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「グレン、探したわ。こんなところでどうしたの?」
いつもの場所にグレンが居ないので、方々を探し回ってやっと見つけたエリスが声をかけた時、グレンは少し離れたところにあるテラスをじっと見つめていた。
声をかけても返事がないので、彼の見ているテラスを覗くと、若い男女が笑いあっていた。
恋人同士なのだろうか。親しげな様子が見てとれる。
彼らのなにが気になるのか不思議に思ったが、良く見ると若い男女の片割れは、グレンの婚約者だった。
「聖女様と、あの服は神官様かしら。仲がいいのね。恋人同士みたい」
恋人同士、は言いすぎだろう。
二人は確かに楽しそうに談笑していたが、離れて座っているし侍女も同席している。
だがグレンも同じように思っていたのか、動揺したように肩が揺れた。
「邪魔しちゃ悪いわ。行きましょう」
グレンが婚約者を想っていることをエリス達は知っていたが、再会してから上手くいっていないらしい事にも気づいていた。
エリスは彼らからグレンを遠ざけるために腕を引いたが、二人を見つめたままグレンは動かなかった。
グレンがフィリアと旅の仲間が一緒にいるところを見るのは、帰国してからは初めてだった。
勇者に選ばれる前はグレンも旅の仲間の一人だったので、彼らとの面識はある。
当時、大陸を震撼させていた災厄である瘴気を、唯一浄化できる可能性を持つ人物として、フィリアにつけられた旅の仲間は実力者揃いだった。
この国の王子、賢者、騎士、そしてフィリアの運命を変えた北の神殿の神官ナルス。
特にナルスに対しては、グレンには含むところが多々あった。
『時間は有限ではありません。魔王を倒さなければ瘴気は溢れ続け、浄化を続ける聖女は力尽きて命を落とすでしょう』
二年前、勇者に選ばれはしたものの、フィリアと離れて魔王討伐に行くことを迷っていたグレンに、ナルスはそう囁いた。
『そんな馬鹿な』
『さきほど神託が下りました。魔王を討伐すれば、瘴気は封じられると』
『聖女が、瘴気を浄化するんじゃないのか!?』
『聖女に浄化された土地は、しばらくは瘴気に冒されることはありません。ですが溢れ出し、大陸中に広がった瘴気を、瘴気に冒された土地を全て浄化するころには、再びかつて浄化した土地が瘴気に冒されていてもおかしくはありません。魔王を倒さない限り、瘴気は溢れ続けるのですから。大陸のどこからでも』
『そのこと、フィリアには』
『まだお教えしておりません。浄化の旅は果てがないのだと知れば、彼女の決意が鈍るかもしれませんから。旅に出て、聖女としての自覚が出来た頃にお教えする予定でした。ですから、貴方の存在は聖女にとっても希望の光です。彼女もその事を知れば喜ぶでしょう』
そんな事、こいつから言われたら、フィリアが傷つく。
『俺が言う』
『魔王を倒せると思っているのですか』
『倒す! どんな手段を使っても、必ず倒す!! フィリアは、俺が守るっ』
その時から、いや、それ以前からもグレンはフィリアを守って来た。
フィリアは賢そうな見た目に反して、どじでおっちょこちょいで怪我の絶えないお転婆な女の子だった。
グレンはいつもハラハラしながらフィリアを見ていたが、彼女がいつでもグレンを信頼してくれていたから、彼女のお転婆を止めるのではなく彼女を絶対に守ろうと思っていた。
二年前、聖女に選ばれたフィリアは大きな使命を前に不安がっていた。
乙女の夢を詰め込んだような素敵な(と王宮で噂されていた)ナルスに対しても頑なだったし、他の旅の仲間達がどれほどフィリアに心を砕いても、フィリアが頼るのはグレンだけだった。
旅の中でフィリアに何があったのか、グレンは知らない。時々届く便りには明るい事しか書いていなかったし、いつもグレンの身を案じていた。
噂に聞く浄化の旅は、生易しいものではなかったろうに。
噂を聞くたび、フィリアの元に飛んでいきたいと思っていたグレンは、魔王を倒すことがフィリアを守ることに繋がると信じて、この二年戦ってきた。
それはフィリアも同じだと思っていた。
二年という月日がフィリアを変えた。
それはグレンにとって、許しがたい事だった。
「久しぶりだな。ナルス殿」
「これはグレン殿。ご活躍は聞き及んでおります。勇者としてのお努め、ご苦労様でした」
曲が途切れたところを見計らって声をかけると、すでに気づいていたのだろう、落ち着いた様子で立ち上がったナルスは、奏でていたリュートを横に置き挨拶を返してきた。
「ありがとう。ナルス殿も長旅ご苦労様。約束どおり聖女を支えてくれて、感謝している」
「それが私の務めですから」
ナルスと型通りの挨拶を行い、グレンはフィリアに向き合った。
「フィリア、話がしたい。ナルス殿。申し訳ないが、席を外してくれないか」
「彼女は?」
ナルスに指摘されて初めてエリスが付いてきていた事に気づいた。
「紹介が遅れてすまない。彼女は旅の仲間のエリス姫だ。エリス、すまないが席を外してくれないか」
挨拶を交わした後、ナルスとエリスは仕方ないという様子で席を外した。
二人がいなくなるのを待って、グレンはフィリアに詰め寄った。
我慢も限界だった。
「フィリア。どうして男と二人きりになったんだ」
「失礼な事をおっしゃらないでください。侍女が控えております」
テラスの隅には目立たないように顔見知りの侍女が控えていた。
グレンをいつも門前払いにしていた美人である。
「二人だけで話がある。下がってくれ」
「護衛もおりますけど」
呆れた様子でテラスの周囲にいる護衛の存在を匂わせる。
聖女になってから、誼を結びたいと、約束なしで押しかけてくる暴漢が増えたので、フィリアの側には常に数人の護衛がつけられていた。
彼らも下がらせようとしたグレンを、フィリアが止めた。
それがグレンの心の堰を切った。
「君の事は俺が守る。護衛も、旅の仲間も、もういらないだろう」
「貴方がそれをおっしゃいますの?」
女関係を清算しろと再三言っているのに聞こうとしないグレンに、旅の仲間のことを言われたくはない。
なによりフィリアは、婚約者の事を慮って、国王への報告をもって旅の仲間を解散させていた。
旅の仲間とはいっても、婚約者が異性と親しくしていれば、グレンが気にするだろうから、と。
もちろん、彼らは多忙なのでそんな事がなくても帰国と共に解散したのだが。
やるべきことをやっていないグレンの言葉は上滑って聞こえる。
「君をずっと守ってきた。一生、守りたいと思っている」
「彼女達と一緒にですか?」
「彼女達は関係ないだろう。俺とフィリアの事だ。
確かに旅の仲間は大切だ。君が別れを言い出しにくい気持ちも分かる。俺から彼らに言い含めてもいい」
「なにを、ですか」
「君との別れを。フィリアは俺が守るから、彼らはもう必要ない。そうだろう」
余計なお世話としか思えない事を、グレンは大真面目に言った。
あまりの暴言に、控えていた侍女や護衛たちは、一瞬、職務を忘れてグレンをマジマジと見てしまった。