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帰国したフィリアは多忙を極めていた。
大陸を震撼させた未曾有の災厄である瘴気を浄化した聖女は、いま大陸で最も有名な女性だった。
聖女になる前は無名の人だったので、会いたいという申し出は枚挙にいとまがなかったし、茶会や夜会への招待状も山のように届いていた。
その殆どは、応える必要のないものだったが、どうしても無視できない招待というものもある。
フィリアが伯爵令嬢である以上、上位貴族からの茶会の招待も断れないものの一つだった。
モンタナ侯爵夫人の茶会に出席すると、庭園にある見事な花園に案内された。
社交好きな夫人の本日の趣向は、季節の花々を愛でながら若い花達を楽しむ、というものらしく、出席者には夫人の派閥の貴婦人のほか、係累と思われる若い令嬢たちの姿も多かった。
とくに今は、聖女の帰還を待って祝祭が行われる予定なので、話題の聖女と勇者を一目見ようと、王都に人が詰め掛けている。
普段は領地に引っ込んでいる若いご令嬢方も王都に来ているので、普段より若い人の姿が多いのだろう。
華やかに笑いさざめく人々を見て、フィリアは心が沈んでいくのを感じた。
社交の場でそんな内心を気取られるわけにはいかず、なんとか心を奮い立たせる。
フィリアが最後の客だったらしく、夫人の派閥の貴婦人達は、話題の聖女を待ち構えていた。
彼女達が織り成す独特の圧力に負けないよう、フィリアは笑顔で武装した。
挨拶をかわし花を愛で、聖女の功績を称えたあと、そういえば、と彼女達は意味ありげに話題を逸らしていく。
旅の話を聞かせて欲しいと言われて来たのだが、フィリアの旅はそう面白いものではない。
旅の仲間達の話を一通り終えると、彼女達の話題は王宮での噂話に移っていった。
勇者様は、女性にお優しいのね。
勇者様のお仲間は、美しい女性が多いのね。
隣国の姫様と勇者様が仲睦まじくしておられるのをお見かけしたわ。
お仲間の方々と代わる代わる抱き合っておられるのをお見かけしたわ。
勇者様がお仲間の方々と………。
彼女たちが興じる噂話から耳を塞ぎたかった。
およそそれらが真実を含んだものであると、ここ数日を王宮で過ごしたフィリアにも分かっているから尚更。
「ねぇ、フィリア様。勇者様はどなたを選ばれるのかしら」
出席者の中でも一際幼い少女が、無邪気に聞いてきた。
少女にとっては、噂の英雄達が織り成す恋愛譚に興じる気分なのだろう。
彼女のように出席者の中にはフィリアとグレンの婚約を知らない者も多いので、フィリアとしては曖昧にやり過ごすしかない。
フィリア達の婚約を知っているはずの主催者の侯爵夫人やその取り巻きたちは、目を輝かせてそのやり取りを眺めていた。
フィリアには、彼女達がフィリアの失態を待っているように思えた。
そんな心削られるような日々の中、つかの間の休息を得て、フィリアはため息をついた。
瘴気と魔族の侵攻というストレスから解放されて、人々が浮かれているのはわかる。
勇者や聖女という有名人の話をしたくてたまらないという気持ちも分かるが、茶会に行く度に婚約者の女遊びの噂を聞かされるのは、とても堪える事だった。
「フィリア。愛しい聖女様。浮かない顔をしてどうしたんですか」
フィリアが人のあまりこないテラスで休憩をしていると、旅の仲間がやってきた。
「ナルス様」
ナルスは北の神殿の神官で、聖女としてのフィリアの保護者でもある。
男にしておくのが惜しい程の美形で、細身の長身と長い銀髪が特徴的な人だ。
老若男女を問わず優しく、穏やかに見えるため、人当たりが良く、旅の間は彼の交渉術にずいぶん助けられた。
フィリアにとっては頼りになる歳上の男性であるが、帰国してすぐに旅の仲間は解散したので、こうして会うのは久しぶりの事だった。
「私、浮かない顔をしていました?」
「いつも通りの美しいお顔です。けれど、旅の仲間の私達には貴女の憂いが見える。王宮に戻ってからですね」
そうなのだろうか。
いつも毅然として隙のないように振舞っていたつもりだったのけれど。
少し、疲れているのだろうか。
「大した事ではありませんわ」
強がるフィリアを追求することはせず、ナルスはテラスに座ってリュートを取り出した。
「そう。では少しでも心穏やかになるように、一曲奏でましょう」
吟遊詩人もかくやという腕前のナルスがリュートを奏でると、人通りのない寂しいはずのテラスが、暖かいサロンのように思えた。
長く苦しい旅の間に何度も聞いた、懐かしい音が響いていく。
帰国してからずっと張り詰めていたフィリアの心がゆっくりと解けていった。
「ありがとう」
疲れた心が慰められるようで、フィリアは感謝をこめてナルスに笑いかけた。
こういう気の利いた男なのだ。彼は。
旅の間も、弱音を吐きそうになるフィリアを、影からそっと支えてくれていた。
それは他の旅の仲間たちも同じだが、帰国しそれぞれの立場に戻った彼らも忙しく、会う機会は中々ない。
不意に寂しいと感じるフィリアだったが、その気持ちを打ち消した。
頼りになる仲間達に、いつまでも甘えていてはいけないのだ。
その後もナルスは何曲かリュートをかき鳴らし、フィリアの心を慰めてくれた。
そんな二人の様子を、フィリアを探しにきたグレンが見ていた。
ブックマーク、評価、感想ありがとうございます。
感想では鋭くも楽しいご意見が多く、ネタバレ的な返信をしそうになりながら、にまにましながら読ませていただいています。
地味な話なので投稿するか迷ったのですが、楽しんでいただけているみたいで、ほっとしました。
だいたい11回ぐらいで終わる予定の話です。
よろしければ最後までお付き合いいただけると嬉しいです。