幕間
『ねぇ、ナルス様。次の街では手紙を受け取れるかしら』
『王宮からの連絡が来ていると思うので、きっと貴女が楽しみにしている方からの便りも届いていると思いますよ』
やった! と飛び跳ねて喜ぶフィリアに、ナルスは穏やかに注意した。
『街に入ったらお淑やかにしなければなりませんよ。
元気な貴女は魅力的ですが、民衆が望む聖女は賢い大人の女性ですから』
『わかってます。ナルス様はちょっと過保護ね。でも安心するわ。これからも、私を導いて下さい』
フィリアは無邪気にナルスに笑いかけた。
「あのお堅い聖女様にも、可愛い頃があったのね」
「あの頃の聖女はとても可愛らしい女性でした。勿論、今もですがね」
聖女と勇者の修羅場を見物した後、エリスとナルスの二人は落ち着いて話が出来る部屋に移動してお茶を飲んでいた。
なんとなくそのまま帰る気にはなれなかったのだ。
だが、この二人に共通な話題がある訳がなく、自然と会話は勇者と聖女の事に移っていった。
「初めて会った頃のグレンは、すごく生意気だったわ。
聖女様の事ばかり話してた。
でも考えなしで、すごく情けないの。
戦ってる時や、作戦を立てる時なんかはすごくカッコ良いのにね。
貴族と聞いていたけど、普通の男の子だったわ。
勝つ事しか考えていなくて、こんな事で大丈夫かと思っていたら」
「なにかあったんですか」
ナルスの相槌に、エリスの顔は暗くなった。
「死にかけたの。作戦を逆手に取られてね。
それからは、ひどく臆病になった。本当は魔王退治なんてやめてしまいたかったんじゃないかしら。
でも、しばらく落ち込んだ後、彼は旅を続けた。
どうしても、魔王を倒したい理由があったみたい。
夜、震えて眠れない事も多かったから、手を握ってあげたら、ちゃんと眠るようになったわ」
手を、ね。
と意味ありげに微笑する、中性的な魅力を備えた美しい男を前に、エリスは顔を顰めた。
「笑わないでよ。嫌な男ね。
仕方ないでしょう。彼にはどうしても折れて貰う訳にはいかなかったんだから。
五王国軍事同盟の騎士たちも防衛戦を維持して健闘していたけれど、押し返す余力はなかった。
魔王を倒さなければ、戦いは終わらなかった。
私は、そう思っています」
そう告げた時のエリスは、普段の砕けた馴染みやすい女性ではなく、凛とした横顔を見せていた。
「でも、彼を戦いに追い込んだ責任は感じているわ。
私の国に来れば、一生守ってあげられるのに。
彼は、聖女様が好きなのよね。
馬鹿みたい。そんなに魅力的な子かしら」
だがすぐに普段の彼女に戻る。まるでこの場で王女としての顔を見せた事を恥ずかしがっているようだ。
彼女の複雑な葛藤は無視して、ナルスは優雅にお茶を飲んだ。
「私たちにとっては宝物ですよ。貴女達にとっての勇者のように、ね。
彼女は、絶望的な状況の中で大陸を救ってくれました」
この男には珍しく、いつもの飄々とした態度の端から真摯な顔を見せ、しみじみと語った。
しかしすぐにその真摯さは影を潜める。
「辛い思いをしたのだから、幸せになって欲しいと思いますが、どの道、この先彼らに平穏な人生はあり得ない。
ですが神殿に来れば、聖女として誰からも敬われ尊重される人生を捧げる事が出来るでしょう。
強情な彼女が折れてくれる事を、祈っています」
「神様に?」
皮肉を込めてエリスが言うと、ナルスは敬虔な様子で手を祈りの形に組んで見せた。
「そんな不遜な事はいたしません。神に祈るのは彼らの幸せですよ」
そのわざとらしい態度に、エリスは心底呆れてみせた。
「嫌な男。
貴方みたいな男に見込まれて、聖女様も可哀相ね」
エリスの嫌味に応える様子はなく、ナルスはお茶を楽しんでいた。
ほんとうに嫌な男だ。
同じ穴の狢ではあるが、聖女がこの男に捕まる事がないように、エリスは祈ってやる事にした。