4.心構え
校長室の内装は達也のいた日本の学校の校長室とさほど変わらない、イメージ通りの校長室だった。校長は客人用の向かい合わせになったソファーに腰掛け、達也が反対側のソファーに座る。丁寧に校長自ら茶と菓子を用意してくれた。
達也がこの部屋に入るのは二度目だった。そして校長室というのはいつ入っても緊張するものである。
「校長、お話というのは……」
緊張を切り裂いて話を切り出したのは達也だった。
そのまんま熊の校長と見つめあっていると今にも襲われそうで落ち着かないのである。
「君は戦うことができるか」
「えっ?」
「君は『ここ』とは別の世界から来たと言うが、戦いというものを経験したことがないように見える。どうかね?」
「ない――――です。それ、今日生徒からも言われたんですが僕は戦いとは無縁の所で生きてきました。だから戦いって言われてもいまいちピンと来なくて……」
「ふむ。どうやら君のいた世界は平和たったようだね。それはとても良いことだ。だけど残念なことにこの世界では各地で領土争いが、戦争が起こっている。山に囲まれているとはいえ、この国も例外ではない」
達也は『戦争』という言葉を聞いてもテレビで見た戦争映画程度の想像しかできなかった。
だが校長の言葉は深く重く、この世界の常識を達也へと教えようとしていた。
「我が国の農耕地、技術、道具、人。これらは他国から見ればとても価値のあるものなんだ。だから我々は度々攻撃を仕掛けてくる周辺国から身を守るために戦ってきた。話は変わるが――――」
「――――農業が生まれたから戦争が起こるようになったという説もある。農業をしていく以上自分の領土を守る力は持っておかなければならない」
農業が生まれたから戦争が始まったという説は達也も聞いたことがあった。
達也のいた世界では約一万年前に稲作が生まれ、人は国を作り、国は大きな川の付近で発展を重ねてきた。黄河流域、ナイル川流域、チグリス・ユーフラテス川流域、インダス川流域など四大文明といわれているのもそれぞれ大きな川の付近で発展した文明である。
戦争が起きる理由はその年の不作による食料不足、上流と下流の集落での水利権の問題など、危険で不安定な狩猟とは違い安全かつ安定した農業主体となってしまった集落では稲作無しでは生きられなくなった。
安定した食料の生産は人口増加に繋がり、その安定が失われたとき、人は戦争という道を選しかなくなってしまう。
「皮肉なんだよ。今のところ最も安定している食料生産手段である農業が争いを生む理由のひとつなんてね」
「僕はどうしたらいいんですか?」
「君を戦力にとは考えていないよ。相手は戦闘の技術、経験を積んだ人間たちだ。だからもしもの時はいつものように農場を頼むよ。私たちも戦争が起こらないよう努めるが、起こりうる世界だということだけは知っておいてほしい」
話が終わり、達也は校長室を後にした。
薄暗い寮までの帰り道、達也は深いため息をついた。
一日に二人からこんな話を聞かされれば嫌でも頭の中は戦争のことで頭が一杯になってしまう。もしかするともうすぐ起きるんじゃないか、だから伝えたんじゃないだろうかなど色々なことも考えてしまっている。
「重いなぁ」
もしもの時は農場を頼むと言われたものの、天道の口ぶりだと生徒たちは戦いに参加するのだ。そうすれば誰かが死んでしまうかもしれない。
「あいつらを助けられるか……」
方法を考えてもなにも思い浮かばない。
それもそうだ。達也は戦争を全く知らない。戦うというのはゲーム、あるいは映画、テレビ、本、達也が知るのはフィクションの中のことなのだから。
「センパイ、悩んでますねぇ」
「この声は佐藤か?」
魔力が流れている電信柱の上に人影が見えた。
犬が『おすわり』をしているような姿勢をしているその人影は達也の元へぴょんと軽く降りてきた。
「ぴんぽん! 狐の佐藤です!」
輝くような金色の髪をなびかせて佐藤は腰に手を当て達也の前に立ちふさがった。
牛部門の女子である化け猫の天道の狐の佐藤は、化け猫や狐と自己紹介されても疑ってしまうくらい人間と変わらない見た目をしている。それが何故かはわからないが、明らかに人間ではない他の生徒に比べると達也も少しだけ気が抜けてしまう。
「もう暗いから家に帰れよ。明日も学校なんだからさ」
「悩んでいるセンパイを放ってはおけません! 佐藤はそういう狐です!」
見事な胸をこれでもかと張る佐藤。
さすがに狐に興奮する達也ではなかったが、佐藤も化け猫の天道も人間ならスカウトされてもおかしくないくらいの美人である。
「ねぇ、私、きれい!?」
「そんな元気よく言われても怖くねーな。ただ暗がりでそんな口裂け女みたいなこと言うんじゃない」
牛部門の生徒には達也の世界の化け物の話を多少しているので佐藤も妖怪について少しは知っている。
「天道も私も人間に『化け』てるんだけどセンパイから見て美人?」
「うん。否定しない」
「やったね! それはさておき、今日の天道の話で悩んでるんでしょ?」
「そう――――かな」
校長の話のせいでもあるのだが。
「やっぱりねー。天道はセンパイのことを考えて言ったんだろうけどあの言い方じゃ心配させると思ってさ」
「天道から聞いたのか?」
「うん。『センパイに嫌われたくないから話してくる!』って走っていったのはいいんだけど後から話を聞いたら、ね」
「そうか。まぁ俺が悩んでるのは戦争とかお前らが戦うのが意外だとかじゃなくて、戦争が起きれば絶対死人が出るってこと。それでお前らを含めこの学校の生徒が死んでしまわないかってことなんだよ」
「あー、そっちね。でもそこは心配しなくていいよ。この学校内では私たち死なないから」
「うん?」
「この国には精霊がいてね。この学校にも一人いるんだよ。だからこの学校の中では私たちは怪我をして戦えなくはなっても死にはしないんだ。精霊の加護ってやつだね」
「人間側にはいないのか?」
「人間は文明の発展と共に信じるのをやめちゃったからね。信じられなくなった精霊は力を無くしてしまうんだよ。人間たちに奇跡は起こらなくなったんだ」
死なない。
ゲームならチートと呼ばれてもおかしくないほどの加護だがどうやら最強というわけではないらしい。
戦闘不能にはなるみたいだし、この国の者を守っている訳ではなく、この国を守っているのだからこの地を奪われてしまえば加護を受けられなくなるということだ。
険しい山々に囲まれた天然の要塞国、地の利と精霊の加護という圧倒的な武器を持っているからこそ農耕国として今まで生き残ってこられたのだろう。
「ふあぁ。眠いや。そろそろ帰るね。お休みセンパイ!」
「おう、天道もお前もありがとな」
「お礼なんていらないよー、じゃね!」
月に向かって跳ねる兎のように狐の佐藤は闇の中へと姿を消した。
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