第十一章
純平が目を覚ますとそこはアキラのマンションのベッドの上だった。
目が覚めた瞬間、アイが「ごめんなさい! ごめんなさい!」と泣きながら純平に抱きついてきた。ベッドの傍にはマリとアキラもいた。
「目が覚めた?」
マリが聞いてきた。
「ああ……」
純平はまだ寝ぼけている意識を叩き起こしながら答えた。
アイは純平に抱きついたまま「ごめんなさい! ごめんなさい!」と呪文のように何度も繰り返していた。
やがてアイも落ち着いた頃、マリは話し始めた。
「改めて説明するわ。サングラスのリーダー、彼はB世界の未来の純平よ。そして啓介君は彼の息子。偽ケンゴに捕まったけど、アイちゃんの死を知った怒りでMMVが覚醒し、その力で奴らの拘束を振り切って逃げ延びたらしいの」
純平はじっと耳を傾けていた。
「で、彼は自分を死んだことにするために数年間アイちゃんの時空観測艦で姿を隠して暮らして、その後復讐のために正体を偽って軍に入ったってワケ」
「『アイちゃんの死を知った怒り』ってことは俺とかマリの死はどうでもよかったのか?」
アキラが質問した。
「それは知らない。彼は何も言ってなかったわ。でも、アイちゃんはあたしたちとは純平との付き合いの長さが全然違うし……。それにあたしに会えて嬉しいとは言ってくれた」
「というか『アイの死』についてしか触れないってことは、もしかしてマリとかアキラは死んでなかったんじゃね? 俺だって実は生きてたわけだし」
「う~ん、彼の言い方では、その可能性はあるわね。とりあえず、彼が今回この世界にやってきたのは、あたしたちを救うためというよりは復讐のためという意味合いが強かったそうよ。偽ケンゴを捕らえA世界に報復し、殺された仲間の復讐をするため。そのために身分を偽って軍に入り、今回の作戦を発案したらしいの」
「なるほど……」
「でもそれじゃ啓介君の母親って誰よ?」
アキラが質問した。
「さあ? B世界の純平が事件以降に出会った人じゃないの? その辺は啓介君と一対一で会ったアイちゃんのほうが詳しいんじゃない? 彼から何か聞いた?」
マリはアイに振る。
「え!? あ、あたしは~その、き、聞いてないって言えば、ウ、ウソになっちゃうかな~なんて、えへへ」
突然話を振られたアイは取り繕うように笑った。
「なにそのあからさまに怪しい態度」
純平が突っ込んだ。
「うん、怪しい。なにか聞いたの?」
「え~っと、詳しいことはちょっとあたしの口からは言えないかな。でもこのくらいならいいと思うけど、お母さんのイニシャルはM・Tよ」
「M・T? この中にはいないよね?」
「えっとね~、純平君と結婚してからのイニシャルがM・T」
「じゃあ時任M……時任M……げ」
「なんだよ『げ』って」
「いや~まさかね、ってB世界じゃあたし死んだらしいし」
「お前なんか凄い怖いこと考えてない?」
「まっさかね~、あたしみたいな超時空美少女が、こんなごにょごにょでヒソヒソなバテ太なんかとね~アハハ」
「なんだよ『超時空美少女』って。お前は要塞かよ」
「ベタな突っ込みだな~」
「でも啓介君もかなりの超時空美少年だったわね……いや、これはまさか……」
マリは一人で考え込んでいた。
「まあどっちにしても、啓介君がマリを見ながら言った『母さん』てセリフが謎の発端だろ? あとで直接聞いてみれば? 彼らもうすぐ帰るみたいだけど」
アキラが言った。
結局こういうことだった。純平たちを救ったのはB世界の未来の純平とその息子、そしてその同志たち。純平の奥さんは健在ではあるが、B世界では民間人であるため一緒には来なかったらしい。
「B世界では?」と純平はその言い回しが気になって質問したが、詳しくはマリも聞いていなかった。ほかの世界(とは言っても純平はA世界しか知らなかったが)では軍人だったということなのだろうか? ということはやはりマリなのか?
彼らは偽ケンゴを捕らえ、報復作戦発動の根拠となる拉致計画の証拠を掴み、彼らに復讐するためにこの世界にやってきた。
純平たちを救ったのはそのついでに過ぎなかったのかもしれない。しかし一度救った以上その後のケアまでしたくなるのが人情、というか純平の性格だ。純平やアキラが生きている限りまたこの世界に拉致目的の集団が来る可能性があるが、彼らがずっとこの世界に留まって守ることもできないため、この世界の純平にMMVこと『マルティプル・ミラーズ・ヴィジョン』を覚醒してもらう必要があった。そのためアイを一人で呼び出して、彼女と示し合わせて彼女の殺人劇を演じた。
B世界の未来では『ミラー・ウィザード』(鏡の魔法使い)と呼ばれるアキラや純平の能力には少なくとも二段階あることが判明しており、第一段階の単純な1・3秒先の予見能力は臨死体験、つまり『自らの死』という極限状態、そして第二段階のMMVは『自らの命よりも大切な者の死』というさらなる極限状態を経験することで覚醒されるらしい。そしてそのトリガーになり得るのが純平にとってはアイの死だったのだ。
マリはサングラスの男の正体は聞いていたがアイの殺人劇のことは聞かされていなかったため、アイが本当に殺されたと思って取り乱した。純平を覚醒させるためとはいえ、ここまでみんなを悲しませるような狂言に協力することを、アイがどんな風に説得されたのかは、純平たちがいくら聞いても教えてくれなかった。
翌々日、彼らは帰還の準備で母船を一時的に真鷹市の海辺に停泊させていたので純平たちは海岸で彼らを見送った。彼らの船は揚陸艦の機能もあり、別れには人目の多い港よりは時期はずれで人影もまばらな砂浜のほうがいいということだった。また、光学迷彩で船の姿は隠されており、立体映像のダミーで、座礁して砂浜に乗り上げた年季の入った大型漁船の姿が映し出されていた。元天才科学者、現ただのアーミーオタクのアキラが興奮して語ったことには、よく観察すると海面が不自然な感じになってる範囲から考えて、実際には彼らの船は現代のフリゲート艦くらいの大きさだろう、とのことだった。
ところでフリゲート艦てなんだ? と純平が思ったのは内緒である。
彼らは公海に出てから浮上し、空中でタイムトラベルする予定だと言っていた。
一通りの別れの挨拶と救ってくれたことへのお礼を済ませたあと、いよいよ彼らが船に乗り込もうとするとき、マリが啓介を呼び止めた。啓介は一人、他のクルーとは別方向に歩き出し、なにやら手首の装置を操作していたが、直後、マリ自身も呼び止めた理由を忘れるような事態に遭遇した。
目の前に全高十メートル超はあろうかという人型のロボットらしき物体が現れたのだ。そしてそのロボットが意外なほど静かで滑らかな動作でひざまずき、胸部のコクピットらしき部分のハッチが開くと、簡易な梯子のようなリフトが降りてきた。
純平たちは全員呆気に取られてしまった。
「なんぞこれ……」
「こいつ、動くぞ……」
「あ~これがこの前話してたMS?」
マリが純平やアキラには馴染みのなかった言葉を口にした。
MSとはメタルスーツ(Metal Suits)の略語らしかった。
「うん、僕らの世界ではSSって名前だけど、たぶん機能は似たようなもんかな。技術の進歩ってどんな世界でもある程度の範囲に収束しちゃうけど、名前なんて命名者のセンス次第でどうにでも変わるしね」
啓介は答えた。SSとはスティールサーヴァント(Steel Servant)の略だった。
「さすがに搭乗するときは光学迷彩きらないと不便なんだよね、あはは」
啓介はリフトに足をかけながらそう言って笑った。
「なるほど、あのとき俺が飛び降りたのはこのロボットの手のひらの上だったわけか。全体像は初めて見るけど」
アキラが思い出したように尋ねた。
「そそ。ごめんね。姿消してたし、驚いたでしょ?」
啓介は笑った。
そこでマリはやっと啓介を呼び止めた理由を思い出し、改めて啓介に質問した。
「ねえ、それはそうと、最後にあなたのお母さんの名前、教えてくれない?」
「え?」
啓介はいきなりの質問に面食らったようだった。
「そのくらい教えてくれてもいいでしょう? ここまで振り回してくれたんだから」
「うん、別にそのくらいはかまわないよ」
啓介は微笑んだ。
「えっとね、僕の母さんの名前は、時任――」
そう言いながら啓介はリフトを作動させ、コクピットに向かって上昇していった。
純平たちは彼の言葉に注意深く耳を傾けていた。
「時任?」
待ちきれなそうにマリ。
「時任、マ――」
心なしかニヤついている啓介。マリの表情が「え?」という感じに変わる。
「リ」
そう啓介は続けた。
「マリ!?」
マリはそう聞き返しながら、意外にもその表情は今や懐かしの少女漫画のそれになっていた。胸の前で両手を組んで、その目は恋に恋する乙女そのものだった。
「ア」
啓介は続けた。
「アッー!?」
純平とマリとアキラ、三人で(しかも変な声で)ハモったさ。
「僕の母さんの名前は、時任マリア」
いまやコクピットの脇まで上がった啓介は大きな声でそう言って再び微笑んだ。それはまるで天使のような微笑みだった。さすが超時空美少年、と純平は思った。というか考えてみれば彼らは本当に『超時空』な存在だった。
「な――誰よそれ!?」
マリが追及する。
「誰って、だから彼の母親でしょ?」
純平は突っ込んだ。父親が自分なのにあんな息子が生まれるなんて、母親は相当な超時空美女に違いないが……げ。
啓介は微笑みながら手を振り言った。
「じゃあ、この世界の父さん、この世界の母さんとみんなをきちんと守ってあげてね!」
それは純平のことだろう。もっとも今は純平のほうが年下なのだが。
啓介はコクピットから顔を出し最後にそれだけ言うとハッチを閉じ、SSを起動させた。SSはその大きさにそぐわない、まるで現代のハイブリッドカーのような静かな駆動音を発しながら立ち上がると、すぐにまたその姿を消した。
純平は笑顔でSSが姿を消した方向に手を振り返した。
「ああ、任せろ」
自信なんてなかったが、ここは精一杯強がってそう答えてやった。
アイ、アキラも笑顔で手を振っていた。しかしマリだけは違った。
「あ~ん~た~ね~」
低い声でそう言いながら純平のほうにうつむき加減にふらふらと歩いてきたかと思うと、いきなり純平の首を締め上げた。
出た、マリの貞子バージョン! と純平は恐怖した。
「誰よマリアって? あ・た・し、というものがありながら~!」
いや、『あたしというもの』なんてありませんが。てか昨日俺のことを『ごにょごにょでヒソヒソなバテ太なんか』って罵倒してたのは誰ですか? と純平は内心抗議しつつも、
「知るかよ。俺が聞きたいよ。誰だよマリアって? そんな知り合いいねーぞ?」
とだけ答えた。それは本当だった。マリアなんて知り合いはいない。啓介君はふざけて「ア」をつけただけなんじゃないだろうか? これも新たな精神攻撃か?
そしてSSの歩行音が響きだすと、砂浜に巨大な足跡が彼らの母船の方に向かってしるされていった。そしてそれがしばらく続いたあと、静かだが重厚な噴射音とともにその足跡は途絶えた。
「なんか飛んでるし……」
純平やアキラはもはや驚きを通り越してあきれ顔でその飛行の痕跡を眺めていた。
マリはその間も「この浮気者~! このこのこの」と言いながら純平にケリを入れたり殴ったりしてきた。その様子を今や立体映像の漁船の上にいる彼らは笑いながら見ていた。しばらくするとSSを格納し終わったらしい啓介もそこに現れた。そして未来の純平がサングラスを外し、ニヤリと笑いながら言った。
「じゃあ、縁がありましたらまたどこかの世界で会いましょう! 軍用バイオロイドの修繕費はそのときまで貸しにしておきますから!」
いや多分そんな大金払えないし、そんなこと言われるくらいなら二度と会えなくて結構ですが。と純平は言いかけたがさすがにやめた。
それから純平たちと彼らはお互い全員笑顔で手を振った。
そして彼らは漁船の立体映像を消し、完全に姿を消した。結局純平たちは彼らの母船の真の姿を最後まで見ることができなかった。アーミーオタクのアキラがそれをとても悔しがったことは言うまでもない。彼らの船の存在を感じさせるかすかな痕跡がゆっくりと沖合いに向かい、十分な深度を得たところでスクリューの航跡が浮き上り、それは次第に遠く水平線の彼方まで伸び、そして消えていった。
見送りのあと、純平たちは全員アキラのマンションに集まり、今回の事件についてのまとめ会議をした。
「しっかしあれが純平だったとはね~。直接本人から言われたときはなんのジョーク? って思ったわ」
マリが口火を切った。
「かっこよかった~」
ぽ~っとのぼせたようにアイが言う。
「あんなヒゲおやじが?」
純平が突っ込む。
「うん!」
当然のように微笑むアイ。さすがアイ。マジ愛である。
「ていうか今のあんたより腰低かったから全然気づかなかったわ」
「でもあれで今の純平以上にMMVの使い手なんでしょ? それって最強じゃね?」
アキラが言う。
「軍用バイオロイド虐殺した純平が突進してきても余裕かましてたもんね」
「『虐殺』とか言うなよ」
純平は抗議した。人聞きの悪い……あれはあくまで兵器です。
「まあ本当に力のある人ってのは意外とあんなもんだけどね。『実るほど頭を垂れる稲穂かな』ってね」
「でもほんと最後まで敬語だったよね」
「いや、俺は敬語でマリを殺すとか言ってたのがむしろ怖かったが……」
「あっはっは。それは言える。マジ怖いよね、腰低い人が怖いこと言うと」
「まあ俺とか純平が彼らの世界で必要とされてないって理由も、要するに彼がいるからなんだろうな」
「なるほど……」
純平は納得した。あんなのがいたら自分やアキラをわざわざタイムトラベルや世界養殖してまで拉致する必要はない。
「階級も『准将』らしいよ。だから個人的な復讐の意味もある今回の作戦を実行出来たみたい」
「え? あの年で? 四十くらいだよね?」
「うん」
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
「それさっき聞いたから」
「で、結局啓介君はB世界の純平の息子なんでしょ?」
「うん。そして純平と同じく能力者で、あの若さでSSのエースパイロットらしい」
「うわぁ……若きエースパイロットって、やっぱり階級は少尉かな? 少尉かな?」
「なんで少尉? なんでそんな嬉しそう? でも、ごめん階級までは聞いてない」
「で、彼が『母さん』って言ってたのはやっぱり――」
そう言いながらアキラはマリのほうを見る。
「あたし?」
マリは自分を指差す。
「だってマリとアイちゃんのほう見ながら『母さん』て言っておいて更に『時任マリ――』まで来たら、一人しかいなくね? 普通に考えて」
それは確かに純平も思った。しかしそんな恐ろしい事実を認めるわけにはいかなかったので彼は異議を唱えた。
「いや違うな。たぶんマリとアイが合体してマリアイになって、呼びづらいからマリアに改名して、その人と俺が結婚したんだよ」
マリだけだと完全に尻に敷かれるが、アイが半分混じればバランスが取れそうだ。我ながら名案だ。
……全員十秒くらい黙り込んださ。
「だから俺が思うに、『時任マリ』まで言っちゃってから、全部ばらしたら面白くないと思って咄嗟に『ア』をつけただけと見た」
アキラは何も聞かなかったように続けた。
「え? え? てことは、やっぱり純平とあたしって……」
なんか喜んでないかマリ? と純平は思った。前は即座に拒否反応起こしてたのに、マリアって名前が出てから随分態度変わってない? これっていわゆるバーゲン心理ってやつか? ライバルがいると燃えるという。
「えええ! まさか、そんな~」
しなしなと照れまくるマリ。
やっぱバーゲン心理だなこりゃ。プライドの高いマリだけにライバルの存在効果はばつ牛ンだ。そんなことより俺の名案はどこ行った?
「だってこのあたしよ!? この超時空美少女のあたしとこんなへんちょこりんなバテ太が? え~! まっさか~!」
「お前昨日から全然進歩のないセリフ言ってるぞ」
純平は思わず声に出して突っ込んだ。
「あり得ない、あり得ないわ! ちょっと抗議してくる。アイちゃん、アイちゃんの時空観測艦から二番艦にアクセスできるようになってたわよね? それ経由で彼らと通信できるわよね? ちょっと貸してくれない? 文句言ってくる」
そう言いながらも妙に嬉しそうだった。ここまで露骨にツンデレされると、純平の目にもちょっと可愛く見えてきた。
純平はマリのそんな様子を眺めながら考えた。
たぶんマリアなんて女性は存在しない。仮にいたとしても、すでにB世界とは違う歴史が進行しているこのC世界で、自分がその人に出会う可能性など皆無に等しいだろう。
しかしその仮想ライバルの存在がマリの女心に火をつけてしまったようだ。
これも啓介君による精神攻撃の一つなのだろうか?
啓介君、キミはつくづく罪な超時空美少年だ。
……意味不明ぶりも超時空だったが。