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3.辺境の賢者と、称号を持つ者


「……それで、残ったのは、これだけか」

薄暗い壕の中央、腕組みをしたギンレークはそう呟いて、周囲を見回した。

将軍クラスはわずか数名。将軍以下の狼竜遣いが40数名。弓兵・歩兵・贄は城内にいた者のおおよそ3割程度。城に隠れていた下働きの非戦闘要員が数十名。物資は、ほぼない。

誰がどう見ても、絶望的な状況。

フゥと切り替えるように息を吐き、

「代わろう」

ギンレークは壁際に目をむけ、負傷した兵士に包帯を巻いていた看護士に声をかけた。

「いえっ、そういうわけには……」

「いや、させてくれ。こんなことしかできないからな」

傷口を見つめて端正な顔を歪めて浮かべるギンレークの悲しげな笑みに、看護士が顔を赤らめて気遣いの言葉を述べる。

「で、でもきっと、賢者様が救ってくださいます!」

「……ああ、そうだな」

わずかに表情を緩めてそう答えつつ、

(あんな僻地の偏屈に何ができる)

と、ギンレークは内心で悪態をつく。

すぐ脇で、頭部に包帯を巻いていた年かさの狼竜遣いが、ぱっと顔を輝かせる。

「おお、そうでしたな、ギンレーク将軍は賢者殿と面識がおありで!」

気休めにもならない雑談にあきれつつ、つきあってやることにして口を開く。

「ええまぁ。若いころに、一度だけ」


――賢者とは。

人里から遠く離れた辺境の地に住む、人ならざる高貴な存在。万物を知覚し把握し、すべての道理を見極める慧眼を持つとされる。

過去、多くの者たちが様々な困難を抱え、賢者の助言を求めてその居住地へと赴いた。だが、その険しい道中で大半が帰らぬ人となった。だからこそ、数少ない生還者には、その遺業を称えて「称号」が与えられることとなった。

ギンレークもその一人。称号を持つ者だ。

何年経っても色褪せない、未だ記憶に新しい、あの強烈に異様な存在感は、確かに人外というべき超越的な存在なのだろう、それはギンレークも認めるが。

あの、人を食ったような態度が気に入らない。

だが、この国の民は、困ったときはいつも「賢者様」頼みだ。兵士も、貴族も、そして王すらも。

(あんな不確かなものに頼らずとも、俺は俺の力で戦う)

包帯を巻き終わったギンレークは、かたわらに立てかけてあった剣を手に、ゆらりと立ち上がる。

「……全員、絶対に、ここを出るな」

全員にそう言いおいて剣を抜き、ゆっくりと扉に向かう。

「しょ、将軍?!」

後方から部下のあせったような声がするが、無視する。

(――こんな命がなんだ)

自分を偽り、他者に媚び、他者を蔑み蹴落として、それでも何も得られないままここで死ぬというなら、今までの全てが――ひどく無意味だ。

「……俺は」

小さく呟き、ギンレークは自身の手のひらを見下ろす。今まで切り裂いてきた敵の数なんて、何にもならない。

現状、俺がこの壕の中にずっと居たって、ただの一人すら助けられないというのに。

俺が求めていたものは――

不意に思い出すのは、件の賢者の、はるか昔の生意気な指摘。


「いいんじゃない、欲望剥き出しってのも、人間らしくて。お前は上昇志向だけで生きてるってカンジだね。ん、いいや、違うな……ええと、胸を張って誇れる『強さ』か。ほかのもん全部どーでもいいんだね。残酷。周りにいるやつはかわいそうだ」


そうだ。

あのときは、初対面で、面と向かっていきなりそう言われて、カッとなって暴言をぶつけて立ち去った。だが――図星だったから逃げ出したのだと、今なら分かる。

そうだ。


胸を張って誇れる『強さ』。


俺は、そのためならこんな命など、露ほども惜しくはない。


「――だめです」


凛とした声が、不意にギンレークの思考を遮った。

「賢者さまが、もうじき、お出でになります」

ゆっくりと見下ろせば、そこには贄の少女が一人。見覚えのある。

何度か手当てをしたことがある。そのたびにわずかに頬を染めて、か細い声で礼を言った。

その俯きがちの顔を、ギンレークはよく覚えている。

よく、覚えている。

「……何を、言ってる」

「どうか、今しばらくお待ちください」

そっと言って、少女は小さな頭を垂れる。頭の弱い贄のたわごとだと一笑に付すには、その進言はあまりにも確信めいていて。

そしてなぜか、どこか、あのいけすかない賢者の物言いを思い起こさせた。

「……なぜ、お前に、そんなことが分かる」

ギンレークの問いに、少女は答えない。

扉越しに魔獣の咆哮。壕全体がびりびりと震える。残っていた城壁が、遠くでがらがらと崩れ去る音がした。

ギンレークは少女から視線を外すと、扉を大きく開け放った。指笛で自分の狼竜を呼び寄せると片腕で飛び乗り、追ってきた部下たちが止める間もなく、空高く飛び去る。

崩れた瓦礫の細かな粉塵が舞う中空で、それらを振り払うように大きく旋回。青空を見上げて息を吸う。

「あそこか」

広大な敷地を誇る要塞のちょうど中央、金色(こんじき)方尖塔(オベリスク)を破壊している巨大な影が振り向いて――ギンレークと目が合った。

足元の狼竜が萎縮したように小さく鳴く。その背の上に両足で立ったギンレークは息を吐いて、剥き身の剣を正眼に構える。

ギャアア、と狂ったような咆哮を轟かせ、魔獣がまっすぐに向かってくる。ギィン、と金属音。とてつもない衝撃。

中腹から折れた剣があっけなく弾け飛んだ。

「……ぐ……!」

焼けるような痛みがギンレークの右肩に走る。

狼竜よりも数倍大きな巨大な魔獣が、狼竜よりも身軽に振り向いて、すぐ目の前で太い前足を振り上げ、

――間に合わない――!

ギンレークの脳が思考を止め、


がきん、と目前で、剣戟音。


息を、呑む。


「……な……」

ギンレークの目の前には、薄汚れた衣一枚の、細い少女が一人。

さっきの贄の少女だ。見間違えるはずもない。

――幻覚かと思った。

枝のように細い両手がきっちりと構えているのは、歩兵用の両刃剣。その心もとない剣一本で魔獣の毛むくじゃらの片足を軽々と押さえつけたまま、少女は後方のギンレークをくるりと振り向いて、

「しゃあない子だね。もうちょい待てっつってんのに。しゃあないから――今すぐ来たげたよ」

ごく軽くそう言って、にやりと口角を吊り上げる。

「………………は?」

固まるギンレークの前で、贄の少女は鍛えられた兵士のような動きで剣を横なぎに動かした。

それだけで。

悲鳴を上げた魔獣が、はるか後方へと弾け飛ぶ。

轟音を上げて瓦礫が吹っ飛んだ。もうもうと土ぼこりが舞い上がる。

「な……!」

「ま、やり方は正解だ。弱いのがそこらじゅううろちょろしてたら面倒だからね、まとめて壕に押し込んどくって判断は悪くない」

少女は狼竜の背をすたすたと歩いてきて、折れた剣の柄を持ったままだったギンレークの前に立つ。「はいこれ」と歩兵用の両刃剣を押し付けるようにギンレークに渡し。

この子(いもうと)が世話になったね。優しくしてくれて、ありがとう」

戦場のど真ん中であることを一瞬忘れたかのような、滑稽なほど生真面目な動作で両手をきっちりと揃え、少女はギンレークにぺこりと頭を下げる。

そのふざけた言動は、明らかに、あの少女の言動ではない。別の人格と思わざるをえない。

そして、これとよく似た言動の者を、ギンレークは世界でたった一人だけ、知っている。

「……賢、者……?」

「おう。ひっさしぶりー」

にんまり笑って、赤くなった手をひらひらと振る少女。その手が不意に後方へ。いつの間にか激昂して迫ってきていた魔獣に向け、何か小さく呟く。

それだけで。

小さな手がぱあっと赤く綺麗に輝き、

ごぉおおお、とはるか地下のほうから徐々に地鳴りが響いてきて、

「……な?!」

魔獣の足元が一気にひび割れた。

不意打ちで派手に崩れた足場に、四足の獣は悲鳴を上げながら転倒する。すぐ脇に建つ細い石塔が、その衝撃で大きく傾いて破片をぱらぱらと落とす。

「な、なにが……」

「詠唱魔法」

動揺するギンレークにしれっと答えた少女――もとい賢者は、くるりとギンレークを振り向いて。

「それで? あれから少しは成長したかい、若造?」

明るく笑って言いながら、首に巻かれた紅い飾り紐(ラリエット)をしゅるりと外す。贄が死ぬまで外れないはずの、従属の紋が刻まれているはずの細い布きれは、少女の手を離れてあっさりと竜の背に落ちた。

「ぐるぐる悩んでた結論は出た?」

何も言えないギンレークの前で、少女は綺麗に微笑んだ。

「上昇志向も名声欲も、強さを求める意思も大いに結構。あたしに言わせちゃ、オマエの悩みも、求めるもんも、可愛いもんだよ。オマエみたいなのなんてこの世界に腐るほどいるんだし、いちいち比べて一喜一憂すんのもバカらしい。見える範囲だけで優劣つけるなんて、視野が狭い」

しれっと言って、

「だからさ。目指すべきは――」

少女はくるりと指を回し。

「世界に名を遺せ、ギンレーク。こんなちっちぇえとこでごたごたしてねーで、さ」

ひゅっ、とギンレークの喉が細く鳴る。

あっさりと語られたのは、途方もない言葉だ。途方もなく――この上なく、魅力的な。

間違いなく、世界一の、激励。

「こんなときに、なにを言っているのか……」

「そう? モチベーションって大事よ? 何としても生きて帰る、っていう」

今の心情を言い当てられてハッとなるギンレークに、少女は笑みを深くして。

「ヤケになりゃ何でもできる、っつうのは愚者(バカ)のやり方だ。改めな」

ギンレークが口を開こうとした、そのとき。

「将軍! ご無事ですか?!」

割り込んできた若い声に、振り向いたギンレークは目を見開く。

羽ばたく狼竜が二〇頭弱。あの壕にいたギンレークの部下の狼竜遣い、ほぼ全員だ。

「何してる!? 出てくるなと言っただろう?!」

激昂するギンレークに、いつもならただ震え上がるだけの部下たちはだが、きっぱりと首を振った。

「どんな処罰でも受ける所存です。――御供させてください」

「な」

「貴方一人に名誉の死を独占されて黙ってられるほど、俺らは人間できてないんでね」

そう言ってへらりと笑うのは、最近仲間入りを果たしたばかりの、最年少の一人だ。その隣、気難しい性格の狼竜を操る知略派の一人が、冷静な顔で言葉をつなぐ。

「天空要塞史上最強と謳われる第三飛甲師団(グラド)に属しておきながら、指揮官ほっぽっておめおめと生き残りたいと思うほど、兵士捨ててもいませんよ」

「無論、貴方ほどの強さはありませんが――俺たちも、それくらいのプライドだけはあるんです」

最後にそうしめくくってギンレークに微笑むのは、副指揮官を務める有能な男。

「…………死ぬぞ」

ゆっくりと呟くギンレークに、ええ、とうなずいた青年が青い髪を掻き上げる。

「その覚悟は、ここに配備されたときからできています」

口を閉じて押し黙るギンレークのすぐ横で、

「……よし、追いついた」

小さくそうつぶやいた少女が、竜の背からぴょんと飛び降りる。

「お、おい?!」

あわてて地上を覗き込むギンレークの心配をよそに。

その姿は、魔獣が転倒した衝撃でもうもうと立ち込めている白煙に隠れすぐに見えなくなり――代わりのように、ゆっくりと近づいてくる、ほっそりとした人影が見えた。

「さぁて、本領発揮といこうか」

そう言ったのは――白いゆったりとした衣服に身を包んだ女性――見覚えのある、賢者。本来の肉体に戻った賢者の、露出の多い宝満な胸元で、飾り紐(ラリエット)の先から垂れ下がる白金のタッセルが上品に揺れた。

作業BGM:BUMP OF CHICKEN

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