第四章
アイとマリが純平のアパートに泊まった翌日の朝、純平たちはあまり深く考えずに三人で一緒に登校した。しかしそれは大きな間違いだった。
まず、アパートの門を出たところの路上でいきなり同じ高校の制服を着た男子生徒に出くわした。純平は彼のことを知らなかったが、向こうがどうなのかはわからなかった。純平は彼が一年であることを祈った。なぜなら二年以上の場合、アイのことを知らないはずがなかったからだ。
アイは去年、つまり純平たちが一年の五月に行われた学園祭のミスコンで優勝していた。
それがきっかけで地元のボランティア活動に学校の代表として参加することが多くなり、それがたまたま地元の新聞やテレビに取り上げられ、それを偶然見ていたなんとか中堅芸能事務所のなんとかクマさんがほにゃらら大手芸能事務所のほにゃららタヌキさんに紹介し、さらにはそのほにゃららタヌキさんが芸能界の大御所のなんちゃらキツネさんに紹介し、そんなこんなで夏が過ぎる頃にはミス・ティーンJAPANという、国内全域から集めた十代の少女をメインに据えたミスコンで優勝していた。タヌキとかキツネというのは、要するに純平が名前を覚えていないだけなので気にしないでほしい。
とにかくアイは名実ともに「日本一の美少女」だったのだ。
ちなみに彼女は今は芸能活動はしていない。有名になるにつれて学校にいられる時間が減ってしまった彼女は、芸能人としてはこれからという十月のある日、雑誌か何かのインタビューで「ネコ助はバテ太と一緒にいようと思います」と意味不明なセリフを言い残し芸能界を完全に引退してしまったのだ。それは純平が剣道部に退部届けを出した翌日のことだった。芸能関係者、学校関係者、生徒すべてを巻き込んでパニックに落としいれたそれは、のちに『十月事件』と呼ばれるようになった。
そんな少女が同じ学校にいたら普通は知らないわけがない。しかし一年ならまだ入学する前のことだから知らない可能性もあるだろう。
そう判断した純平は探りを入れるために彼に声をかけた。
「あ、もしかして一年の坂本君?」
誰だよ坂本って? 純平は内心自分で自分に突っ込んだ。
「は、はいそうですが?」
彼は驚いていた。
うげ、当たってしまった! 最悪だ。なんでテストや懸賞では当たらないのにこういうときだけは当たるんだ!
純平は動揺を必死に隠しながら次に出すセリフを考えていた。これはフォローしとかないと絶対に怪しまれる。ここは人違いにするしかない。そうだ、ほかの坂本君と間違えたことにしよう。しかし下の名前まで同じだったらそれはもう言い逃れようのない完全な墓穴だ。絶対に当たらない、うちの高校には絶対にいない名前を出すしかない。
そして純平は言った。
「え、本当に坂本龍馬君?」
言ったあと〇・〇〇〇一秒で純平は後悔した。
男子生徒はポカンとしていた。
「あ、ごめん人違いだったわ~あっはっは」
純平は空笑いでそう続けて、背後で談笑していたアイとマリを強引にアパートの門の中まで押し戻した。
「え!? なに!? なに!?」
二人は驚いてカバンを落としそうになっていた。
その様子を男子生徒はあからさまに怪訝な顔で何度もチラ見しながら去っていった。
彼の姿が見えなくなってから純平たちは改めて登校した。学校の門までは三人で歩いているところを見られるのが少し怖かったが、学校の門をくぐってしまえばあとは気楽だった。門を入ってしまえば一緒に歩いていたって別に不思議ではないからだ。
下駄箱もその日は平和だった。カミソリが三つしか入っていなかった。純平はそれを常備してるブリキ製の筆箱に慣れた手つきでしまった。ある程度たまったらそれを危険ごみ、あるいは資源ごみとして出すつもりだった。
とりあえず最大の危機は脱したようだ。アパートを出るところは一年生にしか目撃されていないし、あとは登校途中に偶然出くわして一緒に登校したことにすればいいだけだった。
実際、教室に純平たちが三人で一緒に入るときに何人かの生徒が不思議そうに彼らを見た以外は、特に普段と変わった様子はなかった。
そう、昼休みまでは。
四限が終わり、昼休みに入ってすぐ、校内放送のアナウンスがあった。
「二年四組の時任純平・佐伯愛・仙道真理、至急職員室に来るように。繰り返す――」
その日、例の学校裏サイトは純平に対する殺害予告で炎上した。発端はあの一年生だった。運悪く彼は学校裏サイトの住人だったのだ。
もっとも彼自身は別に悪意があって書き込んだわけではなかったらしい。単に「一年に坂本龍馬なんているの? 今日間違われたんだけど」と言う書き込みをしたのだ。
すると「そんな生徒学校中探してもいるわけがない」「いたら学校が『せんたく』されている」「一体どういう状況で誰に言われたのか」という類のレスが次々とつき、彼が律儀にそれらにレスしていたら、結果的に純平がアイとマリと一緒にアパートから出てきたことがばれてしまったのだ。彼を責めることはできない。どう考えても純平のほうが怪しすぎたのだ。完全に墓穴を掘った。
ちなみに純平自身はこのことを後日ケンゴから聞いた。彼自身は怖くてサイトを見ていなかったのだ。
そのようなことがあったため、その日は下校する前、三人で自主的にもう一度職員室に立ち寄った。万一不純異性交遊とかの妙な疑いを持たれると、今後のマリの活動に色々と面倒な影響が出ると判断したためだ。今はとにかく教師たちの印象を良くしておく必要があった。
とは言え元々昼休みに呼び出された時点でも教師のほうも事務的というか、生徒から報告があったから一応事実確認だけしておく、という程度だった。その辺はさすがに大人だけあって、学校裏サイトのヒステリックな住人――当然生徒がほとんどだ――とは違い冷静だった。
そして、自主的に職員室を訪れた効果は抜群だった。なにせオール10の超のつく優等生美少女のアイと、さらに同じく超のつく優秀な成績で転校してきたであろうデザイナーチャイルドという反則未来美少女のマリである。今ではもう完全に打ち解けた様子で教師たちと雑談していた。そう、純平以外は。
アイとマリを囲んで特に男性教師たちが異様な盛り上がりを見せて雑談に花を咲かせている間、純平はと言えば隅っこのほうで一人で職員室の花に水をやっていた。
下校は三人で堂々と行った。教師たちがもう完全にこの美少女優等生コンビの味方なのは純平の目にも明らかだった。どう説明したのかは純平は知らなかったが、彼女たちは純平のアパートに泊まったことをウソ偽りなく話した上で全くやましい点もないということを納得させ、最後も教師たちから笑顔で職員室を送り出されていた。
まあ実際泊まったのも確かならやましい点がないのも確かだし、結局は『正直は最善の策』ということなのだろうか。というかこんな二人が俺なんかとやましいことしてるなんて、信じろというほうが無理なんだろうが……。そんな風に純平は少し卑屈な気分で納得した。
下校途中も二人は楽しそうに会話していた。二人は本当に意気投合したようだった。純平はなんだか嬉しかった。アイはその優等生ぶりや浮世離れした上品さゆえなのか、友人としてはどちらかというと敬遠される傾向があり、彼女に対して気楽にタメ口で冗談を言えるような生徒は少なかったのだ。
でもマリは違った。彼女は凄かった。平気でアイに対してハリセンで殴るような厳しい突っ込みをいれる。そしてそれをアイも心から楽しそうに受け入れている。本当に傍から見てて、仲のいい姉妹のようだった。もちろんマリがお姉様だ。
その仲の良さがあだとなった。まず、マリが襲われた。会話に熱中するあまり前方に突然現れた黒装束の人影に気づかなかったのだ。純平の脳裏にある鏡には1・3秒後に虚空から突然現れる人間がマリを襲う映像が映し出されていたが、たった1・3秒では物理的に反応するヒマもなかった。あの出現の仕方は光学迷彩だろう。
そして次の瞬間、純平は別の鏡に自分が1・3秒後に気絶する映像を見た。慌てて振り返ったとき、目の前で黒装束の一人が発射式スタンガンを自分に向けて構えていた。しかし残念ながらゲームとは違い純平の片手にアサルトライフルは握られていなかった。
さらに、別の方向の鏡にも同じような映像が映し出されていることに気づいたときにはすでに手遅れだった。スタンガンは複数方向から撃たれていたのだ。純平はそれらを回避しきれず、結局気を失った。
気づくとそこは薄暗い、倉庫のような場所の内部だった。純平は頑丈な椅子に手足を縛りつけられて座っていた。
朦朧とした意識のまま周囲を見渡すとアイとマリの姿も見えた。二人とも純平と同様に椅子に縛りつけられていた。アイは目を覚ましていたがマリはまだ気を失ってるようだった。
アイは純平が目を覚ましたのに気づくとにっこりと微笑んだ。
「おはよう」
さすがアイだ。余裕だ。いいのかそれで? 純平がそんなことを思っているとアイは小声で続けた。
「安心して、マリちゃん、眠ってるだけだから」
「そっか、でもどこだろう? ここ」
「たぶん港の近くの倉庫ね。さっき調べてみた」
「なるほど」
どうやって調べたのかは聞くまでもなかった。
「ねえ?」
「ん?」
「マリちゃんなら、いいよね?」
「アイがそれでいいのなら」
「もちろん」
アイはにっこりと笑った。
するとマリが目を覚ました。
「う……う~ん……」
「こ」
純平は反射的に言った。
(……こんな状況でも条件反射というものはあるんだな)
残念ながらマリからのいつもの厳しい突っ込みはなかった。アイも苦笑していた。
すると、マリがようやく目を覚ました。
「ここは――?」
マリは目をしょぼつかせながら聞いてきた。
「港の近くの倉庫みたい」
マリは自分の手足が縛り付けられているのに気づいて、しばらくじたばたともがいていたが、やがて諦めてため息をついた。
「ごめんね……あたしがついていながら」
「マリのせいじゃないさ」
「そそ、気にしないで」
「ホントにゴメン……」
マリは早くも泣きそうになっていた。
そこへ『奴ら』がやってきた。
「お・は・よ・う、ごじゃりま~す!」
そのうちの一人が楽しそうに言った。
ギョロっとした目つきと筋肉質ではあるが細身で長身の体格のそいつは拳銃を持っていて、ニヤニヤしながら純平たちの顔面に順番にその銃口を突きつけてきた。
(ふざけた態度だ。なんだこいつ。きっとたちの悪いサディストだろう)
純平はそんなことを考えながら睨み返した。すると、
「お前は少し下がってろ……目を覚ましたようだな?」
リーダーらしき男がそのサディストを制し、純平たちに問いかけた。体格のいい褐色の肌をした典型的な軍人タイプで、その表情は厳然としていた。そして片手に携帯端末を持ち、それを肩の高さに掲げていた。
「今から証拠をお聞かせします」
リーダーは携帯端末に向かって話した。テレビ電話になってるようだった。
「まず『仙道マリ』、昨日は仲間が世話になったな」
リーダーはマリのほうを向き、その名前を強調しながら言った。
マリはキッと彼に睨み返した。
彼はいきなりマリの顔面を殴り飛ばした。そう、グーで。
マリは椅子ごと倒れこみ、口から血を流しながら咳き込んだ。いきなりの修羅場だった。
「これはお返しだ。感謝しろ、お前も候補だからまだ殺さない」
「残念だな~あんたら。いくらこのお嬢ちゃんが天才軍人でも体縛られちゃ何もできないもんな~あひゃひゃひゃ」
隣のサディストはその様子を楽しそうに見守っていた。
(なるほど、マリの正体を知ってるってことはこいつらもA世界から来たのか。マリとは全然タイプが違うが)
純平は推理した。
リーダーらしき男と、サディストの二人の後ろにいる男たちは、無表情のまま規律正しい姿勢で突っ立っている。その様子は訓練された軍人のようだった。だとしたらこの状況は危機的だ。ただのチンピラのほうがまだマシだった。
「わかりやすい悪役ね、あんたら」
マリは倒れこんだまま男たちを睨み付けて言う。
『その声は!? 本当にマリなのか?』
リーダーが持っていた携帯電話から声がした。アキラの声だった。
「アキラ!?」
マリは驚いて携帯を見る。
『なんてことだ! マリ、待ってろ! 今すぐ助けに行くから!』
アキラが電話の向こうで叫ぶ。
「お待ちしています」
リーダーは電話を一方的に切った。
「何が目的だ?」
純平は冷静な態度を崩さず尋ねた。
「能力者。真田アキラ、彼は世界全体の発展に貢献すべき存在だ。決して極東の小国が独占していい存在ではない」
そしてリーダーはマリを指差した。
「この女とその小国は、能力者を独占することで世界の支配を企んでいる」
マリは「ハッ」と鼻で笑った。
「世界の支配を企んでいるのはあんたらの国でしょ? どうせ『我が国に貢献することは全世界に貢献することだ』とかお得意の情報操作でもして国民を洗脳してんでしょ。それとも何? アキラはあんたらの国の人間だとでも言いふらしてんの?」
「人聞きの悪いことを言うな。彼は正真正銘我が国の人間だ。彼の祖先はかつての大航海時代、我が国からこの島国に渡った。証明する歴史資料もある」
マリは唖然としていた。
「呆れた、あんたたちならやりかねないと思ってたけど、そこまでの大ボラでっちあげるなんてさすが覇権主義国家だわ。純平、あんたの一族は日本人じゃないんだってさ」
マリは吐き捨てるように言った。
純平も呆れてものが言えなかった。これが覇権主義国家というものなのだろうか? とても議論や交渉の通じる相手ではなさそうだった。
「残念ながらそのことでお前たちとこれ以上議論するつもりはない。俺たちは能力者に平和的に協力してもらうために同行者が必要なだけだ。招待したあとに勝手に死なれても困るのでな」
「アキラに言うことを聞かせるために人質が必要なだけだ、って素直に言ったら?」
そこで銃声が響いた。サディストが倒れこんでいたマリの顔面の手前の床に発砲したのだ。
「ひ!?」
マリは小さく悲鳴を上げ、黙り込んだ。純平がよく見ると微かに震えていた。いくら天才軍人と言っても一皮剥けば十六歳の女の子だ。本音は怖くて仕方ないのだろう。
「おい、やめろ」
リーダーがサディストを制し、サディストはつまらなそうに銃を引っ込めた。
「貴様は何か勘違いしているな。同行者は必要だが、それは一人で足りる。つまりこのガキか、お前かだ。お前を殺したところでこのガキがいる限り俺たちは困らない」
マリはもはや抵抗する気力がなくなったように、無言で小さく丸まって震えていた。それを見たリーダーは後ろにいた部下に指示し、強引にマリを椅子ごと起こした。
「今頃はアキラもこちらに向かっているところだ。彼は肉親であるこのガキと、自分を色仕掛けで誘惑しようとしていたお前と、どちらを同行者として選ぶかな? 自分の立場もこれでわかったと思うが」
マリは最後の気力を振り絞ったように抵抗する。
「失礼なこと言わないで。色仕掛けなんてしてないわ。本当に好きになっちゃうことはあっても――」
そこで彼女は少し口ごもった。
「自分たちが使う手段だからって、あたしまで同じことするなんて決め付けないで。アキラはああ見えて凄く紳士だし、私もそんな手段使う気はさらさらなかったわ」
「ほう。つまりまだ男女関係にはなってないと?」
「残念でした。あたしはバージンよ。アキラだってあたしが死んだって何とも思わないわよ」
(この状況でなんつーことカミングアウトしてんだお前は!)
純平はそう突っ込みたくて仕方なかったが、マリの精神状態を考えるとそれは憚られた。
「やはりそうだったか……では、お前が選ばれる可能性は低いな」
「おい!」
純平は思わず叫んだ。
「言っとくが、アキラは俺なんかより彼女を大切に思ってる。だから何度も会う機会があっても手を出さなかったんだろうし、普通に考えれば中年のスケベオヤジが、肉親とはいえ俺みたいなガキと彼女みたいな女の子の、どっちを大切に思うかくらいわかんだろ?」
リーダーはそれを無言で聞いていた。そしてしばらく考えたあと、
「美しいな。お互いにかばい合いか。しかし残念ながら決めるのは俺じゃない、アキラだ。もっとも、さっきの電話で彼がこの女の声を聞いたとき、もし無反応だったらその時点でこの女には消えてもらったったんだがな」
マリは諦めたようにため息をつき、顔を伏せ、唇を噛み締めていた。それでも必死の形相で再び顔を上げ、
「ねえ、殺るんならさっさと私を殺ってよ! 今さら本人に確認する必要なんかないでしょ? 誰がなんと言おうと私はアキラに取ってただの他人なのよ? 私のことは好きにしてくれていいから、この二人の命だけはどうか……お願い……」
マリはついに泣き崩れた。
「落ち着けマリ!」
(頼む、もう少し落ち着いてくれ。まだ必要な情報を手に入れてない)
リーダーはもう何も答えようとしない。ただ一人、サディストが楽しそうに純平たち三人に交互に銃口を向けている。一度怒られたのに全く懲りた様子もない。
「ごめんね、巻き込んで……」
諦めたように、マリは純平たちに涙声で謝ってきた。
アイはにっこりと微笑み、
「気にしないで。マリちゃんが命を懸けて私たちを守ろうとしてくれているのはわかったし、そろそろ泣くのをやめてくれない?」
それは純平も同意見だった。極限状態でこそ人間の本性は表れるという。この状況で前途有望な十六歳の少女が、果たして純平たちなんかのために命を差し出すことなど、簡単にできるだろうか? 彼女はその魂の気高さも「本物」だった。
しかしマリはアイの余裕ぶりに違和感を感じたらしい。しばらく不思議そうな面持ちでアイの顔を見つめたあと、いきなり思いついたようにアイとリーダーに交互に視線を投げかけ、
「え、あんたたちグル?」
「いや、そんな女は知らん」
リーダーは即答した。
「違うから」と純平。
「違うから」とアイ。
みごとにハモった。
「私はどうやら人質にもなれない、ついでに誘拐されただけの女のようですね。どうせ殺されるなら最後に質問させていただいていいですか?」
アイはリーダーに向かって言った。
「そうだな、それくらいは聞いてやる。ただし答えるかどうかは保証できない」
「あなたのお仲間はこの倉庫にいるだけで全員ですか? つまり、アキラさんは誰かが連行してくるのではないのですか?」
リーダーはしばらく考え込んだ。答えていいことなのかどうか判断しているのだろう。
「質問の意図はわからんが、この世界に来た仲間という意味ではここにいるのが全員だ。同胞であるアキラ本人は丁重に扱え、という命令なのでな。あくまで自分の意思でここに来てもらう。だがそんなことを聞いてどうする? この状況でまさか逃げられると思っているわけでもあるまい?」
「は! 人質とっておいて『自分の意思で』とかよく言うわ」
アイは激昂するマリを制して続ける。
「もう一ついいですか?」
「なんだ?」
「あなたは私と、同行者に選ばれなかったもう一人を殺すでしょう。それは仕事だからやむなくですか? それとも仕事じゃなくても殺すんですか?」
「仕事だ。俺にそんな趣味はない」
「あなた方は?」
アイは後ろの男たちに尋ねる。
「ぶっちゃけ、かなり楽しみ。もちろん殺す前に俺たち全員でたっぷり可愛がってあげるから楽しみにしててな、お嬢ちゃん。それこそ早く殺してくれって思うくらいにな」
サディストが下卑た笑いで答える。
後ろの部下たちは無言だった。
アイは今度は部下たちだけに向けて改めて問いかけた。
「お願い、あなたたちの軍人としての立場はわかるけど、少しでも人間としての心が残っているなら私の最後の質問に答えて」
しかしやはり彼らは何も答えず、ギロリとアイを睨みつけるだけだった。少なくとも彼らはアイの質問を理解はしているようだった。理解した上で敢えて無視してるのだ。
「貴様は交渉人の真似事でもやってるつもりなのか? 俺たちは軍人だ。会話で軍人の行動を変えられるなんて思わないことだ」
リーダーが口を挟んだ。
「待て、俺からも一ついいか?」
純平が遮るように言った。
「なんだ?」
「なんでこのタイミングなんだ? なんでマリが転校してきた直後なんだ?」
リーダーは意外そうな面持ちで腕組みをすると、しばらく考えこんだ。
「ちょうどいい。それはこちらの質問でもある。仙道マリ、お前のほうこそこのガキを拉致しようとしていたのではないのか?」
「なんだって?」
純平は驚いてマリのほうを見た。
マリは必死で首を振り、それを否定した。
「ガキ、我々の世界にはそもそもお前は存在しない。その上アキラとも名字が異なる。そのため我々は最初お前が彼の肉親であることを知らなかった。この世界では彼には妻子もいなかったので、仕方なく我々はその女が彼を誘惑し同行者に相応しい存在になる時期を待っていた。目安としては同棲を始める頃だ。しかし三か月経ってもそんな様子は一向に見られず、あげくにこの女はお前の学校に転入した」
「……」
「そこで我々は初めてお前がアキラの肉親であることに気づいた。そして、この女がアキラの誘惑に失敗し、代わりの手段としてお前を人質として拉致しようと計画しているのだと考えた」
「なるほど……」
「言ってみれば我々こそ、この女の魔の手からお前を救い出した味方なのだぜ? アキラの親族すなわち我が国の人間だ。お前がなぜこの女をかばうのかは知らんが、我々がこのような強引な手段を使わなくてはならなくなったのはこの女のせいなのだぜ?」
純平も今気づいたのだがなんとなくこの男の日本語はあやしい。外人だから仕方ないが。どっちにしても、こんな連中の身内呼ばわりされるのは勘弁だった。
「つまり俺の価値は、アキラの肉親として人質にできるってことだけか?」
「何度も言うが人質ではなく同行者だ。なぜそんなことを聞く?」
「俺にも同じ能力があるとは思わないのか?」
リーダーはそこで明らかに驚いた。
「いや、そんな情報は聞いていない。まさか……あるんだぜ?」
逆に質問してきた。動揺したせいか更に日本語がおかしくなっている。
純平はその質問を無視し、アイに尋ねた。
「このくらいで十分かな? ほかに聞いておくことある?」
「そうね……このくらいで大丈夫かな」
マリは不思議そうに純平とアイの顔を交互に見比べながら、涙声で尋ねた。
「あなたたち、なんでそんなに冷静でいられるの?」
アイはマリに優しく微笑みながら、ウィンクをした。
(それはね……)
次の瞬間、アイの表情が一瞬にして引き締まり、その視線がめまぐるしく回転する。そしてその視線から伝達された倉庫内の視覚情報は彼女の中枢神経において瞬時に数値化・数式化され、その数式群は即座に彼我の力関係を逆転させる解を導き出す。
「勝ったな」
純平は呟いた。このセリフ、一度言ってみたかった。
次の瞬間、ロープで縛られていたはずのアイの体が跳躍し、その長く美しい髪が宙を舞う。その美髪はやがて孔雀の羽のように純平とマリの眼前に広がり、倉庫に僅かに差し込んでいた陽光を視界一面にキラキラと乱反射させる。そしてその光の軌跡はまるで幻想の世界の妖精か何かのようにゆらゆらと蠱惑的な曲線を描き、同時に響いてくるドス、ドス、というリズミカルな殴打音とともに純平とマリから現実感を奪う。
その光景に見とれていた純平が我に返ったとき、男たちは全員床に突っ伏して気を失っていた。
アイは全く息が上がった様子もなく純平のほうに振り向くと、ピースサインをしながらいたずらそうに微笑んだ。そして純平とマリのロープをほどくと、マリに握手を求めた。
「ありがとうマリちゃん。私たちのために命をかけてくれて」
マリは放心状態のまま握手を交わす……というよりも、一方的に手を握られ一方的に振られていた。
純平は立ち上がり、大きく伸びをしながらアイに聞いた。
「さて、どうするかね?」
「とりあえず縛ろっか? 同じ方法で」
アイはいたずらっぽく微笑む。
「そうだな」
純平も笑う。
二人は放心状態のマリをとりあえず放置し、男たちを全員椅子に縛り付けた。幸い人数分の椅子はあった。
「どのくらいで目覚める?」
「二時間くらいかな? このリーダーはもう少し早そうだから、きつく縛っておいて」
「わかった」
「じゃ、例のやつ持ってくるから、気をつけて見張っててね。アキラさんの足止めもお願い」
そう言うとアイは倉庫の裏口から駆け出していった。
純平はアキラに電話をかけてその無事を確認した。彼は純平たちが無事であると聞いてひどく安心した様子で、『コレクション』(ミリタリーオタクの彼が金にものを言わせて集めた軍の違法横流し武器)を満載したSUVでもうすぐ到着すると言っていたが、純平は「武器は要らないからワンボックスタイプのワゴンで改めて来てくれ」と頼んだ。
アキラはすぐにでも純平たちの顔を見て安心したがったが、純平が「全く心配する必要はない、そしてどうしてもワゴンが必要だ」と言ったらしぶしぶ了承してくれた。
さて、あとは……と純平は倉庫内を見回す。
(そうだ、こいつがいた)
そこにはマリが茫然自失の体でペタンと座り込み、ボケーっと虚空を見つめていた。
純平は試しに彼女の頬を指でちょんちょんとつついてみた。彼女の視線が純平の指にゆっくりと向けられ、その動きを目で追う。反応はそれだけだった。その視線に思考は伴ってなかった。胸でもつついたら目を覚ますのだろうか? や、やってみたい……唐突で抑えがたい衝動に駆られたが、それで彼女が目を覚ましたら今度は自分が永久に目を覚まさないハメになりそうだったのでやめておいた。
「ダメだなこりゃ」
純平は諦めてほかの作業を開始した。まず男たちの武器を回収し、一か所にまとめて人目につかないところに隠した。そしてその中から三つほどスタンガンを持ち出し、一つをマリの手に握らせた。マリはボーっとそれを眺めていたが、なんとか握ってくれた。
一通りの作業が終わる頃、アイが戻ってきた。
純平はアイが持ってきた装置を使って――
ここ数日の男たちの記憶を全部消した。
リーダーの話によれば彼らが純平とアキラの関係を知ったのはごく最近。この世界にやってきた仲間もここにいるのが全員。とりあえずはこれで大丈夫だろう。
しばらくするとアキラのワゴンのエンジン音も聞こえてきた。
純平とアイはアキラと協力して、男たちを全員ワゴンに運び込んだ。ついでにマリも。
男たちはアキラによってそれぞれ犯罪者として逮捕されるよう手配された。
アイの最後の質問を無視した部下たちは、ある者は睡眠薬を投与した上で麻薬の袋をポケットに入れた状態で繁華街の交番の前に放置され、ある者は同じく睡眠薬を投与した上で女物のパンツを被った状態で平日早朝の警備の厳しい中学校の女子トイレ内に放置された。質問にさえ答えてくれていたら大学の女子トイレくらいで勘弁したのだが。
殺しは趣味ではないと断言したリーダーには敬意を払い、自衛隊のデータベースにハッキングしたアキラが顔写真と大まかな――でっちあげとも言うが――経歴を敵性外国人の項目に登録したあと、オタク仲間の自衛隊の知り合いに引き渡した。未来から来た人間だったために正確な経歴はわからなかったのだ。アキラや純平を自分の国の人間だとか、任務とは言え露骨な覇権主義的発言をしていた時点で敬意を払う必要があるのかどうか微妙だったが、一応軍人としての名誉を損ねるような経歴にはしなかった。
アイの質問に対して「ぶっちゃけ、かなり楽しみ」と答えていたサディストの処分は十八禁事項である。殺しはしなかったことだけは判明している。
マリのことは問題だった。アイの秘密は純平とアイだけでずっと守ってきたもので、アキラすら知らないことだった。アキラには、男たちを撃退したのは未来のエリート軍人のマリで、彼女は華麗に彼らのスタンガンを奪って一瞬にして全員を気絶させたが、自身も反撃をくらってしまい、一時的にショック状態になっているのだと説明した。
記憶を消す装置もマリが未来から持ってきたものだとアキラには説明したので、口裏を合わせてもらうためにもマリには早く正気に戻ってほしかったのだが、結局その後ずっと放心状態のままだった。無理もない。自分のせいで純平たちを死なせることになったと思い込んで涙を流して後悔し、それを防ぐために泣きながら自分を殺せと嘆願していたのだ。
いくらプライドが高く強がっていると言っても十六歳の前途有望な女の子が死を覚悟するというのは大変なことだろう。純平はアイと相談した結果、その日もアイと一緒にマリを自分のアパートに泊めて見守ることにした。
アキラも心配して彼のマンションに全員で泊まってけ、と言い出したが、純平が記憶消去装置を片手に「児童福祉法違反で通報するぞ」と脅したら諦めて帰っていった……などということはなく、単に「理由は話せないが今日は俺とアイを信用して三人だけにしてくれ」と頼んだらしぶしぶ了承してくれた。
もちろんアキラとマリの記憶を消してしまえばいちばんてっとり早かったのだが、純平もアイも知り合いにそんな真似はしたくなかったので、食い下がられたら正直に話すつもりでいた。
マリの居候先の親戚夫婦にはアイが直接出向いて説明してくれた。さすがに二日連続で外泊する以上、友人代表としてアイが直接顔を見せて挨拶したほうがいいと考えられたからだ。
まあわかりきっていたことだが、アイに会った途端にマリの親戚夫婦は破顔し、義娘(彼らは対外的には遠縁の親戚の娘として彼女を紹介していたようだ)をよろしくお願いします、とまで言い出した。俺が行かなくてよかった、そんなことを純平は心底思った。
その日の晩はちょっとしたホラー映画だった。
「あ~ん~た~ら~ね~」
純平のアパートで、床にずっとペタンとしゃがみこんで顔を伏せていたマリが、突然顔を伏せたまま低い声で呟きはじめた。
まったりとテレビを見ていた純平とアイは突然のマリの変化に恐怖で震えあがった。
「……殺す」
長く美しい黒髪で顔が隠れていたマリはガバっと顔を上げるとそう呟いて、周囲を物色し始めた。凶器でも探しているようだった。
「落ち着いて、マリちゃん」
アイが慌ててなだめにかかる。
「止めないでアイちゃん。あんたも純平のあとに殺してあげるから」
(こえ~よ先輩。マジパネェっす。あんたは貞子かよ)
純平も慌ててなだめる。
「おお落ち着け。とととりあえず話をしよう」
お前が落ち着け。
ふ~っ、ふ~っと深呼吸をして落ち着こうとしているマリ。しかし発作的にまた周囲を見渡し、目に付いたものを手当たり次第に純平たちに投げつけはじめた。それから天を仰いで大声で泣き始めた。
「うあああ~~~~~ん!」
「よしよし」
アイが抱きかかえてなだめる。
「怖かったの。ほん、と~に、怖かったの……」
マリはアイの胸に顔をうずめて子供のように泣き出した。
「うんうんごめんね。本当はもっと早く安心させてあげたかったんだけど、どうしても必要な情報を得るまでは動けなかったの」
マリはもうそれこそわんわんと泣きじゃくった。純平とアイはそれをいい傾向だと思った。あんな経験をしたのだ。子供のように感情を吐き出せる場所でもなければ彼女は壊れてしまうだろう。PTSDにだってなりかねない。
マリが落ち着いたあと、三人はしばらく話をした。三人を襲った連中の正体は連中との会話の中で大体判明していたので、話題のメインはアイの正体についてになった。