4.狼竜の玉剣と、迎撃のディオーサ
賢者の回し蹴りを腹部に食らった魔獣が、再三の悲鳴を上げて転倒する。衝撃でもうもうと上がる砂塵。中空でくるっと回った白い女を、ギンレークが操る狼竜がすくい上げるようにしてその背に乗せる。
ギンレークの横に軽やかに着地した賢者は、強烈な蹴りを繰り出したばかりの細い片足を上げてぷらぷらと振る。
「ったく、えげつないもん飼いならしやがって」
「……あれは、なんなのですか」
ギンレークの問いに、賢者は、隣のギンレークをちらりと見て、
「他国に伝わる操舵術。元は極東の一部族が細々と受け継いできた秘術らしいけど、どうやってか王族が入手したみたいね」
しれっと答える。
「……止める方法は」
「うーん、封印魔法があった気がすんだけど、覚えてないや~」
てへぺろ、とよく分からない文言を呟いて舌を出す賢者。
「オイ稀代の大賢者」
「だあって、数千年前にいっぺん読んだだけだよ?」
「……数千年前?」
「とにかく、まずは弱らして動き止めて、そんであとは操舵者の所在探査して、そいつブッ飛ばしてオシマイ、だな」
「操舵者を今すぐ割り出すことは?」
「できないよ、通常状態だと操舵紐は不可視。魔獣が瀕死の状態のときにだけ見えるからね」
「別の操舵者が出てくる可能性は?」
「後日ならありえるけど、今すぐには無理だろうね。大丈夫、操舵術の習得なんて、そんな簡単なもんじゃない」
ギンレークの懸念にすべて答えた賢者は、もういいかい、と言い置いてから、
「操舵者の探査はイキナリじゃ結構難しいから、それはあたしが請け負おう。ギンレーク、キミにはそっちを任せる」
賢者が指をさしたのは、再び立ち上がり咆哮を上げる巨大な魔獣。
「ああ」
「じゃあ、またあとで」
狼竜の背から降りた賢者が敵陣のほうに姿を消すのを待ってから、ギンレークは狼竜の進路を魔獣に向ける。右手には歩兵用の細い剣。
賢者の姿を見失った魔獣がゆっくりと身を起こし、ギンレークに向けて咆哮する。
(……速さでは、かなわない)
先ほどまで賢者が見せていた人外じみた動きを真似るのは不可能。ならば、見るべきはその可動域。その太さに似合わず異様なほど俊敏に動く魔獣の四肢を、ギンレークは黙したまま、にらみつける。
瓦礫を踏み潰し駆け寄ってきた魔獣が、目前で大きく跳躍し、ぐわりと前足を上げる。ギンレークの左手がとっさに手綱を強く引き、翼を折りたたんで斜めに飛翔した狼竜が、魔獣の前足の上――肩の上すれすれを抜ける。魔獣が牙だらけの口を大きく開けてそれを追い、噛み切られた狼竜の尾の毛が数本、宙を舞った。
――傾けた右手の剣が、日の光を、ぎらりと反射する。
ギンレークは竜の手綱を左足のブーツの金具に引っかける。両手で剣を構え――同時に、狼竜は魔獣の首の上で、縦に小さく旋回。
上下の入れ替わった視界が高速で流れ、現れた黒いうなじに剣を突き立て、
「が……!!」
側頭部に衝撃。
視界の外から飛んできた何かに、横なぎに吹っ飛ばされ――
「ぐ……!!!」
背中に走る、激痛。
かろうじて開けていた片目の視界で、金色の方尖塔の上に建つ、迎撃の女神像がぐらりと傾く。
隻翼を負傷したらしい狼竜が、少しぎこちない飛び方で寄ってくる。しがみつくようにその背に乗り、ブーツの引っかかったまの手綱に手を伸ばすより前に、
魔獣の、前足が見えた。
「ぐ……!!!」
体内の臓器がすべてせりあがるような衝撃。周囲に充満した血なまぐさい臭いと液体に濡れたような感覚は、自身のものかそれとも狼竜のか。
「将軍!!」
部下の声。手綱も剣も、もう見えない。
くらりと、かすむ意識の中。
――ふと、いつもの唄が聞こえたような気がした。
魔獣の咆哮と破壊音に混じり、風に乗ってかすかに響く、彼らのか細い歌声。勝利を希う、力なき贄の声。
――迎撃の女神のご加護があらんことを。何卒、我らにお導きを。
古代ザーナノード語で紡がれる、そんな変哲もない歌詞だ。
聞きなれた、聞き飽きた、だが。
その耳慣れた響きが、ギンレークの意識をいつもの戦場に引き戻す。
両目をかっと開け、落下途中の体を無理によじり、
「頼む――!!」
同じように落下している狼竜に向け、ギンレークは必死に右手を伸ばす。
魔獣を前に、賢者を前に、自身の無力さも惨めさも、十二分に味わった。
それでも。
――こんなところで、決して……!
ギンレークの指先が、狼竜のひんやりとした首元に触れる。たぐるように手綱を握った直後、瞼を震わせた狼竜の瞳が――開く。
「うおおお!」
そこから、突如、目を焼くほどの青白い光がほとばしる。
何があっても離さない――
奥歯をかみしめてこらえるギンレークの背中を持ち上げるように、下方に回り込んだ狼竜の、よくなじんだ感覚。そして気づけば、握り締めていたのはいつもの手綱ではなく、
「これは……」
握っていた青い剣柄から、どくどくという狼竜の脈動が伝わる。剣尖から剣首まで、総てが青い大剣。目の前の狼竜の武鱗と、まったく同じ色をしていた。剣格には二匹の狼竜が戯れるように絡まる、見事な彫り細工があしらわれている。
「ま、まさか、『狼竜の玉剣』ですか?!」
魔獣の追従からかろうじて逃れてきた部下の一人が、ギンレークの隣に滑り込んで来て、驚きの声をあげる。
『狼竜の玉剣』――太古の時代、伝説の狼竜遣いが使ったといわれる、伝説上の神剣だ。その切っ先は狼竜の鉤爪以上に鋭く、刃渡りは狼竜の牙以上に長く、一撃で神をも切り裂くという。
狼竜と心身ともに一体となった狼竜遣いにだけ与えられるという、幻の剣だ。
「……御伽噺では……」
ひゅ、と風を斬ってみれば、恐ろしく軽い。まさに狼竜のようだ、とギンレークは思った。
背を丸めたギンレークが、狼竜の、ごつごつとした背中に触れる。
いかに早く出陣するか。いつもそれしか考えていなかった。この生き物のことなど、一度も慮ったことなどなかった。
それでも、この狼竜は、いつも応えた。
ギンレークの意思に。
いの一番に城壁に駆けつけるという指示を全うした。
いつも。どの狼竜よりも。
「お前の、剣か。――良い剣だな、しばし借りるぞ」
ギンレークがかけた、直接的な指示以外の初めての言葉に、竜は、きゅう、と答えるように小さく鳴いた。
うなじに細い剣を突き立てられたままの魔獣が、よだれを撒き散らしながら口を大きく開け、向かってくる。たったそれだけで、大地がぐらぐらと揺れている。
あれは、脅威だ。だから。
(最悪でも、相討ちだ)
そうすれば、賢者が操舵者を見つけ出してこの魔獣を止める。必ず。残りはいつもどおり、天空要塞が誇る有能な兵士たちが片付けてくれるだろう。
「……所詮、こんな僻地の要塞止まり、か」
無意識に浅くなる呼吸と早くなる心音をなだめるように、気休めのように呟く。まぁ充分やったほうだ、と苦笑する。
「さっきのを、もう一度だ」
狼竜にそう言いながら、先ほどとは反対側のブーツの金具に手綱を引っかける。それから、青白く光る剣柄を両手で握り、正眼に構える。
先ほどよりも幾分か荒っぽい動きで、魔獣が飛びかかってくる。今だ、とギンレークが片足を引いた直後、翼を折りたたんで斜めに飛翔した狼竜が、向かってきた魔獣の肩の上すれすれを抜ける。鞭のようにしなる細い尻尾が視界の外から向かってくるのを気配だけで察知してかわし、急降下。ギンレークは剣を横に構え――
「うおおお!!」
腹からの反射的な怒声とともに、魔獣の分厚い皮膚を切り裂く。悲鳴を上げてばたつく魔獣のわき腹から、赤い血肉が見えた。
そのまままっすぐ飛びぬけて、もがく魔獣から距離をとる。眼前に広がる森林の緑の間に、ひらりと、賢者の白い衣が見えたような気がした。
直後。
ばちん、と何かが切れるような音がして、ぎえええ、と苦悶の声を上げた魔獣が四肢をばたつかせる。
「ギンレーク、とどめ!」
どこからか賢者の声。旋回した狼竜の背からギンレークは高く跳躍し、奥歯を食いしばって、青白く光り続ける剣を大きく振りかぶり、
「おおおお!!」
――魔獣の背に、まっすぐ突き立てた。
悲鳴を上げて横転する巨大魔獣。振り落とされて自由落下するギンレークの体を、指示もなく狼竜がその背に乗せる。
ひとしきり暴れた魔獣はそれきり動かなくなった。舞い上がっていた砂塵が、次第におさまっていく。
「……や、やった、の、か?」
狼竜の首にしがみついたまま、呆然と呟くギンレーク。
「うん、お疲れ」
背後からかけられた声に振り向けば、汚れひとつない白い衣服を風になびかせ、笑顔を浮かべた賢者が、狼竜のすぐ後ろの中空に突っ立っていた。
ギンレークはその姿を呆然と見て。
「……空を、飛べるのか?」
「まあね~」
「……さっき、助けに飛び込んだ俺の苦労は」
「優しいなぁって感心してたんだよ?」
へらっと笑う悪びれない女に、心身ともに疲れ切ったギンレークは怒る気も失せて、ただ息を吐いた。
その直後、わああ、と地上から歓声が轟いた。壕の方向だけでなく、崩れかけの城壁の下からも、そこかしこから。
「……生きて、いたのか」
狼竜の背にしがみついたまま、ギンレークは地上を見下ろして呆然と呟く。
やがて狼竜がゆっくりと高度を落とし、壕の前の地面に着地して、そっと座り込む。顔の汚れを袖でぬぐったギンレークは、狼竜の背から地面へと降り立つ。
そこに。
「おかえり――なさい」
両目に涙をいっぱい溜めた、贄の少女が待っていた。
(Thanks for your Reading!!)