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北平の国

  北平のきたさねのくに

息を荒くして、低い姿勢でこちらをにらみつけている。時折キョロキョロと周りを見ながら、ゆっくりとこちらに近づいてきた。暗茶色の毛を持ち、背中の一部が盛り上がっている。大きな咆哮を上げて立ち上がると、ゆうに二メートルはある。

 この時期の熊は冬眠に備えて何でも口にする。勿論人間も食料の対象になる。

 阿縣刀良あがたのとらは、にやりと笑って戟を構えた。

 突然四つん這いになり、こちらに向かって走り出してきた。踏みつけられている草木がバキバキと音を立て、地響きが足元から伝わってくる。

 合わせるように、刀良は熊に向かって走り出した。目の前に来たところで、熊が右前足の鋭い爪で、刀良の頭部をめがけて叩きつけた。その瞬間刀良は頭を下げてよけると、戟を振ってすれ違った。 すると熊の右前足がドサリと落ち、血を噴き出している。

 刀良は、振り向くとすぐに、熊に向かって飛び上がった。熊の頭上を飛び越えると、再び戟を振って着地した。すると今度は、熊の首が胴から離れて地面に落ちると、数秒後に胴が仰向けになって倒れた。熊の体がピクピクと痙攣をしていた。

「新しく出来た武器を試しに来たが、こんなんじゃ、練習台にもならねえな。ま、良く切れると言えば切れるがな」

 刀良は音を立てて戟を振り回した後、つまらなそうな顔をして自分の戟を見つめた。

 この武器は、長い槍頭の横に三日月の形をした月刃が付いていて、槍で相手を突き刺し、月刃で切りつける事も出来る。戟自体かなり重く、普通の大人では持ち上げることも難しい武器だが、百九十センチの上背とがっしりとした体格の刀良は軽々と振り回している。

 刀良は、死んだ熊の左後足を掴むと、そのまま引きずりながら山を降りた。

 山を下りると、部下数人が刀良の馬の側で控えていた 。

「刀良様、また熊を実験台にしていたんですか? ……熊も可哀想に、その内にこの山に熊がいなくなるのじゃないかな」

 従者の清原梶尚が、熊の側でしゃがみ、哀れみの目で眺めた。

「仕方ないだろう、まさか人に向けて試し斬りするわけにはいかないからな」

 刀良は引きずっていた熊を部下の一人に渡した。数人の部下が慌てて持つのを手伝っている。

「当たり前ですよ。どうせなら戦の時に試せばよいでしょうに。そんなことより、そろそろ行きませんと遅れてしまいます、早く行きましょう」

「ん? 何処へ行くと言うのだ」

「やっぱりお忘れになってる。野盗討伐に参加するために、今日出向くと、朝に言ったじゃないですか。だいたい、やろうと言い始めたのは刀良様なんですからね」

梶尚が呆れた顔をして刀良を見つめた。

「ああ、そうだったな。ならば急いで行かないとな。向こうでは継島つぐしまが人を集めているのだろう?」

「はい、そのように手配をしているはずです。どれ位集まっているかは行ってみないと分かりませんが、報償目当てで、そこそこの人数はいるんじゃないかな」

「よし、では行くとするか。お前達、その熊は近くの村にでもやってくれ。その大きさなら結構な人数が食せるはずだ」

 そう言って刀良と梶尚は馬に乗り込み駆けて行った。

 最近、北平の国の東にある、赤水村やその近辺の村々で、野盗が徒党を組んで 略奪を繰り返しているとの報告が多数寄せられていた。死人も出て来ているので兵を派遣しようとしたときに、刀良が待ったをかけた。それは、賞金を出して一般の民から募集をかけようと言うものだった。

 現在この国の兵力はおよそ三万人。その内の二万ほどは民からの徴兵で、普段は農業に従事している。残りの一万ほどは、直参の者達で、普段から調練を行ない職業軍人として生活している。その直参の中で隊を指揮できる者がなかなか育っていないのが現状で、一般の民から見つけることを狙っての募集であった。

 赤水村に到着した刀良達は、村に入ったすぐの広場に、武器を持った男達の姿を見つけた。刀や槍、弓など様々な武器をそれぞれが手にしていた。巨勢継島こせのつぐしまが刀良を見つけて近づいてきた。

「遅いですよ刀良様、ご覧になって分かる通り相当数の人が集まっています。後はお願いしますね」

 オドオドと周りを見ながら、情けない顔をした継島が刀良を見た。

「何を言っている、ここはお前が仕切らないでどうするんだ。大体俺が名前を出して仕切ったら皆が萎縮して戦えないだろ」

 刀良は、継島の肩をポンと叩いた。

「萎縮してするような人間なんか来てませんよ。見て下さい、この国の腕自慢が集まっているんですからガラが悪いったらありゃしない」

 刀良が周りを見ると、確かに目つきが悪く、ガラの悪い連中が集まっていた。一人で押し黙って自分の武器を見つめて座っている者や、数人でかたまって下卑た笑いを見せている者もいて、遠巻きに村の住人達が不安そうに見ている。

「まあ、確かにガラが悪いわな。これじゃ、どっちが野盗だかわからねえな」

「笑い事ではないですよ。こっちはビクビクしてるんですから」

「まあ、そう堅くなるな。そろそろ行こうぜ」

 刀良は継島の背中を強く叩いて促した。前に蹈鞴を踏んだ継島は、気を取り直して咳払いを一つすると、討伐の参加者を見回した。

「では、これより野盗の討伐に出発します。討伐隊の総数は四十五名です。まず、この討伐隊の大将を決めなければなりません。ちなみに私は参加しませんのでどなたか自信のある方はいませんか?」

 すると、日に焼けて真っ黒な大柄な男が立ち上がった。

「俺は立原村の太加麻呂たかまろと言う者だ。俺はこの国の戦に参加する時は、百人長を任せられている。この中では俺が適任だろう、他に俺以上の者がいるのなら立て!」 太加麻呂と言った男は自信たっぷりの表情で周りを見渡した。

「あの男、うちの兵にいたか梶尚?」

「私は百人長以上の者は全て把握していますが、あんな男は見たことがありません。恐らく募集をかけたのが、国からではなく周辺の村々からにしていますので、ばれないと思って言ったのでしょう]

「ハハハ、おもしれえ奴だな。おい、太加麻呂さん! あんたが大将でいいよ、百人長がいてくれれば心強い、安心して戦えるぜ」

「また、刀良様の悪乗りが始まった。あんなのが大将で全滅しても知りませんよ」

 梶尚が一つため息をして、あきれた顔をした。

「おう、話が分かるじゃねえか兄ちゃん! 俺に任せておけば安心だ。大船に乗ったつもりでいてくれ」

 槍を持ち、長髪を後ろに束ねている男が手を上げた。

「大将なんて誰でもいいからよ。約束の報酬はきちんと貰えるんだろうな役人さんよ」

「無論です。討伐に成功したら金三粒を参加した全員にお渡しします」

「だったら問題ねえ。とっとと行こうじゃねえか」

 長髪の男が言うと、周りの参加者達も出発しようとはやし立てている。

「わ、わかりました。では、太加麻呂さん行きましょう」

 継島が焦りながら、動き出して、太加麻呂を先頭にして徒歩で出発した。道幅一杯にそれぞれが歩き出している。刀良と梶尚は太加麻呂の直ぐ後ろを歩き先頭の方にいた。

 野盗の本拠地はすでに調査済みで、赤水村の北約三十キロほどの所に、黒根山と言う小さな山がある。どうやらそこを拠点にして活動しているようだった。野盗が何故突然現れて、周辺の村々を襲っているかは不明である。

 この辺りは平地になっており、民が作った田畑が広がっている。そして、道が舗装されて交通の便が良い。「月芽」のどの国でもそうなのだが、何時どこで敵国の兵が侵入しても、早く対応できるように交通網を整備してあるのだ。無論、食料などの物資の補給路にも使われていて、最短で輸送できるようにしてあるのだった。

 二十キロほど歩いたところで、田畑がある場所を通り過ぎると、やがて道の周辺は、草木が生い茂った森に風景が変わった。前方を見ると黒根山が見えている。

 刀良は、ところどころで人の気配と鋭い視線を感じ、武器をいつでも動かせるように背中から取り出した。

「刀良様」

「分かっている、見られているな。いきなり襲ってくるかもしれん、注意しろよ梶尚」

 すると列の後方から叫び声が聞こえ、刀良が振り返ると弓を持った兵が横並びになってこちらに矢を放っていた。それを合図に、左右の木々の隙間から武器を持った兵が飛び出してきた。

「敵だと? 黒根山にいるのではなかったのか!」

 太加麻呂が驚きの表情で周りを見ている。

「当たり前だ。敵を囲める場所があるのに、わざわざ自分の本拠地で待っている馬鹿はいないだろうよ。しっかり頼むぜ大将」

 刀良が太加麻呂の背中をドンと叩いて気合いを入れた。

「よし、各自敵に向かって戦え!」

 太加麻呂が指示になっていない指示を出して、敵に向かって攻撃を始めた。

「何だそりゃ、作戦になっていねえだろう」

 刀良は苦笑いをして、太加麻呂が戦っている姿を眺めていた。大将を買って出ただけ合ってなかなかに奮戦している。敵は見たところ、こちらとほぼ同じ人数で戦っている。

「刀良様、のんびり見ている場合ではありませんよ。かなり危険な状態なのですから」

 大きくため息をついて、梶尚が刀良の袖を引っ張った。

 左右の歩兵と後方の弓隊に囲まれている状況は深刻で、このままでは全滅してしまうだろう。刀良は後方に向かって走り出した。

「先にあのうるさい弓隊を叩くか、ついてこい梶尚」

 刀良は後方に到着すると、そのまま弓隊に向かって走り出した。するとそれに気がついた弓兵が下がり、後ろから槍を持った兵達が前に出て来た。それを見た刀良と梶尚は一旦止まって後方に下がり突入するタイミングを計った。だが再び弓隊が前に出て来て矢を放とうと準備を始めた。敵野盗の連携が取れているのに刀良は驚いた。

 すると、刀良と梶尚の横を、後ろから一人の男が素早い動きですり抜けて、敵に向かって駆けて行った。

「おい、一人で無茶をするな、戻って来い」

 刀良は大声でその男に呼びかけたが、男はそのまま突っ込んで行った。弓隊の前に出ると、男は大きく飛び上がり、弓隊と後ろの槍隊の間に入って着地した。無謀な行為と見えた刀良だったが、次に目を疑う光景を目にする事になった。

 男が着地した所から無数の血飛沫が飛び散り、一瞬のうちに五、六名の野盗が地面に倒れた。すると敵野盗達の隙間から、その男が二刀持ちで構えているのが見えた。そして間髪入れずに、その男はまるで舞を舞っているように弓兵と槍兵を次々と倒してしまった。

 それを見た後方のこちらの兵が、歓声を上げて敵兵に向かって攻撃を始めた。刀良はそのまま何もせずに先ほどの男を目で追っていた。

 その男は次に右側にいる敵歩兵に向かって走り出すと、素早い動きで左右の刀を振り回して敵を倒していった。敵兵も何とかその男を止めようと試みているのだが、上手く二刀をあやつり、同時に攻撃と防御を行なっている男にかすり傷さえおえていない。そしてあっという間に右側の敵兵が全滅してしまった。

 こうなると形勢は逆転し、こちら側が人数的にも有利になった。すると左側にいた敵兵がまとまって後方の森の中に入り、逃げていく。

「追いかけるぞ、みんな中に入れ!」

 勢いに乗った太加麻呂が、先頭になって森の中に入っていった。刀良も周りの味方と共に森の中に入り敵を追って行く。森の中は薄暗く草木が茂っていて見通しが悪かった。暫く森の中を走って敵を追いかけると、突然ひらけた場所に変わった。

 すると前方に、再び敵の弓隊が前列で構えていて矢を放った。いきなりの弓の攻撃でこちらの兵が数名矢に刺さり倒れてしまった。慌てて太加麻呂は、後方の森の中に逃げ込んで息を切らして座り込んだ。

 刀良は木を背にして敵の様子をうかがった。前列の弓隊の後方には歩兵が構えていて、いつでも動かせるような状態になっている。見た所、三十名ほどの人数的だった。

「どうするんだ、太加麻呂さん。このままでは前に行けないぜ」

 刀良がしゃがみ込むんで太加麻呂を見た。

「どうするたって。出て行ったら弓の餌食であぶねえからな、どうすっか?」

 太加麻呂が情けない顔で、座り込んだまま敵の様子を見た。

「しょうがねえ大将だな~、俺から案を出すから聞いてくれ」

 刀良は人差し指で、首の後ろの方をポリポリと掻くと、立ち上がって味方を見回した。

「三隊に分かれて攻撃をしよう。こっから左の人らは俺に付いてきてくれ、左から敵の左翼を叩く。こっから右の連中は、二刀持ちのあんたが引き連れて右から敵右翼を叩いてくれ。最後に真ん中の人らは大将が引き連れてくれ。左右の俺達の攻撃隊の前に、大将らがまず最初に敵の弓隊を気を引いてくれ。森から出たり入ったりを繰り返すんだ。そうすれば奴さんらは、じれて弓を放ってくるだろう。その間に左右の攻撃隊が移動して持ち場に着いたら、突っ込んで敵を倒す。こんなんでいいかな」

 刀良が味方を見回すと全員が納得して頷いている。

「それじゃ、行こうか」

 刀良が移動するのを合図にそれぞれが動き出した。太加麻呂が十名程を引き連れて、大声を上げながら地面に転がっている石を持って、ひらけている中に入り、敵に投げつけている。石はまともに当たるとかなりの怪我を負う。敵は手で防ぎながら動かないでいるが、何度か石を投げていると対抗するように弓を放ってきた。太加麻呂達はすぐに森の中に入り弓の攻撃を防ぐが、弓の攻撃が止まると直ぐに石を持って投げつけた。

 石と弓の攻撃が続いている間に、刀良は敵の左側に移動して武器を構えた。前を見て突っ込もうとした時に、反対側にいる二刀持ちの男が先頭になって、敵右翼を攻撃し始めた。刀良達も走り出して敵左翼に向かって攻撃を始めた。完全にこちらが敵を囲んだ状態になり、敵の数が見る見るうちに減ってきた。そして敵の中央に攻撃を始めた時に、味方の二人ほどが吹き飛ばされた。

「まさか、我らがこのような寄せ集めの者どもに、ここまで追い詰められるとはな。だがこのまままでは終わらんぞ、確実に何名かを道連れにしてやろう」

 六尺ほどの身の丈で、鉄棒を持った男が睨みをきかして暴れ出した。恐らく野盗の頭であろう、かなりの武力を持った男だった。

 味方の何人か吹き飛ばされて、こちらの兵達が遠巻きに囲んでしばらくにらみ合いになった。

「刀良様、私が行きます」

 梶尚が敵の頭の前に出ようとしたが、刀良が梶尚を肩に手を置いてそれを止めた。そして顎で前を見るように促すと、二刀持ちの男が無言で右手の刀を鞘にしまい、一刀を両手で持ち、野盗の頭の前に出た。よく見ると、男の左眉の上から左の口の端までまっすぐに刃傷の跡ができているのに気がついた。

「ふん。小僧、若い命を捨てるか。一騎討ちで我にかなうと思うなよ」

 そう言って野盗の頭は構えた。頭が持っている鉄棒は、持ち手の部分は細くなっているが先の部分に行くにしたがって、だんだんと太くなっている形状だ。かなりの重量となっていて、先ほどのように振り回せば、大人が二人軽く吹き飛んでしまう。

 しばらく二人は無言で対峙していたが、野盗の頭が声を上げて動き出し、鉄棒を右上から振り下ろした。それを無視するかのように、二刀持ちの男は前に出ると鉄棒の攻撃を半身で躱して刀を滑らせてすれ違った。

 一瞬の間を置いて、野盗の頭の腹部から血と臓物が飛び出して、そのまま前のめりで、倒れて絶命した。そして、二刀持ちの男は、何事も無かった様に刀に付いた血を振って落とすとそのまま鞘に収めた。それを見た味方が歓声を上げた。

「お前らの頭は死んだ、おとなしく投降しろ。さもなくば全員殺す」

 梶尚が大声で残っている野盗に警告すると、野盗達は武器を捨てて素直に投降した。

 こうして国の東側の村々を襲っていた野盗は退治された。そして、投降した野盗を連れて再び赤水村に戻ってきた討伐隊は、村人達から熱烈な歓迎で迎えられて、酒や食事を振る舞われた。出発前に集合場所となった広場で酒宴は行なわれ、皆上機嫌で飲み食いしている。

 大将として参加した太加麻呂は、各村長達に囲まれ、酒と食い物を嫌と言うほど勧められて顔を真っ赤にしている。そんな中で、一人広場の端でおとなしく食事をしている二刀持ちの男を見つけて、刀良と梶尚が近づいた。

「あんた酒はやらないのか?」

 刀良は男の正面に腰を下ろして、持っていた酒の入った椀を口に入れた。しかし、男はチラッと刀良に目をくれただけですぐに下を向いたまま口を動かしていた。

「何だよ、一緒に修羅場をくぐった仲じゃねえか。話ぐらい良いだろう? 俺は阿縣刀良って言うんだ」

 名前を出した途端に、男は食事を止めて刀良を見た。刀良はニヤニヤと笑ったままだ。

「阿縣ってことはこの国の王族の者だな?」

「やっと声が聞けたな。その通りだ、王である阿縣真桑あがたまくわは俺の親父で、その第一子だ」

「阿縣の次期国王が何故こんな外れの地で、しかも、素人にまじって野盗退治に参加をしているのだ」

「まあ、何て言うか人材を探していてな。この国は、南の石門の国と戦争状態にあってな、優秀な人材は、いればいるだけ欲しいんだ。だからお忍びで参加していたのさ」

「そうか。誰かめぼしい男は見つかったのか?」

「いたぜ、それもとびっきりの奴がな!」

 刀良は前のめりになり、ギラついた目で男を見た。男はその視線を無視するかのように涼しい目で刀良を見つめている。

「あんなにも速く動き、鋭い剣さばきで敵を倒す奴は初めて見た。相当に戦場なれした動きだった。どうだ、すぐにとは言わねえ、暫くの間俺と付き合ってみねえか?」

 刀良に誘われて、男はしばらく黙りこんだ。そして無意識に、左手で自分の顔にある疵を手で触れている。

「国内で、お前ほどの男がいたら、すぐに俺の耳に入るはすだ。だからお前は他の国から来たって事になる、しかもごく最近だ。と言うことは今は住む場所なんか決まってないんだろう?だったら来いよ」

「いいのか? 先ほどお前が言った通り、俺は戦場で戦ったことがある。もしかしたら敵の間者かもしれんぞ」

「お前が間者だとして俺が殺されるなら、俺の命はそれまでだったと言う事だ。そんなことを気にしていたら何も出来ねえよ」

 刀良は椀に入っていた酒を一気に飲み干して、持っていた銚子を椀に注ごうと傾けたが酒が入っておらず、大声で酒を要求している。そんな様子を見ながら男は口を横に広げて刀良を見た。

「分かった。では世話になろう」

「うん? 何か言ったか」

 村の女が小走りで酒の入った銚子を持ってきた。刀良は男を見ながらそれを受け取った。

「お前の世話になろうと言ったのだ」

「おお! そうか、それは良かった。なに、悪いようにはしねえから安心してくれ。ところでお前の名は何て言うんだ?」 

 それを聞いた男は一瞬間を開けて答えた。

千脇武彦ちわきたけひこと言う、よろしく頼む」

「よし、武彦よろしく頼むぞ」

 刀良が武彦の肩に手を置いて喜んでいる。そこへ梶尚が静かに刀良のもとへやって来た。

「刀良様、火急の用件にて失礼致します」

「ん? どうした梶尚」

 刀良に問われた梶尚であったが、側に武彦がいるのを気にしているようだった。

「ああ、この男のことは大丈夫だ。さっき俺の食客として来てもらう事になった。千脇武彦と言う。面倒を見てやってくれ」

「分かりました、千脇殿よろしくお願い致します、私は清原梶尚です。……実は阿縣弘純が謀反を起こし、犬飼城にて挙兵した模様です。現在、真桑様を打倒するため、兵を集める触れを出しています」

 それを聞いた刀良は我が耳を疑った。弘純からは、刀良が年少の頃より可愛がられており、武術や学問など色々な事を教わり尊敬していた人物だった。

「叔父貴が! どういう事なんだ、この間会った時は、そのような素振りなどなかったぞ。それに、兄である親父に、今まで献身的に行動してきたのに何故なのだ」

「詳しい事は分かっていません。恐らく弘純は、兵の準備が整い次第、本城である生美城に攻め込むでしょう。急ぎ兵の準備を整えて合流するようにと真桑様から伝令がきています」

 刀良はしばらくの間、宙を見つめて呆然としていた。

「刀良様」

 梶尚が、察したようにそっと刀良の肩に触れた。それに気がついた刀良が梶尚を見た。

「……分かった、急いで戻ろう」

 気を取り直して、刀良と梶尚は立ち上がり、馬のいる方向へ進もうとした。

「待ってくれ、刀良」

 武彦が立ち上がり、刀良を止めた。

「時期が良すぎると思わんか? それに、先ほどの野盗の戦いぶりもおかしい、妙に統率が取れているし武器も揃っていた」

「それは俺も感じた。しっかりと調練を受けた兵の動きだった」

「その通りだ。そして、今聞いた身内の謀反だ。恐らくこの二つの件は関連していると俺は思う。お前は、先ほどこの国は石門の国と戦闘状態になっていると言ったな」

「……確かに言ったが。まさかこれは石門の国が仕組んだ事だと言うのか」

「そうだ、俺はそう考える。すまないが、この国にある城の配置と、野盗がいた場所を教えてくれないか」

「分かりました。私が説明します」

 梶尚は、しゃがみ込むと転がっている棒を手に持って地面に記していく

「弘純がいる犬飼城は、西にある、彩の国との国境近くのこの辺にあります。そして犬山城から東にこの国の中央付近にある本城の生美城があります。本城から真南にあり、石門の国との国境近くには我々が任されている朝夷城。そこから西に小倉城です。野盗がいた山はこの国の東の外れのこの位置です」

「各城の兵数は?」

「今の時期は作物の収穫時期なので、農民兵がいません。それを考えて、本城は二千で朝夷城に三千です。三国に接している小倉城は三千。後は問題の犬飼城ですが、触れをだす出す前は二千の兵がいますが、触れに応じる者がいれば当然人数は増えることになります」

「分かるか? 仮に朝夷城から、野盗討伐にお前と兵が出たとする。その間に、弘純が挙兵して本城である生美城に攻め入る。そこで、知らせの入った小倉城と朝夷城から兵を出して国王と合流する。すると兵数が減った小倉城と朝夷城に南から石門の国の軍勢が攻め込んで、それぞれの城は落城する。更に東の外れにいる刀良は、到着にかなり遅れるか、間に合わずに孤立すると言う策ではないかな」

「……なるほどな、お前の考えは一理ある。早速早馬を出して、物見を石門の国に潜り込ませて探るように命じよう」

 この北平の国は、王である真桑の命で交通網を整備し、その上で伝令システムを作ってある。各城に素早く情報を伝えるために、道のところどころに厩をもうけてある。馬を疾駆させ、疲労で走れなくなる前に厩で馬を交換するのだ。

「お前の話が当たっていれば、叔父貴は石門の国の者に垂らし込められて裏切ったと言うのか。……そんな野心があったとは」

 刀良は両手の拳を握りしめて怒りを抑えている。

「挙兵をしたのは事実だ。お前には酷な話だが、この戦国の時代ではよくある話だと思う。あまり力を入れるな」

 それを聞いた刀良は、武彦を睨み付け、思わず右拳を武彦の胸に叩きつける。しかし、武彦が左手を胸の前に出して、その拳を制した。

「子供の頃より敬愛をしていた人物に裏切られたのだ、お前に何が分かる!」

「分かるのだ。その怒りも、その悔しさも。俺も同じ経験をした」

 武彦は至極冷静な目で刀良を見た。だが、その目とは裏腹に、叩きつけた拳を握っている武彦の手から、強い力を刀良は感じた。刀良は拳を下ろして小さく息を吐いた。

「気が短いのが俺の欠点だな。すまなかった。お前に当たる事ではなかった」

「気にするな、何と言う事でもない。それともう一つ話がある。本城にいる真桑様には、城から打って出られないように伝えてほしい」

「千脇殿、どういう事ですか? 弘純の兵が集まる前に、打って出て、叩いてしまったほうが得策ではありませんか」

「策があるのだ、清原殿」

 そう言って武彦は二人の側に近寄り、周りの様子をうかがいながら小声で話し始めた。

 

 朝夷城に到着した刀良達は、直ちに出陣の用意に取りかかった。早馬であらかじめ兵達の準備をさせていたのですぐに出発することが出来た。北の位置にある本城の生美城へ、刀良を先頭にして二千の騎馬隊を走らせた。所々に、かがり火を設置して明りを照らしている。道の両側は林になっており真っ暗で何も見えない状態である。

 しばらく走らせるとかがり火がなくなり、辺りは薄暗くなった。しかし、月明かりで、かなり遠くまで見通せている。刀良は、馬の動きを駆足から並足に変えてやがて全軍を止めた。そして、全員馬から下りると、馬を引いて静かに左右に分かれ、林の中に入って行った。そして百メートル近く進むと、そこで全軍を止めた。全員一言も話をせず、辺りは虫の声が聞こえているだけだった。

「石門の国との国境近くで、敵の軍勢が控えているのを物見が発見したが、お前の読み通りだったな武彦」

 刀良が小声で話しかけた。

「問題はここからだ。敵の物見が数人ほど、俺達が出て行くのを確認しているはずだ。ここに潜んでいるのが見つかったらまずいことになる」

「それは大丈夫だ。ここいら一帯はうちの梟の連中が目を光らせていて、こちらに敵の物見が来た場合は始末するように命じてある」

「梟とは何だ刀良?」

「隠密と言えば分かるだろう。敵地に侵入して、情報収集や撹乱などを行う組織のことだ。梟は、それに加えて強力な武術を備えていて暗殺などもこなす連中だ。梟の一族は代々阿縣家に使えていてな、実は梶尚は一族の長の倅なんだ。幼き頃から仕事をこなしていて、十六の頃に俺の従者となっている」

「ほう、それは心強いな。ならば安心だ。後は敵が川を渡って来るのを待つだけだな」

 刀良と武彦は、騎馬隊の動きなどの打ち合わせを行なった。すると気配を消したまま梶尚が二人の前に現れた。

「梶尚様、先ほど梟の者から、石門の軍勢が渡河を始めたと連絡が入りました」

「よし、では行くとするか」

 刀良の合図で兵達は再び道に戻ると、乗馬をして次々と走り始めた。途中で案内役の者と合流し、朝夷城を過ぎたところで隊が左右二つに分かれた。国境になっている川から朝夷城までは広い原野になっていて騎馬で戦闘を行なうには適している。左右に分かれた騎馬隊はそれぞれ刀良と梶尚が指揮を執る。両隊とも敵の横っ面を叩くために大きく回り込んで進んでいった。 案内役の者が、刀良の馬の横に並んでもうじき敵のいる場所に到着することを伝えた。刀良は後ろにいる兵に指示を出すと、騎馬は刀良を先頭にした魚鱗の陣へと変わっていく。

 前方を見ると軍勢の影が見えてきた。まだ川を渡っている途中である事が確認できる。刀良は一気に馬を疾駆させて敵の中へ突っ込んで行った。刀良のすぐ後ろを走っている武彦は少し信じられない光景を目にする事となった。

 刀良が戟を振るうと、敵の兵士が一人、また一人と宙へ跳ね上がっていく。余程の力がなければこのようなことは出来ない。武彦も、すれ違う敵兵に次々と切り込んで敵を倒し行った。敵の中から出てくると、前方から梶尚の騎馬隊がこちらに向かってきている。刀良の騎馬隊とすれ違うと、そのまま敵の中に突っ込んで行った。

 突然の騎馬隊での攻撃を受けて敵は浮き足出して四方に散りだした。刀良は梶尚と合流すると逃げ惑う敵兵を次々と切り捨てていく。一時間ほど経った時、残っている敵兵は自国へと逃げ戻って行き、後は敵の骸が死屍累々と転がっているだけだった。

「刀良様、残っている敵兵は全て片づけました。こちらの損害はありません」

 梶尚が馬を寄せてきて刀良に報告をした。

「よし、攻撃を止めさせろ。馬を交換した後、直ちに生美城へ向かうぞ」

 刀良達は朝夷城近くの厩へ行き、直ちに全軍、馬の交換を始めた。

 ここ北平の国は「月芽」で一番の馬の生産地で、良質な馬を多く生み出している。この大陸以外の国から交易で馬を仕入れて、こちらの馬と掛け合わせて、背の高く足の速い馬を作り出すことに成功している。

 馬を取り替えた刀良達は、直ちに生美城へ向けて出発していった。生美城は小高い山の上に築城されていて、その下は御殿や家臣の館と民達が暮らす城下町になっている。道が狭く複雑に入り組み、簡単に上の城まで上がれないようにしてあった。更に周囲は高い塀と堀があって、敵が攻めてきた場合は門を閉じ、塀の上から弓で攻撃が出来るようにしてある。堀の幅も五十メートルほどあって水深も深く簡単には渡れない。

 刀良達の騎馬隊が林道を抜けるとそこからは原野が続いている。時刻は夜明けとなり。東の空を見ると、真っ黒な大地と薄青い空に挟まれて地平線上に燃えるような赤い一条の光が見えている。

 途中で梟の者の報告があり、既に弘純の軍勢五千が城の周囲を囲み始めている。日が昇り、周囲が明るくなるのに合わせて攻撃を始めるらしい事が分かった。

 馬の疲労を考えて進軍をして数時間後、前方にようやく生美城の姿が見えてきた。その下には既に敵の軍勢が周りを取り囲んでいる様子が見て取れた。

「このまま敵の尻を叩いてやるぞ。各自準備をしろ」

 刀良の指示で二千の騎馬が四つに分かれて、各自蜂矢の陣を組んで敵に向かっていく。刀良は雄叫びをあげて、城の西側にいる敵の軍勢の中に突っ込んで行った。城攻めをしている最中の後方から突然騎馬隊の攻撃を受けた弘純の兵達からどよめきの声が上がる。

 刀良は次々と敵兵を吹き飛ばしながら進んでいく。他の分かれた騎馬隊も四方に囲んでいる弘純軍を蹴散らして行った。

 それを見て、生美城の大きな門が開き、中から味方の兵が次々と飛び出して弘純軍に攻撃を開始した。刀良は部下に命じて鏑矢を三度空に放ち合図を送った。そして、城の南側に騎馬隊を集結させると、半分の一千を馬から下ろすと、梶尚が指揮を執り、敵に当たらせた。残りは刀良を先頭に敵の本隊に向かって駆けて行く。

 梶尚は背中に掛けてある鴛鴦鉞えんおうえつを二つ取り出した。この武器は、三日月の形をしたものを二つ組み合ったような形で、先は尖がって刃になっている。一方の月牙の中央は手で持つための柄があり、もう一方で敵を突いたり斬りつけたりするのだ。普通は長さが三十センチほどだが、梶尚の鴛鴦鉞は五十センチ程の大きさで、それを両手を使って自在に操り、敵を葬るのだ。

 梶尚を先頭にして、門の前で味方と押し合っている敵兵に向かって背後から飛び上がって敵の中に入って行く。素早い動きで敵を次々と倒すと、周りの五人ほどが血飛沫を上げて倒れた。そして、後ろから部下達が敵にぶつかり始めた。完全に挟まれてしまった弘純軍はあっと言う間に壊滅した。

 次に梶尚は、城の西側にいる弘純軍に向かって進軍した。すると、敵の横っ面を刀良の騎馬隊が五つに分かれて、それぞれがぶつかっては離れるを繰り返して、敵の陣形を崩していく。その隙に梶尚の歩兵隊が攻撃を仕掛けた。

 梶尚の隊には武彦も同行していた。武彦は二刀持ちで、敵の隙間に素早く入り込み、左右の刀を振り回して一気に敵兵を切っていく。それに加えて梶尚の強烈な突破力で、敵は崩れ始め、やがて逃げ始めた。

 所詮、最近集めた兵力では、調練も行なわれず、士気も低いために刀良達の調練の行き届いた兵とは違い、戦っても相手にならなかった。尚且つ、武彦の策が見事にはまったのもあり、流れはこちらのものになった。

 それでも踏ん張っている敵の部隊があった。元からいた弘純の軍二千である。方円を作り、こちらの攻撃を必死に防いでいる。梶尚と武彦は隊を引き連れて弘純の部隊に攻撃を仕掛けた。さすがに弘純直轄の部隊だけあって、腰が入っていて兵同士の連携もうまかった。梶尚は部隊の態勢を整えるために、一旦下がり副官に指示を出している。

 敵の右翼を見ると、生美城の兵達がぶつかり始めたようだ。その後方から騎馬隊五百ほどがこちらに向かってきて、梶尚達と敵の間を通り、刀良の騎馬隊と合流をした。

「真桑様だ。また、総大将が前線に。あれほど、おやめになるように言っているのに」

 梶尚が、半ば諦めた顔で騎馬隊を見つめている。

「失礼な言い方になるが、真桑様の武力では、心許ないのか梶尚殿?」

「とんでもない! 武力、知略とも我が国で一番のお方です。ただ、刀良様があれほどまでにご成長なされたので、前線で武器を振るうのは止めて、後方で指揮をお執りになるように再三言っているのです。刀良様の御父上ですからね、血の気が多いのですよ」

「なるほど、親子は似ると言うからな。梶尚殿も苦労が絶えないな」

「まったくですよ、家臣の言う事なんかちっとも聞かないんだから。さて、我々も行きますか。衝軛のこうやくのじんを敷くぞ準備しろ!」

 梶尚の指示で兵達が一斉に動き出し陣を敷き直すと、直ちに敵に向かって攻撃を仕掛けた。 先頭は梶尚と武彦がそれぞれ率いて敵にぶつかった。

 刀良は、いささかあきれ顔で父王の真桑の登場を迎えた。

「いいのか親父。家臣達に前線には出るなと言われているのじゃないのか?」

「何を言っているバカ息子が。身内の恥は、身内で片をつけねばなるまいよ。お前だけに任せてはおけん。それよりも梶尚の隊にいる先頭の男は誰だ?」

 真桑は馬上で、目を細めて梶尚の側で戦っている姿を見た。

「俺の客人だ。赤水村周辺で暴れていた野盗退治討伐隊の中にいた一人だ。かなりの腕だぞ」

「なるほどな、お前や梶尚が考えたにしては冴えとると思ったが、今回の策はあやつの案だな?」

「そういう事だ親父、あいつは是非欲しい。これが終わったら説得するつもりだ。そんなことよりいいのか?」

 刀良は目線を弘純軍に送った。

「お前に心配される事じゃない、と言いたい所だが。お前も弘純には思うところはあるだろうな。だが、今回は俺にやらせろ」

 真桑が一瞬だけ寂しげな目をしたが、すぐにいつもの厳しい顔に戻り、敵陣を見つめた。

「分かった。俺が穴を開けるから後は頼む」

 刀良は自分の騎馬隊を動かした。敵の左翼に向かって走り出すと、部下に命じて刀良を先頭に鋒矢の陣を作った。陣形が完成すると馬の向きを右に変えて、敵の左翼に突っ込んだ。刀良は戟を振り回して、周りの敵兵に攻撃を仕掛けるが何故か手応えが薄い、前を見ると敵兵が刀良達の騎馬隊を避けている。そして実にあっさりと左翼の壁を抜けて方円の中に入った。

 方円の中は、敵の大将である弘純がいるはすだった。しかし、中心部に兵は一人もいない。すると、右側から何かが近づくのを、目の端で捉えた。刀良は嫌な予感を感じて首を曲げてそちらを見た。

 それは、弘純を先頭にした騎馬隊だった。刀良の騎馬隊を待っていたかのように、横っ面に突っ込んできた。実際に待っていたのだろう。数が多い、こちらの歩兵隊がいる方円の前部には、厚く兵を敷いて、側面を騎馬隊が入りやすいように薄くしてあったのだ。方円の中も騎馬隊が動きやすいようにかなり広くしてあった。刀良の騎馬隊は、物の見事に側面を突かれて、部下達が次々と落馬していった。このまま中にとどまっているのは危険ではあるが、真桑がこの後に入ってくるので、敵の陣を突っ切るのを止めて、弘純の騎馬隊に向かって駆けて行った。

 弘純もそれに気がついて、馬首を刀良の方向に変えて向かって来た。徐々に弘純の騎馬が近づいてくる。刀良は弘純の名を、弘純は刀良の名を叫び、お互いがぶつかった。はせ違うと、お互いの肩から血が噴き出した。刀良は痛みを無視して前方を見ると、先ほど落馬した部下達が、敵の歩兵に攻撃を受けている。そのまま部下の所に馬を進めると敵兵を蹴散らした。しかし、横に回ってきた弘純が刀良に近づいてきて剣をふるう、とっさに持っていた戟で防いだが馬から落とされてしまった。

 刀良は後ろにクルリと回転をして着地をすると、部下達が一斉に馬から降りた。敵兵が一斉にこちらに向かってくる、刀良は雄叫びをあげて前を出ると劇を振り回した。刀良の重量のある武器に触れると敵兵は簡単に吹き飛ばされる。部下達も必死に応戦をしてはいるが、完全に敵に囲まれる形になってしまった。

 三十分ほど時間が過ぎた。向かってくる敵の数が多く、刀良達は前に行くことも、後ろに下がることも出来ず防戦一方となってしまった。だが、精兵である刀良の隊に、一人の犠牲者も出てはいない。その強さに、敵兵もどこを攻撃すればよいのか、攻めあぐねていると、しばしの間が生まれた。

 敵兵の中から、弘純が乗馬したまま現れた。

「部下達を救いに行って、敵に囲まれるようではまだ甘いな、刀良。戦場では味方を捨てる時も必要なのだ。お前は、まだ戦を分かっておらん」

 弘純は馬上から、無表情で刀良を見た。

「分かっていないのは、叔父貴の方だぜ」

 刀良はニヤリと笑って見返した。

「何、戯れ言をいっておるか。覚悟せい」

 弘純は部下達に攻撃をするように命じるために片手を上げた。敵兵がそれを見てそれぞれが武器を構える。刀良の部下達に緊張が走るも、刀良は笑ったままだ。

 その時だった。弘純のいる後方から、地響きが聞こえ、思わず弘純は後ろを見た。すると、敵歩兵隊の壁を破り、味方の騎馬隊が勢いよく飛び出してきた。先頭には真桑が、その後ろに梶尚と武彦が続いて出て来た。そして、次々と味方の騎馬隊が中に入ってきた。

「平気ですか、刀良様」

 梶尚が、馬から降りて刀良の側に来て武器を振るいだした。武彦は馬上で走らせながら剣を振るい敵を切っている。

「助かったぞ、梶尚。少しだけ危なかった」

「少しですか? かなり危険に見えましたが、そんな戯れ言を言えるなら大丈夫ですね」

 真桑の騎馬隊が突入したことで敵の円陣は徐々に崩れ始めた。やがて、こちらの歩兵隊も中に入り込むと完全に円陣が消滅した。

「弘純を囲え、逃がすな!」

 刀良が大声で叫びだして走り出した。味方が弘純とその周りにいる兵を取り囲んだ。弘純達は動けずにただじっと周りの様子を見ていた。

 取り囲んだ外では、未だに戦闘が続けられていて戦の喧噪で埋め尽くされている。しかし中ではお互い、にらみ合い異様な静けさがあった。

 その緊張した空間に、一人で弘純の前まで歩いて来た人物がいた、阿縣真桑だった。それを見た梶尚が、止めるために走り出そうとした時に、後ろから刀良が梶尚の右肩を抑えてそれを止めた。そして、刀良は何か言おうとした梶尚に首を振って黙らせた。

 真桑の姿を見た弘純は、無言で二歩、三歩と真桑の近くまで歩み寄った。

「始めから一対一でこうしておれば、無駄に兵達を死に追いやることもなかったのだ、この馬鹿者が。何故と問うたところで、お前は何も言わぬだろう。抜け弘純」

 真桑はゆっくりと刀を上段に構えた。

「もう既に兄者はお分かりでしょう、野心は誰にでもあると言う事です」

 そう言うと弘純は鞘から抜いた刀を、腰の辺りに手を置いて膝を曲げ、脇構えを取った。 静かに構えていた二人から気が発せられると、激しくぶつかり合う。動いたのは二人同時だった。上段から振り回した真桑の剣は弘純の頭上に落としていく、それを弘純が下から弾き返す。返す刀で弘純が左から右に真桑の胴を切り払う、しかし、真桑は左足を下げると同時に、左上から斜めに振り下ろしてそれを弾いた。そして、お互いに下がった。周りは固唾をのんで二人の戦いを見つめている。いつの間にか二人を取り囲んだ外でも戦闘を止めて二人の戦いを見つめていた。

 今度は弘純が刀の位置を顔の横に置き、地面と水平に構えてから、真桑の右目を狙い突いた、真桑は瞬間的に体をひねり、そのまま弘純の背後を取ると、すぐに上から切り下ろした。弘純は前に飛込んで、手を地面につけると、クルリと回転をしてよけた。次から次へとお互いに剣を繰り出すが決定打には至らずに二十分ほど経過した、二人と息を切らして肩が激しく上下している。それでも息を整えつつお互いは睨みあい、隙を探している。

 再び二人は同時に動き出した。弘純が真桑の胸をめがけて突いた、真桑はそのまま一歩前に踏み込むと頭を下げて剣を横に振った。そして、はせ違うと二人の動きが止まった。

 弘純の腹から血が噴き出した。ガクリと膝を折り崩れるが、倒れまいと刀を地面に突き刺し、片膝を地面につけて踏ん張っている。だが、口からも血を吐き出して、自分が負けたことを悟った。真桑は振り返ると弘純の背後まで歩み寄った。

「何か言いたいことはあるか?」

「部下達に罪はありません。……何卒」

 弘純は苦しげに呼吸をしながら、部下達の赦免を望んだ。その表情は落ち着き払っており、両膝をついて持っていた刀を地面に置くと、目を閉じた。

「お前の部下達は、元々この国の大事な民だ。安心して眠れ」

真桑は剣を振り下ろした。弘純の首が音も無く落ちた。

 勝負は終わった。真桑と刀良の兵達が勝ちどきを上げると、弘純側の兵が武器を下ろして降参をした。皆うなだれて膝を落としている。

 こうして、阿縣弘純が起こした反乱は、真桑方の勝利で幕を閉じた。反乱軍として参加した兵達には、約束通り罪を問うことなく家に帰されることとなった。ただ、弘純の側近数名は、弘純の後を追うために、腹を切って果てた。それを聞いた真桑は何の表情も見せなかった。

 戦闘が終わり、朝夷城所属である刀良達の兵は、しばらく休息を取り体を休ませた後、いつもの石門の国からの防衛のため、自分達の城に戻って行った。

 刀良と梶尚、そして武彦は本城にある御殿で一泊するために、厩で馬の手入れをしている。体を洗ってやった後に、水と秣をやり、馬の様子を見ている。

 空をみると、日が地平線に半分程沈み込んで、あかね色一色に染まっていた。 

「今回は身内の争いだった。巻き込んでしまってすまなかった」

 刀良は二人に頭を下げて謝罪した。

「あれ? 刀良様が頭を下げるなんて初めて見た。こりゃ、明日は雪でも降るんじゃないのかな」

「……お前なぁ、俺が頭を下げているんだから、その反応はないだろう梶尚」

「そう言いますがね、刀良様に仕えて以来、こんな事は始めてですから。気味が悪くなりますよ」

 刀良と梶尚が、半ば笑顔で言い合っている。それを見て武彦は口を横に広げた。そして、左手で顔の傷に触れると、二人の前で片膝を突いた。

「ん、どうしたんだ武彦?」

 ふざけ合い、言い合っていた刀良が武彦を見た。

「これまでの貴方の戦いを見て確信した。俺は生涯、貴方に忠誠を誓い、貴方ために命を賭けます。この身、いかようにもお使い下さい」

 武彦は下を向いたまま刀良の言葉を待った。それを聞いた刀良と梶尚は、お互いの顔を見合うと 少し微笑んだ。刀良は右手を武彦の顔の前に差し出した。

「俺に忠誠など必要ないし、命も賭けなくていい。ただ、お前には俺の友となって欲しい。友として、これから一緒に戦ってくれないか。そして、どんな事でもいいから、俺に遠慮せず様々な事を意見してくれ。それだったら喜んでお前を迎えるぞ」

 武彦は顔を上げてから、力強く刀良の差し出した手を握った。そして、刀良は右手をグイッと上げて武彦を立たせると、ニコリと笑った。

「分かった。友として一緒に戦おう、よろしく頼む」

「あまり堅くならずにやっていきましょう武彦殿。うちの大将は、少しいい加減なところが有りますがよろしくお願いします」

「お前が言うな梶尚。大体いい加減とはなんだ、失礼だろう」

「かなりいい加減と言うところを、少しと言ったんですから良いではありませんか」

 再び刀良と梶尚が言い合いを始めた。それを見た武彦は思わず声を上げて笑った。日はほとんど沈み、代わりに星がちらほらと光り始めていた。

 夜になって、御殿では真桑の側近数十名と刀良と武彦、そして梶尚が真桑に呼ばれて食事をした。その際に真桑は弘純について謝罪をした。しかし、自分に不満がある者は、今すぐ戦の準備をして自分と戦うように言ったが、誰も手を上げる者はいなかった。そして、今後同じようなことがあっても断固たる行動を取ることを明確にした、

 食事が終わり、武彦は部屋に案内されると、木製の椅子に座り刀の手入れを始めた。数十分が過ぎると、真桑の侍従が部屋にやって来た。武彦に真桑の部屋に来るように言われたため腰を上げると部屋の前まで案内をされた。

「千脇武彦様をお連れしました」

「入れ」

 部屋の中から真桑の声を聞くと、武彦は戸を開いて部屋の中に入った。上座の中央に真桑が胡座を掻いて座っており、その右下に刀良の姿があった。刀良は少し困った顔で右目を瞑り、すまないという意味を込めて右手を立てて武彦の顔を見た。

「良く来た、まあ座れ」

 真桑は顎で下座に座るように言った。武彦は言われるままにそこに座った。

「此度の弘純と石門の国の策は、お前が考えた事だとこいつに聞いた。大義であった」

「勿体ないお言葉、大変恐縮でございます」

 武彦は頭を深々と下げる。すると真桑が突然立ち上がると、ズカズカと武彦の側まで歩いて来ると、しゃがみ込み厳しい目つきで武彦の顔をのぞき込んだ。

「お前、一体何者だ?」

「恐れながら、何者とは一体どういう事でしょうか?」

「とぼけるなよ、お前が普通の兵では無い事は今日の戦いで分かっている」

 武彦は頭を下げたまま答えずにただじっとしていた。真桑は立ち上がると元のいた上座に戻り左の片膝に左肘を掛けて座った。

「お前には疑問が三つある! 一つ、その二振りの刀だ。その刀はそこらの店で売っているものじゃねえ、相当な業物だ。一般の兵どころか、重鎮の者でも手に入れられる物じゃない。二つ、先ほどの飯の時だ。お前の食い方には妙に品があった。あの飯は、俺達王族が喰う物でな、一般の民が口に出来るもんじゃない。それをお前は喰う順番を間違えずに平然と喰ってたな。そして、最後の三つ目。今回の策とあの武力だ。余程兵法を学び、実戦をくぐり抜けてきたと見た。お前の武力はここにいる馬鹿息子と同等の力だろう。どうだ、答えろ」

 武彦は顔を上げると、涼しげ目で静かに答えた。

「私の本当の名前は、村国武樋と言います。武上の国、村国氏長の三子で、二千を率いる騎馬隊の隊長でした。氏長が先月死去をし、長子の氏影が後を継いだのですが、宰相と軍の最高司令官が謀反を起こし、私以外の村国一族は捕らえられ全員殺されました。私も外で行なっていた調練の帰りに襲われましたが何とか逃げ切り、国から出ることができました。そして、この国にたどり着き、刀良と出会いました」

 それを聞いた真桑は、顎を掌で擦りつけ武彦を見た。

「それで、何故王族のお前がこの国の兵になった。俺達を利用し武上の国へ攻め込んで国を奪還する狙いか?」

「確かにあの国を滅ぼしたい気持ちはありました。この顔の傷も怒りを忘れぬために自らつけたものです。しかし、今までの刀良を見て私の考えは変りました。何故なら、刀良は近い将来この月芽を統一する男だと確信したのです。ですから私は忠誠を誓いました。ですが刀良は俺の事を友と言ってくれました。こんな嬉しいことはありません。俺も友のために戦うことに決めたのです。そして、前の名は捨てました、私に野心などありません」

「こいつが月芽を統一する男だと?」

 真桑は声を上げて大笑いをした。笑い終わると、今まで厳しい目つきだった真桑が遠くを見るような目に変わり武彦を見た。

「あの氏長殿が死んだのか。どうりで武上の国の情報が入ってこなかった訳だ、放っていた者も帰って来ないところを見ると、国を出るのに規制がかかっているな。おい! 酒を持ってこい椀を三つだぞ」

 そう言うとすぐに侍従が部屋に入ってきて酒を持ってきた。真桑は庭が見える縁に酒を運ばせると刀良と武彦を呼んで三人で座った。真桑は武彦と刀良に酒を注いでやった。

「親父、村国氏長殿を知っているのか?」

 刀良は酒を真桑に注ぎながら真桑を見た。

「俺は四十五になるから、あれは二十年前の話になる。当時、六国で暫く休戦協定を結ぶために白羽の国に各王が集まった事があった。その時に氏長殿に会ってな、俺達は妙に馬が合って夜に二人で町に繰り出して酒を飲みに出たんだ。屈託のなく、笑うと人懐こい顔をしていたな。良い男だった。これは弔いの酒だ飲め」

 真桑に促されて三人は椀を掲げると一気に飲み干した。

「あの氏長殿の倅なら信用しよう。こいつを助けてやってくれ武彦」

「ありがとうございます。全身全霊をもって戦います」

 今度は武彦が二人に酒を注いだ。

「今夜はしばらく付き合え。氏長殿の話を聞かせてくれないか武彦」

 三人だけの弔い酒は、深夜まで続いた。武彦は再び父に助けられたことに感謝し、酒を飲んだ。空は薄い雲が月にかかっていて赤く染まっていた。


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