このコーヒーをおいしく飲めるころには
テーマ【コーヒー】
小学生のとき、僕は恋をした。
それが本当に恋だったのか、今の僕には判断が出来ない。けどその当時の僕は本気でその人が好きだった。だからこれは恋であったに違いない。
今思い返すと恥ずかしい限りだが、当時の僕は一言で言うとませていた。
同い年の友達と話していても楽しいのだが、物足りなく、本や映画のような大人な世界に憧れていた。
だからなのかもしれない、年上のあの人に、大人なのに子供のような表情をするあの人に惹かれてしまったのは。
隣の家には魔女が住んでいた。
姉の中学校では、隣の家の住人をそう呼ぶらしい。そういえば自分の学校でもそんな話を誰かがしていたような気がする。
どうやら姉の友達のお姉ちゃんの友達のお兄ちゃんが行っていたらしい。なんとも胡散臭しである。
何でも、ここ10年間外見がまったく変わらず、若いままでいるらしい。
なんでも夜な夜な怪しい黒魔術をしている……、と姉がのりのりで話し始めたので、僕はそのまま聞き流した。
ひとりであの家の中に入ったら食べられちゃうよ、と最後に姉が言っていたのが耳に残った。
その魔女と言う人だが、以前一度その姿を、僕は見たことがあった。
髪の長い女性で、黒い服を着ていてテラスでコーヒーを飲んでいた。僕の部屋の窓から外を見たときにその女性を見かけたのだった。
後から知ったのだが、そのテラスは庭の木々によって道路から見えないようになっていた。ちょうど二回の僕の部屋から見えていた。
年上の女性なんて、母や姉、学校の先生くらいしか知らなかったので、初めはただ綺麗な人がいるなと思っただけだった。
ある日、姉と遊んでいたら、姉がボールを勢いよくけりすぎ、ボールが彼女の家に入ってしまった。
ちょうどお昼の時間だったので、家に帰るから取ってきてねと、理不尽にも姉は先に家に帰えってしまった。
僕は恐る恐る庭に入り、ボールをとりに行った。
「なにをしているのかな?」
ここから魔女と僕の交流が始まった。
「ねえ僕、私が怖くないの?」
「お姉さんは、僕に何か怖いことをするの?」
「あら、私がこの辺で何て呼ばれているのか知ってて言ってるの?」
「魔女、でしょ? お姉さんは本当に魔女なの?」
「あら、知ってたの?」
「でも嘘でしょ? 魔女なんているわけないし、そんなの子供のいたずら話でしょ」
「君はそういう話は信じないの?」
「だって、餓鬼っぽいんだん」
「餓鬼って、あなたも子供でしょ」
「子供ってっ…。あんな奴らと一緒にしないでくれ」
「あら。ふふ…」
「人のこと馬鹿にするなんて、お姉さんのほうが子供っぽいよ」
「そうね、ごめんなさいね。いえ、少し昔に同じようなことを言っていた人がいてね。懐かしくて思い出してしまったの。気分を悪くさせてしまったらごめんなさい」
「けど、年下の男の子に子供っぽいなんて言われるとは思わなかったわ。あなた面白いわね。名前はなんていうの?」
「○○○○」
「そう、○○君。ねえ、あー君て呼んでいい?」
「なんで? 僕の苗字や名前に”あ”なんてついてないよ?」
「ええ、けどなんとなく”あー君”って顔をしてるから?」
「お姉さん、なんだか馬鹿にしてない?」
「いいえ、あなたは立派な男の子よ」
立派ななんて言われたのは初めてで、僕は少し嬉しくなってしまった。
「べ、別に良いぜ、好きに呼べば良いさ」
「そうさせてもらうわ、よろしくね、あー君」
そう彼女に、あー君と呼ばれ、僕の心臓は少しだけ速度を上げてしまった。
「ん?どうしたの、やっぱり嫌だった?」
「いいや、なんでもない。じゃあ、僕はお姉さんのことなんて呼べばいいの?」
「ん~、じゃあ瑞希で」
明らかに思いついたような言い方で、どう考えても仮名であるのは子供の僕でも分った。
「じゃあ、瑞希姉さんで」
「ふふ、良いわね、異性にそう呼んでもらうのは何年ぶりかしら」
僕は恋をした。
「僕は、瑞希姉さんのことが好きだ」
一世一代の告白をした僕であるが、瑞希姉さんは嬉しそうに微笑むとやんわりと首を横に振った。
「君は、まだココロとカラダの成長が上手くかみ合っていないだけなんだよ。君の心はそう、歳相応と呼べるものではないのは確かです。けど、だからって大人ってわけでもない。君は少なくても、“自分の周りの同じような子供よりかは大人でいよう”という観念にとらわれているに過ぎないんだよ」
「うっ……」
「けどね、私はそういう君は好きだよ」
「君はきっと良い男の人になる。私が太鼓判を押してあげてもいい。けどそれは今じゃあない」
「君の言葉も、気遣いも、感じ方も、考え方も、今の皆にはまだ早すぎるんだよ。だから、周りの皆がその感じ方が理解できるようになり始めたとき、そのときが本当の君が理解されるときなんだよ。」
瑞希姉さん言葉を続ける。
「けど、周りが成長するように、君も成長しなければいけない。初めに行ったように、君は確かに”大人っぽい”けど、それはあくまでも比較でしかないんだ。君が回りより大人びているからって、成長しちゃいけないってわけではないんだよ。だから、君も成長しなければいけない。君の考え方、感じ方にあった身体に。そのとき君は歳相応の人と言えるんだよ。」
「それはいつ?」
「私には分らない。確かにいえることは、それは明日とか一週間とか、そんな短い話ではないと言うことだけだよ。」
「そんな……」
「そんな顔をしないの……。ふふ、少なくてもコーヒーにミルクも砂糖も入れなくてもおいしく飲めるような、そんなころかもしれないわね……」
私も最初はおいしいと思えなかったしね、と舌をだしてはにかんだ彼女は、歳相応の大人の表情をしていた。
「だから、君がコーヒーをおいしく飲めるようになったころに、もう一度、さっきの言葉を覚えていたら、また私にいってくれるとうれしいな」
「でもそれは…」
「大丈夫、だって私は”魔女”なんだよ。魔女は歳をとらないのさ」
近くでクラクションの音。家族が僕の名前を呼んでいた。
「ほら、親御さんが呼んでるよ。そろそろお別れだ。あーくん、楽しかったよ」
「最後に、とっておきの魔法をかけてあげよう。あー君、目をつぶって」
「え」
額にやわらかい何かが当たった感触がした。
「さようなら」
目を開けるとそこには何も無かった。
――ぶっぶー
「○○、何してるの?」
クラクションの音と姉の声。
「今行くよ」
「あんた、あの空き家で何してたのよ」
「え?」
空き家じゃない、といおうとしていえなかった。
「なにそんな顔してるのよ、あんた魔女にでも魔法をかけられたの?」
それを聞いて、はっとして車の窓から外を見た。姉も釣られて外を見る。
走り出した車の窓から見た家は、案の定木々に覆われて何も見えなかった。
「あの家、近々取り壊されるそうね」
「なんでも、長い間買い取り手がつかなくて、この土地の地主さんがお店を建てるために取り壊すそうよ」
「まあ、ここから出て行ってしまう私たちには関係の無い話ね」
と、姉は外を見るのをやめ、シートにもたれかかった。
僕は、彼女の柔らかな唇が触れた先から香るコーヒーの匂いが、鼻の奥から取れることはなかった。
いつかまた来よう。
コーヒーがおいしく飲める頃に。
また、瑞希姉さんに会いに。
【読了後に関して】
感想・ご意見・ご指摘により作者は成長するものだと、私個人は考えております。
もし気に入っていただけたのであれば、「気に入ったシーン」や「会話」、「展開」などを教えてください。「こんな話が見たい」というご意見も大歓迎です。