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第七章

 再び気がつくと純平は小学生に戻っていた。これは夢だろうか? 純平はいつものようにアイの時空観測艦に遊びに来ていた。アイに出会って以降、純平は学校が終わるとまっすぐに家に帰りカバンを放り投げると、いつも彼女のもとに遊びに来ていた。

 彼女は人間の姿をしているときもあればモニターの中にしかいないときもあったが純平にとってはそんなことはどうでもよかった。彼は純粋に彼女の優しい人柄や知性、そして豊富な知識に惹かれていて、彼女と過ごす平和な時間を楽しんでいた。

 しかしアイのもとに通う期間が長くなるに連れて少しずつ彼女の様子がおかしくなっていった。急に何か考え込んだかと思うと、純平が普段学校で何をしているのか、友達は何人いるのか、ガールフレンドはいないのか、将来の夢はなんなのか、とか、そんな現実的な質問をしてきた。純平としてはもっと気軽な、昨日テレビで観た映画の話とか、好きな漫画の話とか、そういう話をしていたかった。

 そしてある日、ついに彼女は純平に対して「もう遊びに来ないで」と言い始めた。それは純平がバレンタインデーに幼なじみのナナコからチョコレートを贈られて、それを同じく幼なじみでチョコレートが好きなゴータローにあげたらナナコが泣き出した、という話をした日だった。

 純平はその言葉に死刑宣告にも等しいショックを受けた。それは生まれて初めて大好きになった人に自分を拒絶されるという忘れがたい経験だった。純平は彼女に理由を尋ねた。すると彼女はしばらく黙り込んだあと、答えた。

「だって……あたし、人間じゃないもん」

「え? そんなの知ってるよ? だからなんなの?」

 純平は条件反射的に言った。彼女が本当はそれを否定してもらいたがっていたことも知らずに……。

 アイは答えなかった。純平はその沈黙が耐えきれなくなって尋ねた。

「だって元々は人間だったんでしょ?」

「うん」

「それにそんな風に悩んだり落ち込むのだって、今でもアイが単なるAIじゃなくて人間だってことじゃん」

「……」

「それにたとえアイがAIだったとしても、一緒にいて楽しいんだからそんなの関係ないよ」

「それは、純平君がまだ子供だからよ。もっと大人になってあたしの正体を完全に理解したら、きっとあたしを見る目が変わると思うの。それが怖いの……」

 純平は答えられなかった。大人になったらどうなるかなんて、小学生の純平にとっては想像もつかない遥か未来のことにしか思えなかった。

「そう……なのかな?」

 純平は正直に答えた。

「うん。それにあたし一応女の子で、純平君は男の子だし。大人になったらそれぞれ異性として意識するかもしれないけど、あたし純平君と結婚することもできないし……」

「結婚!? そんなことまだ考えたこともないよ」

「でも、大人になるということはそういうことを考えはじめるということなのよ。そのときあたしがAIで、その――」

 アイは言いづらそうに言葉を濁した。

「?」

「純平君の子供だって作れないし」

「え~! 俺子供の作り方なんて知らないし!」

 純平は驚いてそれこそひっくり返りそうになった。

「今はそうでしょうけど、大人になったらきっとそれじゃ済まなくなる」

「……」

「純平君はきっと将来素敵な男の人になると思うの。だからあたし、純平君に普通の女の子を好きになってほしい。チョコレートをくれたナナコちゃんだって、きっと本当に純平君のことが好きなんだと思う。同じ女だからわかるの。それなのにあたしなんかとばかり一緒にいたら、きっと将来後悔する……」

 純平はすぐには答えられなかった。しかし一つだけはっきりしていたことは、純平にとってアイが既に無くてはならない存在だということだった。彼女が何を悩んでいるのかは小学生の純平には完全に理解することは難しかったが、彼女から拒否されたり、彼女を失ったりすることは死にも等しい苦しみなのは明らかだった。だから純平は言った。

「だったら俺、大人にならないよ」

「?」

「大人にならない。アイと会えなくなるくらいなら、大人になんかならない」

「そんなの無理よ」

「アイは俺が嫌いなの?」

「そんなんじゃないの。純平君は大好きよ。でも、だからこそもう来ないでほしいの」

「……」


 その日はそれで純平は一旦帰った。アイはああ言っていたが、まるでアイに拒否されたような気がして仕方がなかった。「私にはあなたはもったいない」というアレだ。もちろん本音は「私はあなたにはもったいない」だ。

 しかし純平はアイに限ってそんなことはあり得ないと感じていた。彼女はもっと直球で、感情表現もストレートだ。彼女が「大好き」と言ってくれたならそれは本当に「大好き」なんだろう。そう直感で理解した純平は、小学生なりにない頭をひねって一晩じっくりアイが何をそんなに悩んでいるのかを考えてみた。


 純平が彼女について知っていたことは、彼女がこの世界と似てはいるけど違う世界の未来で、遺伝子操作というものが全盛の時代に敢えて全くの自然の状態で生を受け、それでありながらもあらゆる面で天才と認められた少女だったということだ。

 彼女自身は自分から自分のことを語ることは少なかったが、純平が聞けば大抵の質問には自慢も謙遜もせず率直に答えてくれたし、未来の世界の記録映像等も自由に見せてくれた。そして純平は一度は自分を監禁しかけた「留守番電話」のAIとも仲良くなった。ルスデンも融通が利かないなりに色々未来の話を聞かせてくれたので、半年近く経つ頃には小学生の純平にも様々な事情がわかるようになっていた。

 純平は好奇心旺盛だった。アイが大好きだったし、彼女の事情も小学生なりに少しでも理解したかった。でも理解すれば理解するほど、彼女の抱えている事情は自分のようなガキには決して理解できないものであることを思い知らされた。

 自分などは遠く及ばない才能や努力、献身性、気高さを持って生き、誰よりも幸せになる権利を持っていたはずの祝福されるべき存在、それが彼女だった。

 それなのに彼女は十四歳のときに突然死にも等しい不治の病を宣告された。その無念さは計り知れない。自分みたいにのほほんと生きてきたガキですらいきなり死刑宣告を受けたら絶望でどうなるかわからない。それを天才少女ともてはやされ、それにおごることなく努力も重ね、さあ輝かしい未来はこれから、というときに一瞬にして奈落の底に突き落とされた彼女。その感情の落差はどれだけのものだっただろう。きっと自分なんかには一生想像もつかない。

 その想像もつかない落差の絶望を乗り越え、彼女は自らの肉体を捨ててまでAIの道を選んだ。よりよい人類の未来のために、なんて冗談みたいな理由で、一人歴史の観測者の役割を買って出た。そして自分みたいなつまらないガキを、彼女を人間として扱ったというだけで「大好き」と言ってくれた。

 純平の心は決まった。


 翌日、純平はいつものようにアイのもとに遊びに行き、高らかに宣言した。

「俺、バテ太になるよ」

「え?」

 アイは突然の純平の宣言に面食らったようだった。

「俺、バテ太になる。だからアイはネコ助になればいいじゃん」

 ネコ助というのはとある国民的人気漫画の主人公で、ダメ人間の小学生のバテ太を助けるために未来からやってきたネコ型ロボットだ。バテ太はネコ助を――それがまるで当然のことであるかのように――ロボットとしてではなく人間として扱い、二人は親友とも兄弟とも言える関係になる。漫画としては古典だが純平も大好きな漫画だった。

「ネコ助?」

「知らない? 有名な漫画だけど」

「過去にそういう作品があったことはデータに残っているけど……ちょっと待って、今読んでみるね」

 そう彼女は言って、その数秒後には「うん、読んだ」と言った。

「え? 『読んだ』って今?」

「うん」

 純平はわけがわからなかったが、アイはAIであるせいかたまにそういうことがあったのであまり気にせず尋ねた。

「面白かった?」

「う~ん、そういうのはわかんない。読んだって言っても今やったのは、マザーコンピューターの補助記憶装置の中からアーカイヴの場所を検索して、それをメイン記憶装置に持ってきて、ストーリーの全体を機械的・論理的に把握しただけだから。人間として感情移入したり、楽しみながら読んだわけじゃないの」

「ふ~ん、よくわかんないけど、じゃあネコ助のことはわかった?」

「うん、どういう設定なのかはわかった。バテ太とネコ助の関係がどういうものなのかも」

「そういうこと。俺がバテ太になるから、アイはネコ助になってよ。そしたら男か女かなんて関係ないし、アイが機械だなんてことも関係なくなる。一緒にいることで悩む必要なんてないし、何と言ってもバテ太はネコ助がいないとダメなんだ」

 アイは反応に困ったようにしばらく考え込んでいた。

「とりあえず、ちょっと時間をちょうだい。純平君が帰ったら、人間として感情移入しながら時間かけて読んでみるね」

「うん」

 純平は安心して、その日はそれで帰った。


 アイは自分がAIであることに引け目を感じていた。人間だったころの本名を名乗るのをためらったのもきっとそういうコンプレックスからだろう。今の自分に人間だった頃の名前を名乗る資格などない、彼女なら考えそうなことだった。

 ではそのコンプレックスの原因はどこにあるのか。それは小学生の純平にも一つだけすぐに思いついたし、それしか思いつかなかった。その点を除けばむしろ今の万能AIと万能バイオロイドの状態のほうが生身の人間よりも遥かに優秀だったからだ。

 その点とはもちろん「生殖能力」だ。愛する人の子孫を残してあげることができないこと。彼女自身、自分の口で「子供だって作れないし」と言っていた。要するにそこが彼女の一番のコンプレックスだったのだ。

 でも小学生の純平には正直そんなことどうでもよかった。だから、自分はバテ太になってずっとネコ助と親友でいる。そう誓ったのだ。


 ……だって、そうでもしないと、彼女はずっとひとりぼっちなのだ。


 立派な使命を帯びて未来の世界を出発したのに、事故がおきて任務という目的を失い、帰ることもできずに途方に暮れて真鷹市の海辺でひっそりと隠れて暮らしてきた彼女。

 彼女によれば、この世界が自力で彼女の来た世界と同じ科学技術水準に達したあとならば、正体を明かしてこの世界の住人になるか、あるいは可能性は低いが協力を要請し、自分の世界に帰還できると言うことだったが、それは早くても今から三十年後らしかった。それまでどうやって待つつもりなの? と聞いたら彼女は口を噤んだ。

 大気圏脱出が成功していれば年単位でのスリープモードにも入れたらしいが、船が海上に残されたままの状態ではそれもかなわず、発見された場合に備えて彼女は最低でも人間並みの覚醒状態でいなければならなかった。

 もっとも純平は彼女を発見したが、少なくとも純平の場合は純粋に命の恩人である彼女自身に会いたくて探していただけだった。彼女もそれはわかっていたので普通に迎え入れてくれたが、本来なら未来の科学技術を目的に国家レベルの軍隊に襲われても不思議ではない存在なのだ。もし彼女がスリープしてしまっていたなら、きっと純平だって「留守番電話」に監禁されたまま餓死していただろう。

 詳しい仕組みはもっと大人になってから知ったことだが、彼女の船の動力源はA世界のアキラの研究が発端で開発された小型核融合炉であり、燃料である水素やヘリウムと言った地球上にほぼ無尽蔵に存在する原子がなくならない限り稼動し続ける。

 彼女はこれから三十年以上、最悪の場合は半永久的に、たった一人で身を隠して逃亡生活を続けようとしていたのだ。


 それは想像を絶する孤独だ。


 だから純平は誓った。俺はバテ太になる。ネコ助とは親友なんだから、当然アイが子供が産めない体だろうが関係ない。二人はずっと一緒にいられる。というか一緒じゃなきゃダメなんだ。

 だから、自分は決して彼女に恋愛感情を抱いてはいけない。純平が彼女のもとに通う回数が増えるに連れて彼女はバイオロイドでいる時間が長くなっていたが、彼女に女性を求めてはいけない。求めたらいつか子供ができない体を責めてしまうからもしれない。自分ではいくら気をつけていたつもりでも、何気ない一言で彼女を失意のどん底に突き落としてしまうかもしれない。そうしたら彼女はバイオロイドとして活動することをやめ、また一人ぼっちのこの船のAIという天の岩戸に引きこもってしまうかもしれない。

 二度と彼女に別れを告げられたり、彼女の孤独な未来を想像したくなかった純平は、いつしかこのときの会話の記憶を封印した。ただ「誓い」だけは忘れなかった。自分は一生彼女を「親友として」大切にする。決して彼女に男女の関係を求めない。求めたときは彼女が自分の前から消えてしまうときだ。


 これは今思えば子供っぽい誓いだった。子供ができなくても幸せな関係を築いているカップルや夫婦など実際はいくらでもいる。必要なら養子を迎えたっていい。しかし小学生の純平にそこまでの事情を想像することはできなかった。アイの孤独とコンプレックスを取り除くためには決して彼女に男女の関係を求めてはいけないと勝手に思い込み、その「誓い」だけを記憶に残してしまったのだ。


 そして少なくとも今、彼女はバイオロイドとして純平の前に姿を現し、同じ高校に通ってくれている。これは彼女が、純平と一緒に年を取り、そしていつか死んでいくことにそれなりの価値を見出してくれている証拠だろう。トリプルAIの年齢や生死の基準は人間の体、彼女の場合はその代用品であるバイオロイドのボディにあるからだ。

 それで十分だった。それ以上の関係を求める必要なんてない。そして純平は「誓い」以外の記憶を封印した。

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