石門の国
石門の国
戦場はこの男が支配していた。兵達は男が近づいてこないように願っていた。男が率いる騎馬隊が、自分達の陣に入ってくると、彼の一撃だけで七~八人の味方が倒される。さらに、その中にとどまって暴れると、二桁の味方があっと言う間に殺されてしまう。何十人の味方が勇気を奮ってこの男に向かって行き、倒れたのだろう。今まで、ここまで強大な武を持った男は見たことがなかった。まさに戦神だった。
生暖かい血しぶきの中を駆けている。敵兵達の恐れおののいた顔が、次々と通り過ぎて行き、やがて抜け出した。周りは、激しく敵味方が戦い合い、踏みにじった土が空まで舞い上がっている。後ろを見ると、自分達が作った隙間に、味方の歩兵が入り込んで敵の陣形を壊し始めている。
蓮塚部横刀は麾下の騎馬隊を、一旦戦場の外側まで走らせた。そして、反転させると、敵の左翼側に向かって行く。敵もこちらの動きを見て、盾を前に出し、横に槍を突き出してこちらの動きを躱そうとしている。横刀はそれでも構わずにグングンと馬の速度を上げると敵兵の三メートル手前から馬を跳躍させた。槍や盾が出されていないところで着地をすると、何名かの敵兵が、横刀の馬の下敷きになった。そして同時に持っていた戟を振り回すと、横刀の周りにいた数名の敵兵の胴が二つに分かれ地面に倒れた。さらに戟を振り回して、次々と倒していく。
敵も槍を使って突き刺そうとまとまって攻撃を仕掛けるが、少しでも横刀の間合いの中に入ろうものなら凄まじい斬撃で斬り殺されてしまうので容易には近づけなかった。やがて、後方で待機していた麾下の騎馬隊も、崩れている所から入り込んで攻撃を始めた。
こちらの攻撃に圧倒されて、敵陣は総崩れとなった。敵は算を乱して逃げ始める。
「敵を逃がすな! 月芽族は皆殺しにしろ」
横刀の横にいた文士御楯が叫びながら逃げる敵を追い始めた。それを見た味方の全兵士が、雄叫びを上げて逃げ惑う敵兵を攻撃する。逃げる途中で転んでしまい、自分を殺さぬよう懇願するも、顔色一つ変えずに斬り殺す兵もいれば、二人がかりで一人を切り倒すと、既に絶命して動いていないにもかかわらず、執拗に武器を叩きつけている兵もいる。皆怒り狂っていた。
この「月芽」と呼ばれている六国がせめぎ合う大陸では、「月芽族」と呼ばれている民族が九十パーセントを占めていて、残りの十パーセントは二十五の少数民族が暮らしている。少数民族のほとんどは、支配している月芽族とうまくやって生活をしているが、横刀達の「臥族」(がぞく)だけは頑なにそれを拒み対立をしていた。この国の月芽族が臥族に対しての激しい差別意識が理由の一つとしてある。
臥族の集落は、ずっと昔から、石門の国の東南の位置にある海岸に面した所にある。主に漁業を営んでおり、水揚げした魚を、北平の国と蒼月の国の各町や村に持って行って物々交換や銅銭などを得て生活をしている。石門の国の集落に持って行っても差別が激しいために相手にはされないのだ。もし、身分を偽ったとしても、臥族の特長である銀色の瞳と白色髪のせいですぐにばれてしまう。
臥族の男子は十歳から戦闘訓練に参加をさせられて、徹底して武器や馬の扱いを学ばされる。気が強く、仲間意識が強いために、いざ戦になったときは無類の強さを発揮するのだ。特に各隊の連携は素晴らしく、合図一つで、僅かな乱れも無く動いて陣を形成する。
今回の戦も、きっかけは些細なことから始まった。
臥族の男一人が、本城である仁那太加城の城下町に足を踏み入れた。周囲の冷たい視線にも気にせずに遊郭に入り、女遊びをしようと店に入るも、店の者から出て行くように促され、男は怒りだした。店の者が用心棒数人を呼んで男を叩きだそうとするが、あっさりと男一人にやられてしまった。一度怒り出すとなかなか収まらない臥族の男は、店の中で暴れ出した。騒ぎを聞きつけた町の守備兵二十名が駆けつけて、外で乱闘騒ぎになるも、ようやく男の捕縛に成功して牢に入れたのだった。
それを聞いた臥族の一人が、長である横刀に話をすると、即座に兵を招集し、兵二千で町に向かった。そして、町の手前で石門の国の兵とぶつかったのである。
「どうする横刀、このまま町の中に入るか?」
御楯が馬を横刀の側に進めて来ると、町の方を見た。
「当然だ、このまま町の中に入り暴れてやれ、そして牢に入れられた男を救出する」
「物足りないな、どうせ暴れるのなら町を破壊し尽くした後で、火を付けて焼いてやりたいのだがな」
御楯が横刀に同意を求めた。
「俺はそういう事に興味が無い。ならばその辺はお前が指揮を執れ、俺は捕らえられた男を助けに行く」
「王が住む区画はどうする、攻め込むか?」
「少し脅かしてやろう、門の前で攻め込む素振りを見せてやれ」
兵達が次々と町の中に入り、敵の守備兵と戦闘状態になった。横刀は五百の騎馬隊に下馬を指示すると、先頭で歩き出して町の中に入った。道では町の住民の姿は見当たらない、どうやら、家の中へ避難しているようだ。
空から一粒の水滴が横刀の鼻に当たった。上を見上げると水滴の数が徐々に増えていき雨になった。本降りの雨が兵達に降り注いでいるが気にしている者などいなかった。
町は東西四キロ、南北六・五キロの長方形になっていて、中央には二重の堀があり、その中にに王が住む城がある。町の中は、道路が入り組んでいて迷路みたいになっていて簡単に王が住む場所へたどり着けないようにしてあるので、町に詳しい者に案内させて進んだ。
この町は、一般の民が住む居住区や商売を営む店舗区画など大きく分けて四つの区画に分かれている。捕らえられた男は、北西の位置にある役場の区画の奥にある牢屋敷の中にいるという話を聞いて横刀は歩き出した。
やがて役場区画の入り口に入る所で道一杯に 敵兵が道を塞いでいた。
横刀は部下から狼牙棒を受け取ると、単独でゆっくりと敵の方へ歩き出した。それを見た敵兵三人が走って横刀に向かって攻撃を仕掛けた。横刀は鉄製の狼牙棒を横に構え、向かって来た敵兵に武器を横に振った。
後ろで見ていた敵兵達は、信じられない光景を目にする。先ほど向かって行った三人の兵が、たった一人の男の一振りで、軽い紙が舞うようにフワッと高く宙に投げ出されると、音を立てて地面に落ちた。三人は既に絶命している。一瞬の間が空いた後、敵兵達は何が起こったのか分からないという表情でお互いの顔を見合った。そして、そのまま前列の七名が横刀に向かって攻撃を仕掛ける。しかし、これも横刀の一振りであっさりと七名が宙に投げ出されて地面に激突した。それを見た敵兵がようやく事態を飲み込めた顔になり、全員で一斉に横刀に向かって走り出した。
それを見た横刀は全く怯みもせずに敵に向かって走り出す。そして、敵に向かって狼牙棒を右に左に振るった。次々と敵兵達が宙に投げ出されては地面に落ちた。後ろに控えている部下達は、何もせず平然と横刀の行動を見ているだけだった。まるで、竜巻のような横刀の攻撃がやむと、周りに立っている敵は一人もおらず、皆、死体となって横たわっていた。横刀は辺りを見渡した後、後ろを向き、頭を振って案内役の男を呼び前に進んだ。
数キロ進むと、ようやく牢屋敷の入り口にたどり着いた。大きな塀に囲まれていて、周りには堀も作られていた。入り口には誰もおらず、門は開いたままだった。部下を動かし中に入らせて捕らえられた男を救出した。
男の名は押山と言った。歩兵隊の中に見た顔だったのを横刀は思い出した。まだ二十三と若い男で横刀の前に来ると頭を下げた。
「横刀さん、助けて貰ってありがとうございます」
「気にするな、同胞を救うのは我ら臥族のきまりだ。それよりも、お前が行った遊郭の店の場所を教えろ。その店だけは許さん、臥族を愚弄する者は切り捨てる」
横刀に言われると、喜んで押山は先頭になって歩き出した。横刀は歩きながら周りを見渡すと、中央にある王が住む区画の近くから煙が上がっているのが見えた。恐らく、王を脅かすために御楯が命じたのだろう。
役場区画を抜けて、そのまま東へ進むと、奥に遊郭がある。しかし、遊郭に入るための木製の観音式扉の門がしっかりと閉じられていた。遊郭の周りは高い塀に囲まれているので、門からでないと出入りができなかった。部下に命じて門を開けさせようとしたがびくともしない。そこで横刀は持っていた狼牙棒を門に叩きつけた。
大きな打撃音が静まりかえった遊郭の前に響いた。五度目で門がささくれてくると、七度目で門が割れだして、十度目で破壊された。門の裏から、太い柱でできた閂で抑えられていたために開かなかったのだが、横刀のずば抜けた力で簡単に開いてしまった。周りの部下達は、そんなことは当たり前だという顔で平然と門をくぐった。
遊郭内の通りには、店の用心棒達が大勢で店を守ろうと集まっていた。見た所五百人は集まっている。こちらは五十名なので、勝てると思い出て来たのだろう。薄笑いを浮かべている者までいる。
横刀が指示を出す前に部下達がゆっくりと歩き出し、用心棒達との距離が近づいてから一気に走り出して攻撃を始めた。普段から厳しい調練を行なってきた臥族が、たかが用心棒程度が大勢で攻撃を仕掛けても相手にはならなかった。
臥族の中でも特に優秀な者だけを選んだ横刀の騎馬隊の兵は、その冷たい銀色の瞳に何の感情も抱かずに無言で戦っている。全て一撃で相手を葬りどんどんと前へ進んでいく、横刀は何もせずに後ろから歩いているだけだ。道は、倒された用心棒達の悲鳴と呻き声で埋め尽くされて赤く染まっていた。
あまりの強さに屈した用心棒達は、一斉に部下の臥族兵とは反対の方へ逃げ始めた。しかしそれを許そうとはせずに半分程が飛び上がって中に入り、物凄い早さで用心棒達の間をすり抜けると前に出て道を塞いだ。間に挟まれてしまった用心棒達は、恐怖のあまり顔が引きつり半狂乱に陥った。
その後は一方的は虐殺が始まる。一人、また一人と恐怖にゆがんだ顔で赤黒い血を噴き出して倒れた。そして数十分が経つと誰一人として動く用心棒はいなかった。遊郭内はシーンと静まりかえり異様な空気に包まれている。横刀は閉じられている各店から、そっとこちらをのぞき見ている気配を感じた。それは店の人間が中にいること証明している。恐らく押山が入った店にも人がいるだろう。
押山が先頭で歩き出して、真っ直ぐ八十メートル進んで右側にその店はあった。横刀が中の気配を探ると数十人の人間の気配を感じた。閉じられた木製の扉を無造作に蹴り出すとあっさりと扉が倒れて中の様子がうかがえた。
一斉に店の人間の悲鳴が店内に響きわたり隠れるように逃げている。
「容赦するな、全員殺せ」
部下達が一斉に動き出すと、中にいる人間の悲鳴が一層大きくなった。次々と無抵抗の人間が切り捨てられている。押山も自分の入店を拒んだ店員の男を見つけて首を刎ねた。上等な着物を着ていたのでここの経営者なのだろう。刎ねられた首は、驚きの表情のまま床にころがっている。
一階は大きな広間になっていて、入って来た客を取りあえずもてなす場所のようだ。大きな階段が二階まで上がっている、どうやら遊女と楽しむのは上のようだ。横刀は階段を上がると二階の様子を見た。
遊女達が恐怖で引きつった顔で逃げ惑っている。後ろから部下達も上がり横刀の横をすり抜けると、遊女達にも容赦なく切りつけている。横刀は一番左奥に、一つだけ襖が閉じられている部屋を見つけた。不審に思い、襖の前まで来ると中に人がいる気配を感じる。勢いよく襖を開けると、部屋の中は薄暗くてよく見えなかったが、目が暗いところに慣れてくると中にいる人間がハッキリと見えてきた。
一人の遊女が、十歳くらいの少女をかばうように背中で隠している。後ろにいる少女は恐怖で震えていた。一人の部下が横刀の左横を通り抜けてその遊女に近づこうとした時、横刀は左手を出してそれを制した。
「女、立ち上がってこちらに来い」
横刀の言葉でその遊女は体をピクリとさせると、しばらく間を置いて立ち上がり、横刀の前まで進んできた。
その美しい黒髪は腰の辺りまで長く伸び、肌の色は白く透き通り、目は憂いを帯びた瞳をしていた。そして、その瞳の色は自分達がよく見ている銀色の瞳だった。横刀は素直にこの遊女を美しいと思った。暫く時間が止まったようになった、雨音だけが聞こえている。
「その瞳は俺達と同じ色をしている。しかし、その髪は黒い。お前は何者だ?」
横刀の問いに、遊女は少し震えた声で答えた。
「私は臥族の父と月芽族の母の間に生まれた子です。ですから、瞳は銀色で髪は黒いのです」
「父親の名前を教えろ」
「伊那風吹です。お願いです、私はどうなっても構いません、しかし、この子のだけは見逃して頂けませんか」
その名前は知っていた、とても懐かしい気持ちに横刀はなった。
『 横刀、強くなれよ 』
会うといつも口癖のようにその男は横刀に言っていた。とても大きく、優しい男だった。 横刀は懇願する女を見たときに、瞳の焦点が合っていないのに気がついた。
「お前、その目はどうした」
「三つの頃、病で高熱を出して光を失いました」
「両親は?」
「父も母も私が赤子の頃に死にました」
「年は?」
「二十です」
横刀はこの女が今まで生きてきた過程を理解した。両親が死んで、身寄りの無くなった女はこの店に売られてやって来たのだろう。風吹が横刀の前から姿を消した頃を計算すると確かに合っている。あの頃の横刀の年齢は十二だったので 間違い無い。
「間に生まれた者でも俺達の同胞であることには変わりは無い。その子供はお前の身の回りの世話をしてるのだろう? 命は取らんから安心しろ。その代わりに二人共我らと共に来い」
女は横刀の言葉を聞いて安堵したが、諦めた表情で頷いた。
「勘違いするな、お前を慰みものにするわけではない。同胞として迎えると言ったのだ。おい、この二人を俺の屋敷まで案内しろ」
女は驚き、横刀の方に顔を向けた。しかし、横刀からはそれ以上の言葉は無かった。横刀に言われて、四人の兵が女と子供を誘導して歩き出す。
「女、名前は?」
突然言われて女はピタリと止まり後ろを振り返った。
「伊那雪芽です」
雪芽は少女の手を取りゆっくりと階段を降りて外に出て行った。
横刀は階段の所まで歩くと一旦止まり、階下を見た。この店の人間は、雪芽と少女以外全て殺されていた。店の中は血の海で息が詰まりそうだが、皆平然としている。階段を降りて店を出ると雨はさらに強く降っていた。
「横刀さん、御楯さんが呼んでます。町の中央に来て頂けますか」
兵の一人が近づいてきて右手の親指で自分の後方を差した。
「分かった、今すぐ行く」
部下を引き連れて歩き出す。他の店は相変わらず戸が閉められていてそこから嵐が過ぎるのを待っているようだった。壊れた門を潜ると先ほど通った道を反対の方に向かって歩き出す。途中で左に曲がりそのまま南下すると王が住む中央の区画の入り口にたどり着いた。
王が住む中央の区画の周りは十メートルを超す壁が立ちはだかり、大きな鉄製の門が上から下へ降りていて中の様子は完全に分からないようになっている。さらにその周りに幅が五十メートルもある堀が張り巡らされていて、容易に攻め込む事は出来ない。門からは木製の橋が架けられているのだが、臥族襲来で途中から上に釣り上げられている。
御楯が橋の入り口の前に立っていた。横刀は御楯の側に向かって行った。
「よう。遊郭で女を一人助けたって? 何でも臥族と月芽族の間に生まれた女らしいじゃないか。お前にしては珍しく情けをかけたのだな」
御楯はからかうように笑った。
「女の親父が、風吹さんだった」
「本当か!」
「ああ、そう言っていた」
「あの風吹さんの娘だったのか。……それじゃ、あの時の。それで、風吹さんは今どうしてるんだ?」
「以前あった疫病で死んだそうだ」
「そうか、それは残念だ。良い先生だったな横刀」
「ああ」
不意に横刀は上を向いてしばらく雨を見ていた。少し昔のことを思い出した。
「この状態では、王を少し脅かしてやる事はできないな」
横刀は首を戻して先にある鉄の門を眺めた。
「そうなんだ、これじゃ何もできん。暴れることは暴れたから、そろそろ潮時かと思ってよ」「そうだな、帰るとするか」
横刀はそう言って、東門がある出口に進もうと歩き始めた時だった。
きしむ音が辺りから聞こえてくると、釣り上げられていた橋が徐々に下に向かって下がりだしてきた。横刀は立ち止まると無言でそれを見ていた。
橋が下まで完全に降りると、今度は門から音が響いて下から上に少しずつ上がっている。ドスンと音を立てて上まで上がりきると、中から一人こちらに歩いてくる。
上等な赤い着物を着た老人が腰に両手をあててこちらをジッと見ながらやって来た。そのまま横刀の前まで来ると立ち止まった。百五十くらいの小さい老人だったが百九十ある巨?の横刀を睨んでいた。
「まったく、随分暴れてくれたもんだ臥族共よ。死んだ者達への保障が馬鹿にならんぞ」
老人は全く怯むことなく臥族達を睨み付けている。
「誰だじいさん。ここの大臣か? 王は怖じ気づいて使いを寄越したか」
御楯が近づいてきて老人を見下ろした。
「馬鹿者、わしが王の武鞍浜成じゃ。ちと交渉に来た、耳を貸せ」
王である浜成の突然の出現に皆声を上げて驚いている、冷静なのは横刀だけだった。
「お、おい! あんたが王だと? 本当かよ!」
「わざわざ嘘を言いにここまで来てどうする。本物じゃよ。おい、そこのでかいの。お前が臥族の長だな、名前は?」
「蓮塚部横刀だ」
「うむ。では蓮塚部横刀よ、交渉をしたい。この雨では、びしょ濡れになってたまらんから中へ入れ。武器は持ったままで良い。人も好きなだけ来ればよかろう」
言い終わると浜成は後ろを振り返り、先ほどと同じように門の中へ歩き始めた。
「おい、横刀。どうするんだ? 武器を持ったままでいいと言う事は、本当に交渉をするつもりのようだな。何人か連れて行くか?」
「お前だけでいい、御楯」
そう言うと横刀は歩き出して浜成の後を追った。御楯も慌てて歩き出した。
門を抜けると様々な建物が並んで建っていた。少し小高い所を見ると天守がそびえ立っている。周りには武装している兵士が緊張した面持ちでこちらを見ている。しばらく浜成の後ろを無言で歩いて行くと立派な御殿に着いて浜成が中に入った。玄関で履物を脱ぐと奥へ進み、広間に入った。広間の大きさは広大で二百畳ほどの広さだった。様々な調度品が並べられていて部屋の中央に大きな卓が置かれている。
浜成が、木製の長方形で作られた、大きな卓の中央に座ると、反対側に座るように促した。
横刀と御楯は椅子に座ると周りを見渡した。不思議な事に武装している兵士は一人もおらず、従者らしき男が一人いるだけで、この部屋には王と自分達がいるだけだった。今、自分が持っている武器でこの王を殺すことはたやすい、何故平然としていられるのか理解できなかった。「お前達が何故ここを襲ったのかは聞いておる。まったく、相変わらず気の短い民族じゃな。まあ、我が民もお前達に対する偏見はちと行き過ぎだと思うがな。さて、まず最初にお前達に話がある。この城下町を出たところで我が一万の軍が、出てくるお前達を待ち構えている」
従者が王に茶を持ってきた、二人には何も置かれていない。
「さらに、お前達の居住地域にも一万の軍が囲んでいて、わしの命令を待っておる」
「どういう事だじいさん、俺達をはめたな?」
怒りをあらわにして御楯が浜成を睨んだ。
「馬鹿かお前は。今さっき我が軍とぶつかり多くの兵を殺し、さらに町の中もやりたい放題したんじゃ、お前達を殺す用意ぐらいはするじゃろうが。それとも、わしがお前達に頭を下げて許しを請うと思ったか? だと考えたのなら笑えるのう。言っておくが、これでもわしのはらわたは煮えくりかえっておっての、今すぐでお前達を殺してやりたいくらいじゃぞ」
「俺は構わんぞ、俺達臥族は売られた喧嘩は買う主義でな、居住区であろうと中の連中は簡単にはやられない。それに我らが根絶やしにされても、それ以上の人間を道連れにするだけだ。話はそれだけか?」
二人は立ち上がって武器の先を浜成に向けた。
「そう言うと思ったわ。だから交渉をしようと言ったんじゃ。まあ、聞け」
浜成はギロリと二人を睨むと顎で座れと促した。二人は黙って再び座る。
「話はこうじゃ、お前達臥族に土地を譲ろう、そこを自治区として住むことを許す。おい、地図を持ってこい」
従者が持っていた地図を二人の前に広げた。そこには石門の国の地図が書かれていて、東の外れには臥族が住んでいる辺りに赤く囲みが書かれ、その外側に大きく線が引かれている。
「ここの大きな囲みが自治区として認める地域じゃ、大きかろう? ここで家を建てるのもよし、開墾するのもよし、お前達の自由に使ってよい」
地図で線が引かれている地域は確かに広大だった。この土地を得ることができれば、大陸全体に散らばっている同胞を集めて暮らすことが可能だ。横刀は腕を組んで地図を見入っていた。「実に魅力的な話だな。だが、条件があるのだろう。どんなことだ?」
横刀は地図に目を向けたまま浜成に問うた。
「勿論条件はあるが難しいことではない。お前達臥族が我が軍に加わり、他国と戦ってほしい。臥族の戦闘能力は、この大陸の他の民族と比べてもずば抜けておる故、是非欲しいと言うのがのが本音じゃ。その代わりにこの土地を譲ろうと言うわけじゃ。更に漁で取った魚を国内で売れるように取り計らってやる。どうじゃ? かなり破格の条件だと思うがのう」
御楯は驚いた顔で横刀の肩を叩いた。
「おい、どうするよ? これはかなりの好条件だが、話がうますぎねえか?」
「もし、この話が虚言であったなら即座にこの町の破壊し、お前の首をもらうぞ」
横刀が顔を正面に向けて浜成を見た。
「……やれ、やれ、王のわしにお前は無かろう。言っておくが、わしは自分の命には無頓着での、例えここで死んでも何とも思わん。今から我が軍と臥族が争いを始めれば、それを好機に他国が攻めてきてこの国は滅ぶであろうの」
浜成は呆れた顔をして横刀を見ると持っていた茶を啜った。
「なるほどな、北平の国と戦えと言うことか」
「鋭いな、その通りじゃ。今、我が国は北平の国と戦闘状態にあってな、かなり分が悪い。それにあの国の武力は強力じゃ、とても今の我が軍の力では歯がたたん。そこで臥族の力が必要なんじゃ、特に蓮塚部横刀、お前の力がな」
「軍の編成はどうする?」
「我が軍の二万五千をそっちにやろう、お前が将軍となって指揮を執れ。残りの二万五千はこちらが指揮を執る」
浜成の言う通り、臥族の戦闘能力は高い。戦でもかなり活躍することだろう。今まで拒否をしてきた税を払えと言われるよりもこちらの方が良いと横刀は思った。
「どうだ、御楯。俺は受けても良いと思う」
「俺も異存はない、戦いが税だと思えば何と思わんし、同胞が喜ぶなら良いだろう」
御楯は満足げに首を縦に振った。
「分かった、その条件を飲もう。土地の割譲はいつするんだ?」
「今からわしが書状を書こう。それを持って一旦帰るとよかろう。胡世将軍をここに呼べ」
従者は一旦部屋を出ると人を呼び、墨と紙を持ってこさせた。浜成は土地の割譲の件を書き込み、王のみが使用できる判を押した。そして、従者に渡すとうやうやしく書状を箱に入れて横刀の前に置いた。その後に、細かい軍の編成の話をしていると、顎に長い白髭を生やしがたいの良い五十代の男が部屋に入ってきて浜成の前で跪いた。
「お呼びでございますか浜成様」
「こいつが将軍の胡世広足じゃ。おい広足、たった今、臥族との話が終わった。これから臥族が我が軍に加わり、この蓮塚部横刀が将軍となって、月芽族と臥族の兵併せて二万五千を指揮することが決まった。詳しい軍の連携の話は後に話し合え」
それを聞いた胡世は驚いた様子で顔を上げた。
「お待ちください。それはいくらなんでも無茶な話でございます。このような蛮族と袂をわかつなどと、ましてや臥族が将軍など承服しかねます」
「臥族が将軍で何故いけない? 実力があれば民族の違いなど取るに足らん。それともおぬし一人で軍を掌握し、北平の国に勝てるとでも言うのか?」
「勿論でございます。この広足の力をもってすれば可能でございます」
胡世は立ち上がると雄弁に語った。
「よく言うわこの馬鹿者が! この間の北平の国のへの内応の件、わしが知らないとでも思ったか。二つも同時に姑息な手を使って攻め込み、あっと言う間に撃退されおって。誰がそんな策を許したのだ」
「そ、それは、陀安王子殿下と話し合い、御了承頂きまして、はい」
広足は急に額から汗が噴き出して拭いだした。浜成に怒鳴られて再び跪いた。其れを見て御楯はニヤニヤと笑っていたが、横刀は何の感情も出さずに見ているだけだった。
「あの馬鹿息子が、またしゃしゃり出おってもう許さん、ひっぱたいてくれるわ。おい横刀よ、話は終わりじゃ、お前の屋敷や兵の宿舎などをこの町に作るでの。迎える準備ができたら人を送って伝えよう。それまであっちで待機しておれ」
浜成は横刀に一瞥すると早足で部屋を出た。其れを見た胡世も立ち上がり、少しの間横刀達を睨むと何かブツブツと言いながら部屋を出ていった。
残された横刀と御楯は受け取った書状を持ち城を出た。外は雨がやみ、雲の隙間から太陽の光の筋が何本か地上に降りている。
待っていた兵達の中から千人長だけを呼び出して、浜成との約定を話し、そこから各部隊の下々まで話をさせた。長が取り決めた事は絶対である。誰もそれに異を唱える事は許されないのだ。しかし、臥族にとっては不利な条件では無いために喜んでいる者もかなりいた。
町を出ると、確かに石門の国の兵が一万ほど、陣を組んで横刀達の進む方を塞いでいたが、こちらの姿を確認すると陣を二つに分けて道を譲った。すれ違った時、石門の国の兵達はこちらを睨むように見ていたが、それ以上のことはしなかった。
夕刻になると、行軍を止めて野営の準備を命じた。それぞれが準備を整え終わると、焚き火を始めたようで、点々と明りが灯っている。肉を焼き始めると良い匂いが漂い、方々で煙が上がっている。所々で兵の笑い声も聞こえた。
横刀が部下と肉を食べ始めた頃に、御楯が酒を持って来て隣に座った。
「その酒はどうした御楯」
「ああ、さっきの町の酒屋で貰ってきた。略奪した金品は全部返したからよ、土産が無くなって寂しいから店の主人に頼んだら、快く差し出したんだ」
「それを世間では強奪と言うんだがな」
「まあ、気にするな。お前も飲めば同罪だ、ほら!」
御楯は、笑いながら焼き物でできた猪口を懐から二つ出すと一つを横刀に渡して酒を注いだ。どうやらそれも貰った物のようだ。
「あの時の赤ん坊の名前何だっけ、横刀」
「……雪芽だ」
「そんな名前だったかな、すっかり忘れていたぜ」
「俺も聞くまで忘れていた」
「風吹さんが連れてきた、月芽族の嫁さん。えっと、和良比売さんだっけな。優しくて綺麗な人だったな」
少し強い風が吹き、火の勢いがが強くなりパチパチと音をたてている。横刀は酒を一気に口に放り込むと、無言で猪口を御楯の顔の前に出した。ニヤリと御楯が笑い、横刀が持っている猪口に酒を注いだ。
「俺も横刀も孤児で、お前は風吹さんのところにやっかいになっていてよ、和良比売さんが来た時はお前が羨ましくて嫉妬したぜ」
横刀は、焚き火に目を移したまま、少し口を横に広げた。
「しかし、あの時の疫病に和良比売さんが煩っちまって、日に日に弱っていくのを見るのがつらかったな。それから数日後だったよな、赤ん坊を連れて二人がいなくなったのは」
御楯の側にあった肉が良い色に焼けてきて、串を持って食べ始めた。
「治せる奴がいるとかで彩の国に行っちまって、それっきり帰って来なかったが、まさか、二人共死んだとはな。……まあ、あれだ、その娘のことは俺も協力させてもらう。嫁にもいろいろと世話をさせるから任せろ」
「ああ、頼む、うまく皆と馴染めるようにしてやってくれ」
再び強い風が吹いて、火が大きく燃え上がると、火花が宙に舞い上がり空へと昇っていった。
『立て、横刀! そのままではお前は負けだ、殺されるぞ!』
戦闘指導をしている大人が倒れた横刀を蹴飛ばしている。周りには御楯や同年代の仲間が見守っていた。皆、顔や体に傷を抱えて歯を食いしばっている。横刀も仲間も子供だった。
この大人は誰だったか。そうだ、黒志加と言った。声が大きく、いつも怒っている様な顔をしていてとても怖かった。以前あった石門の国との戦闘で死んだのだ。
横刀は木剣を杖代わりにして何とか立ち上がると、雄叫びをあげて黒志加に剣を振った。だが、あっさりと弾き返されて木刀で殴られた。泣き出したいほと痛かった。
毎日の戦闘訓練は嫌いだった。しかし、拒否をすれば集落から放り出されてしまう。一人で生きて行くには、十という年齢はあまりにも若すぎる。だから、皆死んだつもりで訓練を受けた。
訓練が終わり、家に戻ると、お腹を大きくした和良比売が優しい顔で迎えてくれる。
『まあ! また傷だらけになって。こっちにおいで横刀』
水に浸した布を絞り、横刀の体を拭いてくれる。その後傷口に薬を付けてくれる。
『黒志加さんも少しは手加減をしてくれてもいいのに。でも、横刀は偉いね。よく頑張っているわ』
そう言って優しく抱きしめてくれる。その瞬間が横刀は一番幸せだった。
『おう、横刀! また傷だらけだな。今日も絞られたか!』
漁から帰ってきた風吹が大きな手で横刀の頭を撫でた。
『嬉しそうに言わないで下さい。少し加減をしろと黒志加さんに言ってくださいな』
和良比売が眉を上げて風吹を見た。
『仕方ないのさ、臥族は強くなければならん。これは我らの掟なんだ、誰も逆らうことはできない。明日は俺が指導する日だな。厳しくやるからな、しっかりと着いてこいよ。そして早く強くなれ』
風吹は嬉しそうに笑うと横刀の肩を軽く小突いた。
場面が変わり、家の前で立っていると赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
和良比売の中から赤子が生まれた、女の子だった。髪は黒色で銀色の瞳をしている。風吹も和良比売も喜んでいる。横刀が人差し指で赤ん坊の小さな掌に触れるとギュッと握ってきた。 とても温かく柔らかな手だった。
『この子は雪芽って言うのよ。これからはお兄さんだね、可愛がってあげてね横刀』
和良比売はそっと横刀の頬を撫でてくれた。横刀もとても嬉しかった。そして赤ん坊のおでこを軽く撫でてやった。
再び場面が変わった。和良比売が病魔に冒されて寝込んでいる。美しかった顔や体に発疹ができ苦しそうだった。臥族の集落では既に何百人も死んでいる。横刀は心配で側に行くと、和良比売は手で来ないように拒否をする。
『ごめんね横刀、貴方を抱きしめてあげたいけど、この病気は移ってしまうの、だからこちらに来ては駄目、早く戻りなさい』
御楯が住む家にいると、風吹が大人達と話をしていた。横刀の姿を見つけるとこっちに来いと手で呼ばれた。
『いいか、横刀。俺は和良比売と雪芽を連れて彩の国へ行く。和良比売の病を治せる人がいるらしいのだ。お前は来るな、病が移っては大変だ。雪芽もここに置いておきたいが和良比売が嫌がるのだ。それに、お前はいずれ、我ら臥族の長になれる男だ、だからここに残れ』
横刀は自分も付いて行きたいと大声で言いたかった。だが、それを飲み込んで頷いた。
そして翌日、風吹は和良比売を寝かせた荷台を馬に繋げると、雪芽を抱いて横刀の側に来た。
『病が癒えればいずれ戻る。それまで精進しろ。強くなれよ横刀』
そう言って馬を引いて行ってしまった。
目を覚ました。昔の夢を見ていた様だったが、断片的にしか思い出せなかった。体を起こして空を見ると東の空が明るくなっていた。焚き火にはまだ小さいながら炎が残っている。
体を起こして背中を伸ばすと、周囲の者もそれぞれ起き出して出立する準備を始めた。
日が昇ると同時に出発すると、夕暮れには臥族の集落に到着した。横刀は長老の館に赴いて、この国の王である武鞍浜成との約定の内容を報告した。
「約定に関しては勝手に決めさせて貰った。こちらとしても断る理由が無かった」
「長のお前が決めんたのじゃ、誰も文句は言わんよ。それにしても、随分と美味い話をふっかけてきおったな。代わりに軍に入れとは、お前の言う通り北平の国との戦争が、余程逼迫していると見える。昨日連中と戦ってみてどうであった?」
「ほぼ同数での戦いだったが、兵の粘りが無く随分ともろかったな。指揮を執る人間の能力不足と俺は感じたし、兵一人一人の能力も大きく差があった。これは練度の違いだろう」
「ここの集落を囲んでいた連中を見ていたが、動きが遅く、バラバラであったな。それでもあの人数で襲って来られたら防ぎようは無いがな」
「今後の事だが、土地を貰ったらそれをどう活用していくかだが、俺は軍を率いらなければならん。誰か適役はいないか? ジイ」
「そうじゃな、阿止里はどうじゃ? あやつなら米や野菜の栽培に詳しいし、他の集落の連中とも仲が良い。人をまとめるのは仕方ない、わしがやってやるとするか」
「そうしてくれると助かる、ジイの言う事ならば皆聞いてくれる」
「せっかく隠居暮らしを楽しんでいたのだが、まあよいわ、もう一働きするとしよう」
「では、中のことは阿止里に頼もう。家に来るように伝えてくれ」
長老は片手を上げて了解したことを伝えた、横刀は館を出ると自分の家へ歩いた。集落の住民は横刀を見つけると挨拶を交わしてくる、横刀は頷いて返事を返していた。
家に到着して館の戸を引いて中に入った。元々は風吹の館だったのをそのまま使い、増築してある。玄関で履物を脱ぐと広間に向かった。戸を開けると部屋には雪芽が座っていた。一緒に連れてきた少女は、横刀の姿を見ると雪芽の背に隠れて目だけ出してこちらを見つめている。「夕飯は食ったのか?」
横刀は荷物を降ろし、風呂敷を広げると中身の整理を始めた。
「いえ」
「共同の浴場がある。そこを出たら飯にしよう」
「はい」
それ以上の会話は無く、部屋の中は横刀が整理している音だけが聞こえている。
「おい、子供。名は何という?」
横刀の問いにビクンと体をさせると、頭を引っ込めてしまった。再び部屋の中がシーンとしている。
「ほら、隠れないで言いなさい」
雪芽が少し困った表情で背中の少女に声を掛けた。少女は怖ず怖ずと顔をあげて横刀を見た。「駒です」
か細い声を何とか出して返事をした。
「では駒、これを貰ってきた、着てみろ」
横刀が整理していた荷物の中から子供用の着物をポンと畳の上に置いた。それを見た駒の表情がパッと明るくなり嬉しそうに着物を手に取った。
「雪芽姉さん、着物だ、凄く綺麗なの!」
駒が持っていた着物を雪芽の膝の上に置いた。雪芽が手で触り感触を確認すると笑顔になり着物を広げて駒に見せている。
「良かったね、駒。横刀様ありがとうございます」
「普通に横刀でいい。お前の着物も後で持ってこさせるから合わせてみてくれ。取りあえず浴場に行こう」
横刀は立ち上がって二人を浴場へ案内した。駒が雪芽の手を取って歩いた。共同の浴場は、大人が二十人は余裕で入れる大きさに作られていて、湯は温泉が湧き出ている。駒が嬉しそうに雪芽の髪を洗っていた。周りにいる女達は、二人の事情を知っているらしく話しかけて楽しそうに笑っていた。
浴場から出ると再び家に戻った。家の中には、御楯と妻の阿波売が来ていて、夕食の用意をしていた。食堂となっている板の間の円卓には肉料理や米、近くの畑で採った野菜、汁物が置かれている。椅子に座ると皆で食事を始めた。横刀と御楯は酒を飲みながら料理をつまんでいた。駒は雪芽の側に座り。雪芽が食べるものを皿にのせてやっている。今の状況に安心したのか、雪芽と駒の言葉数が多くなってきていた。
「それにしても、良く帰ってきたな雪芽さん」
御楯が酒を飲みながら雪芽を見た。
「え?」
雪芽は何のことを言われたのか分からない表情で御楯の声がしている方に顔を向けた。
「何だ横刀、まだ話していなかったのか?」
「ああ」
「何だよ一番大事なことを話してないのか、しょうがねえな」
御楯は呆れた顔で横刀を見て、拳で横刀の肩を小突いた。
「あのな、雪芽さん。この家はさ、元々は風吹さんの家だったんだ」
それを聞いた雪芽は手に口を当てて驚いている。
「風吹さんはこの集落で生まれ育ったんだ。俺達臥族の中でも最強の戦士だった。俺と横刀は親がいなくてさ、お互い違う家に育てられたんだ。横刀は風吹さんが引き取ってな、俺達が十の頃に和良比売さんと一緒になってこの家に三人で暮らしていたんだ。そして、二年後にあんたが生まれて、二人は大喜びしてたよ。横刀も人差し指であんたの頬をつついてニコリと笑ってたな。
でもその後すぐに、例の疫病がこの大陸を襲ってな、和良比売さんが煩ってしまって、それを治すためにあんたを連れて三人で彩の国へ行っちまった。戻って来ると言っていたんだが戻らずじまいだった」
話を聞いた雪芽は、どうしていいか分からずに下を向いてしまった。駒が察して雪芽の手をギュッと握っている。
「そういう事だ、だからここはお前の家でもある。よく帰って来たな。……おかえり」
普段優しい言葉を掛けたことの無い横刀は、顔を赤くして横を向いたまま雪芽を労った。その言葉を聞いて雪芽はハッと顔を上げると目から涙が溢れ、ぽろぽろとこぼれ落ちていく。
「父と母はどんな人だったのですか?」
雪芽は震えた声で横刀に聞いた。
「……風吹さんはとても大きく、強くて俺の憧れの存在だった。和良比売さんは俺が戦闘訓練から怪我をして帰って来ると、いつも優しく傷の手当てをしてくれて、よく頑張ったと言って抱きしめてくれる優しくて美しい人だった。俺は二人のことを本当の両親と思っていた。お前が生まれてきた時、本当に二人は喜んでいたよ」
横刀が言い終わると雪芽が堰を切ったように声を出して泣き出した。駒も一緒になって泣いていた。
「無理も無いわよね、両親の顔を理解する前に亡くなって。その後沢山苦労したんだものね。雪芽さん、あんたこれからは一杯幸せにならないと駄目だよ。本当に今までよく頑張ってきたよねえ、偉いよ」
御楯の妻も、もらい泣きをして袖で涙を拭いている。
「何だよ、お前まで泣くことはないだろう」
御楯は酒を飲みながら肘で妻をつついた。
「うるさいわね、あんたは黙って酒でも飲んでな! こんな感動的なこと、泣かないわけにはいかないわよ」
そう言うと鼻を啜りながら御楯の頭をひっぱたいた。酒を飲んでいた御楯は叩かれた拍子に酒を噴き出して咳き込んでいる。横刀は、自分と雪芽を二人が引き合わせたのだろうと、なんとなく感じた。外で誰かが笑っている声が聞こえた。