2.いつもの
「さ、糞出しやるぞー。スクレイパー二つと角スコ二つ、一輪車五つ持ってきてくれ」
農業に休みがない、というのは本当であって嘘でもある。
餌やりは毎日朝と夕、子牛は昼にも哺乳をしなければならず、飼育頭数にもよるがそれほど手間はかからない。せいぜい二時間くらいである。
そして牛を始め、動物を飼うにあたって糞出しという作業は必ずついて回る。生き物は食事をすれば排泄もする。だからそれの処理もしなければならない。牛舎が一日程度で満杯になることはないのだが、毎日した『方が』いい。
方がいいというのは、毎日しなくても深刻な問題はないというだけのことで、しなければ休むこともできるのだが、飼育頭数が増えるのに比例して糞出しは大変になってくる。衛生状態が悪くなるともちろん牛に良くない。
糞出しとはいわゆる掃除なのだが、牛の排泄物の量は人と比べ物にならず、特に乳牛は乳生産も行うためよく食べ、よく出す。その排泄量は一頭あたり糞で一日およそ四十五キロ、尿でおよそ十五キロにもなる。
この農場で飼われている牛の数は授業用として飼われているため乳牛六頭、肉牛四頭と少ない。利益を求めるのならこの数では到底無理である。
話を戻して十頭程度なら一日くらいやらなくても問題はない作業でもあるが、ここで勉強しているの生徒たちは将来実家や他のところで農業に携わることを目標としている。
それなら毎日やるということを癖付けておいたほうがいいと達也は考えていた。
達也自身この世界にやってきて指導する立場になってなぜ毎日糞出しをやらなければいけないのかがわかった。
普通の牧場では数十、数百もの牛を家族、又はヘルパー含めて十数人で管理していて、一人あたりのやるべきことも多い。
「下級生は一輪車で堆肥舎に糞を運んで上級生は一輪車に糞を乗せるんだ。いいな?」
「「 はい! 」」
「センパイ、ボクなら一人で出来ますよ!」
八坂が元気よく手を挙げた。
手が自在に伸びる八坂なら一人で二人分の動きはできる。
「だめだ。これはみんなでやる。みんながやってこそ意味がある」
「なんでですか? 他のところに人を割くことができると思うんですが」
「みんなが糞出しを経験できなくなるだろ? 一度お前がそれをやればみんながお前に頼る。今糞出しをやらせてる目的は毎日糞出しをさせて習慣付けるところにあるんだ」
「そうですか……」
「じゃあ見てろよ」
達也は練習した物体操作の魔法を使うため、集中に入った。
見えない長い手をイメージして道具に伸ばす。
すると、ふわりと角スコとスクレイパーが浮き上がり、器用に二ヶ所で糞を集めて一輪車に乗せていった。
達也はここ数日の空き時間を使って魔法の練習をした結果、四本の手をイメージできるようになって、四つのことを同時にできるようになった。
そのあとは全速力でマラソンをしたような疲労に襲われるのだが、生徒の前では強がって見せる。
「すごい……! センパイこんな魔法使えたんですね!」
「普段は使わないけどな。確かにこれなら俺一人で糞出しできてみんなに別の作業をさせられる。時間の短縮にはなるだろう。だけどこれは授業だ。面倒なことをみんなでやってやり方、要領を掴んでもらいたい」
「なるほど、わかりました!」
「能力を使って効率よくやるのは卒業して仕事を始めてからにしとけ」
「はい!」
こうして達也の指示の通り上級生である八坂と斎藤、佐藤と天道が一輪車に糞を乗せ、当番で交代しながら各部門を回る下級生たちがせっせと糞を運んだ。
下級生だけで糞出しをさせれば一時間以上かかるが、上級生だけでやらせると三十分程度で終わる。それが経験の差というやつで、上級生は雑談をしながらでも一時間かからない。
今回かかった時間はその中間といったところだった。
「センパイ! 堆肥舎が一杯で入りきりませんでした!」
「そうか。俺が片付けておくからお前たちは上級生と一緒に道具を洗っててくれ」
「「はーい」」
達也は鍵を取って竜舎へ向かい、一番扉の重い南京錠のようなものを開ける。
この世界ではまるで機械の代わりのようにファンタジー世界のものが組み込まれている。本来なら重機で片付ける作業を代わりにドラゴンで行う。
ドラゴンの背中に様々な道具をつけて農機具の代わりとして使ったり、この場合ではドラゴンの首から大きな『く』の字に加工した鉄の塊を下げてそれをドラゴンが両手で押すのである。
恐るべきは鉄の塊を軽々と持ち上げてしまうドラゴンの腕力だ。これが世界のどこかで人を襲っているというのは全く想像がつかない。
「よし、行くぞ。クーゴ」
「グルルン!」
達也はクーゴと勝手に名付けた番号『95番』のドラゴンにまたがり、堆肥舎に向かって綱を引く。
クーゴの歩く速度は人の歩く早さとほぼ変わらず乗り心地は馬のそれだ。中々難しく慣れるまでは股擦れや腰痛に悩まされた。
堆肥舎は報告通り受け口からは糞や野菜くずが収まりきらずに溢れていて手前手前に山盛りに置かれている。
クーゴを巧みに操って、達也はその溢れている物をすべて受け口の中へと押し込む。同じ作業を何度も行っているおかげかクーゴもなんとなくやるべきことを覚えてきていて、体躯に比べて小さな手で鉄の塊の角度を調整して綺麗に中へと押し込む。
「よし、大人しくしてるんだぞ」
「グルン!」
達也はクーゴの首から繋がっている綱を鉄棒にくくりつけ、軽く縛って逃げないようにする。
ドラゴンの力なら鉄を折り曲げてでも逃げ出してしまいそうだが、牛の鼻環と同じで引っ張られると苦しくなるよう工夫が施されている。
クーゴから降りた達也は撹拌機のスイッチを入れ、魔法という便利な力で動いている撹拌機が正常に動作しているのか見届けてからその場を離れた。
堆肥舎はその名の通り糞や野菜くずから堆肥を生成する場所であり、時間をかけて撹拌し、ゆっくり発酵させていく。堆肥舎は長方形の建物で、奥にいくに連れ発行が進み、反対側の出口から完成した堆肥が出てくる。それを生徒たちは重さを量りながら袋詰めし、文化祭などで比較的安く販売するのだ。
「ありがとな、クーゴ」
達也は竜舎にクーゴを帰し、道具を洗い終わっているはずの生徒たちの待つ牛舎へと帰る。
「センパイ、今日はこれで終わり?」
化け猫の女子、天道が眠たそうに唸る。
作業は早いがなぜ早いかというと休むため、寝るためなのだ。間違ってはいないが誉められることでもない。だから次の指示をしたときの嫌そうな顔は元が良いだけに中々印象に残る。
「そうだな。放課後に当番があるやつは別だが、授業はこれて終わる。お疲れさん」
「「お疲れさまでしたー!」」
終了の挨拶と共に並んでいた生徒たちがバラバラと別れ、更衣室に入っていったり長靴や手を念入りに洗ったりしている。
先程も言ったとおり最も早く飛び出してくるのは天道であり、その後ろを狐の佐藤がふわふわついていく。
何をしているのか男たちは遅く、いつも女子が出ていった十分後くらいに現れて駄弁りながら帰っていく。
あと達也がやるべきことは軽い後片付けと牛舎の点検、見回り、牛の異常の有無の観察、明日の準備だけだ。
こんな感じで達也の一日は終わっていくのだった。