12 南の港
ここから、おまけです。
勇者と聖女が帰還し、祝賀パレードや祝賀パーティを控えて王都が活気付いていた同じ頃。
大陸南端、南の港では、容易ならざる事態が起きていた。
「変わりねぇか」
「ええ。いまのところ。連中、何を考えているんでしょう」
南の港は、魔王を倒した勇者によって解放されていた。
魔族の侵攻を恐れて人々が逃げ出した街にはいま、五王国同盟軍が陣取っていた。
そして沖合いには、見渡す限りの船影。
南の港の沖合いにずらりと並ぶ船を眺めながら見張り台に立っていた兵士は、振り向いたそこに立っていた人物に驚き、手にした双眼鏡を落としそうになった。
見張り台の狭い階段を上って現れたのは、着任したばかりの騎士団長と、兵士の国の王子だった。
吟遊詩人は謳う。
この大陸は、呪われた。
いつの頃からか瘴気というものが湧き出し、生き物を化け物に変えていった。
土地が腐り、生き物が死に絶え、荒涼とした大地がただ広がっている。
そこに転がる死体は、どれもこれも奇形としか言いようが無いほどに変わり果て、とても真っ当な人の死に様とは思えないものだった。
瘴気がどこから湧き出したのかはわからない。
瘴気は大陸のあちこちから湧き出し、身分も老若男女も問わず、等しく人に惨たらしい死を齎していった。
大陸のどこにも、安全な場所は無い。
故郷を捨てて逃げる場所も無い。
次は自分達の番ではないかと、人々は眠れぬ夜を過ごしていた。
だが眠れぬ夜は終った。
浄化の奇跡を持つ聖女と、彼女を守る英雄達の手によって。
大陸は、人々は救われた。
いま、兵士の前にいるのは、吟遊詩人にそう謳われていた二人の英雄だった。
兵士の身体ががくがくと揺れる。
あまりの大物を前にして緊張に震える兵士を下がらせ、二人は沖合いにずらりと並ぶ船を眺めた。
大陸の南の玄関口である南の港の沖合いには、いま二十隻を越える大型船団が停泊し、大陸を威嚇していた。
「どう思う」
沖合いに並ぶ船を眺めながら、見張り台の縁に肘をかけ、砕けた様子の王子が、その隣で仁王立ちのような格好で腕を組んでいる騎士に尋ねた。
「静か過ぎるな。不気味な感じだ」
数の力が威嚇となっているが、彼らからは攻撃の意志も、また和睦の意志も見られなかった。
「交渉は進んでいるのか」
「魔族の穏健派相手に交渉を持ちかけてはいるが、どうかな」
「まぁ、敵さんも負ける戦は起こさないだろ。勇者の恐ろしさは身に沁みて味わっただろうしな」
王子がちらりと背後を見た。見張り台の背後には、南の港の街が広がっている。
「話に聞くと、どうも徹底的にやったらしいからな」
それに気づいた騎士も、背後の街をちらりと見た。
「まぁ、あっちの大陸で暴れる分にはいいさ」
「あっちなら、な」
街の一部がごっそりと消えている港町を見て、騎士は苦笑した。
二人は直前まで浄化の旅に同行していたので、前線の戦いには加わらなかったが、こちらに来てまだわずかだというのに、魔族との激戦の様子や勇者の圧倒的な力については、耳にタコが出来るほど聞かされていた。
噂話だけではない。
いま街には同盟軍だけでなく、商人や吟遊詩人が集まって来ていた。
酒場ごとにいるのではないかと思えるほど多くの吟遊詩人達が、謳うのだ。
いかに勇者が強く、いかに同盟軍が勇猛果敢に戦ったか。
怖ろしい魔族を、いかにして大陸から追い払ったのかを。
彼らによると、魔王を倒しこちらの大陸に戻って来た勇者一行は、同盟軍と対峙を続けていた魔族の背後から現れ、魔族に一撃を加えると、同盟軍とともに魔族を挟み撃ちにし、あっというまに南の港までを取り戻したらしい。
魔族の侵攻以来、大きく削られた人類の領土は、ほんの数日で人の手に戻ることになった。
もちろんそれには、魔族側の理由もある。
魔王を倒されたと知らせが入った魔族軍が動揺し、魔王を倒した勇者の力を見てその大半が撤退したのだ。
彼らの方にも混乱があったのだろう。
大半の軍が撤退し、船で沖合いに逃げていった。
撤退をよしとせず、なおも交戦を続けた攻撃的な勢力は、あっさりと勇者達の餌食となった。
だが、それでおしまいとはならなかった。
撤退した魔族の半数が、いまだ沖合いに船を構えている。
攻撃の様子もみせず、ただ停泊しているだけのようにも見えるが、なんとも不気味な話だった。
勇者と入れ替わるように前線にやってきた騎士団長は、疲弊した同盟軍の兵士を入替え、同盟軍の上層部と連携して、沖合いに佇む魔族と交渉の糸口を掴もうとしているところなのだが、なかなか進展はなく、現在前線は膠着状態に陥っていた。
「祝賀パーティには出なくていいのか」
魔族の船から目を離し、騎士が王子に問いかけた。
まだ魔族が完全に撤退した訳ではないとはいえ、勝敗は付いた。
二年の長きに渡って続いた災厄に疲弊した民達をねぎらう為、王は英雄の帰還を大々的に宣伝し、王都では祝賀パレードや祝賀パーティを含む大きな祝祭が企画されている。
それにつられるように大陸中が活気を取り戻そうとしていた。
当然のことながら国の威信をかけた祝祭には、王子の役割もあるはずだったが、彼は涼しい顔をして前線に来ていた。
「茶番は親父に任せとけばいいんだよ」
「おいおい。少しは王子としての自覚をもったらどうだ」
「自覚はある。だからここに来てんだ。奴らが和睦に応じた時、交渉のテーブルに着くなら下っ端よりトップの方が話が早いだろ。
王族なんて、責任を取るのが仕事なんだ。役割分担だよ」
「交渉役なら、同盟の代表に任せてもいいだろ」
「うるせーな。あいつらに任せたら、つまんねー事になりかねねぇだろ」
現在前線には各国代表からなる同盟軍の取り纏めを行う者たちも来ている。
だが実利を重んじすぎるきらいのある彼らが、王子はどうも気に食わなかった。
王子の勝手な所感だが、和睦を結ぶために勇者や聖女の身柄を犠牲にするぐらいは、平気でやりそうな奴らだった。
素直じゃないなぁ、と騎士は生温く笑った。
「グレンとフィリアを護りたいなら、そう素直に言えばいいのに」
王子が嫌そうな顔をする。
幼馴染でもあり、浄化の旅の間は王子の護衛を勤めていた騎士と、王子の間は相当に気安い。
やんちゃな弟を見守る兄のような騎士の態度にはもう慣れたものだったが、慣れたからといって気にしない訳ではない。
ちっ、と舌打ちし、大船団から目を離した王子の耳に、鳥のはばたきが聞こえた。
「おい、あれ」
「フィリップの鳥だな。向こうでなにかあったのか」
大空から舞い降りて来たのは、賢者フィリップが使役している大鷹だった。
離れたところへも手紙を届けてくれるので、旅の間も大変重宝した可愛い鷹なのだが。
このタイミングで来るとは、いささか不吉な予感がする。
二人の目の前、見張り台の縁に舞い降りた鷹は、嘴を大きく開けた。
手紙ではなく、主の声を届けるらしい。
これも珍しい事だ。危急の事態でも起こったのだろうか。
『フィリアとグレンが大喧嘩してる。
このままじゃ、フィリアが男になるかも』
「はぁ!?」
あまりの事態に王子が素っ頓狂な声を上げた。
「おい、どうなってやがる!!」
慌てて鷹を問い詰めるが、伝言はそれだけだったらしい。元々声の伝言は短いのだ。
だがこれは、あまりに短すぎるだろう。
人間様の狼狽など気にせず、毛づくろいを始めた鷹の首を絞めようとした王子の肩に、騎士が手を乗せて抑えた。
「やめとけ。戻ったほうが早い」
「あの状況で戻れるか!」
鷹を問い詰めてもどうしようもないことは王子も分かっていたのか、あっさりと首をしめようとした腕を引っ込め、沖合いの大船団を勢い良く指差した。
「幸い、こっちは膠着状態だ。状況が変わったら戻ればいいだろ」
「ったく。しょうがねぇな」
王子はがしがしと、獅子の鬣のように見事なざんばら髪を掻き毟った。
「トト!」
階段の脇に座り二人を待っていた、パナ族の小さな少年が無言で王子の下へやってくる。
「帰るぞ。飛べるか?」
こくりと無言で頷く少年の頭を「いい子だ」と乱暴に撫で、彼らは転移魔法で王宮に帰還した。




