第十章
アイが撃たれた瞬間、純平の中で何かが壊れた。
アイが死んだ。
いつまでもずっと一緒にいると約束したあのアイが。
遺伝子操作が全盛の時代に敢えて全くの自然の状態で生を受け、それでありながらもあらゆる面で白眉と認められた稀有な少女。
自分などは遠く及ばない才能、努力、献身性、気高さを持って生き、誰よりも幸せになる権利を持っていたはずの少女。
それなのに十四歳にして死にも等しい不治の病の宣告をされ、それでも希望を失わず、絶望を乗り越え自らの肉体を捨ててまでAIになり、人類に貢献する道を選んだ少女。
俺みたいなつまらないガキを、「自分を人間扱いしてくれた」というだけで本気で愛してくれた少女。
そのアイが二度目の理不尽な死を迎えた。彼女はバイオロイドとしてすら生きることを許されなかった。その理由はなんなのか。神様なんてものが本当にいるなら、なぜこんな酷い仕打ちができるのか。自らの臨死体験をも凌ぐ「愛する者の死」という苦しみ。それは出来れば一生味わいたくない類の苦しみだった。
純平の心象風景の中に怪物が生まれた。
その怪物は彼の心象風景の奥深く、最深部まで潜り込み、それまで無意識にしまいこんでいたブラックボックスの蓋に手をかけた。
OMV――合わせ鏡ヴィジョン。
それは人類のタブーだとマリは言った。この三次元世界のセキュリティホールを悪用するウィルスだと。個人の私利私欲のためには絶対使ってはいけない力だと。
しかし純平にとってそれがもはや人類のタブーだろうがなんだろうがどうでもよかった。
アイを二回も殺してくれた神様もどうでもよかった。
アイを殺し、さらにマリをも殺そうとしている連中は絶対に許せない。
視野が狭まる。
脳裏に浮かんでいた無数の鏡。正確には鏡であると同時に、状況に応じてその奥に1・3秒先の未来を映し出す窓のようなものだ。日常では360度に霧散して無秩序に浮遊していたそれらの鏡は、純平の感情が高ぶっていくに連れて今や一つの巨大で奇怪な化け物のようなフォームを形作って鳴動していた。その化け物の存在目的はただ一つ。
「ヤ・ツ・ラ・ヲ・コ・ロ・ス」
もはや言葉をオブラートに包むこともしない。
「復讐」、「報復」、「無力化する」、「消す」、そんな言葉遊びになんの意味もない。
要するに、
「殺す」、「必ず殺す」、「自分の命に代えても殺す」、そして「マリに指一本触れさせない」
純平に残された思いはそんなむき出しの殺意だけだった。
脳裏の鏡が再び360度の方向に散開する。しかしそれは無秩序な分散ではなく、滑らかな球体を作って純平を取り囲んでいた。
その中から一枚の鏡が躍り出て、意識の正面に浮かぶ。その鏡はまず「1・3秒後の未来」を映し出す。そして別の鏡がその鏡の中に「入り込み」、ほんの僅かだけ奥の場所で停止し、「1・3秒後に見えるさらに1・3秒後の未来」を映し出す。それは2・6秒後の映像になる。
さらにその鏡の中に別の鏡が入り込み、「2・6秒後に見える更に1・3秒後の未来」を映し出す。これで3・9秒後の映像になる。このように鏡の奥に他の鏡が次々と入り込んで規則正しく一直線上に並んでいく。そしてそれらの鏡はその枚数に1・3秒を乗じただけの未来を映し出す。
鏡に入った鏡の映像はごく僅かではあるが小さく、遠くなってしまうため、鏡の枚数が増えるに従って見える映像は、まるで合わせ鏡に映る映像のように少しずつ小さく、遠くなっていく。そしてちょっとでも集中力を失えばすぐにその果ては見えなくなる。しかしその果てに見える小さな映像は、自分に訪れる未来を正確に教えてくれる。映像のバランスを取るためにはかなりの意志力と集中力が必要だったが、今の純平の意識はむき出しの鋭利な殺意そのものだ。
脳裏に無数に分散していた鏡が、殺意の増幅、意識の集中に従って次々と目前の鏡の内部に入り込んでいき、ガチン、ガチンと音を立てながら一直線に整列していく。
(そうか、これがMMV……)
これはたぶんアキラやユウジという人が機械の補助でやっていたOMVとは仕組みも効果も似て非なるものだ。もっと粗野で露骨で単純。かつ補助を必要としないスタンドアローン。しかし魔法あるいは人類のタブーとも言うべき反則技であることには変わりない。
そう、わざわざ高度な技術を用いた機械を使って合わせ鏡になんてしなくても、鏡は最初から無数にあったのだ。問題はそれらの使い方を能力者である純平たち自身が知らないことにあったのだ。
極限状況でもない限り、一枚使うだけでめまいを覚えるような代物を、一度に全部使おうなんて誰が考えるだろう?
まさに『魔法』、まさに『人類のタブー』、まさに『三次元世界のセキュリティホールを悪用するウイルス』。
だがその正体がなんであろうとどうでもいい。
求めるのは無数の鏡の果てに映し出される、標的に死をもたらしてくれる未来のみ。
それが神に背く行為だと言うのなら、俺は死神になってやる。
準備運動は終わりだ。
純平は放心状態のアキラを揺り起こし、彼の「コレクション」を貸してくれるよう頼んだ。
約十分後、純平はアキラの運転する車で港まで来ていた。
この倉庫群のどこかにマリがいる。純平はアキラのコレクションから借りた真剣の日本刀を腰に差し、本物のアサルトライフルを両手に持ち、車から降り立った。サブウェポンとして懐には拳銃、アーミーナイフも忍ばせていた。今だけは彼の趣味に感謝していた。
そして純平は倉庫を探し始めた。アキラも色々武器を持ってきてはいたが、一人で来いと言われていたので一応アキラは車で待機することにした。
純平やアキラが見ることのできる未来は『自分が今の状態を維持した場合に訪れる未来』だ。したがって、相手のほうから襲い掛かってくるような受身の場合以外では、とりあえず自分のほうから何か行動を起こすか、行動のイメージを思い描いてから予見を開始しないとその結果を見ることは出来ない。
純平は適当な倉庫に当たりをつけ、その倉庫に向けて走り出すと同時にMMVを試みる。すると見えてきた映像は空の倉庫の内部と、ほかの倉庫でマリが銃で撃たれる映像だった。違う。この倉庫じゃない。純平は『当たり』になるまでこれを繰り返す。慣れてくれば自分が倉庫に向かっているイメージを思い描くだけである程度の予見ができるようになる。そしてついに、MMVがマリの前に自分が駆けつける映像を映し出す倉庫を見つけた。
その倉庫は小型のクルーザーなら数隻は収納できそうな、高校の体育館ほどの大きさのもので、扉には鍵がかかっていなかった。純平は扉を開けた場合のMMVを試みた。大丈夫。開けた途端に撃たれると言うことはなさそうだ。
* * *
(あたし、もし生きていられたら、もう軍人辞めよう……)
そのときマリはロープで縛られたまましくしくと泣いていた。これで四度目である。しかもアイが殺された。それは予想外だった。今日一対一でサングラスの男に会ったとき、彼は自分の素性を明かし協力を求めてきたが、アイを殺すなんてことは一言も言ってなかった。
アイが殺されたあと半狂乱になって抗議しその理由を問いただしたが、彼はもはや何も答えてはくれなかった。やがてマリは諦め、今はただ一人で涙にくれていた。
マリと、アイの遺体がある場所のほぼ中央に立っているサングラスの男はじっと瞑想に耽っているようだったが、突然仲間に大声で合図を始めた。
「来ます。アサルトライフルと日本刀を持っています。プランCでお願いします! プランCです!」
彼の仲間は無言でそれに応じ、扉のほうに向かって銃を構えていた。
* * *
扉を開けると純平は中に飛び込み、ライフルを膝撃ちの構えで構えた。もちろん正式な訓練を受けたことなどない。FPSにハマって自然に覚えた見よう見まねだ。でもそれが意外にイメージトレーニングとしての効果があったことに自分でも驚いていた。
中は予想外に明るくガランとしており、それはまるで学校の体育館の内部のようだった。体育館の壇にあたる場所は純平の開けた扉とは正反対の場所にあり、その場所の中心にサングラスの男が立っているのが見えた。その右脇にはロープで縛られて泣いているマリの姿、そしてその反対側には血まみれになって倒れているアイの姿があった。
「マリ! 待ってろ! 絶対に助けてやる!」
純平は叫んだ。
「来ないで! 罠よ!」
マリが叫んだ。
そんなことは知っている。わかってて来たんだ。罠だろうがなんだろうが、俺はあいつを殺し、マリを助ける。我ながらめちゃくちゃな論理だがもはや理屈ではない。
純平はライフルを構えながら内部に素早く視線を巡らせその構造を把握した。内部には体育館によくあるような二階の細い通路――ギャラリーあるいはキャットウォークと呼ばれる通路――が自分から見て左右の壁上にあり、その上にはライフルを構えた彼らの仲間が二~三人ずつ配置されていた。そして倉庫の中央にあたる部分には昨日純平を襲ってきた能面の大男、これは軍用バイオロイドと呼ばれる人造人間らしいが、それが十体ほど無表情に横一列に整列して立っていた。意外なことに彼ら、いや、『それら』は銃器の類を持っておらず、一様に鉄パイプのような鈍器を持っていた。
「撃つな! 撃てばこちらも銃で応戦する!」
サングラスの男は怒鳴った。
それはまるでこちらが撃たなければ向こうも撃たないと言っているかのようだった。純平は銃を構えたままMMVを試みた。すると約十一秒後にギャラリーの連中が撃ってくるのを予見した。銃を構えてる相手に対して十一秒後? 純平はそれに違和感を感じ、試しに銃を降ろした。すると約一分後にも彼らは撃ってこないことがわかった。
そしてよく見るとサングラスの男は日本刀を片手に持っていた。
(そういうことか……)
近接戦闘、それも真剣での勝負、それはこちらも望むところだった。今さら奴を銃で殺したところでアイの無念は晴らせない。日本人なら日本人に相応しい方法でけじめをつけてもらう。日本刀を持ってきたのはそういう理由だった。
純平は銃を床に置き、日本刀を抜き構えた。もちろん真剣で戦うのなんて初めてだった。しかしふつふつと湧き上がる殺意が自然とその扱い方を教えてくれるような気がした。
普通なら、以前自分が圧倒された大男を十体も目前にして恐怖を感じないわけがない。しかし次の瞬間には純平は走り出していた。理屈ではない。今彼をつき動かしているのは制御不能の怒りだ。しかし一方では常に冷静にMMVを試みていた。MMVなしで動いたら必ず返り討ちにあう。それはわかっていたし絶対に避けなければならない。「絶対に奴らを殺す」という執念が今や感情すらコントロールしてくれているようだった。
目の前の軍用バイオロイドたちが一斉に鈍器を構え、純平に襲い掛かってくる。
「どけーっ!」
純平は叫ぶと、その中心に向けて突進する。その間純平の脳裏では無数の鏡が彼の意のままに自由に形を変化させ、激しく乱舞していた。あるときは一直線に整列し、龍の如くに遥か彼方に突き進み、数百秒先の特定方向の映像を映し出したかと思うと、次の瞬間には万華鏡のように散開し、360度すべての方向からの数秒先の情報を映し出したりもした。
純平はまず目の前の一体の動きを読んだ。『それ』は両手で鈍器を持ち上段に構えていたが、1・3秒後の映像ではそれを袈裟懸けに振り下ろしていた。
屈強な両腕から振り下ろされるその鈍器のスピードは人間の反射神経と運動神経では到底避けられるものではない。しかし予め振り下ろされるタイミングとその軌道がわかっているなら話は別だ。純平は前回その一体と対戦したときにある手ごたえを感じていた。そして今自分が構えているのは木刀ではなく真剣だ。
木刀とは違い真剣の場合、敵の攻撃が素早ければ素早いほど、重ければ重いほど、それは敵自身に跳ね返る凶器となる。こちらはその攻撃の軌道を妨害するように刀を構えるだけでいい。面倒なら振る必要すらない。あとは勝手に相手が刃の餌食となってくれる。
純平はその攻撃の軌道の死角に滑り込み、その両腕が振り下ろされるタイミングに合わせてその軌道に刀を振り上げ、まずその両腕を切断した。そしてそのままその首をはね『無力化』した。その軍用バイオロイドは首から体液を噴出し床に崩れ落ちた。
『これら』は人間ではない。痛みも感じなければ死の恐怖すら持たない『これら』に「殺す」という概念は当てはまらない。遠慮はいらない。トリプルAIとは違い、無から生まれた『これら』は魂を持たない単なる人型兵器にすぎない。
脳裏の鏡にはさらに左右から襲ってくる軍用バイオロイドの姿が映っていた。純平は『それら』を順番に処理していった。殴りかかってくるものはその腕を、蹴りかかってくるものはその脚を、予めその攻撃の軌道に合わせて刀を構え、カウンターで次々に切断していった。辺りは今や『それら』の体液が散乱し、それを血と呼ぶならば、そこはもう血の海だった。
無力化した『それら』の数が自分でもわからなくなってきた頃、脳裏で正面に浮かんでいた鏡が注意を促すかのように巨大化し、背後にある鏡の映像を合わせ鏡のように映し出した。その鏡には2・6秒後に背後から襲い掛かってくる軍用バイオロイドの攻撃の模様が映し出されていた。純平はもはや振り返るより先に刀を背後に回し、その両腕を切断した。そしてゆっくりと振り返りその首をはねた。それが崩れ落ちたとき、ついに動いている軍用バイオロイドはいなくなった。
* * *
(あたし、何も知らなかったんだな……)
マリはその光景を呆然と見つめていた。それは彼女の知っている純平ではなかった。いつものほほんとして、ちょっと天然で、あたしがいじるとすぐにいじけて、でもアイちゃんに向ける眼差しはとても温かくて、典型的な平和ボケ日本人のバテ太君。それが純平だった。
かつて剣道に身を捧げ、今は戦争ゲームにハマってるくせに、現実では日本刀やアサルトライフルはおろか、果物ナイフですら銃刀法違反だとか言い出しかねない彼。
その彼が今や狂気のサムライ、いや、鬼神そのものだった。襲い掛かる屈強な軍用バイオロイド――銃での撃ちあいならまだしも、近接戦闘では人間など全く太刀打ちができないとされている凶悪な人型兵器――それらの群れに違法度100%の日本刀を手にたった一人で近接戦闘を挑み、返り血――それを血と呼ぶならば――で真っ赤になりながら狂ったように雄叫びを上げ、次々と切り伏せていた。
彼がそうなってしまった理由はただ一つ。アイの復讐を果たし、あたしを救うため。
「あれが、時任純平……」
マリは言葉を失った。
* * *
一段高くなったギャラリーでライフルを構えていたサングラスの男の仲間たちも呆然とその様子を見つめていた。いくら能力者と言っても、軍用バイオロイドを近接戦闘で、しかも十体同時に相手にしたらひとたまりもないと誰もが考えていた。
軍用バイオロイドは筋力・反応速度といった身体能力の面で人間を遥かに上回り、さらに痛覚も死の概念も持たないために恐怖を感じることもなく、一般的には一体で人間三人以上の戦力に当たると考えられていた。いくら武器が日本刀と鈍器という違いがあると言っても、人間換算で一対三〇の状況はさすがに一方的だと誰もが考えていた。
しかしリーダーは「バイオロイドの修復装置はいつでも使えるようにしておいてください」とバイオロイドの心配しかしていなかった。実際今彼らの目の前で最後のバイオロイドが切り伏せられていた。最後の一体は彼の背後から両手に構えた鈍器を振り下ろそうとしたが、彼はもはや振り向きもせずにその両腕を切断していた。
「すげえ……」
彼らは思わず口々に呟いた。
* * *
そしてサングラスの男。彼はその様子を身じろぎもせずに見守っていた。そして最後の軍用バイオロイドが倒れたのを確認すると、その片手に持っていた日本刀の鞘を外し、正面に構えた。
* * *
純平は血の海の中でサングラスの男の位置を確認し、その方向に体を向けて日本刀を真正面に構えなおし、意識を集中していた。MMVはギャラリーの連中がやはりライフルを撃ってはこないことを教えてくれた。もし撃ってきたとしても上方から撃ってくるライフルは地面に弾痕を作る。その弾痕の位置を予見すれば避けるのは可能だと思われた。
純平はとりあえずライフルの連中を無視することにして、今や10メートルほどの距離に迫ったサングラスの男に突進した。突進しながらさらにMMVを試みる。奴の動きが見える。純平はどの軌道で切りかかるかをいくつかイメージのみで試行錯誤した末に、相手が避けきれずに刀身の餌食になる軌道を割り出し、切りかかった。
――しかし、純平の刀は男の刀によって弾かれた。その瞬間、脳裏の鏡が混乱したように無秩序に踊り始めた。そして純平自身も、めまいを感じてふらふらと後ずさった。
何が起きた? 純平のMMVは確かに自分の刀が男を切り裂く場面を映し出していた。しかし実際には純平の刀は弾かれた。それまで自分を裏切ることのなかったMMVに初めて裏切られた瞬間だった。純平が混乱していると、マリが叫んだ。
「気をつけて純平! その男はあなたよ!」
純平は眉間を押さえ、さらにふらふらと後退した。何を言ってるんだマリは? この卑劣な悪魔が俺だって? どういう意味だ?
「その男は未来のあなた! だからあなたと同じ力があるの!」
……何だって?
純平は必死で正気を保とうとした。めまいで倒れこみそうになる体を煮えたぎる憎悪と怒りで奮い立たせた。そしてようやく彼女の言葉の意味を理解した。
なるほど、そういうことか。だから俺の刀は弾かれた。奴は多分俺が予見したあとに予見を開始したのだろう。たぶん能力者同士の予見は「遅い者勝ち」である。あとから予見した者の行動が、先に予見した者の未来を書き換える。それは未来を確定させずに予見するというMMVの仕組みを考えれば想像に難くないことだった。
ただし「遅い者勝ち」というのは諸刃の剣だ。予見が遅れすぎて物理的にリアクションを起こす時間がなくなればそれは無意味だ。
しかし奴が本当に未来の俺なら、能力の使い方は確実に俺より上だ。奴は俺が予見を開始したであろうタイミングを看破し、その直後、手遅れにならないタイミングで予見を開始したのだ。だとしたら俺に勝ち目はあるのだろうか?
純平は刀を構えなおし、色々な攻撃のパターンをイメージし、その結果をMMVで確認した。そしてある重大なことに気づいた。
――奴は自分からは攻撃してこない。
どういうことだ? と改めて男の顔を見る。すると男はおもむろにサングラスを外して言った。
「気は済みましたか?」
その顔は豊富なヒゲを蓄え若干老けていたが、確かに純平の顔だった。
文字どおり純平の全身を電撃が貫いた。まさか、そういうことなのか? 純平は咄嗟にアイの様子を確認した。彼女は相変わらず血の海に横たわっていた。純平は慌てて彼女に駆け寄って、その体を抱き上げた。そして彼女の体をよく観察し、気づいた。
――弾痕がない。
彼女の体は血にまみれていたが、弾丸が撃ちこまれたり貫通した形跡がなかった。バイオロイドは人間よりも傷の修復が早く、小さな傷であれば数分もすれば跡形もなく修復してしまうらしいが、それはそのバイオロイドがまだ機能している場合の話だ。全身の機能が一瞬にして停止した場合は傷の修復は行われない。少なくともアイはそう言っていた。
純平は彼女の胸に耳を当て、その鼓動を確認した。その瞬間彼は全てを理解した。
……そういうことか。
……ふざけやがって。
……ぜってー許さねー。土下座して謝っても許さねー。
純平は脱力した。そしてそのままそこに崩れ落ち、気を失った。以前ならただの一秒の予見ですらめまいを感じていたのに、戦いながら何度もMMVを繰り返したのだ。怒りに我を忘れていたとはいえ、今まで立っていられたことさえ不思議だった。