取り早いと言ったのですが、あのお方がそれを許しませんでしてね。 ……何をお考えなのか」

「あなたの言う事は間違ってはいないと思います。早めに私を始末しないと、きっとあなたは後悔するでしょう」

 由里はいつもの冷静な瞳を荒田に見せた。口は僅かに横に広げている。

「何を考えているか分かりませんが、この場所を知っている者はここにいる兵達と館の主だけです。余計な事はされない方が御身のためだと思いますぞ。ここには多くの兵が配置されていて、ネズミ一匹、館の中には入って来れませんし、外にも出られないでしょう。諦めることですな」

 荒田は由里に背を向けて部屋から出ようとした。

「また会いましょう、荒田」

 由里にそう声を掛けられて、ピタリと歩みを止めたが、やがて低く笑いながら部屋を出た。そして、戸が閉じられると部屋の中は由里ひとりになった。部屋の中は自分が座っている椅子と寝台が置かれている。

 側にある机の上には陶器の水差しがあった。先ほど言った荒田の言う通り、殺すならとっくに殺されているだろう。であればこの水差しの中に毒は入っていないだろうと考えて、由里は水差しを持ち、茶碗に水を注いで飲んだ。

 それから数日経った。部屋の外は、どのような様子か全くわからないために実際にどれくらいの日数が経っているのか由里には分からなかった。

 食事はきちんと用意されてこの部屋に運び込まれている。由里はそれを残すこと無くすべて食している。ただ、この部屋にいると昼なのか夜なのか見当が付かず、眠くなってから睡眠を取っていたために頭が少しぼんやりとしていた。起きている間はずっと椅子に座ってただじっとしていた。

 そんな時、恐らく食事の時間ではないであろう時刻に扉が開かれて一人の男が中に入ってきた。

「この館の居心地はいかがですかな国王様」

 どこかで聞いたことのある声だった。暗い部屋の中だったが、目が慣れているのですぐに誰か由里は分かった。

「日の光が恋しくなってきていますよ、左大臣」

「こんな暗い部屋ではそうなるでしょうな。おい、窓の板をどけろ」

 左大臣である阿部広野は側にいる兵に命じて部屋の窓に貼り付けられていた板を外した。窓から久しぶりの明るい陽射しが入り込んで来たので、由里はしばらくの間そっと目を閉じていた。

「あなたは、石門の国へ使者として訪問の最中ではなかったのですか」

 由里は目を閉じたまま広野に問うた。

「あれから何日経っているとお思いですか。武上の国の軍などあなたがこの館に来てからすぐに帰りましたぞ」

 その言葉を聞いて由里はピクリと反応してゆっくりと目を開けた。目の前には確かに左大臣である阿部広野が椅子に座ってこちらを見ていた。

「なるほど、武上の国の高倉真事と通じていたとは思いませんでしたよ広野」

 その言葉に驚きの表情を広野は浮かべたが、やがてにやりと笑った。

「さすがは先代の義景様が認めたお方だ、ピタリと名まで当てるとは。だからあなたは怖いのだ。早めに手を打っておいて正解だった、あなただったら、いずれこの事は知られていただろう」

「武上の国のことはよく知っているのですよ、特に高倉真事と言う男にはね」

 由里は広野には聞こえない程小さな声でぼそりと呟いた。

「それで、私をこの館に幽閉してどうするつもりですか。いくら左大臣と言えども、この国を乗っ取るのには相当な時間と労力、そして銭が動くでしょう」

「それは、私がただの左大臣である阿部広野であった場合の話ですな」

 広野は余裕を持った表情で由里を見た。

「その自信たっぷりの言葉は何処から来てるのですか? 何か特別な策でもあると?」

「策など労してはおりません、ただ事実のみがあるだけでしてね」

 由里には、国王である自分を幽閉してまで危険を冒しているのに、自信を持って自分の前に姿を現している広野を理解できなかった。

 その表情を読み取って、広野は更に満足げな顔になった。

「では、少し昔話をしましょう。今から三十一年前の春、当時ご健在であった大伴義景国王の世継ぎをもうけようと、六名の女子が選ばれて毎夜の房事の相手を務めていました」

「聞いたことがあります。しかし、義景には子を作る能力が無く、頓挫したと―」

 広野は嬉しそうな顔で、由里が言い終わる前に被すように話を続けた。

「それは表向きの話でしてね。実はその内の一名の女子に新たな命が宿ったのですよ」

 由里の目が見開いまま何も言えずに固まってしまった。掌がギュッと自分の着物をつかんでいる。

「その事は当時の右大臣である、阿部犬麻呂によって隠され、翌年に義景様のお子を出産したのです。その赤子は犬麻呂の家で育てられて現在は三十歳となり、この国の重要な役職を受けております」

 更に大きく目が開かれて、由里の体は震えていた。

「……まさか」

「そう、そのまさかです国王様。いえ、正確には義理と言えど母上とお呼びしたら良いですかな」

 広野は立ち上がって震えている由里の側に来ると、前にかがんで由里の顔をのぞき込んだ。

「しかし、そんな証拠は……」

「あるんですよ。当時計画が頓挫したため、義景様からその女子らにせめてもの詫びとして王だけが持つ事が許された玉を渡しているんです。しかし、それだけでは私が王になる資格が不足していましてね。ですからあなたをこの館にいて貰っていたのですよ」

 由里はその言葉を聞いて一つの物を思い浮かんだのだった。

「なるほど、あれが必要なのですね」

 その言葉を発してようやく由里は自分を取り戻した。

「そうです、この国の国王の象徴。『蒼月の短刀』です。それは何処に隠されたのです?」

「……さあ、何処にやったのでしょう? 義景が亡くなってから慌ただしい日々が続いていたので忘れてしまいました」

 広野は少しムッとした顔を覗かせたが、気を取り直して由里に背を向けた。

「御殿の中をしらみつぶしに探させていたのですがね、何処を探しても見つからない。勿論城の中も探していたのですがやはり見つかりませんでした。何処へやったのですかね」

 由里はピクリと反応して、広野の背中を見つめた。

「……そう、そう。義景様がたいそう気に入っていたあの部屋も、調度品をひっくり返して探させていたので、部屋の中が滅茶苦茶になってしまいました。まあ、その内かたづけさせますがね」

 ニヤリと笑って広野は振り返り由里を見下ろしている。その表情を見た由里の心の中は、黒い感情が芽生えていた。

「あまり強情を張らない方があなたのためですよ。私がいつまでも善人でいられるとは限りませんぞ。その内痛い思いをすることになる、そうなる前に早く白状するんですな」

 笑い声を上げて広野は部屋を出るとすぐに扉は閉じられた。同時に窓からの光も遮られて部屋の中は再び闇に覆われた。由里は小さく溜息をすると目を閉じた。

 広野がこの部屋から去って数時間が経ち、夕食を用意されて由里は食事をとった。しかし、さすがの彼女でも、あまり食事が喉を通らずほとんどを残して終えた。深夜に入ったであろう時間帯に由里が寝台に寝そべって睡眠を取っていると、扉の向こうで僅かに闘争の気配を感じて由里は体を起こした。

 しばらくして、扉が静かに開いた。扉の向こうに五名の男達が立っている。手にはそれぞれ武器を手に持っていた。その内の一名が由里の元へ歩き出して目の前で止まる。

「えーと、あんたが国王の由里さんかい?」

 その男はまだ若く二十代前半ぐらいに見えた。

「そうです。あなた方は?」

 由里がそう答えると、男は大きく息を吐いて両足の膝に手を置いてかがんだ。

「ふー! やっと見つかったか。随分苦労して探したんだぜ、あんたをさ。俺は青影の頭を務めている十夜って言う者だ。親父の田祁麻呂に言われてあんたに合いにいったらよ、国王が連れ去られたってんで城の中は大騒ぎでよ。こりゃ、やべえってんで、うちのもん全員使ってようやくここを見つけたんだ。怪我はないかい国王さん」

 十夜の言葉に微塵も緊張が感じられず、由里は思わず小さく笑ってしまった。

「んあ? 何だい、急に笑い出して。どっかやられてんのか?」

「いいえ、ちょっとあなたがおかしくて」

「え? 初対面の奴に失礼な言い草だな」

 十夜は少し怪訝な表情をして右手で後頭部の辺りを掻いている。

「ごめんなさい、十夜。私を助けに来てくれたのね。よくここに来れたわね、警護が厳しいと聞いていたのだけれど」

「ああ、それが俺達の仕事だからな、わけねえよ」

「外の警備はどれ位なの?」

「三百人程が屋敷の周りを警護しているよ。俺の仲間は百名ほどいるんだが、あんたを救出したら合図を出してこの館に突っ込む手筈だ」

「少し人数が足りないわね、味方の損害が大きくなりそうね」

「問題はそこなんだよ! せっかく人数が増えてきてこれからだって時だったんだが、これで減ってしまうとキツいんだよな」

 その言い方がおかしくて、再び由里は小さく笑った。

「剣を二振り私にくれるかしら」

「え? そりゃ、あるけどあんたに使えるのか?」

「問題無いわ」

 由里の答えに、十夜は首をかしげながらも部下に命じて、刀を二振り渡した。由里は刀をもらうと両手に刀を持ち、軽く振って重さを確かめた。

「では行きましょうか十夜」

「お、おう。じゃあ、これから外へ出て、合図を出したら敷地の外へ走り出すから着いてきてくれ。あんまり無理をしねえでくれよ? 助けたばかりで死なれちゃたまらねえからよ」

「分かりました、用心します」

 十夜を先頭に部屋を出ると警護をして兵士達が数人倒れている。それを乗り越えて出口の扉を開いて外に出た。

 少し月に雲がかかってはいるが、外の様子は見て取れた。一人の男が懐から、三十センチほどの長さで片手で持てるほどの太さの、紙で出来た筒を取り出した。もう一人の男が筒の下部に垂れ下がっている撚り合わせた紙に火をつけると、シューっと音を立てて火花が散った。

 火花が筒の中に入った瞬間、ポンと音を立てて中から光が飛び出すと、十メートル上空で爆発して大きな光が広がった。これが先ほど十夜が言っていた合図だ。

 先ほどの爆発音で敷地内にいた警護兵がバラバラでこちらに走ってくる。それを無視するかのように十夜達は敷地の出口を目指して走り出した。由里もその後ろを着いて行く。

 途中で何名かの警護兵が襲ってきたが、十夜達が走りながら蹴散らしている。口は悪いがなかなかの腕前だ。しかし、敷地の門を出ると敵の警護兵が二十名ほど固まって行く手を塞いでいる。思わず十夜は走るのを止めて警護兵のかたまりを見つめた。

「まずいな、ちょっと人数が多いな」

 十夜は息を切らしながら呟いた。

「残りの味方はその後方で戦っているようですね、声が聞こえます」

 由里はこの状況でも冷静で、息一つも切らしてはいない。

「そんな感じだな。ここを突破しちまえば何とかなるだが。……仕方ねえ俺が突っ込んで突破口を開くから、お前達は国王さんを守って抜けろや」

 十夜が神妙な顔つきで前を見ながら部下に命じた。

「その必要はありませんよ、十夜」

 由里が両手に持っている刀を下にぶら下げると十夜の前に出た。

「おい、何やってんだ。危ねえから後ろに下がって── ちょぉぉぉ!」

 十夜が言い終わる前に、由里は警護兵のかたまりに向かって走り出した。後方で十夜の悲鳴が聞こえる。前方では女が一人で走って来るのを怪訝な表情をして兵士達が見ている。

 由里は兵士達の手前二メートルほどの距離までに近づくと高く跳躍した。前の方にいる兵はポカンと口を開けて自分達を飛び越えていく由里を眺めている。由里は兵士達のかたまりの真ん中辺りに着地すると、凄まじい勢いで両手の刀を振り回した。

 切りつけられた兵士達は叫び声を上げると血飛沫を噴き出して次々と倒れていく。ようやく事態を飲み込んだ兵士達は、持っている刀を由里に向かって切りつけ始めた。

 由里は向かってくる兵士達の間を素早く走り抜けるとすれ違いざまに刀を横に振るう。すると三人ほどがガクリと倒れ込む。更に二人が同時に由里に向かって来る。左側の一人が切り込んでくるのを、由里は左に持っていた刀で受け流すと、右から来たもう一人を左足で跳躍すると同時に右足で蹴りつけて吹き飛ばした。先ほど剣を受け流された兵士はたたらを踏んでいる。その背後を由里は右手で切り倒す。素早く後ろを向くと蹴飛ばした兵士が起き上がろうとしている。その前に由里は走り出してその兵士の首を切りつけてすれ違った。兵士の首から派手に血飛沫が宙を舞っている。

「すげえ、なんだありゃ?」

 国王が、しかも、か弱き女性である由里を助けるためにここに来ているのに、目の前で派手に戦っているのは誰なのか。まるで舞を舞っているような動きで次々と敵を倒している。十夜と部下達は呆然と見つめていた。

 結局、由里が一人で二十人いた兵士達を倒してしまった。由里は動きを止めて、倒れている兵士達の様子を見ている。目の前の一人が起き上がろうとした刹那、由里は右手に持っていた刀で兵士の胸を貫いてとどめを刺した。刺された兵士はガクリと仰向けに倒れた。

「何をボケッとしているのです、行きますよ十夜」

 由里に声をかけられて、ようやく十夜は動くことが出来た。

「あんた一体何者だ?」

 由里に近づきながら、あきれた様に十夜は見た。

「国務より少しばかり武芸が達者なのですよ」

 由里は少し行きを切らしているようで僅かに両肩が上下している。

「少しどころじゃねえだろう、姐さん強すぎるぜ! これだったら、俺達が来なくても一人で逃げれたんじゃねえのかい?」

「そんなことはありませんよ十夜、さすがに三百人もいたら私一人では、到底逃げおおせることは不可能でしょう、来てくれて感謝します。でも戦闘は続いていますよ、残りの敵兵も倒してしまいましょう」

 由里は、残りの青陰の者達が戦っている方向へ体を向けるとゆっくりと歩き出した。十夜達も慌てて由里の後ろを追いかけた。

 それから一時間が経ち、ようやく戦闘が終わった。周りを見渡すと立っているのは由里と青陰の者達だけだった。皆息を切らして座り込んでいる。

「ようやく終わったか、いや~、疲れたぜ」

 十夜も座り込んで、腰に着けてる水の入った瓢箪の栓を抜いて飲み始めた。飲み終わると由里にそれを渡した。由里は受け取ると水を飲んだ。

「大した姐さんだ。見た目はいい女だが、中身は男以上の猛者だな」

 十夜の言葉に周りの者達も頷いている、戦いぶりを見た青陰の者達は、最早誰一人として由里をか弱き女性と見ていなかった。

「城の様子が気になります。どうなっているか分かりますか十夜」

「それだったら、親父が探ってある。姐さんを救出次第、この森を抜けた所で待ち合わせるようにと言われているんだ。じゃあ、急ぐとするか。おい、お前ら行くぞ!」

 十夜がかけ声を上げると皆立ち上がって馬を繋いである所まで移動して乗り込んだ。由里は十夜の後ろに座り移動した。

 森を抜けた所で、目の前には軍勢が待ち受けていた。見たところおよそ二千ほどだった。その前に見たことのある人物が二人、膝を地に着けて由里を迎えている。由里は馬から降りると二人の前まで移動した。後ろには十夜が着いてきている。

「無事でしたか村定」

「はい、武上の国の軍勢が引いた後、国王様が連れ去られたことを、ここいる田祁麻呂殿に知らされまして。城には戻らず兵を待機させておりました。国王様もご無事で何よりで御座います」

「田祁麻呂殿、ありがとうございます。あなたのおかげで助かりました」

「とんでもございません。しかし御身が無事で本当に良かったです。どうやら愚息が役に立ったようで何よりです」

 二人共顔を上げて喜んでいた。由里も微笑んでいる。

「えっとさぁ、親父。役には立ったかもしれねえんだけど、……逆に助かったって言うか」

 十夜が困った顔をして、館から救出した話を田祁麻呂に説明した。聞き終わった田祁麻呂とその横にいた村定は、驚いて思わず立ち上がっていた。

「そのような武術をお持ちになっていたとは、驚きましたな」

 村定が目を丸くして由里を見ている。

「特に隠していた訳では無かったのですが、披露するものでもありませんですし」

「相当な稽古を積んでおられたのですな」

「幼き頃から武術は習っておりました。……それよりも城の事が気になります。どうなっているのですか田祁麻呂殿」

「はい、中に潜入して調べましたところ、左大臣の阿部広野が、先代の王、義景様の嫡子であると声を高らかに上げておりまして、証拠の品を国の重鎮達に見せて取り込んでいるところでありました」

「それは私も田祁麻呂殿に聞いて驚いておりますが、本当なのでしょうか?」

 村定が半ば信じられないという顔をして由里を見た。

「どうやら、本当らしいのです」

 由里は館で広野と話をした事実を二人に語った。

「なるほど、そんな事があったとは。しかし、義景様を利用してそのような暴挙に出るなど言語道断、到底許されるものではありません」

 村定が顔を赤くして怒りをあらわにした。

「そして、由里様。広野は青い短剣を探せとか、何やら騒いでおりましてかなり焦っておりましたぞ」

「そうだ、正統な国王の印である蒼月の短剣か! それを持っていなければ認めることにはなりません。と言うことは由里様がお持ちになっているのですか? それともどこかに隠されておいでで?」

 こちら側が有利に立っていることに気がついて、興奮気味に村定は由里を見た。

「短刀と言えば国王様。この間、廃屋でお会いした際にお忘れ物をされておりましたゆえ、お持ちしました」 

 田祁麻呂はそう言って懐から鞘に収められている短刀を由里に差し出した。

「こ、これは! 蒼月の短剣ではございませんか!」

「何とこれがそうなのですか!」

 二人共目をひん剥いて驚いている。周りの者達もあっけにとられて固まっている。

「こんな事があるかもしれぬと予想しておりましたので、あの時に置いていったのですよ。あの廃屋ならば、他の者に知られぬだろうと思いまして」

 由里はさして気にとめることも無くサラリと言って短刀の鞘を抜いた。短刀の刃は綺麗な薄い青色をしており、月夜に照らされて光っている。

「さて、村定。あなたの残り兵は今何処におりますか?」

「はい、ここより十キロ先にて横に長く陣を構え、こちら側に敵が来れないように数百単位で物見を出しております」

「分かりました。では、これより本城にいる阿部広野を討ち、混乱を収束させに行きましょう。それには一つ策があります、聞いて下さい」

 由里は説明を始めた。

「まず、村定の軍勢は本城である千乃葉城に攻め込む気配を見せるために、城の近くまで移動して下さい。向こうから敵が来た場合は無理をせず戦い、時間を稼いで下さい。そして、私と青陰の者達は、本城から繋がっている脱出用の地下道がありますので、そこを通り城の内部に侵入して、広野を討ちます。なるべく同じ国の兵を傷つけたくは無かったのですが、仕方ありません、来る者は容赦なく倒します」

 今までいつも冷静な目をしていた由里だったが、ここにきて、言葉が僅かだが強よくなっていた。

 明け方になり、先に村定の兵士達一万五千が千乃葉城に向けて北に進軍を始めた。由里と青陰の百名は、村定の軍の後方を着いて行くと、途中から右回りで追い越して地下道の入り口を目指した。

 この地下道は城にいる重鎮達なら誰でも知っている訳ではない。国王と以下の右大臣と左大臣のみが知る秘密の地下道である。ならば当然左大臣の阿部広野も警戒しているだろうと考えるが、由里が幽閉されていた館の警護兵は全滅させているので、由里が脱出いるのをまだ知らされてはいないだろうと由里は考えている。

 地下道の入り口は千乃葉城から東へ一キロの所に小さな森がある。その中には民が使う共同墓地があり、その敷地内の一番奥にある無縁仏が埋葬されている墓石を動かすと地下に通じる階段があるのだった。

 由里達は森の中に入った。念のために青陰の者を墓地の偵察に行かせたところ、墓地には人の気配は無いとの報告が入り、すぐに墓地へ向かった。だが、敷地内に入ったところで状況が一変した。

 後方からかなりの数の馬が走る足音が聞こえてきて墓地の中に入ってきた。その後ろからも歩兵隊が駆けてくる。

「なるほど、墓地に我々の知らぬ抜け道があり、国王様の命を狙う賊が入るので滅せよと命令を受けて来てみたが、どうやら間に合ったようだな」

 隊長らしき男が馬から降りて鞘から刀を抜いた。

「あなたはこの隊の隊長ですね。私が国王の大伴由里です、刀を戻して下がりなさい」

 由里は一歩前に出て隊長の男に命じた。だが、男は声を上げて笑い出した。

「馬鹿を申すな。この小さな隊の長では国王様を見かける立場に無いが、そのような戯れ言を信じる俺ではない」

 下々の兵士達には、由里が捕らえられて幽閉されていたことは聞かされていないようだった。

 後方からは次々と兵が到着している。数にしておよそ百名ほどだった。

「お願いです聞いて下さい。私は左大臣の阿部広野に捕らえられて南側にある広野の館で幽閉されていました。それを何とかこの方達に助けられてここまで来たのです。それに、国王とその下にいる右大臣と左大臣しか知らない秘密の地下道をただの賊が知っている訳はないと思いませんか?」

 由里が必死になって説得しているが、周りの兵達はまともに聞いている者などいなかった。

「戯れ言など聞く耳を持たぬ。突撃せよ!」

 命令が下されると、後ろに控えていた兵達が一斉に由里達を襲った。青陰の者達がそれを迎え撃ち、乱戦の様相になっていく。その内の二十名ほどが由里を中心になって囲み守っている。

「国王様、ここは私に任せて先へ行って下さい。でなければこの混乱は収拾できませぬ」 

 田祁麻呂と十夜が前に出て由里を守る形をとっている。

「仕方ありません。十夜は何人か連れて私と共に来て下さい」

 由里に指示されて、十夜は部下を五名呼ぶと、縦二メートル横三メートルほどの無縁仏の墓石の前に立った。

「姉さん、これはどうやったら動かせるんだ? 俺達だけじゃ動かないぜ」

 十夜は墓石に右手を置いて押す仕草を由里に見せた。

「すぐ開けます、少し待っていて」

 由里は墓石の裏に回り込んで足元にある直径三十センチほどの石を見つけるとそれを足で上から踏みつけた。石は地中に潜り込むと地面がかすかに揺れだすと、墓石が鈍い音をたてて前方に動いた。墓石が立っていた場所には、下に降りる階段があった。

「中に入って下さい、階段を降りると城に通じる通路があります」

 由里を先頭にして十夜、田祁麻呂、そして青陰の者達が入って行った。

 階段を降りると、真っ直ぐ城の方向へ通路が広がっている。通路の幅は意外と広く、四人が横に並んで歩いても余裕がある。天井までの高さも二メートルほどあり、壁の両端が点々と火が付いていてかなり明るかった。

 由里を先頭にして皆が歩き始めた。

「すげえ、これは一体どうなってんだい姐さん?」

「扉を開けると、天井の両端に流れている油に火がつく仕組みになっています。油が切れてしまえば自然と消えるのです」

「先代の国王様が命令して作ったのかい?」

 皆、不思議そうに通路を眺めている。

「考案したのは私です。こういうこともあるだろうと思い、お願いしたのですが役に立ちましたね」

「へ~、姐さんはすげえな。武術だけじゃなくてこんなことも考えられるのか」

「私は元々学者です。武術は家柄が関係していてやっていただけなのですよ」

「この通路は、城のどこに繋がっているんだい?」

「城内の食料庫に繋がっています。逃げるときに少しでも持って行ければ、ひもじい思いはしなくてすみますから」

 やがて前方に登りの階段が見えてきた。先頭を十夜が変わり、由里は列の真ん中で皆に守られる形で階段を上った。

 十夜が扉を上に持ち上げて地上に出たが、その背中からは緊張をしているのが由里には分かった。前から順々に地上へ出て由里も上がり、様子を見てその理由を理解した。

 食料庫には五十名程の兵が待ち受けていて、その真ん中で、知った顔の男が腕を組んで胡床に座っている。

「ほ~う。広野様に言われて半信半疑でここに座って待っていたが、本当に来るとは思わなかった。国王様を救出したのは周りにいるお前達だな? あの警備の中を抜け出るとは大したものだ」

「また会えましたね、荒田」

「随分と余裕ですな国王様、その人数では、殺されに来たとしか思えませんが」

「抜け出たんじゃねえ、全滅させて出て来たんだよ。この国の兵隊も大したことねえな」

 十夜が一歩前に出て刀を構えた。田祁麻呂と他の者も由里を守るように武器を構えた。

「広野から話は聞いているのですか荒田」

「もちろんです。あの方こそ正統な国王と私は考えますね」

「義景様を騙したと知っていて、尚もそのようなことが言えるのですか?」

 由里は僅かに震えながら荒田を睨んだ。

「私はね、元々女のあんたが国王になるのには反対でね、それをあの老いぼれの先代王は、何を血迷ったか、お前なんぞに王の座を譲りやがって。相当お前の体が良かったのかね? 丁度良い、この機会にこいつらを始末した後に試してやろう。おい、お前達この女以外は殺して良いぞ。女は生け捕りにして謁見の間に連れてこい」

 そう言って荒田は兵達の中を抜けて食料庫から出て行った。

 十夜は荒田の言葉を聞いた後、背後から凄まじい殺気を感じた。恐る恐る背後を振り返るとあの冷静な瞳で感情を表に出していなかった由里の表情が、一変して怒りの表情に変わっていた。

「あなた達、前を開けなさい」

 由里の殺気が伝わったのか、青陰の者達はサッと前を開ける。それを見て十夜は慌てて由里をなだめようと両手を由里の肩に触れようとしたが、由里と目が合うとビックリして思わず両手を上げて道を譲った。

 由里はゆっくりと、腰に付けていた鞘から刀を二本抜いて兵士達に向かって歩き出した。兵士達もこちらに向かって一斉に走り出してきた。

 数分後、辺りは血の海になっていた。圧倒的な青陰の者達、いや、由里の攻撃力で立っている荒田の兵士は一人もいなかった。

「さっき、荒田は謁見の間と言っていましたね。行きますよ十夜」

 由里は、全身に切りまくった兵士達の返り血を浴びて真っ赤だった。それを全く気にせずに歩きながら二本の刀に着いた血と脂を着ている着物で無造作に振っている。十夜達は慌てて由里を囲み一緒に歩いた。

 食料庫を出て城の内部に入ると、中にいる臣下達が血まみれの女の姿を見て、唖然として通路の壁の際に寄りかかりその様子を見ていたが、それが由里だと分かると帰還を喜び、後ろから着いて来る者がかなりいた。

 階段を上がり、そのまま通路を直進すると謁見の間の扉がある。先頭にいる十夜が勢いよく扉を開けると、中にいた者が一斉にこちらを見た。

 正面の高台の椅子に広野が何事だと言う顔でこちらを見ている。段の下では荒田が膝を着いていて首だけこちらを見た。

「そんな、馬鹿な。その人数で私の兵士達を倒してきたのか、五十はいたのだぞ!」

 荒田は驚きながらゆっくりとこちらを向いて立ち上がった。。

「どういう事だ荒田! その女を捕まえたと言っていたではないか。何故、無事でいるのだ」

 広野は驚いて椅子から立ち上がると部屋の端へ逃げようとした。そして、この部屋にいる臣下達も慌てて動きだした。

「静まれ!」

 場内を由里のでかい声が響き渡った。初めて大きな声を出した由里の声に、臣下達はピタリと動きを止めた。

「阿部広野、荒田赤麻呂。お前達二人は絶対に許さん。十夜!」

「はい、姐さん!」

「広野と荒田は私がやる、お前達は残りの臣下達が逃げないよう出口を塞げ!」

「お任せ下さい。思う存分やってください」

 十夜は返事をすると、部下達に出口を封鎖させるように手を振って命じた。すると、青陰の者達以外の由里の帰還を喜んでいた臣下達もそれを見て一緒に動き出して出口を封鎖した。

「ハハハハハ! 何を言うかと思えば、お前が俺を倒すだと? 女子の分際で何ができる。やれるものならやって貰おうか!」

 荒田は笑いながら鞘から刀を抜くと由里に向かって一歩踏み込んだ。その瞬間、由里は素早い動きで荒田とすれ違うと両手に持っていた刀を振った。そして一瞬の間が開いた後、刀を持っていた右手の肘から先がゴトリと床に落ちた。

 荒田は叫びを上げて床に両膝をついた。右手の切られた箇所から血が噴き出している。

 由里は、後ろで叫びを上げている荒田を無視すると、前にいる広野を睨み付けながら近づいていった。

「うわぁぁぁぁ、来るな!」

 広野が後ろに下がりながら、刀を抜いて振り回している。

「私に対しての無礼はまだ許せる。だが、あの人を侮辱したのは絶対に許さん!」

 広野が必死に刀を振り回しているのに、由里は全く動じずにさらに近づく。

「分かった、私がわるかった! 王になんぞならん! だから、許し─ 」

 広野が言い終わる前に、由里は無言で右手に持っている刀を、左から右に振った。すると広野の右手首から先が宙に投げ出されて、弧を描いて床に落ちた。広野は床に尻をついて、あまりの痛みに喚いている。

「この中で私の命令を聞く者はいるか!」

 由里は大声を出して、周りにいる臣下達を睨み付けた。するとその場にいた全員が膝を着いて頭を下げた。

「国王様!」

 一人の男が顔を上げて由里を見た。

「誰だ、名を言え」

「はっ! 荒田の副官をしております、中村遠見と申します。上官の命とは言え、反旗を翻した罪は受けまする。しかし、今は外で阿部吉代野と村定岩雄の両将軍が戦闘中であります。ここは一刻も早く止めねばなりません。どうか私めにその任をお与え下さい」

 由里は中村の進言を聞くと、下を向いていつもの表情に戻した。

「いいでしょう。吉代野の背後に回って攻撃をしなさい。必ず吉代野の首を持ってくるように」

「かしこまりました。直ちに行って参ります」

 中村は立ち上がり一礼すると走って出口をでた。

「誰か、その二人を医師の所へ。血が止まり次第、牢に入れるように」

 臣下の者達が数人動き出して二人を連れて部屋を出た。由里はそれを確認すると後ろを向いて歩き出した。そして王の椅子に近づいて手で触れると、ゆっくりと椅子に腰掛けた。

「広野の出生の事は聞いていますね。それと荒田の件も含めて、話し合いを行ないますので、各省の責任者を至急この謁見の間に集めなさい」

 この後、阿部広野と荒田赤麻呂両名の処分が話し合われた。広野は先代王の血を引いているとはいえ、国王である由里を拉致、監禁を行なった罪は重く、情状酌量の余地は無しとして、取り調べの後打ち首と決まった。荒田に関しては同じく打ち首と決まったが、その下の多くの兵士も命令とはいえ国王に反旗を翻した罪は許される事ではないとの意見が多く、処刑するべきとの声が多かった。だが、上の命令は絶対という軍の決まりが災いをしていたので、それについては由里が皆を説得して罪を問わないと決まった。

 会議の終わり頃に、阿部吉代野の軍が、中村遠見と村定岩雄の軍に挟撃を受けて敗北したとの一報を知らされた。吉代野は中村によって首を落とされ、それが済むと中村も自身の腹を切り命を絶ったと言う報告を受けた。これによって今回の事件は一応の決着と見たが、武上の国がどこまで関わっているのか、それは今後、広野の取り調べを待つことになる。

 三日後、由里は右大臣の波田文屋の屋敷を訪れていた。幸い文屋の命は何とか繋がり今は自宅で静養をしている。

「ご心配をおかけしました。今回の事件は一応解決となりましたが、あなたに大怪我をさせてしまって申し訳ありませんでした」

 由里は文屋が寝ている寝台の側の椅子に腰掛けて頭を下げた。

「とんでもございません国王様! どうか頭をお上げ下さい」

 文屋は上半身だけ体を起こしながら恐縮している。

「それにしても、あの当時の右大臣であった、阿部犬麻呂が関係していたとは驚きです。そして武上の国も裏で糸を引いていたとは、この事件は意外と奥が深そうですな」

「そうですね、それについては先ほど話しをした『青陰』に探って貰おうと思います。では私はこれで失礼させてもらいます。あなたはゆっくりと静養をして下さい」

 由里が椅子から立ち上がると、波田も立ち上がろうとしたために、由里は両手で波田の肩を押さえてそれを制した。そして、波田に一礼すると館を出て再び自分の御殿に戻った。

 従者を控えさせて一人で部屋に入る。暖かい日だまりが由里を包んだ。由里は夫が寝ていた寝台に腰をかけると、一つ溜息をついた。すると秋らしい乾いた風が由里の顔にあたり、ふと窓を見たが戸は締っていた。何事かと不思議に思い、しばらくの間部屋の様子を見ていたが、一瞬だけ何かを感じた由里は、小さく微笑んで下を向くと、寝台に手を置いて優しく撫でた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ