突然なる出撃要請
俺は明らかに混乱していた。
現実を、素直に受け止められない。
いや、何が「現実」なのかさえ、もう定かではない……。
「信ずるもののためには、手段を選ばない……その、強い意志と信念は買いますが、偽の情報まで作って世の中を混乱させることに、私は賛同できません」
彼女はモニター画面から目を離し、俺の目をまっすぐに見てきた。その目から、俺は目をそらせずに居る。本当は、このまっすぐな目から逃れたいのに、彼女の迷いのない目から逃れる術を俺は知らなかった。
「ゲイルは、国を守るために……兵器開発に踏み込みました。では、オラクルは? ザラインはどうなのでしょうか」
違う……と、俺に言わせたいのだろうか。確かに、今彼女が突きつけてきた事実を見れば、そう捉える他はない。
だが簡単には、己の信じてきた道を、捻じ曲げることはできない。俺は、今でも見苦しく、心の中でオラクルを正当化するための口実を頭の中で考え続けていたんだ。
捨てきれない。
数年とは言え、俺もオラクルに身を寄せ、親を信じ、政府を信じ、軍を信じて来た兵士のひとりだった。
「誰かに侵略され、誰かにのっとられ……降伏すれば、そこでの争いはなくなるのかもしれませんね。ですが、それは果たして平和な世界と呼べるのでしょうか」
俺の結論を待たずして、彼女はなおも議題を増やした。このまま戦い続けた先には、平和はないとでも言いたげだ。俺は、眉をひそめてこの船を見渡した。ただ単に、まっすぐに向けられる彼女の瞳から、逃げたかっただけかもしれない。
彼女が言っていることに、矛盾はない。納得のいかないところもない。今まで、軍の方針に従って、オラクルのためにと……ただそれだけのために命令に従って軍人を続けてきた俺だが、彼女にそう問いかけられてはじめて、俺が今までしてきたことが、本当に正しかったのか、平和に繋がる行為だったのか、疑問を感じざるを得なくなってきた。
はじめて自らの行動を振り返りはじめたんだ……俺は。
それは、オラクル贔屓の目線ではない。
この世界に生きる、一個人としてのものだ。
俺はただ、破壊行動を繰り返していただけなのだろうか。オラクルのために……という偽善を盾に、弱者を虐げてきただけなのだろうか。
俺は、知らず知らずのうちに俯いていた。とうとう、己の信念までもが崩れ去った気分になった。これ以上、何が崩れるのだろうかと自分で問うほど、俺がこれまで守ってきたものは、もろくも崩れ去っていっていた。
これからどうすればいいのかが分からない。もう、オラクルには戻れないだろう。戻ったところで、デスのパイロットなんて、とてもじゃないが続けられない。戦争は……命の奪い合いであって、平和を築くものではないんだ。
戦争が生むものは……被害と、偽りの平和。
勝者が「支配」する、管理された世界なんだ……きっと。
「ナイトさん」
レンカはそっと声をかけてきた。そして、優しく微笑む。彼女がどうして微笑むのかは分からない。その笑顔の下には、どれだけの感情と、理念が隠されているのだろう。
「敵シグナル確認!」
そのときだ。唐突にオペレーターから警告を発するような声が飛んできた。メインモニターに、赤のシグナルが映し出される。いくつかの大きさに分かれていて、右下には文字が書かれている。
「デス・クローズ……デス・アスラ!?」
俺は、その文字を見て目を見開いた。この戦艦が、オラクルに見つかったんだ。
「スクランブルかけられます!」
レンカは慌てる様子など見せず、ただ一瞬何かを考えるかのように俯いた。そして、再びモニターに目を向ける。
「前進微速。ピースメイル、発進してください。それからセスナさん、至急ブリッジに戻ってください」
ピースメイル。聞いたことのない戦艦の名前だった。これが、この船の名前なんだろう。旗艦というわけではないはずだ。ゲイルの旗艦はホワイトクロスだと、世界的にも認識されている。
「了解。全システム稼動。エンジン回転。前進微速、ピースメイル、発進します」
前方の席に座っていた男性が舵取りだろう。彼がレバーを倒すと、ゆっくりと戦艦が前進しはじめた。それを確認すると共に、彼女はすぐさま次の命令を下した。
「下げ舵一〇、海域にまで出てください。海に潜ります」
潜る……海にも潜れるのか、この戦艦は。そのことに、俺は少なからず驚いた。オラクルでは、潜水技術はまだ劣っている。どちらかといえば、ザラインの方が進んでいる技術だった。
空はゲイル、地上はオラクル、そして海はザライン……という感じだ。
「了解」
「速度五〇……徐々に上げてください。なんとしてでも振り切ります。セスナさん、コンディションレッド発令」
「了解」
そして彼女は、赤色のボタンを押し、無線を通して艦内全域に、戦闘体勢に就くよう命じた。場合によってはアビスを出すのだろう。格納庫にはまだ、量産型や見たことのないアビスが収納されているのを、俺はすでに確認していた。先ほどのように、レンカ自身が出撃するのだろうか……。
「レンカ様、右一二〇度より、ビーム砲確認!」
「磁場フィールド展開。ともに下げ梶一〇、回避してください」
しかし、すぐにオラクルのシーザス隊、つまりアルテミス艦隊までもが出撃してきて、ピースメイルは完全にオラクルの軍艦によって囲まれてしまっていた。
「レンカ様!」
それでも彼女は、焦りなど見せなかった。毅然とした態度をとったまま、彼女は俺の目をまっすぐに見つめてきた。迷いなど、微塵も感じられない。
「ナイトさん」
「……なんですか」
嫌な予感を覚え、思わず俺は眉を寄せ、嫌そうな声で返答した。
「ブラッドにて、出撃してはいただけないでしょうか」
その言葉を聞いて驚いたのは、俺だけではない。このブリッジに居た者の呼吸が一拍、止まることが分かった。誰も予想していなかった指令だったんだ。ただ、嫌な予感……ということだけは、的中したらしい。
冗談じゃない!
まだ、オラクルの軍服を身にまとっている俺が、ゲイルの軍人として出撃しろというのか!?
出撃してきているのは、アスラとクローズ……先輩たちだ。
いや、先輩たちだけじゃない。
みんな、顔なじみのものばかりだ。
アルテミス艦隊の乗組員だって、共に学んだオラクルの軍人だ。
そんなオラクルの人たちと、俺にやりあえというのか!?
「……やはり、できませんか?」
「やはり……って、俺は、オラクルの軍人なんですよ!?」
彼女はやや目を陰らせて、言葉を止めた。そして、現在の自分たちの位置と海までの距離、敵艦隊の位置を確認するために、モニターに目を戻した。
それから少しして、彼女は再び俺の顔をじっと見つめてきた。
「このままでは、この船は落とされます」
甘い考えなんて一切無く、彼女は今分かる現状をそのまま言葉で伝えた。俺にだけではなく、ブリッジに居る全てのものにも聞こえるような声で。その声は、民間人の同世代の女性の声よりも芯があり、揺らぎのないものだった。
「今、出撃できるアビスは……あなたのブラッドぐらいです」
「レンカ……あなただって、アビスのパイロットなのでしょう? あのアビスで出撃すればいいじゃないか!」
俺とシーアの前に現れた新型のアビス、アライブ。水色のその機体を思い浮かべながら、俺は言葉を続けた。
「今、戦場に出ているのは……俺の仲間なんだ。討てるわけがない!」
敵国の機体、シーアの機体を落とすことさえ出来なかった俺に、同国の、先ほどまで一緒に会話を交わしていたものを討てというのは、あまりにも酷な話だった。無理に決まっている。俺は首を横に振り、俯いた。
絶対に嫌だ……と、モニターからも目をそらす。
だからといって、この艦が討たれるのも困る。ここには、シーアが乗っているんだ。俺には、どちらを選ぶこともできなかった。
一方を立てれば、一方が立たず……だ。
「討たなくてもいいんです」
レンカは、澄んだ声でそう言った。
思わず俺は顔を上げる。
すると、自然に彼女と目があった。
目があった彼女は、不意に俺に向かって微笑みかけた。
まるで、女神の微笑みのように……。




