武上の国
武上の国
斬撃、上から切りつけられる。村国武樋は僅かに下がりそれを躱した。刃風が顔に当たる刹那、再び前に出て、左から刀を横に振る。
相手は腹から臓物を出して前のめりで倒れた。
周りを見ると、部下達が懸命に戦っていた。こちらは、麾下の幹部である小隊長クラスの兵五十名。相手は、その三倍の数はいる。
夕刻に調練を終えて、帰途の中、突然襲ってきたのだった。武樋は目を疑った、襲ってきたのは自軍の兵だからだ。
副官の佐伯勝海の背後を敵が攻撃しようとしているのを見て、武樋は素早く前に出て相手の背後から切りつけて倒した。
勝海と背中合わせで刀を構える。息が荒く、背中が激しく上下しているのを武樋は感じた。闘争が始まってから三十分は過ぎていた。兵達の体力もかなり落ちている。
「これは一体。何故、味方が我々を襲ってきたのでしょうか?」
「分からん。しかし、目的はお前達では無い。恐らく俺だろうな」
「そんな。何故、王族であるあなたが狙われると言うのです?」
素槍を持った兵士が武樋に向かって武器を突いてきた、それを一歩前に出て半身で躱し、槍の口金を掴んで相手を引き寄せて刺した。そして、相手の胴を蹴飛ばして刀を抜いた。血を噴き出しながら相手は仰向けに倒れた。
「これでは埒が明かない、一旦馬に乗って引くぞ!」
武樋は大声で部下達に命じた。皆一斉に集まり、武樋を先頭にして駆け出して、敵のかたまりに突っ込んだ。
武樋は刀を右手に持ち替えて、右脇に収まっているもう一本の刀を左手で引き抜いた。
高く飛び上がり、前の兵士の頭上を越えて敵の中に入り込むと、体をクルリと回転させて両手の刀で切りつける。周りにいた兵士五人ほどが一斉に倒れた。
後ろから部下達も突っ込んできて、敵の兵士達に動揺が走る。それを見逃さずに、武樋は敵兵のかたまりから抜け出すと、馬のもとへ一気に走った。
馬に乗り込むと、先ほどまで調練をしていた北に向かって馬を走らせる。部下達も次々と馬に乗ると、武樋の後を追った。後ろを見ると、まだ数人の部下達が馬に乗り込めずに戦っている。
武樋は右手で合図を出して馬を反転させる。後ろの兵達もそれに倣い、武樋を先頭に蜂矢の陣を作り敵に突っ込んでいく。刀を再び二刀持ち、切り込んだ武樋は、すれ違う敵を次々と切っていった。敵は武樋達の勢いに押されて、散り散りになった。そしてそのまま馬の方向を南に向かって走った。
「武樋様、全員、馬に乗り込んでいます」
勝海が馬を寄せてきて武樋に叫んだ。
「勝海、何が起こっているのか調べられるか?」
「お任せください、部下を何人かお借りします」
「無理はするなよ。俺を襲うと言う事は、かなりの大事になっているはずだ。下又川沿いを東に行った所に、廃村があったはずだが、分かるか?」
「分かります。戦に巻き込まれて捨てられた村ですね」
「そうだ、そこで落ち合おう。くれぐれも無理はするなよ」
勝海は一度下がり、何人かの部下に声を掛けて、本城である加利山城へ向けて、西へ走って行った。城下は大きな町になっているので、目立たずに行動でき、安全に情報収集が可能なはずだ。後ろを見ると追っ手の姿は見えなかった。
村国武樋は、この武上の国で第三王子の立場にあった。
父王である、村国氏長が、この世を去ったのが三日前である。
周辺諸国への警戒もあり、すぐに第一皇子である、兄の村国氏影が後を継いで、ひとまず落ち着いたはずであったが、何が起こったと言うのか。
嫌な予感がする。自分を襲ってきたと言う事は、他の兄弟や親族も狙われている可能性がある。それとも、兄弟や親族の誰かが自分を狙ったと言うのだろうか。
それは、有り得ない。自分を殺したところで得をする一族は誰もいない。
とにかく、勝海の報告を待つしかなった。
そのまま東へ馬を走らせて行く。一時間ほど進んでいくと、日が落ちてきて空はあかね色に染まっている。武樋は川沿いに進路を進め、馬の速さを並足に変更し、負担を減らして進んだ。この辺りは平野が続いていて水田が多くある。
季節は秋を迎え、もうじき、米の収穫時期になる。それが終わると各国が勢力を伸ばそうと動き始める事になる。
この武上の国は、大陸の南西の位置にあり、東に蒼月の国、北に白羽の国が隣接しているのだ。大陸全体を、月が芽生えた土地「月芽」(つきめ)と呼び、その中は六つの国に分かれていて、お互いに緊張状態にあり、戦争になっている国もある。
武樋も十六の頃から戦闘に参加しており、数々の武勲を得て、二年後の現在では騎馬二千の指揮を執るまでになっていた。
前方に集落が見えてきた。馬と部下達を休ませるために武樋は寄ることに決めた。集落の前に来ると、村人が数人出て来た。
「私は村国武樋と言う者だ。申し訳ないが、何か部下達に腹を満たす物を頂けないだろうか、勿論銭は払う」
村人の一人が慌てて村の中に入って行き、暫くすると一人の老人を伴って戻って来た。
「これは、武樋殿下。私が村長の古志加と申します。大したおもてなしは、できませんが、どうぞ中にお入りください。秣もございますので、馬も中にどうぞ」
武樋達は、馬から下りて、秣のある所まで引いて歩いた。そこには水場も近くにあったので、馬に水を飲ませてから秣を与へ、馬が落ち着いた頃に自分達も水を飲み始めた。
やがて、村の者がやって来て、村の中央にある広場に案内された。そこには筵が引かれてあり、皆思い思いに座りだす。村の女達が汁物が入った椀を持ってきて部下達に渡している。
「村長、いきなりで申し訳なかった。これは代金だ、受け取ってくれ」
武樋は持っていた袋から金を一粒取り出して村長に渡した。
「これでは、いただき過ぎです。お代の方は結構でございます」
村長は両手を広げて慌てた様子で武樋を見た。
「そうはいかん、世話になった礼はさせてほしい。受け取ってくれ」
武樋は村長の手を取って、金を握らせた」
「では村の皆で分けさせて頂きます。もうすぐ肉も焼けますので、先に汁物を口にお運び下さい」
村長がお辞儀をして、小走りに去って行った。
部下達は、ようやく休めた事もあり、落ち着き始めた。一人の小隊長が、椀を一つ武樋に持ってきた。
「武樋様、どうぞ召し上がって下さい」
部下達を見ると、武樋が椀に口をつけるまで待っているようだった。
「先にやっててくれ、俺は馬の様子を見てくる」
「それでしたら、私が見てきますが」
「調練と先ほどの戦闘で疲れているのだ、遠慮しないで先にやってくれ」
武樋は片手を上げて馬がいる方へ歩き出した。
村の家々では、食事の準備を始めているらしく煙が上がっている。ふと、目をやると窓から子供がこちらを覗いていた。武樋は立ち止まり、子供に手を振ると驚いた様子で顔をサッと引っ込めてしまった。武樋はそれを見て苦笑いをして再び歩き出して、馬のもとにたどり着いた。
自分の馬の所に行くと、武樋を見て馬が頭を上下させている。そっと鼻を撫でてやりながら他の馬の様子を見たが問題はなさそうだった。桶を持って水場へ行き、馬が飲んでいる水を補給してやった。
その時だった。部下達がいる方向から大きな叫び声が聞こえた。追っ手が来たのかもしれぬと思い、走って中央にある広場に向かった。
そこでは信じられない光景が武樋の目に飛込んできた。
部下達が次々と二十人ほどの村人達に襲われていた。男だけでなく、女も鍬やカマを手に持って部下達を遠慮無く切ったり叩いたりしている。最初に武樋は何が起こったか分からずに呆然としてしまった。すると、先ほどの小隊長が体を必死に這いずって武樋のもとに向かって来ている。
「た、たけひこさま。お、お、にげください」
「どうした、しっかりしろ!」
しかし、小隊長は村人に捕まり、足を持って引き寄せられて四、五人でなぶり殺しにされている、血が大量に噴き出した。
「おや、おや、これは武樋殿下、そちらにいらっしゃいましたか。どうやらあなた様は痺れ薬が入った汁物を飲まれなかったようですな。姿が見えなくて心配いたしましたぞ。大事な賞金首に逃げられてしまったら、割に合いませんからね」
村長の古志加がニヤリとと笑って武樋を見た。あまりにも無残な光景に武樋は立ちつくしている。虐殺をしている村人達が一斉に武樋を見つめた。
「謀ったのか村長。誰に言われてこんな事をした!」
「さて? 私どもは、お役人様に王族の首を持ってくれば金一袋をやると言われただけでしてね。ですから、先ほどいただいた金など、ちっぽけなものなのですよ、ですからこれはお返しいたしますぞ」
古志加は先ほど貰った金一粒を武樋に放り投げた。金は武樋の胸部に当たり、地面に転がった。武樋はワナワナと震えている。
「おや、武人であるお方が、このようなことで、恐怖で震えておられるとは。今、楽にしてあげますのでご安心・・・・・・」
古士加が言い終わる前に、武樋は前に飛込んで刀を横に振り、古士加の首を飛ばした。
「俺はお前達を人とは思わん。そのつもりでかかってこい!」
武樋は村人達のかたまりに突っ込んだ。
十五分ほど経ち、広場に立っているのは武樋だけになった。襲ってきた村人は全て武樋が切り捨てた。武樋の姿は返り血を浴び、息を切らして、目だけが異様に光り、鬼の形相になっていた。周りを見て襲ってくる者がいないのを確認すると、始めて大きく息を吸って一気に吐き出した。上を見るといつの間にか夕焼けが終わり、満月が出ていた。いつものように綺麗な赤い光を放っていて、周りは薄赤い闇に変わっていた。
武樋は広場にある水場に行って、体と刀を洗い始めた。すると後ろから、数人の足音が聞こえてきた。振り返ると家にこもっていた住人が、次々と外に出て来て、武樋の前で平伏している。
「何のつもりだ。今更許されるとでも思っているのか」
武樋は怒気を含んだ言葉で村人達に言い放った。
「私は村長の妻であります、津弥売と申します。どうかお聞き下さい。私たちは古士加の意見に反した者達です。お役人から申しつけられた事を守らずに、村に来られた王族の方々をお守りしようと言ったのですが、古士加と数十人の者達がその意見に反対をいたしまして、言う事を聞かなければ殺すと脅されました。せめて、殺しには参加せず家にこもっていたわけでして、どうかご容赦いただきますようお願いいたします」
武樋は平伏している村人達に目をやった。皆、僅かに恐怖で震えている。それを見て軽くため息をついた。
「津弥売の言う事は分かった。ならば一つ頼みを聞いて貰おう」
「何でございましょうか」
津弥売は平伏したまま答えた。
「殺された私の部下達を、キレイにしてやってくれないか。そして丁重に埋葬してやってほしい。もし、役人がやって来たら転がっているこいつらを見せてやれ。お互いに殺し合って死んだと伝えればよかろう」
「それでは、武樋様」
「それで目を瞑ろう。これから収穫時期で人手が不足し苦労するだろうが、我慢してほしい」 それを聞いた村人達は、寛大な武樋の言葉に感謝の言葉を口にしている。涙を流している者までいた。
武樋は馬がいる所まで歩き、鞍をつけてから馬にまたがった。馬を歩かすと先ほどの村人達が付いてきている。出口に着いたところで一旦馬を止めて村人達を見た。
「武樋様、ありがとうございます。どうかお気をつけて下さい、役人には先ほど話された通りに致しますので」
津弥売は顔を上げて武樋を見た。
「部下達をよろしく頼む」
武樋は東に走らせた。辺りは、満月のおかげで馬を走らせるには問題無い明るさだった。 一時間ほど川沿いの道を進んでいくと、ようやく廃村になっている所に着いた。
敷地の中に馬を進めると、右側にある空き家から、勝海と一緒にしたがって行った部下達四人が姿を現した。
「お待ちしておりました武樋様、ご無事で何よりです」
「ご苦労だった、お前達も無事で良かった」
「他の者達はどうされたのですか?」
勝海は辺りを見回しながら、武樋に尋ねた。武樋は馬を下りて先ほどの村での出来事を話した。それを聞いた勝海は肩を落として悔しさに肩を震わせた。
「気持ちは俺も同じだ。だが残っていた村人達を責める事はできなかった、許せ勝海」
「とんでもございません、勝海様の御身に何も無くて良かったです」
「加利山城での情報は何か掴めたか?」
「はい。とんでもない事がこの国で起こっておりました。実は宰相の大生部 福留が首謀者となり、王となっていた氏影様を殺害し、その他の王族の方々も皆、捕らえられて殺害されております。完全な謀反です」
「兄者が殺されただと! ちょっとまて、福留と言ったな。あいつは兄者が子供の頃から政や経済、勉学などを教えてきた男で、兄者が直接指名して宰相になったのだ。恩義はあれど恨みなど無いはずだ。それにあの男では、武器を持っても何もできまい。護衛の者が簡単に取り押さえられることができるであろう」
武樋は目をひん剥いて勝海の両肩に強く手を置いた。
「実行者は他の者でした。……軍の最高司令官の高倉真事が直接手を下したとのことです。軍の全兵士は高倉に掌握されて、反抗する者は全て捕らえられているようです」
武樋は、頭を鈍器で殴られた様な衝撃を覚えた。よりによって、あの高倉真事が謀反を起こし、福留の手伝いをして、軍を掌握したなど、とても信じられないことだった。勝海の肩に置いていた手を無意識に離して、武樋は唖然として何も言えなかった。
「信じられないのも無理はありません、前王からの最も信頼厚き、あの男までも謀反に加担していたとは。しかし、これは真のことでございます。このままでは武樋様も捕まり処断されてしまうでしょう。一刻も早くここを出ましょう」
武樋は暫く黙っていたが、やがて小さく息を吐いて自分を取り戻した。
「分かった、お前の言うとおりだ勝海。今、俺が城に戻ったところでどうにもなるまい。どうやってこの国から出るかだ」
「ここからですと、西の蒼月の国が近いですな。そうなると、国境となっている川に架かっている橋が三つあります。北と南に一つずつ、そしてその真ん中にある、山の頂に橋がありますが」
「北の橋は、我々の後方になる真西に柴本城、南の橋の真西に鳥売城があって挟まれる形になる。そうなったら逃げ場がなくなるだろうから真ん中を通るしかあるまい」
「しかし、山の頂はかなり高い所にあり、それこそ逃げ場がありませんが」
「だからこそだ。あそこは狭い場所だから兵の数も少ないだろう、馬で一気に蹴散らせば何とかなるだろう」
「分かりました。では直ぐに出発されますか?」
「時間が経てば、それだけ封鎖する人数が増える。今すぐ行こう」
武樋達は馬に乗り、川沿いの道を東へと進めた。途中自分を探している兵がいないか警戒をしたが、それらしき姿は見当たらなかった。廃村より十五キロほど進むと道が三つに分かれる。左に柴本城、右に鳥売城に行く道になっている。武樋は先ほど言った通りそのまま、真っ直ぐ馬を進めた。道が段々と上り坂になってきて、山の中に入った。道はクネクネとした山道に変わっていく。この山は標高二百三十メートルで、頂上部は蒼月の国の領土の山と橋でつながっている。橋は大人三人分の幅で、吊り橋になっているので、行軍をするには向いておらず、もっぱら商人や一般の者が通る程度である。道幅は狭く角度も急なので徒歩での登頂はかなりの体力を使うので、ほとんどの人間は北側と南側の国境を渡っている。
上り坂が終わり、平坦な道に変わった。道の幅が極端に狭くなっている。これは行軍を妨げるために作られた道であり、人が四人横に並んで歩けるぐらいしか作られていなかった。百メートル前方を見ると火が焚かれており、明るくなっている。
「武樋様、やはり検問をしている様子でございますな」
「確か、橋の手前は少し広がっていたな、勝海」
「はい。二十名程度の兵が配置できる広さになっているはずです」
「俺は嫌でも進まなければならないが、お前達は無理をして行かなくても、投降をすればそれ以上のことはされまい。無理はするな」
「私たちは武樋様の部下です。主を置いて投降などあり得ません、ここで死したとて本望です。こいつらとて同じ気持ちです」
他の部下達が短く返事をした。
「分かった、では一気に行くぞ」
武樋は馬を歩かして、徐々に足を速め、やがて疾駆させて突っ込んで行った。
前方の封鎖をしている兵達から声が聞こえている。やがて橋の手前の少し広くなっている所まで進むと、兵達のどよめきの声が聞こえてきた。
勝海と他の部下が威嚇するかのように、武樋と横並びになり走って行く。
その時だった。風を切る音が複数聞こえきて、馬が突然崩れてしまった。
馬の頭を狙って矢を射られてしまったようで、武樋達は宙に投げ出されてしまった。武樋は、着地する際になんとか受け身を取り、体を強打するのを防いで、地面を転がりながら立ち上がった。横を見ると部下達も上手く着地ができたようで並んで立っていた。これは普段から、落馬をしたときの対処法で訓練していたのだった。
武樋が前方を見た。先ほど自分達に矢を放った男がひとり弓を構えて立っている。
一度に六発の矢を放つことができ、しかも正確に馬の頭を狙って当てることができる男など国内に一人しか知らなかった。
「落馬をしても直ぐに戦闘態勢に入れるとは見事です」
武上の国で、最高司令官である高倉真事が弓を隣の部下に渡した。
「俺が、ここに来ることを予期していたか」
「敵を欺くには裏の裏を掻かねばならないと教えたはずですよ」
「裏の裏を掻いたところで、貴方をだますことは出来なかったであろうよ。ところで高倉、俺がここで投降をすれば命は助かるのか?」
「無理ですね、貴方の首を持ってこいと宰相がうるさくてね。残念ですが、ここで貴方の命は終わりです」
「そうか、それでは、せいぜい足掻いて暴れるとするか」
武樋は刀を鞘から抜いて構えた。勝海達も同様に構えている。
「すまん、勝海。どうやらここまでのようだ」
武樋は刀を構え、前を見たまま勝海に言った。
「まだ分かりませんぞ。一人で三人を倒せば何とかなります」
「そうだな、やってみるか」
武樋達は守備兵に向かって走り出して刀を繰り出した。武樋が一人切ったところで敵の守備兵が動き出した。
一人が武樋に向かって切り込んで来た。上段から頭を狙って振り下ろしてくる、武樋はわずかに下がってそれを避ける。それと同時に刀を横に振った。相手は胸から血を噴き出して倒れた。次に二人同時に切り込んで来る。武樋は左手で、右脇にあるもう一振りの刀を抜いて、二人の前に走り出す。一気に距離を縮めて、左側にいた男の攻撃を左手の刀でで防ぎ、右手で右側の男の腹を突いた。直ぐに抜いてそのまま、左の男の腹を右から横に振った。これを武樋は瞬時に行なった。
あまりの攻撃の速さに敵の守備兵達は怯んだ。それを見逃さずに、武樋は更に切り込んだ。 勢い乗り、武樋は次々と敵の守備兵を倒して行く。四人ほど切り倒したところで、左側から強烈な殺気が武樋を襲った。
高倉真事が。走りながら右上段から刀を振り下ろしてきた。武樋は左手の刀で攻撃を防いだが、あまりの攻撃の強さに弾かれてしまう。武樋はとっさに後ろに下がった。
「お前を相手にするには、二刀持ちでは力負けする」
武樋は、右手に持っていた刀を鞘に収めて一刀にすると、上段で霞の構えをした。武樋の構えを見て高倉も正眼で構える
「素晴らしい構えだ。もし、氏長様の後継が貴方だったら、こうも簡単に事は運ばなかったでしょう。そして我々の攻撃を未然に防ぐ事ができたはすだ、残念です」
「残念と言ったか、高倉。だが、今となっては遅いがな」
高倉が突進してきた、武樋も前に出る。
武樋が刀を突き出す、高倉はそれを左から払い、返した刀で横に振る。武樋は後ろに下がり、それを躱した。
次に高倉が上段から振り下ろしてくる。武樋は前に出て、体を左にひねり攻撃を避けて、そのまま刀を横に振った。お互いにすれ違う格好になって、高倉の肩から血飛沫が散る。
お互いに刀を繰り出す。一合、二合と打ち合っていく、二人の力は均衡しているかに見えるが、数合打ち合っていくと武樋の体にに少しずつ血が滲んできている。
お互いに離れ距離を取り、息を整える。二人の体は激しく上下している。
武樋は大きく息を吸って、一気に吐くと前に出た、高倉も同時に前に出てすれ違う。
武樋の胸から血が噴き出して、膝をガクッと折った。直ぐに立ち上がり、振り向いて刀を構えるが、足に力が入らずガクついている。
武樋は周りを見た。半分程の守備兵達を倒していたが、倒れている中に勝海達の姿もあった。立っている味方は一人もおらず、自分だけ立っていた。
武樋は再び二刀持ちにして雄叫びをあげた。そして、橋がある方向に走り出して、守備兵達の中に飛込んでいった。次々と切り込んで行き、守備兵のかたまりを抜けて橋の前にたどり着く。
しかし、そこに橋は無かった。あるのは漆黒の闇があるだけだった。
「これから、この国はしばらくの間、混乱いたします。新たな王が名乗りを上げるまで、隣の蒼月の国から攻められても困るのでね、橋は切り落としていたんですよ」
「どうせ、お前のことだ、他にある橋も壊しているのだろう」
武樋は振り向いて高倉を見た。
「当然です、やるからには徹底しませんと綻びがでますからね。そして、そこから決壊して崩壊する、それを防ぐのは当たり前の事です。さて武樋様、お別れのようですね。貴方のことだ、私にはかなわないと分かっているはずです。せめて師である私が引導を渡しましょう」
高倉は一歩前に出て構えた。
武樋は右足を一歩下げた、だがそこから先は奈落の底だ。
「残念だな高倉、俺はお前の太刀では倒れんよ。どうせ死ぬのなら自らの手で終わろう」
武樋は刀を鞘に戻し、両手を広げて後ろに倒れた。
「さらばだ」
武樋は ニヤリと笑って崖から落ちていった。高倉は思わず右手を出して武樋を掴もうとしたが、宙を掴むだけだった。下を見ると武樋がこちらを見ながら闇の中に消えて行った。
周りはシーンとして、暫くの間沈黙が続いた。
「高倉様、念のため川を捜索いたしますか?」
部下の一人が側に来た。
「いや、この崖から落ちていったのでは助かるまい。ほうっておいてよい。ここにある死体を片付け次第、城に戻る」
高倉はそう言って歩き出す、兵達が一斉に動き出して片付けを始めた。
「たとえ、生きていたとしても何もできまい」
ボソリと高倉は呟いた。高倉の手は微かに震えていた。
武樋は、無我夢中で顔だけを上げて何とか呼吸をした。川の流れが急すぎて、思うように泳ぐことが出来なかった。それでも、何とかバランスを取ろうと手足を動かしている。三十分ほど流されて、ようやく流れが緩やかになり、かろうじて体を動かして岸にたどり着いた。武樋は立ち上がり数歩歩いたところで膝を突いた。
雄叫びをあげた。このどうしようもない状況に置かれた自分に、絶望より怒りが勝っていた。そして刀を一本鞘から抜いた。
「待っていろ、俺は絶対にまたこの国に戻る。そして、この手であやつらを倒す。これは俺の決意だ」
刃先を左の眉の上に置くと、一気に下ろして 切り裂いた。傷口から血が止めどなく流れる。
「この傷に触れるたびに、俺はこの怒りを思い出すだろう。俺は絶対に忘れ……」
視界が急に暗くなり、武樋は前のめりで倒れ、意識を失った。
気がつくと、建物の天井が見えた、どこかの部屋に寝ている事に武樋は気付いた。気配を感じて左に首を曲げると、そこに八歳くらいの少女が正座をして居眠りをしている。コックリと何度も首を上げては落としてを繰り返している。突然ハッと気がついて武樋と目が合うと、ビクッとして驚いた顔を見せ、しばらくの間固まっていた。やがて思い出したように立ち上がり、部屋を出ると大きな声を出して人を呼んでいる。
「じいさま。男の人が目を覚ましたよ、早く来て!」
その後、足音が聞こえて、老人が一人部屋に入ってきて武樋の側に座った。
「気がつかれたようですな。ここにいる孫が、川の側で倒れている貴方を見つけましてね、直ぐに家に運び、傷の手当てをさせていただいたのですよ。胸の大きな傷は縫っておきましたので、少し突っ張る感じがするでしょうが我慢してください」
武樋は体を起こして老人を見た。
「ここは一体?」
「ここは、蒼月の国の西外れにあります、小田村という所です。私は村長の田祁麻呂と言う者です」
「そうですか、蒼月の国に来ていましたか。私は隣の武上の国の者です、お助け頂きありがとうございます。」
「お隣の国の方でしたか。お持ちになっていた刀と甲冑を見て、お武家様なのだろうと思っておりましたが。しかし、ここいらで戦があったとは聞いておりませんでしたが」
田祁麻呂が少し考える仕草をして武樋を見た。
「私は追われた身でしてね、命からがら逃げていたのです」
「何か事情があるみたいですな。まあ、しばらくの間、お休みになって下さい。その体では動けますまい」
「いえ、私がここにいると村の方に迷惑をかけることになります。これ以上、ご厄介になるわけにはいきません」
武彦は立ち上がった。しかし、めまいがして倒れそうになるのを田祁麻呂が受け止めた。「あれだけ大量の血を失ったのです。まだ動くのは無理ですぞ」
「しかし、ここでのんびり静養しているわけにはいかないのです」
再び武樋は立ち上がろうとして膝を立てた。
「追われている貴方にどこか行く当てがあるのですか?」
田祁麻呂の言葉を聞いて武樋はピタリと体を止めた。国を逃れた武樋には、行く当てなどなかった。これからどうするかも決めていない。国外に知り合いなどいない武樋は、一人でいったい何が出来るというのか。
「ここを出て行かれることには反対をしません。しかし、数日は体を休まれませんと」
田祁麻呂は、そっと武樋を寝かせようと促した。
「それに、そのお顔の傷もふさいではおりません。傷が眼球にまで達していなくて幸運でしたな。傷がもう少し深かったら、失明していたでしょう」
武樋はふと、左の目の下あたりに違和感を感じて手で触れてみた。そこには自分がつけた刀傷があった。そして、あの時の怒りが武樋の中に湧き上がってきた。
「心遣いありがとうございます。行く当てなど無くても俺は動かねばなりません。詳しい話は出来ませんが、のんびり体を休ませている時間はないのです」
力の入った言葉を聞いた田祁麻呂は、小さく息を吐いて武樋の背中に触れた。
「仕方ないですな。そこまで言われては、もうお止めいたしません。もうすぐ昼時になります。飯を作らせますので、せめて何か腹に入れてからお出かけなされよ。着替えを済まされたら居間にお越しください。」
田祁麻呂はそう言って部屋を出て行った。武樋は枕元に置いてある自分の着物に着替えて刀を二振り腰に差して部屋を出た。胸の傷口からは激痛が走り、叫びたいほどだった。
部屋を出ると、少女が心配そうな顔をして武樋を居間まで案内をした。中に入ると良い匂いがしていて、見ると部屋の中央に三つの膳が置かれていて、その一つに田祁麻呂が座っていた。武樋はその対面にある膳の前に座り、少女は田祁麻呂の隣に座った。
膳には、米と汁物、焼き魚と野菜の煮物や漬物などが並んでいる。昨日の夕方から何も口にしていないことを武樋は思い出し、腹が減っていることに気がついた。田祁麻呂に進められ料理を口にした。美味かった、こんな美味い飯は久しぶりだった。あっという間に米が椀から無くなると、田祁麻呂はニコリと笑って、もう一杯椀に米をよそった。暫く無言で食べていたが、武樋の落ち着いた様子を見て田祁麻呂が口を開いた。
「この村の南東に、黒波村と言う魚を捕まえて生業をしている村がありましてね。船を出して北平の国や石門の国へ渡って取った魚を売っているのですよ。そこの村長が私の古くからの知り合いでして、宜しければ書状を書きますのでどちらかの国へ行かれてはどうですかな」
それを聞いた武樋は、箸を置いて正座をしたまま少し下がり、田祁麻呂に頭を下げた。
「何から何までありがとうございます。是非、よろしくお願いします。しかし、何者か分からない私に、何故こんなにも親切にしていただけるのですか?」
武樋は頭を上げて田祁麻呂を見た。田祁麻呂も箸を置いて、思い出すような顔をして天井を眺めた。
「あれは何年前だったでしょうかね、十年は経っているでしょうか。この村の近くで武上の国の軍勢が陣を構えてきましてね、この村が戦場になる危険性があったのですよ。私と村人数人で食料をできるだけ持って行きまして、国王である村国氏長様にお目通りをいただきました。その時、どうかこの村を戦場になされないようにお願いをいたしましたところ、氏長様はニコリと笑って、それは悪い事をした、直ぐにで陣を引き払い他へ移そうとおっしゃられましてね、持って行った食料も一切受け取られずに、あっという間に陣を引き払っていかれたことがありました。その時のご恩返しですよ。
それを聞いて武樋は目頭が熱くなった。厳しい父であったが、民が困っている事を耳にすると直ぐに部下に命じて解決し、常に民の事を考えていた。まさに父らしい行いだった。実際に民は絶大な信頼を父に置いていて、大変好かれていたのだった。
「そうですか、そんなことが」
「ええ。それ以来、戦があってもこの村の付近で行なわれることは一切ありません。覚えて頂けてるのでしょうね、ありがたいことです」
そう言って田祁麻呂は再び箸を持って食事を始めた。武樋も話を聞いて言葉にならず目頭が熱くなっていた。それを誤魔化すように椀の中身を掻き込んで食事をとった。
食事を済ませると、田祁麻呂は筆を執って黒波村の村長宛に書状をしたためて武樋に渡した。
馬を一頭借りて村の外れに出ると、田祁麻呂以外に村人が何人か見送りに来ていた。武樋は一礼して皆を見た。
「大変お世話になりました。言い忘れていましたが、私は村国氏長の三男で村国武樋と言います」
それを聞いた田祁麻呂は笑って頷いた。
「そうでしたか、氏長様のご子息様でしたか」
「はい。しかし、皆様に迷惑が掛かりますゆえ、お忘れ下さい。ではお元気で」
武樋は、馬に乗り込むとゆっくりと動かした。一度振り向いて皆に頭を下げると、傷が痛むのをこらえつつ、馬を走らせて速度を上げた。それでも心地よい風が武樋に当たり、痛みを紛らわせることができた。
空を見上げると、雲一つない良い天気だった。武樋は爽快な気分になったが、左手で傷を触ると、首を元に戻し厳しい表情で走って行った。