国家の事情
すでに受け入れ準備が整っているカタパルトデッキに着艦すると、すぐに整備班が駆け寄って来た。後の役目は彼らの仕事だ。僕はメイン電源をオフにし、コックピットの扉を開けて下に降りた。
僕が先に着陸し、その後にシーザス隊も帰還してきた。ヘルメットを外し、ふっと重い息を吐きながら、クロイ少尉が降りてくる。被弾したのだろうか。シーザスの左翼の一部が破損していた。
「危なかったなぁ。さすがに手ごわいな、敵アビスは……」
そう言いながら、僕の方に歩み寄ってきた。その顔には笑みが浮かんでいる。
「助かったよ、シーア」
「いえ……少尉、ご無事で何よりです。それから……」
僕は、先ほどの戦闘を思い出した。武器を無くした僕に、新たな武器を与えてくれた少尉。あれがなければ、僕も撃たれていたかもしれない。
「ありがとうございました、ライフル……助かったのは、僕の方です」
そういうと、少尉は「あぁ」という顔をして、笑っていた。
「別に……悪かったな。ビームライフルとかを作る時間がまるでなかったんだよ。あれからすぐに警報が出たからな」
クロイ少尉はアビスを見上げながら話を続けた。
「だから、シーザス用のライフルを急いで改造させ、アビス用に仕立て上げてもらったのさ……ハヤミにね」
「ハヤミ伍長に?」
ここで意外な人物の名前があがった。ハヤミ伍長? 彼は管理兵だったはずだ。兵器開発チームには加わっていなかったはずだが……。
怪訝な顔をしている僕を見て悟ったのか、クロイ少尉は説明を付け加えた。
「お前はまだここに来て日が浅いからな。ハヤミは元々、ゲイルでの兵器開発の第一人者だったんだぞ? 今はその道から遠のいているけどな。至急だったんで、少尉の権限を使って一時的に呼び戻した。事態が事態だっただけに、あいつも承諾してくれたんだ」
「そうだったんですか……でも、なぜ今は管理兵に?」
兵器開発担当と管理兵では、明らかに武器開発の方が収入はいい。もちろん、収入が全てというわけではないけれども、第一人者とまで言われるほどの技術能力があるのならば、適材適所。ハヤミ伍長は兵器開発部門に居続ける方が、ゲイルのためになるのではないのか? 管理ならば、ハヤミさんの穴を埋められるひとが居る。でも、開発部門には居るのだろうか……ハヤミさんの穴を埋める人材は。
「さぁな。それはハヤミに直接聞けよ」
本当に知らないのか。それとも、僕には教えられないのか。僕は去っていく少尉の背中を見つめていた。
すると、少尉と入れ替わるようにして、クロエがシーザスから降りて来た。重々しいヘルメットを外すと、彼女はそれを適当に放り投げた。クリア部分の一部に破損が見られる。クロエもまた、被弾したのかもしれない。それか、ミサイルを避ける際に無茶な走行をして壁にぶつけたのか……とにかく、彼女もまたひとつの戦争をくぐり抜いた生き証人だった。彼女は確かに生きている。
クロエの髪は、汗で濡れていた。早くシャワーを浴びたいだとか言いながら、僕に微笑みかけた。
「ほんと、シーアのおかげで命拾いしたわ。私、死ぬ覚悟をしてたんだけどな」
「クロエ!」
その言葉を聞いて、僕は間髪入れずに彼女の名を叫んだ。
ここは戦艦。戦争の最前線をゆく船だ。いつ何があるか分からない。いつ、命を落とすかも分からない。ここでは、学院生だろうと軍人だろうと関係ない。同じ武器を持ち、同じ戦闘機に乗り、戦場へ飛ぶ。だから、いつだって、誰だってそういう覚悟を心のどこかではしているのかもしれない。だけど、戦う上でそれは必要なことなのかもしれないけど、でも、そんなことを言われると……なんだか、悲しくなったんだ。
「なんて顔してんのよ、シーア」
くすっと笑みを浮かべると、クロエは僕の頭をおもむろに撫でてきた。思いもよらない行動に目を見開くと、彼女はいっそう笑みを浮かべた。
「覚悟はしてたけど……こうしてまたあなたに会えて、生きて帰れて嬉しいわ」
「……クロエ」
彼女は再び微笑んだ。後ろでひとつ結びにしていたゴムを解いて髪を垂らした。肩を越すほどまで伸びた栗色の髪を見ると、クロエが女なのだと再認識してしまう。
「パイロットスーツ、暑いんだよね。開発班に頼んで、もっと通気性をよくしてもらいたいわ」
そう愚痴をこぼしながら、彼女は格納庫の出入り口に向かっていった。おそらくはシャワールームに行くのだろう。本当に、たくましいひとなんだから……と、僕も自然に笑みがこぼれた。激戦の中をくぐってきても、すぐさま日常に切り返せる。生きていることを実感し、堪能することができる。彼女には、そういった強さも備わっていた。
僕は、彼女の背中をまた見ることができて、嬉しいと感じた。医務室で見送った彼女の背中が最後にならなくて、本当によかったと……心から思ったんだ。
帰還したシーザス隊兵たちは、続々と格納庫外へ出て行った。みな、一気に緊張の糸が途切れたかのような顔をしていて、体中が汗で濡れていた。
「シーアくん」
僕もまた、汗に濡れた服を着替えるためにも一度個室に戻ろうとしたのだが、その途中で艦長に呼び止められた。僕は、艦長と目を合わせることができず、俯いたまま静止した。そんな僕に向かって、ゆっくりと着実に足音が近づいてくる。そして、いくらか距離を置いたところで、その足音が止まった。
「あなたには、待機命令が出ていたはずです」
「……はい」
静かではあるが、少なからず怒りがこめられた声だった。威厳のある、低めのトーンで言葉を続ける。
「戦況を見て、あなたが出撃しても無駄だという軍の判断によるものです。今、ゲイル製アビス、アライブを失えば、それはゲイルが撃たれたも同然なのです」
「はい」
頷くことしかできなかった。そのことは、僕にも分かっている。
でも、だからといって……黙って仲間たちをみすみす死なせたくはなかったんだ。力がないのならばまだしも、僕にはアビスという剣があるのだから。守りたいと思ったときに出撃しないで、一体、いつ出撃しろというの?
「もしもあなたが軍人だったならば、今回の軍令無視は大罪です。死罪にもなりかねなかったでしょう。でも、あなたは軍人ではなく、学院生……」
艦長は深くため息を漏らした。それから、不意に表情がやわらいだのを感じた。
「命令無視を評価することはできません。しかし……あなたのおかげで、多くの命が救われました。シーザス隊も、エリアGに生きるものたちも、失わずにすんだわ……これは、評価しないわけにはいきません」
僕はただ黙って、艦長の言葉を聞いていた。僕は、間違ってはいなかった? 敵が落ちていくのを見て覚えたなんとも言いがたいあの寂しい気持ちは、僕の勘違いだった?
僕は、正しかった?
「ありがとう」
ありがとう……その言葉と、敵が沈んでいく光景が交錯して、僕は素直に喜べなかった。
守りたいものと、守るべきもの。
それが、一致しないときには、どうすればいいの?
誰も、この問いかけには答えてはくれない。ただ僕には、アビスが与えられる。他国とやりあうためのギリギリの力が与えられる。それで何を得られるのか、何を失うのか……それは、僕次第なのかもしれない。
「下がりなさい。今のところ、上からのお咎めはないわ。その後の動きが上でも評価されているのでしょう」
艦長は一呼吸置いてから後を続けた。疲れた表情だ。
「このことについては、後ほど上から何かしらの報告があるはずです。それまでは、連日の出動で疲れていることでしょうから、個室でゆっくりと休みなさい。今度こそ、待機です。いいですね?」
「……はい」
重くのしかかる重責を引きずりながら、僕はゆっくりと格納庫を後にした。
カード式で開閉するドアが、各小部屋に設けてある。自分の顔写真と生年月日他、必要事項の書かれたICUチップ搭載カードで開閉出来る。部屋のノブについたカード感知器にそれを通すとピピッと認識音が鳴り、ドアを開が開いた。僕はドアをスライドさせると、カードキーを抜き取り、そのまま自室に戻った。
そしてゆっくりと歩みだし、ベッドの上に座り込んだ。後になって、痛みが襲ってくる。パイロットスーツなしでの出撃。衝撃が与えられるたびに、僕を守るためのシートベルトは僕の身体に厳しく食い鋳込んだ。そのあざが鮮明に残っている。僕は軽く手当てをしようと、救急箱に手を伸ばした……そのときだった。
「シーア・ミツキさんのお部屋は、こちらでよろしかったでしょうか?」
大人しげな少女の声だった。聞きなれない声。学院生だろうか。軍人とは思えない、優しくてあたたかい声だった。
「あ……はい」
僕は立ち上がり、ドアに歩み寄った。
「少しだけ、失礼してもよろしいでしょうか」
特に拒む理由も思い浮かばなかったので、僕は軽い気持ちで彼女を中に入れてあげた。鍵を解除すると、自動でドアがスライドして開かれた。
ドアの向こう側に立っていたのは可憐な少女。青き瞳に色素の薄い、ブラウンの髪。クロエよりも色白で、とても軍人とは思えない少女がそこに居た。
「私は、レンカ・スカーレットと申します」
聞き覚えのない名前だった。学院生に居ただろうか? 彼女のような生徒が。僕は疑問を浮かべながらも彼女の顔をじっと見ていた。視線に気づいた彼女は、優しい笑みで受け答えしてくれた。
「パイロットスーツも着用せずに飛び立ったとお伺いいたしましたので、救急箱をお持ちいたしました」
医療班のものなのだろうか。軍服も着用しておらず、質素なドレスという表現が似合う衣服を身にまとっていた。整った容姿にこのしゃべり方。どこかの令嬢とも伺えた。
「大丈夫ですか?」
「はい」
傷ならたいしたことはない。ただのあざだし……本当は、手当てなんかしなくても、放っておけばそのうち消える程度のものだった。
「……いいえ」
すると彼女は突然否定の声をあげた。彼女は首を横に振り、僕に向かって微笑みかけた。
「お体の方ではありません。心の方です」
その言葉を聞いて、軍とゲイル、そしてナイトとの間に揺れ動く僕の心に目を向けざるをえなくなった。もう、考えないようにしようと仕舞いこみかけていたことが、一気に浮き彫りにされた。動揺を隠せない僕は、返答もできず、ただうろたえた。
大丈夫なのか? 本当に。
それは、僕のほうが聞きたいことだった。
少女、レンカはしばらく黙って僕の顔を見つめていた。その表情はやわらかくて、優しくて。クロエとは違ったあたたかさと力強さを持っていた。彼女も芯の強いひとだということが、目を見れば分かる。まっすぐで陰りのない、まるですべてを見透かしているかのような目だった。
現に彼女は、僕が隠そうとしていた深層心理を掘り起こした。まるでそれを、隠してはいけないと諭すかのように。
「中に入ってもよろしいでしょうか?」
「え、あ、はい……」
呆然と立ち尽くしていた僕は、ドアの敷居を挟んで会話をしていたことに気づいた。微笑みかける少女に「どうぞ」と道を開けると、彼女は「ありがとう」と言い、僕の部屋の中に入ってきた。
「男性の方のお部屋に入るのは初めてです。整然としているものなんですね」
そういいながら、彼女は机に救急箱を置いた。そして、箱のふたを開けて包帯を取り出し、手に取った包帯とシップを眺めている。
僕は、そんな彼女のことを見ながらも、心の中では国や軍やナイトのことを考えていた。僕はこれで、本当にいいのかどうか。
「えぇと……これと、これでよろしいのでしょうか?」
彼女は、包帯とシップを取り出して、僕の目の前に持ってきた。よいのでしょうか……って、どういうことだろうかと僕は首を傾げた。
「キミ、医療班のひとじゃないの?」
彼女はハっとなってから、再び微笑んだ。
「はい、私は……単なる乗客ですから」
戦艦に乗客? 僕は再び疑問符を浮かべた。どこか、ずれている。そんな印象を受けた。彼女は一体、どんなところで生活してきたんだろう。
彼女がシップを貼ろうと僕に手を伸ばしてきたので、僕はその手を制した。このままでは貼れないから、上半身は脱がないといけない。でも、そんなことを年の近そうな女性にしてもらうのは、さすがにちょっと恥ずかしかった……。
「自分でやれるから、それ、貸してくれる?」
「あぁ、はい。そうですね。すみません、気が利かなくて」
そういって、彼女はシップを僕に渡すと、再びにこにこと笑みを浮かべながら僕を見つめていた。僕は服を脱ぐに脱げず、戸惑っていた。少し顔が赤くなっていることを自覚すると、ますます顔に熱がのぼった。
「あの、上着、脱ぎたいんだけど……」
そういうと、彼女は「あぁ」という感じで納得し、後ろを向いた。
「本当にすみません」
「いや、別に……」
彼女が後ろを向いている間に、僕は軍服を脱ぎ、インナーも脱ぎ、上半身裸の状態になった。やはり、くっきりとシートベルトのラインが身体に刻まれていた。青紫色に内出血している。
体中に包帯を巻くほど大げさな怪我でもなかったので、僕はとりあえず、一番痛みを感じた胸の部分にだけ、シップを貼った。包帯までつける必要はまったくなかったけど、彼女がせっかくとって用意してくれたものなので、僕はシップと一緒に渡された包帯を巻き始めた。
ひとの怪我の応急処置は学院で学生をしていた頃から何度か経験しているけど、こうして自分の手当てをすることははじめてだったので、どこかぎこちなくなった。
「……どうして、戦うのですか?」
「え……?」
僕が包帯と格闘している最中に、何を思い立ったのか。彼女は唐突にそう言い出した。
彼女は何を言おうとしているの? なぜ、戦うのか? それは、誰と戦うことを意味しているの?
「オラクルと……戦うことを訊ねているの?」
僕がそう問い返すと、彼女は首を横に振った。
「いいえ。あぁ……いえ、確かにそれもそうなのですが、デス・ブラッドとのことをお伺いしているのです」
今度は僕がハっとした。彼女は知っているんだ。オラクルに、デスのパイロットに僕の友達が居るということを。どうして知っているのかなんて分からない。でも、彼女は確かに、僕の事情を知っている。
「デス……ブラッド」
ナイトの機体。ナイトは僕に、なぜゲイルに味方するのかと、なぜ戦うのかと必死に訴えてきた。他のシーザスはナイトも撃ち落したかもしれない。でもナイトは、僕のことを討とうとはしなかった。いつだって冷静でいるイメージしかなかったナイトが、あんなにも熱くなって、僕を説得しようとしていた。
「国家……国家と呼んで、差し支えはないでしょう」
連合のことを言っているんだろう。大きな宗派の塊みたいなものだが、三大国家と呼んでも過言ではない。
「いずれの国家も、何かしらを隠して軍を動かしています。それは、間違いありません」
彼女の顔つきが変わった。先ほどまでの微笑ましいやわらかな表情から、厳しく、冷静に真実を見極めようとする顔つきに。そこからは、真実を見極めようとする彼女の意志の強さがうかがい知れた。
「彼、ブラッドに乗っていたパイロット……ナイトさん、でしたか?」
「うん」
彼女はそこまで知っている。もしかしたら、僕とナイトとのやりとりを、どこかで傍聴していたのかもしれない。となると、彼女は情報班のひとりなのだろうか。そういった感じでもないんだけど……どこか掴めないひとだった。
「ナイトさんが仰るとおり、あなたの知らないゲイルも、確かに存在していると、私は思います」
僕は目を見開いた。僕の知らないゲイル? それは一体、どんなゲイルなの? 僕は生まれも育ちもゲイルだし、ゲイル軍直属の学院にも二年在籍していた。そして今は、戦争の第一線をいくホワイトクロスの一員だ。ゲイル唯一のアビスパイロットだ。そんな僕が、知らないゲイルが存在する? にわかに、信じられないことだった。
そんな僕を見ながら、変わらずに彼女は笑みを浮かべていた。そして僕に衝撃的な言葉を再度語りかけた。
「見てみますか? ゲイルの一部を……」
「え?」
彼女はまた、微笑んだ。優しいのだけれども、どこか気高く、強さを感じさせる不思議な笑みだ。僕には出せない、彼女にしか出せない笑みだと思った。どういった世界で生きれば、どういった世界を知れば、彼女のような笑みを浮かべられるようになるのだろう。
「あなたには、知る権利があると思うのです」
「……」
彼女は何の前触れもなく現れ、そして僕に、新たな道を示そうとしているのが分かった。
僕の知らないゲイル。それがもし、本当に存在しているとしたならば……僕は一体、これから何を選び、どう生きるのだろうか。
今は何も決められない。すべては、知ってからだ。
「キミは、知っているの?」
汗で濡れていたので、新しいインナーを着て、軍服を身にまとい、僕は彼女の方へ歩み寄った。
「はい……多少は」
僕よりも背丈の低い彼女は、僕の顔を見上げながら頷いた。
「僕を、案内できる?」
「はい」
そして、にっこりと微笑んだ。
「選んで欲しいのです。迷ったまま戦っても、得られるものはありません」
彼女は、幼い。事実、本当に幼いのだと思う。それなのに、その言葉には芯があり、重々しく感じられる。また、目をそらすことができないほどのまっすぐな瞳には、力が宿っている。ひとを惹きつける力、ひとを、導く力。そして、俯きかけた僕に前を見ろと訴えかけてくる。
正直、少し怖いと思う面もあった。一体、何が僕を待ち受けているのか、想像もできないからだ。ナイトが言っていたことが本当ならば、ゲイルが戦争を起こしたがっているととれる。それならば、それ相応の武装が準備されているということなの? 兵器開発も進んでいたりするの?
僕は、彼女の言うとおり、知らなければいけないのかもしれない。僕は決めた。
「案内してもらえるかな?」
すると彼女は、力強く微笑んだ。
「はい」
そして部屋の外に出て行くので、僕も彼女の後を追って、部屋の外へ出て行った。後方でオートロックがかかる音が聞こえた。
「もっと、大柄な方かと思っておりました」
僕の隣を行く彼女はそう言った。彼女は前触れなく話し出す癖があるのだろうか。唐突に話題を切り開いていく。自分から話すことがあまり得意ではない僕にとっては、ありがたいことだ。
「年をお聞きしてもよろしいですか?」
「はい……十五です」
それを聞いて、彼女は少し驚いた表情を見せてくれた。
「それでは、私と同い年ということですね。では、少しはタメ口を利いてもよろしいでしょうか?」
彼女も十五歳? なんとも言えないところだった。容姿は幼いが、大人びているところがある。大人びた仕草に口調もそうだし、ひとの心理をついてくる鋭さもある。けれども、あまり一般常識などはなさそうで……しかし、僕の知らないゲイルの真価を知っているという。本当に、謎めいたひとだと僕は思った。
「はい、構いません」
そう答えると、彼女は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「本当ですか? ありがとうございます。私、同世代の友達というものが居ないものですから」
「えっ……?」
さらりとそう言ってのけた彼女だが、彼女は特に表情も変えることなく、僕の顔をたまに覗き込みながら、笑みを浮かべていた。
同世代の友達なんて、普通に暮らしていたら手に入るものだ。彼女はどこか、閉鎖された空間に居たのだろうか。彼女は一体、これまで何を見て生きて生きたのだろう。そんな彼女が僕に見せたいものとは、何なのだろう。
「シーア・ミツキさん」
フルネーム? 僕は思わず苦笑した。言いにくくはないのだろうか。彼女は人との会話に慣れていない、そんな印象を与えた。
「……フルネームで呼ばないでくれませんか?」
彼女は、首を傾げながら僕に訊ねた。
「では、何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
青い瞳が僕をしっかりと捉えている。まっすぐで、どこまでも澄んだ瞳だ。疑うことなんて知らないかのように見える、綺麗な瞳だった。
「……シーアでいいよ」
「シーアさんですね」
すると彼女は、目を細めて微笑んだ。とても嬉しそうな笑みだった。彼女には、本当に親しい友達というものが居ないのだろうか。こんな風に名を交わすことなんて、なかったのだろうか。
同情したわけじゃない。そんなことが出来るほど、僕は器用ではなかったし、そんなたいそうな身分でもなかった。
ただ、彼女が喜ぶならば……と。いや、単に僕が、彼女の笑みを見たかっただけなのかもしれない。
「レンカさん……だったよね」
彼女の名を呼ぶと、案の定彼女は微笑んでくれた。まるで天使のような顔を浮かべている。なんて安らかな顔で微笑むのだろう。
「はい」
その微笑を見て、僕もまた、自然と笑みが浮かんだ。彼女はまるで争いを知らないような顔をしていた。修羅場を潜り抜けてきたクロエとは、違った表情をしている。そんな彼女を前に、僕は忘れかけていた何かを、思い出せそうな気がしたんだ。温かくて、静かで、穏やかで……そんな、世界を。
ゆっくりと、淡々と廊下を歩いていた彼女は、行き止まりに僕を誘導してその足を止めた。そして、ポケットから何やら小型の鍵を取り出す。銀色の鍵を、壁にある小さな穴へと差込み、時計回りに何度かそれを回していた。一体何をしているのだろうと僕は数歩下がったところで、彼女の行動を見守っていた。そもそも、こんな入り組んだところに行き止まりがあったなんてことすら知らなかった。この船、ホワイトクロスに乗ってからまだ数ヶ月しか経っていないせいなのか。それとも、ここを知っている者の方が珍しいのか。どれだけのひとが、ここのことを知っているんだろう。こんな、鍵穴がある壁なんて、僕は初めて見た。
驚いている僕をよそに、何気なく彼女が鍵を抜くと、壁に今度は筋が現れた。そして、それは四角を描き、その部分のみが内側にへこんだ。凹んだ部分は、次に左へとスライドした。もしかして……。
「扉?」
「はい、地下へと通じています」
そう言って彼女は中へと入っていった。僕もまた、ゆっくりと突如現れた空間へ足を踏み入れる。ホワイトクロスの地下層部? そんなところがあったなんて……。
真っ暗だった。けれども、身体が構造を知っているのだろうか。壁伝いに歩いていく僕とは別で、彼女はまるで明かりがついているかのように、すたすたと先へ進んでいった。
そして、しばらく歩いたところで立ち止まり、再び鍵を取り出していた。今度は、金色の鍵だと思う。暗くてしっかりとは見えなかった。
「どうぞ」
次の瞬間、一気に照明がつき、辺り一面が明るくなった。一瞬目が眩んで僕は手で視界をふさいだ。
徐々に目が慣れてきてから、僕は手を離し、ゆっくりと辺りを見回してみる。そして僕は目を疑った。
「これは……」
彼女はやはり、微笑んでいたのだろうか。僕は初めて目にするホワイトクロスの内部を見て、何も言葉にすることが出来なかった。